第6話 決死か! 無謀か?

 アラン・ウォーカー少将は、二十万超の大軍の先鋒を任された栄誉に浮き足立ち、このいくさに悲観的な他の将軍と違って、一人だけ鼻息を荒くして進んでいた。

 彼が任された第七軍団は、自分の軍団を持ってなかった彼のために、皇帝の直営軍から選抜された優秀な兵で構成されていた。本来であれば、勝敗を決するような重要な局面で、切り札と成れる優秀な兵たちだ。

 そんな戦を分かっている兵たちだからこそ、消耗を強いられる要塞攻略の先鋒に立たされることに不満を感じていた。


「もうすぐ敵要塞から一キロの距離に到達します。そこからは敵の射程圏内ですので、盾を掲げてゆっくりとした前進に切り替えますか?」


 副官のドナルド・キーガン大佐が、行軍の切り替えを提言してきた。キーガンは第五軍団の機動部隊長として、長らくネルヴィン大将の片腕として武功を上げてきた猛将だ。

 その彼の口から、消極的な牽制目的の前進案が出たことに、アランはムッとした。


「私から全兵に作戦を伝える。貴官は司令部を離れて騎馬隊の指揮を執り、敵の迎撃軍に備えて欲しい」


 それは小煩いキーガンを司令部から追い出してしまおうという、アランの魂胆が見え見えの指示だったが、武辺者のキーガンは気づかない。真っ正直に指揮官の経験の浅さを指摘してしまった。


「私が見るところ、敵が要塞を出てくるとは思えませんが」


 アランは、キーガンが自分を俄将軍と、馬鹿にしていると思い、怒りを含んだ口調で命令を繰り返した。


「私は貴官に敵迎撃に備えろと指示した。私の指揮に不服があるのか?」


 さすがにキーガンも、アランが自分を煙たがっていると気づいた。


「分かり申した。すぐさまここを離れましょう」


 武辺者独特の殺気が混じった声色に、戦の経験がないアランは怯えを感じたが、虚勢を張って顔を逸らした。

 キーガンは全てを察し、こんな小者に怒りを覚えた己を恥じ、無言で立ち去った。第七軍団の他の幕僚は、最も頼りとする男が帷幕から離れることに失望して、浮かない顔でその背中を見送った。


 第七軍団は堅固な要塞に対して、何の策も持たずに前進を続け、要塞まで約一キロの距離に達した。そこでアランは前進を止めて、兵たちの前に立った。


「この一戦にて帝国軍の勇猛さを世界に知らしめようぞ。我が軍は総勢二十万、未だこれだけの大軍が動いた例はない。この歴史的な戦いの先鋒の栄誉を、我が軍は担った。いざ、進めー」


 自分に陶酔した男のかん高い声が辺りいっぱいに響き、第七軍団二万の兵が一斉に突進を始めた。兵士たちは何も障壁のない原野を、不安を振り払うように懸命に走る。

 城壁まで五百メートルの位置に来たときに、要塞から銃声が響き、先頭を走る兵がバタバタと倒れ、第七軍団の兵の足が止まった。兵たちは、各自小隊長の指示の下、銃弾を避けるように、小さな鉄盾を立てて屈んだ。

 それを見たアランは、何と惰弱なと自分の兵を罵り、再び檄を飛ばした。


「怯むな。身を屈めても何の障壁もないぞ。起き上がって勝利に向かって前に進め!」


 アランの指示はすぐに全軍に伝えられ、やむなく各小隊長は、「全速前進」と、兵の背中を叱咤した。

 兵たちは苦渋の表情を浮かべながらも、帝国の精兵だけに勇敢に立ち上がった。

 要塞を睨みながら小さな鉄盾を頼りに走り出そうとすると、再び城壁から銃声が轟く。携帯用の小さな鉄盾では、起き上がった身体の大部分は覆えない。最前線の兵たちが敵の銃弾の前に、再びバタバタと倒れた。

 それでも兵たちは怪我の痛みに我慢して立ち上がると、城壁からさらに三射目が行われた。兵たちが城壁の五百メートル手前に着く頃には、キーガンの予想通り敵兵の一方的な銃撃の前に、ただ屈んで耐えるだけとなり、進むことも退くこともできなくなった。要塞の前にはたちまち死傷者の山が築かれていく。


***


「馬鹿な、キーガンは何をやっている。アランには牽制の駆け引きなど指揮できるわけなかろう」


 カールは側近のアーネスト・ザックフォードに渋い顔で苦言を吐いた。

 ザックフォードは、軍人らしく無表情のまま応答した。


「物見の話ではアラン少将の指示で、キーガン大佐は帷幕を離れ騎馬隊の指揮に入ったようです。このままでは第七軍団は壊滅しますな。撤退の隙を作るために我々も突撃しますか?」

「いや、それでは我らの被害も甚大ではない。砲兵を前に出せ。千二百メートルの地点から砲撃を行う」

「かしこまりました」


 ザックフォードが砲兵隊に命令を伝えるために後方に下がった。

 大砲の有効射程は千メートル前後だが、敵の射撃塔から貴重な砲兵が狙われることを恐れ、カールは威嚇に徹した位置での砲撃を命じた。

 砲手は、火薬を効率的に扱える火属性のNF(ネイチャーフォース)の持ち主を抜擢するが、適性があっても技術を習得させるのに、長い訓練期間が必要だ。むざむざと敵の銃火の犠牲にはできない。


 シャンハから苦労して運んできた三十門の大砲が、指示通りに並べられた。砲兵が慎重に狙いをつけ、砲兵隊長の合図で、一斉に砲撃が始まる。辺り一帯に怒号が響き渡り、一呼吸置いて城壁に着弾した。

 予想通り城壁は埃が落ちる程度で、外壁はびくともしてない。それでも砲兵はめげることなく連射した。十発撃ったところで、砲身が熱くなり過ぎて、砲撃が止まった。

 城壁はほとんど無傷に見えるが、砲撃の間城壁からの銃撃が止まり、第七軍団の兵が一気に前進した。

 その様子を見て、カールは震えた声で叫んだ。


「馬鹿な。なぜ退かなかった」

「砲撃の間にアラン少将から、前進の指示が出たようです」

「全滅するぞ」

「我が隊に助けられて撤退した凡将ではなく、この戦で唯一闘って全滅した勇猛な将と自分で言いたいのでしょう」


 ザックフォードの声は沈み込むように低かった。その目は戦後の自分の言い分けのために、兵の命を無駄にするアランへの怒りに満ちていた。


 カールの言葉通り、城壁の下では虐殺が始まっていた。大砲ですら傷つかぬ城壁に生身の兵士ができることはない。せいぜい城壁の下から上にいる敵兵を狙い撃つだけだが、多少の被害を与えることはできても、上から銃弾を浴びせられて、いたずらに死傷者を増した。味方兵の死体が積み上がる様は、文字通り地獄図だった。


「怯むなー、帝国軍の誇りを敵兵に見せつけろー」


 際限なく兵たちが死にゆく戦場に、アランの狂ったような怒声が響き渡る。



 自軍の惨状を目にしてカールは、アランの将才を見誤り、一時撤退を念押しせずに砲撃指示を出した、己の不明を痛感した。


「もう一度、砲撃の用意を。それから私と共に、アランの本営に行く決死隊を三十騎準備しろ」


 アランは既に正気を失っている。このままでは一軍団全てを失ってしまう。そうなっては、シャルルは退きたくとも退けなくなって、全滅するまでここに滞陣するだろう。

 二度目の砲撃の間に騎馬で駆け寄って、アランをぶん殴ってでも撤退指示を出す。

 しかし、騎馬で近づくことは、敵の射撃塔からの射程に入る。今、アランは敵の思惑通りの指示を出し続けているから狙われてないが、カールが近づけば間違いなく狙われるだろう。

 それだけではない。カールが撤退指示を出せば、シャンハに戻った後の軍法会議で、全ての敗戦責任を負わされて処分を受けるかもしれない。

 それでもやるしかないとカールは腹を括った。


 砲兵隊が再び配置につく。カールたち騎馬隊の準備も整った。脳裏には軍に入りたての頃近衛兵として共に戦い、今無能な将の指示で、無念の思いに包まれながら命を失おうとしている、かっての戦友の顔が浮かんだ。


「進めー」


 カールの号令一下、三十騎の騎馬隊が発進した。同時に砲撃隊長から砲撃の合図が為され、三十門の大砲から轟音と共に白煙が上がった。

 カールはジグザグに蛇行することなく、アランの陣地に向かって真っ直ぐに突き進む。もう敵の有効射程圏内に入ったが、直進を変える気はカールにはなかった。


 銃の性能からいって、この距離から動く的に当てることは、よほどの名手であっても至難の業だ。運悪く命中したとしても、この距離なら弾丸の威力はかなり弱まっていて、急所に当たらない限り致命傷は負わない。

 カールは武神に、己の武運を託した。


 全速力で駆ける愛馬の馬上で、カールは違和感を感じた。弾丸がまったく飛んでこないからだ。自軍の砲撃が続く間は、衝撃に備えて城壁の兵が撃ってこないのは先ほどと同じだ。それでも射撃塔に潜む兵が撃ってきても不思議ではない。

 当たる確率が少ないとしても、勝機を阻む動きをラシードが見逃すはずはない。

 もしかして敵の弾薬はそれほど豊富ではないかもしれない――ならば、こちらにも勝機がある。カールはこの圧倒的に不利な状況で、一筋の活路を見いだした気がした。


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