第4話 クズの使い道

 ワハン回廊を進む間、カールの伏兵探索は徹底的に実施された。

 前回のアフガム遠征では、この回廊の入り口付近に潜んでいた伏兵に背後を突かれ、前後からの挟撃に壊滅する憂き目にあった。

 同じ轍を踏むなとばかりに、伏兵の有無を徹底的に探っているのだが、これにより行軍は遅くなり、総大将のシャルルから行軍を速めるように何度も催促が来た。


 しかし、カールは頑としてこの要求を拒み、伏兵を探索し続けた。この遠征を開始する上で、カールは皇帝立ち会いの上でシャルルと一つの約束を交わしている。それは戦場に到達するまでは、行軍の采配を全てカールに委ねるといったものだった。

 遠征の難しさは、実際の戦闘よりも行軍にある。年令こそカールより一回り上のシャルルだが、幼い頃から帝国元帥である父の下で、幾多の遠征に帯同したカールの経験を皇帝は重く見たようだ。


 そのときはシャルルも、行軍など興味がなかったのであっさりと承諾したが、まさか敵を目の前にしてこれほど進みが遅くなるとは、思ってもみなかったようだ。しかし皇帝の前で誓った以上、強権発動はできない。それで提案という形で、スピードアップを促していたのだ。


「シャルルはずいぶん焦れてるようだ」


 ローガが特命を帯びて離脱したため、リュウは同じく腹心のモーガンに他人事のように言った。モーガンは首を捻りながら気の毒そうな顔で答えた。


「カール様も大変ですな。おそらくこの探索はカラ振りに終わるでしょうから、シャルル殿下からそれ見たことかと責められる姿が目に浮かびます」

「まあ、それはカールも承知の上だろうが、同じ方法を敵は取らないと決めつけることは、武人としてはできないのだろう」


 リュウは自分よりも力量の劣る者を、大将に持つカールに同情しながらも、彼の犠牲的忠誠心には嫌悪さえ感じた。結局、シャルルのような凡庸な大将を仰いだ代償はいつも下級兵士が被る。門閥主義の弊害を打破できないカールは、多くの兵から見ればシャルルと同罪だ。


「まあ、このままいけばワハン回廊は、無事通過できそうですな」

「その後地獄が待ってるとしてもな」




 リュウの懸念は当たった。

 ワハン回廊を抜け、ファイザバードを目前にした帝国軍の前に出現したのは、全長十三キロメートルに及ぶ二重の城壁で囲われた堅固な要塞だった。しかも城壁は、石ではなく鉄骨とコンクリートで築かれている。

 難攻不落の様相を為す要塞には、第一次アフガム侵攻で見事に帝国軍を打ち破った名将、ラシード・ハサン・ムハンマドが率いる十二万の兵士が籠っていた。


 早速攻略のための軍議が開かれる。

 このときリュウも、カールの要請で軍議に参加した。

 軍議にあたってシャルルの隣には、諜報を担当する幕僚参謀のアラン・ウォーカー少将がいた。こんな大規模な要塞の建設に気づかなかった以上、軍議から外されても文句は言えないところだが、アランは悪びれることなく堂々と着座している。


 アランの妹のヴァネッサ・ウォーカーはシャルルに見初められ、皇太子妃として寵愛されている。その影響で、ヴァネッサの父のハンス・ウォーカーは財務尚書に、兄のアランも幕僚参謀に取り立てられていた。

 元々軍人としては何の実績も有さないのだから、お飾りとして何もしなければ良いのだが、ヴァネッサの手前アランに手柄を立てさせたいシャルルは、諜報のような重要な役目を与えてしまった。

 この一事をもってしても、シャルルがいくさとは何か、よく分かってないことを示しているのだが、既に戦場にあるカールを始めとした将軍たちは、それではすまされない。アランにイニシアティブを与えまいと、カールが、軍議の口火を切った。


「敵に万全の備えをされ、我が軍はそれに対する備えが全くないという状態にある。この諜報線における遅れは、我が軍が大きな危機にあることを物語っている。ついては、大怪我をする前に速やかに撤退するべきだが」


 軍議に参加した他の多くの将は、カールの意見に承諾する気配を見せたが、総大将のシャルルは、一人不機嫌そうな顔をしている。それを見て、幕僚参謀のアランがしたり顔で反論した。


「これは名将の誉れ高い参謀長の言葉とは思えぬ。戦いとは一寸先が見えないもの。幸い敵の利は守りを固めただけではないか。ここは帝国の勇猛な兵士の力で、敵の要塞を打ち砕くべきだと思うが、如何に!」


 誰のせいでこのような事態を招いたのかと、カールが一喝しようとした瞬間、シャルルが機先を制す形で口を開いた。


「よく言った。ウォーカー幕僚参謀の言や良し。ここまで来て撤退しては、戦費を負担した帝国の民に対しても示しがつかん」

「お待ちください、殿下。元はと言えば、諜報の失敗からこの事態を招いています。それを兵の犠牲を持って挽回せよなど、士気の点でも我が軍の不利は明らかです。ここは撤退のご英断を」

「黙れ。そなたは、帝国に六二代に亘って君臨するロック家の名を、地に落とすつもりか。皇帝の威信にかけて余は撤退などせぬ」


 カールは撤退の責任を自分に負わせようとする流れを感じ、ついに沈黙してしまった。リュウはそんなカールを冷ややかに見つめていた。リュウに言わせれば、それほど重要な諜報の任を、アランなどという二流の男に任せッぱなしにしていたカールにも責任がある。

 誰も責任を取りたくない中で、撤退などと言い出せば、これ幸いと責任を押しつけられるのは目に見えていた。カールもしょせんこの程度かと、底が見えたと思った。


 結局軍議は要塞戦攻略に決まった。ただ驚くべきことに、第一陣の指揮はシャルル自身が取ることになった。しかもその先陣は幕僚参謀であるアランが務めるとのことだ。


 カールと共に第一陣の先陣を務める覚悟をしていたリュウは、この決定に拍子抜けした。

 同時にカールには気の毒だが、要塞攻略の可能性は消えたと感じた。

 そもそも堅固な要塞を落とすには、第一に敵の油断をついた急襲が最も効果的であるが、敵がああも準備万端で構えている以上、それはもう無理だ。そうなると、じっくりと要塞の様子を観察し、弱点となる場所を探し出すか、守り手側の人間を調略した上で、第一陣が攻めあぐねた体で敵を油断させ、搦め手から敵の穴を突くしかない。


 それを、無策なまま第一陣を引き受けるなど、まともな将なら絶対にとらない行為だ。しかしシャルルは意気揚々と第一陣の指揮を宣言し、先鋒に指名されたアランも、自分が死地に立ったことを分からぬ様子だ。


 大言壮語を吐きまくるアランを横目で見ながら、「このクズも使いようだ」と、リュウは心の奥であざ笑った。


***


 見れば見るほど見事な要塞だった。

 城壁の高さは五メートルはあろうか。しかも二重に築かれている。そして何よりもやっかいなのは、城壁の内に百メートル間隔で建てられた高さ十メートルの射撃塔だ。

 城壁の上からの攻撃だけでもやっかいなのに、この高さから銃撃されては、味方の兵は容易には要塞に近づくことができない。もちろん物見としても優秀で、こちらの動きは全て見通されてると思った方がいい。


「あれを落とすにはどうすればいいかな?」


 リュウは何気なく腹心のモーガンに攻略法を尋ねてみる。

 やや意地の悪い質問にモーガンは即答した。


「力押しでは、まず無理ですな。大砲で城壁を壊そうとしても、それだけの威力を保つ距離に近づいては、あの高所からの銃撃の射程範囲に入ります。それ以外の兵科では、城壁の上の兵に的にしてくださいとお願いするようなもんでしょう」


 さすがにモーガンはよく見ている。


「そうは言っても、持久戦になれば兵站の長い我が軍が不利だ。まあ、あれを確認した時点で撤退が最上の策なのだが、愚かな総大将は撤退はせぬとおっしゃっている」

「まあ、大きな犠牲は出るでしょうが、敵が勝とうとすればつけいる隙は出るかもしれませんな」


 このリュウの倍近い年令の元大泥棒は、軍事に関して意外な着眼点を持っていた。


「かのカール・エッフェルトも為す術無しと嘆く中で、勝機を見いだすとは大将軍の才ではないか」

「いえいえ、閣下が秘かにアルバインの軍服を調達されておられるのを見たからこそ、気づいた次第です。私一人では絶対に思いつかない奇策でございます」


 リュウはニヤリと笑った。それだけで策の全容に迫る事自体が、将の器だと心の中で感心した。


 要塞攻略の準備は既に終わりつつある。ここで大殊勲を上げれば、ガレリア鉱山で誓った野望にまた一歩近づくことができる。


 しかし不安がないわけではなかった。

 この策を実行するには、三つの前提が必要となる。

 一つは、アルバイン軍を率いるラシードが、帝国軍の侵攻からこの地を守り抜くだけではなく、後十年は攻めようと思わないほどの痛手を帝国軍に負わせようと考えているかだ。守り抜くことだけに専念されては、カールの見立て通り、この軍では手も足も出ない。


 二つ目は、ラシードが帝国に痛撃を与えようとする策が、リュウの考えている通りであるかだ。これについては、少しばかり不安がある。それは要塞に籠もるアルバイン軍が十二万だったことだ。十二万は帝国の調査では、この戦いにつぎ込めるアルバインの全兵力と同じになる。帝国の調査が正しいとするならば、要塞の兵力は十万とするのが、リュウの見立てだった。

 しかし、ここに来て帝国の諜報網は大きく遅れを取っている。もしかしたらラシードは、なんらかの政治的工作を駆使して、後二万の兵を調達しているのかもしれない。


 そして最後の前提が、シャルルが将として凡庸で、ラシードの仕掛けた罠に注文通り嵌まってくれることだ。これは前の二つの前提が成立すれば、難なくいけるであろう。軍議の様子を窺う限り、シャルルはただの勢いだけの凡将と見て間違いない。


 何れにしてもサイは投げられた。

 明日からの総攻撃で、リュウの一世一代の大舞台の幕が開く。

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