第5話 舞台裏の思惑

 西暦四千十八年五月十一日、ロック帝国のファイザバード要塞攻略戦が開始された。

 帝国軍は、要塞の四カ所の入り口を取り囲むように布陣した。

 背後から敵の遊兵による攻撃が心配される西門には、第五軍団三万と第六軍団二万が配置された。

 第五軍団を率いるオスカーネルヴィン大将は、一兵卒からたたき上げでここまできた、御年五二才の平民出身の将軍だが、奇をてらった派手な戦略を嫌い、いぶし銀のような粘り強い戦いで、皇帝の信頼も厚い。

 そのネルヴィン大将が同じく西門の担当となった、第六軍団を率いるクラウス・シェスター少将に顔をしかめながら話しかけた。


「どうやら我々は一番動きづらい役割を任されたようだな」


 クラウスはオスカーの十歳年下だが、機動力を活かした用兵に定評があり、本来こうした城攻めよりも野戦を得意とする。クラウスの父のシェスター子爵も、皇帝の猟犬の異名を持ち、特に追撃戦ではいつも大きな手柄をあげていた。そんなクラウスも同様に感じてるのか、苦笑混じりながらあえて陽気に答えた。


「おっしゃるとおりです。敵の本国から増援部隊が来れば、要塞の兵と挟撃される恐れがあるし、もし東門を攻めるシャルル殿下が撤退を決断されれば、最も退きにくい位置となりますな」


 クラウスは頷きながらも、深いため息をついて付け加えた。


「それでも敵が要塞を出てくれれば戦い方もあるが、もし増援も来ず、我々が撤退しても追撃もしなかったが、この長期遠征はいたずらに国庫の蓄えを浪費しただけとなる。殿下のご威光に傷がつかねば良いが」


 シェスターは、本気でシャルルを心配するネルヴィンを慰めるように、やや投げやりな口調でこう答えた。


「そのときはあの無能な幕僚参謀長殿に、詰め腹を切ってもらいましょう。責任問題はそれでチャラでいいではありませんか」


 しかし、クラウスは首を振ってクラウスの案を否定する。


「おそらくアランは責任取れまいよ。あやつはこの戦場で屍になる可能性が高い」


 オスカーの非情な言葉に、クラウスは両腕を広げて首をすくめた。


***


 北門にはエーリヒー・マイヤー中将が率いる第三軍団三万が当てられた。エーリヒーは最も皇帝に忠実とされるマイヤー公爵家の当主で、先のアルバインとの大戦では、敵の伏兵から皇帝を護るために息子を亡くしている。この一戦はその弔い合戦とばかりに意気込んで臨んだが、敵の用意周到な備えに暗い顔をしている。


 エーリヒーと反対の南門には、ピエール・ビジャール中将が率いる第一軍団三万が向かった。ピエールはまだ三六才だが、既に稀代の名将の呼び声が高い戦術家で、これまでも鮮やかな用兵で、幾多の敵を壊滅に追い込んだ輝かしい戦歴を誇る。

 だがさしもの彼も、敵の堅固な要塞を目の当たりにして、攻め手を決めかねていた。


「なあ、ジャック。こうして間近で見ると、この要塞につけいる隙はないようだが」


 ジャック・チェンリー中佐はピエールの竹馬の友であり、最も信頼を置く懐刀のような存在であった。ピエールの武勲を語る上で、彼の武功は欠くことができない。だが帝国が誇る武人も、この一戦にあたっては顔色が冴えなかった。


「やはり、昨夜の軍議にて、エッフェルト中将の提案を、支持されるべきではなかったでしょうか。閣下ならこの戦が、戦術的に遅れをとっていることにお気づきになっておられるでしょうに」

「それは言えぬ。お前の言うとおり、この戦は戦略的には意味があったが、戦術面で決定的な差をつけられた。カールが言うことは至極最もだし、反対する理由もなかった」

「それならばなぜ、あのとき支持されませんでした?」

「ネルヴィン大将が沈黙されていたからな。あの方を差し置いて、俺が口を挟むわけにもいかまい」

「ネルヴィン大将はなぜ、何も言わなかったのでしょうか?」

「これは俺の推測だが、理由は二つあると思う」


 そこでピエールは一呼吸置いて、いたずらっ子のような目でジャックを見た。ジャックはそういうピエールのもったいぶる癖はよく知っているので、急かすこともなく次の言葉を待った。


「一つはカールが悪い。彼奴が言ったことは、あの場にいた将軍はみな思っていた。だからこそ誰が言うかが大切なのだ。言うタイミングが早すぎるし、もう少し膠着した中で、ネルヴィン大将にお伺いを立てるのが筋だ」

「それでは、参謀としての責を放棄となります」

「それでいいのだ。参謀とは誰もが分かっていることは口にせず、誤った場合のみ口を挟む。そういうものだ」


 ジャックは腑に落ちない顔をした。二十万の将兵の命がかかっているのだ。最も大切なことを二の次にしてないかと、疑うような表情だった。


「お前の言いたいことは分かる。だがこれだけの大軍の軍議なのだ。そういう配慮を疎かにしては、一つに纏まるまい」

「分かりました。ではもう一つは何でしょうか?」

「うむ。おそらくシャルル殿下の品定めといったところか」


 あまりに不敬な発言だったので、ジャックは思わず左右を確認したが、護衛兵たちは黙々と行進を続けるだけで、誰も反応していない。

 護衛兵たちは神の如き智謀で、極力犠牲を出さずに勝つピエールに心酔しており、このぐらいの発言では誰も動揺しない。


「気にするな。みな分かっておる。俺が調べさせたからな。どうも大将は、シャルル殿下よりも、エレノア皇女の方が次期皇帝に相応しいと思ってられるようだ。だから今度の戦いはある程度殿下の采配に委ねて、自分の考えを決するおつもりのようだ」

「そんな……、それでは兵の犠牲はどうするのですか?」


 珍しくジャックは声を荒げた。ピエールも顔を曇らせて頷いた。


「そうだな。本来あってはならぬことだ。だが、大国の跡目争いは理屈では御せぬものなのだろう。俺の軍だけでも、無駄な血が流れるのは避けたいところだが……」


 それからピエールは口を閉ざした。やりきれない思いが伝わったのか、ジャックも黙っている。何とも士気が上がらぬまま、第一軍団の行軍は続いていく。


***


 ワカン回廊に続く東門には、アラン・ウォーカー少将の第七軍団二万と、カール・エッフェルト中将の第二軍団三万、さらに後方にはシャルル・ロックの直営軍四万が控えていた。


 軍議ではアランの第七軍団の戦闘開始を合図に、各軍団が動き始める手はずだが、要塞攻略に関して無策で挑むことに変わりはない。アラン以外の将軍たちが、シャルルの手前、配置にはついたが様子見を決め込んだとしても、それを咎めることわりは存在しない。

 それでもアランとシャルルに挟まれた位置にいるカールは、例え無策でも闘わないわけにはいかず、苦しい立場に追い込まれていた。


「クジョーはどうした」


 カールは父の腹心で、エッフェルト家の近衛団長を務めるアーネスト・ザックフォードに、今最も信頼する盟友の行方を訊いた。

 ザックフォードは少し驚きを浮かべながらも、明瞭な声で答えた。


「今朝早く、この戦いでは遊軍に回ると、兵を率いて出て行かれました。若様の指示ではないのですか?」

「そうか、遊軍に回るか」


 リュウは愛想を尽かして離陣したのかもと、カールの胸に疑念が湧いた。ザックフォードはカールの胸中を思い謀ってか、慰めるように言った。


「神出鬼没な御仁ですから、何か考え合ってのことでしょう」


 それにしても、一言声をかけてくれてもと、カールは思ったが、昨夜からの慌ただしい軍の動きを見て、余計な気を使わせまいとしたのだと思い直した。


「難しい戦いになったな。できれば被害なく退陣したかったが」

「シャルル殿下としては、国費をつぎ込んで大軍を起こした以上、手ぶらでは戻れぬのでしょう」

「それは分かるが、かかっているのは兵の命だ。何よりも他の四将軍が何もおっしゃらなかったのが、何とも解せぬ」


 最後は少し恨みがましいと自分でも思ったが、言わずにはおれなかった。将軍たちが、自分を支持してくれなかった理由はよく分かっている。豊富な戦歴を積んだ彼らにしてみれば、二六才の若造の言に従うなど、プライドが許さなかったのだろう。

 アランのあまりの無能さに腹が立ち、そこへの配慮が抜けていたのは悔やまれるが、正直ここまであからさまにやられるとは思ってもみなかった。帝国元帥である父も、同じような苦労をしたのかと思うと、頭が下がった。

 それでも父は実績を上げている。終わったことをグダグダ言っても仕方ない。


「本当に無策であの要塞を攻める気でしょうか?」

「この進軍が冗談に見えるか?」

「若様には何かお考えがあるのでは?」

「ない」


 カールの天分は父も認めるものだが、残念ながらザックフォードの期待には応えられない。


「戦い方としては、牽制をかけながら敵の銃弾が尽きるのを待つしかあるまい。もっともラシードの差配だ。我が軍が三回全滅するぐらいの備蓄はしていよう」

「力攻めしか手段はないのですか?」

「ない。我々は完全にラシードを見誤った。前回の敗戦から、ラシードは好戦的で縦横無尽に奇策を繰り出す将だと思い、野戦での戦い方に絞って軍を準備した。それをあんな防衛に特化した対応をされては、出直すしかあるまい」


 カールはそれ以上話したくないという顔をしたので、主人の気持ちを汲んだザックフォードはそれ以上何も言わなかった。


 目の前の巨大な要塞を忌々しげに睨みながら、カールは誰でもなく己自身の不明を責めていた。雄大で荒々しいアフガムの大地が、自軍の兵士たちの血で赤く染まる様子が脳裏を過り、カールは居たたまれなくなって天を仰いだ。

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