第12話 要塞の陥落
月が中天にさしかかり、星々が静かに瞬く夜。ファイザーバード要塞は深い闇に包まれ、見張りの松明だけが微かな光を放っていた。風は冷たく、西方の砂漠の砂を舞い上げて運んで来る。その静寂の中、影のように忍び寄る一群の存在があった。
百人ほどの小柄な影たちが、音もなく要塞内部を移動している。彼らはリュウ・クジョーの配下、チャーリー・ハンホーが率いる特殊部隊だった。リュウ自身もその中に混じり、他の兵士と遜色ない身のこなしで進んでいた。彼の鋭い眼差しは暗闇の中でも光を捉え、動きはまるで風のように軽やかだった。
目指すは西門。事前の情報では、要塞内の四つの門は百人の兵が二時間交代で守っているという。チャーリーは手を挙げ、部隊を止めた。彼の瞳は細く鋭く光り、見張りの数と配置を再度確認する。
「見張りの数は予想通りだな」
チャーリーは小声で呟き、再び手を振った。兵士たちは地に伏せ、闇の中に溶け込む。遠くから巡回兵の足音がかすかに聞こえてくる。彼らは油断しきっていた。まさか敵がすでに要塞内部に侵入しているとは夢にも思わない。形式的な見回りで、西門を素通りしていった。
「次の巡回まで一時間か」
リュウは心の中で時間を計り、深呼吸をした。チャーリーが無言の合図を送り、百人の兵士たちは一斉に動き出す。ある者は暗がりの階段を音もなく上り、他の者は鉤付きロープを巧みに城壁に引っ掛け、素早く五メートルの高さを登っていく。
城壁の上では、見張りの兵士たちが外側にだけ注意を向けていた。彼らは夜風に揺れる松明の炎を眺め、時折欠伸を漏らしている。内部からの襲撃など、微塵も考えていなかった。
「今だ」
チャーリーの目が鋭く光る。彼の右手が上がると、特殊部隊の兵士たちは音もなく見張りの背後に近づき、一瞬のうちに喉元を切り裂いた。驚く暇もなく、百人の見張りは静かに倒れ、城壁の上には死体だけが残った。
「よし、城門を開けるぞ」
十人の兵士が下へと降り、巨大な城門の仕掛けに取り掛かる。錆びついた鎖を外し、重い門扉がゆっくりと音を立てて開いていく。その音が夜の静寂を破り、要塞陥落のファンファーレのように聞こえた。
チャーリーは城壁の上から巨大な篝火の松明を手に取り、高く掲げた。炎が闇を照らし、大きく振られるその光は遠方への合図となった。
「来たか…」
西門の外で待機していたクラウス・シェスター少将率いる第六軍団、二万の兵士が一斉に動き出した。機動力を誇る第六軍団は、まるで砂漠の嵐のごとく一気に西門へと押し寄せる。
その先頭にはローガ・メルボの姿があった。彼は鋭い眼差しで前方を見据え、第六軍団の水先案内人のように要塞内へと突入していく。彼が早馬を飛ばし、この作戦をシェスターに伝え、入城の段取りを整えたのだ。
「全軍、突撃せよ! 要塞を制圧するのだ!」
シェスターの力強い声が響き渡る。彼は銀色の鎧を身にまとい、堂々たる風格で指揮を執っていた。彼の軍団は計画通り、要塞攻略部隊と南北の門を解錠する部隊、合わせて三隊に分かれ、それぞれの任務に取り掛かる。
油断しきっていた敵兵たちは、突然の襲撃に混乱を極めた。炎が上がり、叫び声と金属のぶつかる音が混じり合う。帝国軍の兵士たちは次々と敵を倒し、要塞内部を制圧していく。
「何事だ! 敵襲か!」
寝起きのまま武器を手に取るアルバイン兵たち。しかし、敵の猛攻に為す術もない。南北の門からはピエール・ビジャール伯爵率いる第一軍団、エーリヒ・マイヤー中将率いる第三軍団が続々と流れ込んでいる。
「全滅してしまう!」
アルバイン兵たちの間に恐怖が広がる。火の手はますます大きくなり、要塞全体を赤く染めていた。
その頃、要塞の一角でリュウは周囲を見渡していた。彼の瞳には炎の揺らめきが映り込み、その中に深い決意が宿っていた。
「計画通りだな」
後ろからチャーリーが近づく。
「リュウさん、このままでは敵の将軍たちを取り逃がすかもしれません」
「わかっている。しかし、もしそうなっても、彼らにはまだ負ってもらう役割があるから大丈夫だ」
リュウは冷静だった。しかし、内心ではこの戦における自身の大きな戦功と、その結果与えられる恩賞に心が揺れていた。ここまで来た。だがまだまだ十分ではない。帝国貴族の腐敗に対する憎しみが、リュウの行動の原動力だった。
四時間に及ぶ戦闘の結果、帝国軍は十二万のアルバイン兵を撃破し、二万人を討伐、六万人を捕虜とした。残りの四万人は混乱の中、わざと手薄にした西門から逃走を図ったが、そこにはオスカー・ネルヴィン大将率いる第五軍団、三万の兵が待ち受けていた。
「逃がすな! 一人たりとも逃すな!」
ネルヴィンの指揮の下、帝国軍は的確に追撃を開始。逃げ惑うアルバイン兵たちは次々と倒され、残った者たちは散り散りに砂漠の闇へと消えていった。
夜明けが近づき、空が薄明るくなり始めた頃。リュウは要塞の高台に立ち、遠くを見つめていた。風が彼の黒髪を揺らし、砂の香りが微かに漂う。
「結局、ラシードたちは逃げおおせたか……」
戦功は少し減るだろうが、今後の展開を考えれば悪い結果ではない。自分が不動の地位を築くまでは、帝国はまだまだ手強い敵を外に持った方がいい。
その時、背後からカール・エッフェルトが歩み寄ってきた。彼の顔には疲労の色が見えるが、その瞳は確かな意志で満ちている。
「見事な作戦だった、リュウ。君のおかげで恥辱に満ちた敗軍の将に成らずに済んだ」
「ありがとうございます。しかし、大敵を逃してしまいました」
カールは穏やかに微笑んだ。
「問題ない。我々は六年前の借りを返すことができた」
「ですが、彼らは必ず再起して立ちはだかります」
「その時はまた、叩きのめす」
リュウは頷き、遠く浮かぶ山脈の向こうに想いを馳せた。このときから彼の胸の中にしまわれていた大いなる野望が芽を吹き、大きく育ち始めた。
***
要塞の地下道から脱出した、ラシード、ヤシン、ウスマンらは朝日に照らされた道を首都ドバイに向かって進んでいた。薄暗い明かりが彼らの険しい表情を照らし出す。
「まさか、要塞内に潜入されたとは…」
ラシードは悔しげに拳を握り締める。ウスマンが肩の傷を押さえながら言った。
「しかし、生き延びることができただけでも幸いだと思います。生きていればこの復讐を果たすこともできます。次の策を考えましょう」
ヤシンが静かに頷く。
「それにしても、帝国軍はどこから侵入したのだろう?」
ラシードは不思議そうに首を捻った。
ヤシンが低い声でその疑問に答える。
「おそらくですが、我々が要塞内に撤退したときに、我が軍の軍服を着て紛れ込んだのでしょう」
「なんと、彼らは我らが帝国軍を攻撃するために出撃して、あのような形で撤退すると読んで、予め我が軍の偽兵士を準備していたというのか」
ラシードはとても信じられないという顔をした。
「これも推測ですが、あの潜入部隊の将と、我らの伏兵を読みその撃退を画策した者は同一人物でしょう。ブディストニアのメナム・ニコルソンという名の僧侶から、聞いたことがあります。類い希なネイチャーフォースによって、獣や鳥の記憶を覗き見る者がいると」
ヤシンの話を半信半疑で聞いていたラシードだが、何か思い当たったのか目を見開いた。
「もしかして、その者がパミール山脈の獣から伏兵の存在を聞き、空飛ぶ鳥から要塞内の地理を聞いたというのか」
「そう考えなければ、伏兵への対処や暗闇の中での要塞内の動きを、説明できないのではないですか?」
「そんな者がいては、我が策など児戯に等しい。それでそのメナムという名の僧侶から、その者の名を聞いたのか?」
「メナムは、リュウ・クジョーと言ってました」
「リュウ・クジョー、その名を覚えたぞ」
ラシードも非凡な男だ。今回の敗戦を糧にして、次の戦ではリュウに復讐する気でいた。
ヤシンは遠い目をしていた。その神の如き力を持つ男と、本当に敵対していいのか、ドバイに戻ったらもう一度メナムと話してみようと思った。
太陽が昇り始め、新たな一日が始まる。ファイザーバード要塞は帝国軍の手に落ち、アフガムの覇権は帝国が握ったが、戦いの傷跡はいたるところに残されている。
リュウは心の中で誓った――まだ始まったばかりだ。俺は胸に秘めた大望を果たすまではどこまでも戦い続ける。
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