第2話 過去からのメッセージ

 次ぎに気がついたとき、結界はまだ周囲に残っていた。


「良かった。何とか生き延びたみたいだ。コスミックウィルの加護に感謝を」


 シンは、自分がグレートベアの腹の中に収まらなかった幸運を、与えてくれた神に感謝の言葉を捧げた。身体にはまだ痛みが残っているが、シンは気力を振り絞って立ち上がった。

 太陽は既に西に傾きつつある。早く下山しないと、こんな恐ろしい山で夜を迎えることになる。夜になればグレートベアより、もっと凶悪な氷獣たちが活動を始め、この山まで来るかもしれない。


 先ほどの岩場に戻ろうと、目の前に聳える崖を見上げた。崖面は急だが、蔦のような植物がたくさん生えている。


「岩場に生えた植物は、根がしっかり固定されてる。あれを伝わって登れば、戻れるはずだ」


 手を伸ばして蔦の茎に手をかけようと上を見上げたとき、岩の間に刺さっている金属片に目が留まった。急がなければならないのに、どうしてもそれが気に成り、右手を伸ばして岩の間から引き抜いた。

 その金属片は、かなり強く突き刺さっていたが、シンのネイチャーフォースを使えば簡単に引き抜けた。手に取ってよく見ると、それはシンの知らない金属で作られた、三センチ四方の薄い板だった。

 シンの超感覚は、その金属がかなり古い時代に精製されたものだと告げた。いつからここにあるのか分からないが、錆びてないのが不思議だった。何かそういう魔法がかかっているのかもしれないと思った。


 もう少し知りたいと思って、金属片を太陽にかざしてみる。

 金属片は黒光りして美しかった。

 しばらくその体勢で鑑賞していると、少しだけ板が熱を帯びてきた。いけないと思ってかざすのを止めると、突然岩場が大きな音を響かせて二つに割れた。割れた先には洞窟が続いている。


「ここにそんな場所があるなんて」


 シンは独り言を呟き、洞窟の中へと足を踏み入れた。足元の小石がかすかに音を立て、湿った空気が肌に触れる。

 洞窟内は薄暗く、壁面には長年の風化でできた模様が浮かんでいる。手に持ったランタンの明かりが揺れ影が踊る。進むごとに静寂は深まり、心臓の鼓動がやけに大きく感じられた。


 どれほど進んだだろうか。不意に視界が開け、広大な空間に出た。思わずシンは足を止め、目を見張った。


「これは…」


 広場とも言えるその空間は、まるで昼間のように明るかった。しかし、光源は見当たらない。熱を感じない柔らかな光が全体を包み込み、不思議な静寂が漂っている。

 壁面には大きなガラスがはめ込まれていた。高さも幅も人の背丈を遥かに超えるそのガラスは、まるで空間の一部を切り取ったかのように、異質な存在感を放っている。

 シンが近づこうと一歩を踏み出したその瞬間——。


「ようこそ、訪問者よ」


 突然、ガラスが淡い光を放ち、人の姿が浮かび上がった。白髪混じりの髪に深い皺が刻まれた顔立ちの中年男性。彼の目は優しくも鋭く、まるでこちらを見透かすようだ。


 驚きに目を見開くシン。心臓が高鳴り、思わず後ずさる。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。ただ、言葉を失い立ち尽くす。


「私はヨセフ・シュタイン。あなたを歓迎する」


 ガラスの中の男は穏やかに語り始めた。シンは混乱しながらも、その声に耳を傾ける。


「あなたは…誰なんですか?これは一体…」

「私はかつて、この文明の最期を生きた者だ。伝えねばならぬことがあると感じ、この記録を残したのだ」


 ヨセフと名乗る男は、ゆっくりと語り続けた。偉大な予言者——ノストラダムスの話から始まり、その予言がいかに的中してきたかを。


「彼の最期の予言は、一九九九年に人類が恐怖の大王によって滅ぼされるというものだった。しかし、それは起こらなかった。だが、それは単なる時間のずれに過ぎなかったのだ」


 シンは息を呑んだ。一九九九年? 古すぎてまったく馴染みのない年代だ


「そして二九九九年七月、予言は現実となった。増えすぎた人類は、地球を蝕んでいった。森は切り倒され、他の生き物たちは住む場所を奪われていった。温暖化は進み、世界のあちこちで異常気象が頻発した」


 ヨセフの表情には悲しみが滲んでいた。


「その結果、大宇宙は七つの巨大隕石を地球に落とした。人類はわずか三億人にまで減少し、永久に科学技術を創造する能力を失ったのだ」


 シンは信じられない思いで耳を傾けていた。自分たちが知る世界とはまるで異なる過去。しかし、どこか現実味がある。


「だが、人類は宇宙の意思から新たな力――ネイチャーフォースを授かった。そして、宇宙教という信仰の下、再び繁栄を始める」


 ヨセフはシンをじっと見つめた。


「しかし、人類はいつかまた同じ過ちを繰り返すだろう。権力者たちのエゴが人類を再び危機に陥れる」


 その言葉に、シンは胸に鋭い痛みを感じた。父を失った戦争。貴族たちの横暴。彼の中で何かが揺さぶられる。

 その時――突然、足元が揺れ始めた。洞窟全体が震え、岩肌から小石がぱらぱらと落ちてくる。


「時間がないようだ」


 ヨセフの声が緊迫感を帯びる。


「前時代の文明を伝える者は、宇宙の意思に反する者として排除される。この洞窟も間もなく崩れるだろう。急いで脱出しなさい」

「でも、あなたは…!」

「私は記録だ。心配はいらない。最後に、あなたに力を授けよう。我々が蓄積してきた知識の一部と、自然に生きる者たちの記憶を覗き見る力だ。どうか、この力を使って人類を正しい道へ導いてほしい」


 ヨセフの姿が徐々に薄れていく。


「待ってください!」


 シンが手を伸ばすが、ガラスは光を失い、元の無機質な板へと戻った。揺れは激しさを増し、天井から岩が落下してくる。


「くそっ!」


 シンは振り返り、一目散に来た道を駆け出した。心臓が激しく鼓動し、息が切れる。暗闇の中、ランタンの明かりだけが頼りだ。


 洞窟の入り口が見えた瞬間、大きな崩落音が背後から迫る。ギリギリのところで外に飛び出し、そのまま地面に転がった。


「はぁ…はぁ…」


 荒い息を整えながら振り返ると、洞窟の入口は崩れた岩で完全に塞がれていた。もう二度と中に入ることはできないだろう。


「あの岩をどかして中に入っても、もうヨセフと会うことはできないだろう。一体、何だったんだ……」


 呆然と立ち尽くすシン。その時、突然頭に激しい痛みが走った。


「ぐあっ…!」


 頭を抱え、膝をつく。眩暈と共に意識が遠のいていく。

――遠くで、風が木々を揺らす音が聞こえた。

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