第16話 審問会


 愛するシンが連れ去られて、リーシアは虚ろな表情で椅子に座っていた。その側には母のエレンとシンの母ヘラ、そしてストランダム親方がかける言葉もなく寄り添っていた。

 リーシアの父のマットとシンの友人のデニスは、混乱する招待客への対応に追われている。


「なぜ、教会の方がシンを捕まえにきたのですか?」


 ヘラがストランダム親方に恐る恐る訪ねる。


「仔細は分からないが、異教信仰の疑いと言っていた。シンはブディストニアに連れ去られたと思った方がいい」


 ヘラがよく分からないという顔をすると、親方はさらに続けた。


「マゴラの教会には二百人の僧侶がいて、全員中央教会のあるブディストニアから派遣されて、教会の近くに住んでいる。教会の周囲は、マゴラでありながらブディストニアなんじゃ」

「では、教会は領主様より偉いのですか?」

「うむ、それに答えるには、まず教会について話さねばならん。長くなるがよいか?」

「はい」

「ブディストニア国の中央教会は、全世界の教会を束ねていて、そこの最高位の大僧正は、ブディストニア国の皇帝のようなもんじゃ」

「ブディストニアでは教会が国を治めてるのですか?」

「そうじゃ。大僧正の下には八人の正僧正がいて、大僧正を交えたこの九人が長老会と呼ばれ、宇宙教の意思決定をしている。八人の正僧正はそれぞれ、宣教省、教理省など八省の長官に任じられ、そこには二百人の中僧正と、千人の小僧正が働いている。小僧正以上が教会幹部で、その下には約一万人の僧都と十万の僧都見習いがおるんじゃ」


 親方の説明にヘラは頭がクラクラしてきた。マゴラに住む人全員を合わせても三千人しかいないのに、一万とか十万なんて数字を聞いては無理もない。

 だが、親方の話はまだ続いた。


「彼らは全員ブディストニア千五百万人の国民から選抜されたエリートで、全世界の十八億人の宇宙教信者の頂点に立つ者なんじゃ。その権勢は絶大で、我が国の皇帝でさえその意向を無視できない。だからここマゴラにおいても、教会の権力は絶大で、彼らが宗教裁判の末に下した判決は、この国のどの裁判所の決定よりも上位に位置づけられるんじゃ」


 親方の声は重々しく、ヘラはシンがたいへんなところに連れ去れてたと青ざめた。

 すると、それまで俯いていたリーシアが顔をあげた。


「私とシンはメナム様を知っています。とても聡明で優しい方です。あの方ならきっと、シンの無実を証明してくれると信じています」


***


 教会の審問室は、ドア以外は白塗りの壁に四方を囲まれ、床からおよそ二メートルの高い場所に明かり取りの窓が、ポツンと設けられたのみの閉鎖された空間だった。

 二十平米ばかりの広さの部屋に、メナムから尋問を託されたルドルフ・ジットという名の僧侶と、この審問の記録員がいた。

 ルドルフは二五才で僧都の地位にあり、見習いを除けば平均年齢が四五才を超える宇宙教の僧侶の中では、ずば抜けたエリートだった。


 尋問開始から既に十分経つが、ルドルフは言葉を発さず、じっとシンを観察していた。この不毛な沈黙の中で、最初に痺れを切らしたのはシンだった。


「私は生まれてから異教の神に祈りを捧げたことなど一度もありません。私は紛れもない宇宙教の信徒です」


 シンの訴えを無視して、ルドルフは無表情のまま観察を続ける。その瞳はブディストニア人には珍しい薄い青色で、その奥底に潜む感情は読み取りにくい。

 再び訪れた沈黙を破ったのはルドルフだった。


「シン・タカヤ、あなたが異教を信仰しているという告発状が届いています。その告発状を最初に受け取り、教会に届けたのはマゴラの領主、リオエール男爵の息子、ベルガです」

「告発状? それは誰が書いたのですか?」

「それは分かりません。告発状内にも差出人の名はなかった」

「そんな不確かなもので……」


 シンは絶句した。

 誰が書いたのかも分からない告発状によって、一人の人間を異端者として裁くのかと、怒鳴りたくなる思いを必死で押し殺した。


「告発状の中には、あなたがジャパニア国王の使者と会ったと書いてありました」


 シンはぼんやりと思い出した。

 二月ふたつきほど前に、確かにジャパニア国王の使いと名乗る男が工房を訪ねてきた。その男は国王の言葉として、シンを宮廷お抱えの鍛冶師として招きたいと伝えた。


「ジャパニア国王の使者がやって来てのは事実です。私を鍛冶師として招きたいと言われました。でもそれはきっぱりと断っています。その時以来一度も会っていません」


 シンは力を込めて否定した。告発状の差出人が分からない以上、嫌疑に対して断固否定するしかすべがないからだ。


「その使者は不法入国者として、ベルガが率いる男爵家の騎士団に見つかっています。すぐに取り押さえようとしたところ、ベルガの騎士団は悉く剣を折られたあげく、逃げられてしまったとのことです。そのとき使者が使っていた剣は、片刃で反りが入ったこの国では使われないものだったそうです。ところであなたは、時折片刃の剣を打っているそうですね」

「それは……」


 シンは否定の言葉を途中で飲み込んだ。片刃で反りが入った剣は、ストランダム親方が所有しているものだ。それは親方が、ジャパニア遠征軍に従軍したときに手に入れたものだ。それはこの国の剣よりも硬くてしなやかで切れ味が良かった。その製法に興味を持ったシンは、秘かに研究を重ね、ほぼ同じものを作れるようになっていた。


「あなたは以前からジャパニア国と親交があった。そして片刃の剣の製法を伝授されていた。ただ、あの国が生粋の宇宙教徒と親交を持つとは思えない。ロック帝国の二度の遠征目的は、蛮族の教化です。だからあなたは宇宙教を捨てたのです」


 ルドルフの流れるような論陣に、シンは追い詰められた。正直に話して親方を巻き込むわけにはいかない。かと言って片刃の剣の製法をどのように知ったのか、でまかせを言ってもこの男には見破られる気がした。


「私は異教徒ではありません」


 シンが言えることはそれだけだった。


***


 シンへの尋問が終わって、ルドルフはメナムに対していた。二人きりの部屋の中で、ルドルフは一切主観を交えずに正確に尋問の様子を伝えた。メナムはそれを聞いて苦い顔をした。


「それでお前の見解はどうなんだ?」


 いつもルドルフの正確な報告だけで判断を下すメナムが、珍しくルドルフに意見を求めた。


「それはメナム様と同じです」

「シン・タカヤへの嫌疑は濡れ衣か」

「はい。彼は熱心とまではいかないですが、宇宙教徒であることは間違いないでしょう」

「では片刃の剣の件についてもいいがかりか?」

「それも既にお分かりでしょう。調書によれば、彼の師匠は当代きっての名人と呼ばれるヒュー・ストランダム。ジャパニア遠征にも従軍していますから、片刃の剣を知っていても不思議ではありません」

「ではなぜ親方から教わったと言わない?」

「迷惑がかかることを恐れているのでしょう。蛮族の文化とも言える片刃の剣の製法を研究したとなれば、ストランダムも罪に問われる可能性がある。それが進歩や革新につながるとしても、宇宙教の教理の中では異文化との交流は認めない」

「それ以上言うな。お前を教会批判で罰せねばならなくなる」

「ではどうしますか? 証拠不十分でタカヤを釈放することもできますが」

「それができないことは、十分承知しておろう」


 メナムの表情はますます暗く成った。

 ストランダム家の現当主の妻は、次期大僧正を目指すナッシュ・ゼニオールの従兄弟だった。現在ナッシュは正僧正として、外務省の長官を務めている。

 アムス・リオエールは貴族に似合わない類い希な商才を持ち、それを活かして稼いだ金でナッシュが現在の地位に就くのに貢献した。そのお礼としてナッシュは、帝国政府に働きかけてアムスにマゴラの領地を与えたのだ。


 その関係を熟知すればこそ、メナムはベルガの顔を立てて自らシンを捕らえた。もしそれが誤認逮捕となれば、それはメナムの大きな失点となる。かと言って、もし無実の者を罪に落としたら、それは後々メナムが抱える時限爆弾と化す。


「では、こうすればどうでしょうか?」


 ルドルフがおそらく胸の内に温めていたと思われる提案を切り出した。


「アムス・リオエールに事実を伝え、判断を委ねたらどうでしょうか?」

「アムス?」


 メナムはルドルフの考えが理解できずに怪訝な顔をした。

 告発文を送ってきたのはアムスの息子のベルガだ。ベルガにシンに対する害意があったとすれば、父親のアムスもこの始末を教会に押しつけようとするだろう。アムスに判断を委ねても、受けるとは到底思えなかった。

 しかし明敏なルドルフが思いつきのような策を提示するはずがない。

 メナムはそう思ってルドルフの次の言葉を待った。


「私が調べたところでは、アムスはタカヤが作成した武具のおかげで、だいぶ利益を上げていると聞きます。ただ、タカヤにはシャンハで開業する話が持ち上がっており、稼ぎ頭がいなくなることを懸念していたとも聞いています。アムスはここでタカヤに恩を売る機会を得るのは歓迎するのではないでしょうか」

「なるほど、アムス自身にタカヤを無罪にさせベルガを斬らせるわけか」


 それはメナムにとっても非常に魅力的な流れに思えた。


「だが告発したのは息子のベルガだぞ。もしベルガにタカヤをこの町から追い出したいという意図があったとすれば、父親としてはその意を汲んでこちらの申し出を受けないのではないか」


 メナムはこの事件の裏に潜む個人感情を憂慮した。


「それは心配ないでしょう。おそらくメナム様が推察された通り、ベルガにはタカヤを害する気持ちがあるのでしょう。だがアムスはタカヤに対して、経済的に利用したい気持ちがあります。しかも彼は善政をすると評判の領主です。まあ、そこでどうしようと、我々の責任はなくなります」


 さすがにルドルフはそれぞれの利害関係に至るまでよく調べていた。いつもながら完璧な仕事だ。この策はきっとうまくいくはずだと、メナムは思おうとした。

 それなのに、心の中に黒雲が残って晴れ渡らない。それはメナムの心に僅かに残る聖職者としての矜持かもしれない。


「いかがでしょうか?」


 ルドルフの顔には、ナムが承諾すると確信が表れていた。


「いいだろう。手配を頼む」


 とりあえず他に良策もない。メナムは良心を押し殺して承諾した。


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