第9話 卑怯者の行く先は……

 後方から戦況を見つめるカールは、アランの判断の誤りに歯噛みした。


「反転などせず、そのまま後退していれば良いものを!」


 カールは悔しげに呟いたが、その対応は早かった。

 第七軍団は敵の鶴翼陣形に三方を取り囲まれ、兵はカールが率いる第二軍団に向かう一方向に逃げるしかない。もしも潰走した兵が自軍に向かって突進してきたら、自軍も対応不能になる。

 カールは全軍に向かって声を轟かせた。


「全軍、前進せよ! 目標は敵右翼!」


 第二軍団の先鋒には、近衛団騎馬隊長ジェームス・アクレスの姿があった。栗色の髪を風になびかせ、その鋭い眼差しは敵を射抜くようだった。遙か東方の『ジャパニア』から伝来したと言われる名刀「蒼雷そうらい」を手に、ラシード軍の右翼へと猛然と突撃した。


「帝国の武、思い知れ!」


 ジェームスの剣は閃光の如く輝き、一振りごとに敵兵が倒れていく。その姿はまるで戦場を舞う舞踏家のようであり、敵味方問わず視線を奪われた。金属性の彼が蒼雷を振るうと、名刀の切れ味は更に増し、鉄の鎧も紙のように斬り捨てる。このまま敵の右翼を突き破れば、第七軍は活路を見いだし、ジェームスの部隊と呼応して敵に反撃することができる。

 しかし、ラシード軍右翼の将ファハド・アル=アリーは冷静だった。黒髪を束ね、深緑の外套を纏った彼は、的確な指示で堅牢な防御陣を築いていた。


「耐え抜け! 奴らの勢いは一時的なものだ!」


 ファハドの静かな声が兵士たちの耳に届くと、アルバイン軍は土属性の兵士たちが大地をしっかりと踏みしめ、強化した盾を重ね合わせて、ジェームス隊の攻撃を受け流していく。

 勢いを流されたジェームス隊はそのまま反転して再び突撃するが、今度は落ち着いたファハド隊が正面から受け止め、完全に勢いを殺す。スピードを失った騎馬隊の兵士たちは、敵の長槍の手にかかり、次々に落馬した。

 ジェームスは下馬して白兵戦を始めたが、ファランクスを連想させる敵の重装備部隊を切り崩せず、逆に味方の兵が敵の穂先を合わせた長槍の攻撃に押され、じりじりと後退していく。

 自慢の騎馬隊も相手の動揺を広げられず、掴みかけた勝機が手の平から零れていく。自軍のふがいなさに比べ、火と風だけが目立つ敵軍の中で、土属性の特性をしっかりと活かした敵将の采配はカールの目に鮮やかに映った。


「敵ながら見事な用兵だ。ああいう将が我が軍にも欲しいな」


 ジェームズの猛攻が敵の右翼に止められてる間に、敵軍の中央から砂塵が激しく舞い上がり、『サハラシューラ』と呼ばれる精鋭部隊が姿を現した。ウスマン・イブン・アフマドが率いる彼らは、砂漠の獣のごとき猛々しさで、カールの第二軍団の本営を急襲した。


「敵が側面から迫っています!」


 副官が血相を変えて報告すると、カールは険しい表情で周囲を見渡した。


「ウスマンか…厄介な相手だ」


 彼は短く指示を出し、防御陣形を整えたが、サハラシューラの攻撃は苛烈を極め、第二軍団は側面から崩された。

 敵将ウスマンは自ら先頭に立ち、剣先から噴き出る炎で、味方の兵を焼き尽くしていく。前進するウスマンの背後の空間を、サハラシューラの兵が次々に埋めてゆき、第二軍団の兵が取り囲む隙を与えない。


 快進撃を続けるウスマンが、カールの本営の目前に迫ってきた。


「やむを得ん」


 カールは自ら斬り合う覚悟で、剣の柄に手をかけた。ここで自分が退けば、ラシードは真っ直ぐにシャルルの陣に向かい、敵の伏兵との間に挟撃されたシャルルは命を落としかねない。例え命を落とすことになろうとも、自軍の総大将を守るためには、退けない状況だった。

 その時、渦中に飛び込んだのはアーネスト・ザックフォードだった。銀髪混じりの髪をなびかせ、鋭い眼光で戦況を読んだ彼は、二千の兵を率いてサハラシューラの側背を突いた。


「今だ! 一気に攻め立てろ!」


 ザックフォードの指揮の下、帝国軍は一丸となって反撃を開始した。二方向から攻められる形に成ったウスマンは、深追いせず整然と陣に戻って行き、カールは危機を脱した。


***


 戦況は依然として膠着状態だった。カールとラシードの一進一退の攻防が続く中、第七軍はラシード本隊の猛攻により兵は四千を切り、持ちこたえうる限界点に達した。


「ここまでか…」


 アランは額の汗を拭い、剣を握り直した。この戦はアランにとって、輝かしい軍歴の第一歩と成るはずだった。敵の二倍に近い大軍で圧倒する。その先頭に立つはずが、最初に壊滅する軍になるとは何とも皮肉な結果だ。


「なぜこんなことに……」


 父の跡を継いで文官になれば良かったと、後悔した。美しいシャンハの町から、遠く離れたこんな辺境で骨と化すのは、何としても避けたかった。都に帰れば美しい女や旨い食事が待っている。敗軍の将の汚名など、この口があれば何とでも言い逃れできる。

 アランの戦意は失せ、頭の中はどうやって逃げるか、ただそれだけを考えるために回り続けた。こうなるとシャルルの救出など二の次だ。自分が生きて帰ることこそ再優先すべきと、アランはなりふり構わず、先頭に立って逃げようとした。

 その時、ラシードが馬を駆って彼の前に立ち塞がった。


「敵軍の将よ。我が剣の前にひれ伏せ」


 ラシードの瞳には冷たい光が宿っていた。


 アランは言葉を返す余裕はなく、防戦一方と成った。アランの従者たちが主を救えとばかりにラシードの前に立とうとするが、悉く槍を跳ね上げられ、カマイタチによって斬り倒される。ラシードの剣が敵の剣と触れ合う度に火花が散り、その音は戦場の喧騒をもかき消すほどだった。ついに最後の従者が倒れ、アランを守る者はいなくなった。


「ぐっ…!」


 アランの胸にラシードの剣が深々と突き刺さる。彼は膝をつき、視界が暗転していく中で父の顔が浮かんだ。


「アラン将軍が倒れた!」


 第七軍団の兵士たちは完全に戦意を喪失し、次々と持ち場を離れて逃げ惑い始めた。ラシード軍の勢いは増していき、カールの第二軍団も押し込まれていく。


「敗走する兵にかまうな! 全軍我に続け!」


 ラシードの指示により、アルバイン軍は第七軍団の残党を追撃せず、全軍をもって第二軍団への攻勢を強めた。砂塵が舞い上がり、戦場は混沌の渦と化していた。


 その時――遠方から轟音が響いた。帝国軍の後方に黒煙が上がり、新たな軍勢の姿が見える。ラシードは目を細め、その方向を注視した。


「アフリアド軍か?」


 もしそうならば、シャルルは討たれたこととなり、アルバイン軍の完全勝利が決まる。ラシードは部下に新たに現われた軍の確認を命じた。


 一方、逃げ惑う第七軍団の兵士たちの中で、一人の若い兵が叫んだ。


「援軍だ! 援軍が来たぞ!」


 後方から現れたのは、真紅の旗を掲げた帝国軍だった。彼らは整然とした隊列を組み、勢いよく前進してくる。


「我らはまだ終わってはいない!」


 誰ともなく第七軍団の中から鼓舞する声が聞こえた。

 戦況は再び大きく動こうとしていた。帝国軍の新たな希望の光に、敗走する兵士たちの目には再び闘志の炎が宿り始めた。


 ラシードは静かに呟いた。


「面白い。この勝負、まだ続くようだな」


 彼は馬の手綱を引き、新たな指示を出すために軍を見渡した。砂漠の太陽が頂点に差し掛かり、新たな戦いの幕開けを告げるかのように戦場を照らし出す。

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