第2章 裏切りの街

第14話 嫉妬と陰謀

 パーティ会場を抜け出したリュウは、控え室のソファに深々と座る。嫌悪する貴族が集まる中にいることは、どのような場面であっても苦痛でしかない。故郷の村では、平民たちは今も貧しい暮らしを懸命に営んでいる。

 アルコールの酔いと慣れない宮廷作法で疲れたリュウは瞼を閉じ、ここまでの自分の数奇な運命を思い出していた。



***



 シン・タカヤは、ヤクー山の険しい斜面を慎重に下っていた。背中のリュックには、リーシアへの贈り物を作るために集めた貴重な鉄鉱石が詰まっている。夕闇が迫る中、彼の心にはまだ先ほどの出来事の余韻が残っていた。


「ヨセフ、あれは何だったんだろう……」


 額の汗を手の甲で拭い、シンは深呼吸をした。巨大な熊との遭遇、そして奇跡的な生還。さらに、あの白昼夢のようなできごと――自分に語りかける謎の声。しかし今は、それらを一旦脇に置き、無事に下山できたことに感謝しようと決めた。


 マゴラの町に入る頃には、陽は完全に沈み、街灯がぽつぽつと灯り始めていた。戦の噂が広まる中、この町の鍛冶屋たちは皆、夜遅くまで忙しく働いているはずだ。


「おい、シンじゃないか」


 背後から聞き覚えのある低い声に振り向くと、そこには兄弟子のボーナム・スモレッドが立っていた。暗がりの中でも、その疲れた表情と沈んだ目ははっきりと見て取れる。


「ボーナムさん、こんばんは。もうお仕事を終えられたんですか?」


 シンは微笑みながら問いかけた。しかしボーナムは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。


「仕事なんてないよ。俺の打つ剣は切れ味が悪くて、すぐに折れるって評判でね。粗悪品の烙印を押されちまった。今じゃ家事道具や農具を作って、細々と食いつないでるのさ」


 その声には、苛立ちと自嘲が混じっていた。ボーナムは美しい装飾や見た目にこだわり、剣本来の性能を高める努力を怠ってきた。戦争が始まり、実戦でその剣が脆さを露呈すると、評判は一気に地に落ちてしまったのだ。


「そんな……ボーナムさんの腕は確かですから、きっとまた評判は良くなりますよ」


 シンは真摯な眼差しで励ました。しかし、その若々しい慰めの言葉は、プライドの高いボーナムの心にとげのように刺さった。


「十も年下のお前に慰められるとは、俺も堕ちたものだな」


 唇を歪めて、ボーナムは苦々しげに吐き捨てた。シンは自分の言葉が逆効果だったことに気づき、申し訳なさそうに視線を落とした。


「ところで、お前はどうなんだ。噂じゃ、ストランダム親方から刀剣作りの秘伝を授かるって聞いたが、本当か?」


 ボーナムの目が鋭く光る。シンは一瞬戸惑ったが、嘘をつく理由もないと思い、正直にうなづいた。


「はい。親方が次の満月の頃に教えてくださる予定です」

「そうか。ついこの前までつちを握る手もおぼつかなかった小僧が、もう秘伝を授けられるとはな。親方のお気に入りは得だねぇ」


 嫉妬と皮肉が込められた言葉に、シンは何も言えず、ただうつむいた。ボーナムの視線が冷たく突き刺さる。

 しばらくの沈黙の後、ボーナムはふっと笑みを浮かべた。


「まあ、気にするな。お前には才能があるし、親方の目も確かだ。ところで、その背中のリュックには何が入ってるんだ?」

「あ、これは…リーシアへの贈り物を作るために、ヤクー山で鉄を採ってきたんです」

「リーシアへの贈り物、ね。そういえば来月は結婚だったな。おめでとう」


 ボーナムの口調はおだやかだったが、その瞳の奥に嫉妬の炎がちらついていることにシンは気づかなかった。


「ありがとうございます。彼女のために、最高の剣を打ちたいと思ってます」


 シンの頬は少し赤らんでいた。その純粋な思いが言葉から溢れている。


「そうかい。幸せ者だな、お前は」


 ボーナムはそう言うと、視線を街の闇に向けた。遠くで酒場からの笑い声がかすかに聞こえる。


「では、これで失礼します。お疲れ様でした」


 シンは頭を下げて歩き出した。ボーナムはその背中をじっと見つめ、何か言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わなかった。

 暗い路地を進むシンの背中は、どこか希望に満ちているように見えた。ボーナムは拳を強く握りしめる。


「シン…お前は全てを手に入れるってわけか」


 呟いたその声は、夜の静寂に吸い込まれていった。



***



 酒場の片隅で、ベルガ・リオエールは従者のシャウ・リッツェ相手に、クダを巻いていた。既に飲み始めてから二時間経ち、ベルガの話は何度もループしているが、シャウは辛抱強く相づちを打ち続けている。


 シャウはユラシド地方の北の辺境にある貧しい村に生まれた。北の未開地とは地続きの村で、時折氷獣が迷い込んでくる。それらと戦うために、村の男たちの戦闘力は自然に上がっていった。

 連合と戦争が始まると、村長は男の中から特に強い者を選び、有力貴族に兵として売り込んだ。村は貧しく毎年数名の子供たちが餓死する。男たちが戦って得る食料が村の命綱だった。


「まったく忌々いまいましい。あのラシードの卑怯な伏兵がなければ、今頃はアフガムに我が国の旗が立っていたものを」


 ベルガの口から再びラシードを呪う言葉が出た。

 これで今夜は六度目だ。

 ベルガは三年前のアルバイン連合と帝国の戦いに、父のアムスに代わって、帝国の一部隊として参戦したが、奮戦虚しく敵将ラシードの伏兵の罠にかかり、帝国軍と共に撤退した。

 貧しいユラシド地方の辺境マゴラにあって、この戦で手柄を立てて、帝国の首都シャンハで社交界デビューを夢見ていたベルガにとって、それは痛恨の敗戦であり、ラシードを呪わない日はなかった。


「しかし、撤退に際してのお前の働きには感謝している。迫り来るアフリアドの兵を、お前のカマイタチがズタズタにしたときは溜飲が下がったものだ」


 ベルガがシャウの功績を称えた。

 これももう三回目だ。

 シャウは今度は言葉にせずに、無言で頭を下げた。


「お礼として、今日お前の村に臨時の食料を送っておいた」


 シャウは驚いて頭を上げてベルガを見た。その顔には驚きが浮かんでいた。これは今夜初めて聞く話だ。


「良いのですか?」

「かまわん。飢えで子供が死ぬことを思えば、城の者たちは遠征した兵と同じ糧食を食えばすむ話だ。それよりもお前の村の子供たちが無事に育って、お前のように強い戦士を得る方がはるかに国のためになる」

「御慈悲に感謝します」


 シャウは深々と頭を下げた。

 ベルガは直情的な面はあるが、常に戦いの先頭に立ち、いたずらに部下に犠牲を強いない良将だ。

 その点ではマゴラの領主である父親よりも信頼をおける。

 リオエール男爵家の当主、アムス・リオエールは計算高い男だけに、例え息子の頼みであっても、遠征で疲弊した現状において契約以上の報酬を出すことを良しとはしなかったろう。

 相当強くベルガが骨折ってくれたことは間違いない。


「おい、あの娘は誰だ」

 ベルガの雰囲気が変わった。

 声に好色な感情が籠もっていた。

 彼の視線の先には長い金髪が印象的な、ラテン系の顔立ちをした娘がいた。


「あれは鍛冶屋のシンと婚約した娘ではないですか。名はリーシアだったと記憶しています。向かいで話している男が婚約者のシンです」


 シャウはあえて男連れであることを強調した。

 ベルガは相当の女好きで、戦地では気に入った女を見つけると、敵味方関係無く陵辱した男だ。まさか将来自分が治めることになる地で、そのような暴挙をするとは思えなかったが、かすかに目に宿った狂気がシャウを不安にさせた。


「まだ結婚はしてないのか」


 今にも席を立ちそうなベルガを見て、シャウは慌てて声をあげた。


「いけません。シンは男爵様も目をかけている優秀な鍛冶師です。実際に奴の打った武具は高値で売れて、リオエール家の大きな稼ぎになっています」

「そうか」


 二人の間に沈黙が訪れた。ベルガは諦めきれない顔で、リーシアを見続けている。

 シャウはシンがリーシアを連れて、早く酒場を立ち去ってくれないかと、祈るような気持ちでその場にいた。


 強引な性格のベルガだが、益を生む領民の婚約者に手を出したら、さすがに父から罰せられると分かっていた。アムスは家のためならいくらでも非情になる男だ。我が子と言えども、貴族の資格を剥奪して、城から追い出しかねない。


 しかしダメだと思うと余計に欲しくなるのか、ベルガはリーシアから視線を外さない。

 頭の中ではリーシアを陵辱する妄想が渦巻き、その涼しげな目元を歪ませ、可憐な唇からあがる悲鳴を楽しんでいるのだろう。

 それはシャウがベルガを嫌悪する行為のひとつだ


「リーシアをお気に召しましたか?」


 突然横から面識のない年の頃三十ぐらいの平民の男が声をかけてきた。シャウは全身に緊張を走らせる。誇り高いベルガは、部下以外の平民から馴れ馴れしくされると激しく反応する。今、どう見ても平民のこの男に、命の危機が迫っていると緊張したのだ。

 ところがベルガは男の無礼を咎めることもなく、リーシアを見つめたまま答えた。


「気に入った。我妻に迎えたいほどだ」


 ベルガが放った妻という言葉を聞いて、冷静なシャウが目を剥いて言った。


「平民の娘ですよ」

「かまわぬ。あの娘を手に入れたい」


 純粋な軍人らしく、いい加減な気持ちでこんなことを口にする男ではない。

 初めて見ただけの平民の女に、ベルガは心を奪われたようだ。

 それは、普段のベルガなら露ほども抱かない感情だ。


「私がお助けしましょうか?」


 再び見知らぬ男が口を開いた。

 下卑た愛想笑いがシャウの神経を逆なでする。


「お前に用はない。うせろ」


 これ以上ベルガを刺激されたくないシャウは、剣に手をかけて男を睨み付けた。


「待て、シャウ。おい、お前には何かいい策があるというのか」


 なんとベルガは、この卑しげな男の話を聞く気に成っていた。シャウはしぶしぶ剣の柄から手を離した。


「もちろんです。ただここでは話せません」

「いいだろう。場所を変えて話を聞こう」


 シャウは言葉を失った。ベルガは恋に狂って、正常な判断を逸したとしか思えない。

 そんなシャウの心情を知ってか知らずか、その男はヌケヌケと続けた。


「申し訳ないですが、お連れの方とは別行動でお願いできませんか」

「なんだと」


 冷静なシャウが頭に血を上らせて、再び剣に手をかけた。人払いを要求する無礼さ以上に、この男がベルガの弱みにつけ込む態度に、シャウは我慢できなかった。

 今にも斬りつけそうなシャウを、ベルガが目で制止する。シャウはしかたなく男に尋ねた。


「この方を一人で、素性の分からぬ男と同行させることはできぬ。お前の名と身元を明かせ。もしこの方に害為すことがあれば、お前は櫓櫂ろかいの及ぶ限り津々浦々まで追い詰められると承知しろ」


 シャウの脅しに対しても、男は一向にひるまない。


「ヒエ-、怖いですな。私の名はボーナム・スモレッド。この町で鍛冶屋を営んでます。シンとは同じ親方の下で学んだ兄弟弟子でさあ」


 吐き気がするような下品な笑顔で素性を明かしたボーナムは、不快感を表すシャウを残して、ベルガを連れて酒場を後にした。

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