White Game

水谷一志

第1話 White Game

プロローグ

 犯罪捜査の場面では、よく「シロ」、「クロ」という言葉が使われる。

 この意味はご存知の通り。「シロ」は無実、「クロ」なら犯罪を行った可能性が高いという意味だ。

 しかしこれは、警察が決めることに過ぎない。

 例えば殺人衝動に駆られた時。それを実際に行動に移さなければ間違いなくその人間は「シロ」となる。もちろん犯罪は犯していないのだから当然だ。ただ……、その人間の心は、「潔白」、本当の意味での「シロ」と言えるのだろうか?

 これは極端な例かもしれない。しかし世の中、人の心には、「シロ」、「クロ」をはっきり決められない事柄が多いと思われるのは……気のせいだろうか?

 そう、自信を持って「良い」と思うこと、それは本当に「良い」ことなのだろうか?

 これは、そんな「良心」を見つめ直した人間たちの物語。


※ ※ ※ ※

 冬の山には、どうしてこんなに人が多く集まるのだろう?

 どうしてみんな、冬の山に魅せられるのか?

 もちろんその表向きの目的は決まっている。スキー、もしくはスノーボード。それらを求める人間は今風のおしゃれなウェアを着てリフトに乗り、冬の山を滑り降りる。

 しかしその本当の目的は……、果たして何なのだろうか?

 もしかしたら一番多いのは、「出会い」目的かもしれない。男性は女性にいい所を見せたくてとにかく上手に滑る。また女性の中には男性にかわいがられたくてわざと下手に見せている人もいるかもしれない。そういった駆け引きが、冬の山のもう一つの魅力。いや、もう一つではなくそれがメインかもしれない。まあそんな色恋沙汰、冬の山だけでなく日本全国どこでも行われていることだが。


 しかしここに、そんな思惑とは別のある「スキー教室」に集まった4人の人間がいた。彼ら、彼女らはみんなスキー上級者。何でも上級者同士が集まり、お互いにそのスキルを見せ合いながら親睦を深めようとするのが狙いらしい。その主催者は今流行りのSNSで参加者を募り、我こそは上級者と思う人間はそれに便乗した。

 ……つまりは、その参加者は、主催者が誰であるのか、またお互いの参加者同士がどんな人間であるのかをほとんど知らないということだ。

 ここではまず山の頂上の方のコテージに集合し、そこからアルペンをする予定になっていた。そして集合時間は夜。何でも主催者より、早朝からスキーを楽しみたいのでコテージには夜に集まって欲しい、またそこで一夜を明かして親睦も深めたいということだ。

 しかし、繰り返すがそれ以上の情報は何もない。参加者は、お互い「スキーが上手」ということ以外、何も知らないのである。


 「ああ~着いた~!」

夜遅く、そのコテージに最初に到着したのは、吉本京香(よしもときょうか)であった。

彼女は持ち前の明るい性格で、誰もまだいないコテージでもなぜか声を張り上げる。おそらく彼女は、人のいる、いないに関わらず声が出てしまうタイプなのだろう。

 その日は晴れた夜で、都会の明かりのない冬の山では満天の星空が見える。

「ああ~やっぱきれい~!私の星座、見えるかな?」

京香はコテージの中に入る前にそう一人ごちる。キラキラした冬の星空は、山の上ということもあり今にも降ってきそうだ。ただ京香は星座の知識に乏しいため、言ってみたもののどの方角に自分の星座があるのか、またそもそもこの季節に本当に見えるのかなどは知らない。


 「あっ、こんばんは」

「こんばんは!」

続けてやって来たのは、西野美和(にしのみわ)。見た所京香と同世代、二十代半ばくらいの雰囲気だ。ただつけまつげを冬山でもバッチリつけている見た目も派手な京香とは違い、美和はナチュラルメイクの落ち着いた女性といった雰囲気である。

「私京香!よろしくね!」

「西野美和です。よろしくお願いします」

すこぶる明るい京香のあいさつに、美和は丁寧にフルネームで答える。また声の調子も、京香は甲高い声なのに対し美和は少しハスキーだ。特に、美和は緊張している様子である。

「ってかオトコ連中本当にくるのかなあ?遅いよね!」

「一応SNSでは2人来るらしいですが……」

ハイテンションな京香の呼びかけに美和は少し固まりながらそう返す。

「何というか、レディを待たせるなんて、ねえ?こういう時はオトコが先に来るもんでしょフツー!」

「は、はあ……」

美和はこの時、京香さんとは仲良くなれるのだろうかと少し不安になった。


 「はあ~やっとオトコが来たよ」

「こ、こんばんは……」

京香、美和の後にやって来たのは、斎藤浩次(さいとうこうじ)。身長は180cmに迫りそうなほど高いが、体の線が細いのが冬物のダウンを着ていても分かる。また彼、浩次はメガネルック。あとあいさつの声も弱々しい。

「よ、よろしくお願いします」

「ってかアンタホントにスキーできんの?」

けんかっ早いところのある京香が浩次に早速そう問いかける。

「ちょ、ちょっと京香さん、失礼ですよ!」

美和がそう京香を制するが、

「あ、はい。一応スキーが自分の一番の趣味で、インストラクターの資格を持っています」

それはやはりか細い声であった。しかし、

「へえ~それ、本格的ですね!すごい!」

と美和がフォローする。

「……まあ本格的だわね。それで?仕事は何やってんの?」

「一応大学で数学を教えています」

「ええ~先生なんですか?すごいなあ~!私数学苦手だったんです!」

またもやの美和のフォローに、

「そうなんだ。まあいいわ」

京香はそれ以上の浩次への追及を止めた。

この時美和は、京香よりもまだ浩次との方がうまくやっていけるのではないかと思った。


「こんばんは!」

「おっ、若い男の子じゃん!」

「俺、いや僕、登坂一(とさかはじめ)って言います!高校生です。よろしくお願いします!」

「いいじゃん男子高校生!それになかなかのイケメンだしっ!」

一から見てお姉さんにあたるであろう京香がそうテンションを上げる。

こちらも身長は高め。また筋肉質の見た目で体育会系といった雰囲気だ。

「何か部活とかはやってんの一くん?」

「一応サッカー部に所属してます!スキーも趣味でやってます」

「どうりで色がちょっと黒いんだね!でも男の子だしいいんじゃない?」

波長が合うのだろうか、その後も京香と一は話を続ける。そして美和が、

「さっ、4人そろったことですしコテージに入りましょっか!」

そう声をかけ、4人は寒い冬空から中に入ることになった。


「さっ、早く暖房つけよっ!」

京香が震えながらそう言うと、他のメンバーも頷く。

「やっぱり冬の山はコテージも含めて寒いですね……。分かってたことですけど」

また美和は冷静に明かりをつけながらそう言う。

そして電気がつくと……、その中は純粋に木でできたログハウスといった風情。余計な家具はなく、そのためか木の明るめの茶色がやけに目につく。また新しいコテージなのかニスの匂いも残っており、

「私この匂い苦手~!」

京香は落ち着いた後そう言った。

またその部屋には一台のパソコンが置かれてあり、そのハイテクな感じとレトロなコテージの質感が面白いなと浩次が少し考えていると、

「では着替えがあるでしょうし、僕たちは一旦隣の部屋に行きましょうか」

一がそう気を利かせて浩次を促す。

「あ、分かりました……」

「ちょっと何高校生に気を遣わせてんの?アンタが言う台詞でしょそれは!」

そのやりとりをみてすかさず京香が浩次に指摘する。

「す、すみません……」

「ま、いいじゃないですか。とりあえず着替えたらこの部屋集合で!」

美和のフォローも虚しく、浩次は反省しきりだった。


そのコテージは狭く、主な部屋は3部屋ほどしかない。

「あっここの部屋にもパソコンが置かれてるんですね!」

「みたいですね」

一と浩次は話をしながら着替える。

 その中で二人の話題は自然と数学のそれになり、

「俺数学好きなんです!また難しい問題があったら教えてください!」

「もちろんですよ。ちなみに教えて欲しい分野はあります?」

「俺ベクトルが苦手で……」

その後も二人は数学、また高校の勉強について語る。その時の浩次は京香といる時とは打って変わって饒舌であった。そこはやはり大学教員の性というものであろう。また数学について語る時、浩次は決して早口などにはならず極めて分かりやすい解説をする。

 すると部屋をノックする音が聞こえ、

「一くん、浩次さん、着替え終わりました!」

美和の声が聞こえた。


「さっ、暖房暖めといたよ!一くん!それに浩次さんもね」

京香が露骨なえこひいきと共に男性陣に声をかける。

 浩次もそれに気づかないわけではなかったが、このようなことはいつものことなのだろうか、特に気に留める様子はない。

 そして4人が一つの部屋に集まり、しばらくした瞬間……。

「えっ、どうしたの!?」

「停電ですかね?」

 急に部屋の電気が消える。

「ちょっと、どういうことよ!?」

「僕部屋の外見てきます!」

京香が叫び、一が気を利かせてそう言ったタイミングで……。

 バッテリー稼働しているパソコンの画面に変化があった。


「え~みなさん。こんばんは」

そこに現れたのは、仮面の画像。そして背景は完全な黒塗り。またそのパソコンから聞こえてくる声は……、機械で変形されている。

 それは停電の中異様に光るパソコンの画面から放たれた不気味さ。そのため、皆はその場に凍りつく。

「何これ!?何かのサプライズ?誰がやったの?どうせアンタでしょ?」

「し、知らないですよ!」

浩次に疑いをかけようとした京香の甲高い声が響き、浩次もそれに負けないほどの大声で否定する。ただ二人に共通しているのは……、得体の知れないものへの恐怖、といったところだろうか。

「申し遅れました。私の名前は……、Xとでも言っておきましょうか、吉本京香さん」

「……今なんて!?」

「吉本京香さん、ですよね?」

「ちょっと……!」

どうやらこの部屋は……。

「監視されているみたいですね」

この四人の中では一番冷静な一が、そう言い放つ。そう言った瞬間に一は周りを見回す、が。

「登坂一さん、ご名答です!ただそう簡単にカメラは見つかりませんよ」

全てを読み切ったXの冷静な声に、一も舌打ちせざるを得ない。

「ちょっと何がしたいのよ!?」

京香はヒステリックになりながら一の所へ行きもたれかかる。一はそんな大人の女性に一瞬ドギマギしたが、やはり冷静さを崩さないのは見事と言うべきか。そして、浩次も完全にパニックになっており、美和は恐怖のあまり座り込んで一言も発することができない。

「その質問に答えましょうか京香さん。実は私、Xがこのスキー教室の主催者です。そして今日は、スキーの代わりにあるゲームを提案します」

「ゲーム……だと?」

京香を優しく引き離した最年少の一が、挑戦的な目をパソコンに向ける。

「おっいいですねその目!そうですゲームです。タイトルは……、『自分の良い所を探すゲーム』でどうでしょう?」

「はっ……!?」

 キョトンとする四人。またその間美和はやはり腰を抜かしたようで動けない。

「そうです!ルールは簡単。今から別室のパソコンに、『自分が思う自分の良い所』を言いに来てもらいます。あと、別室には一人までの入室しか認めません。一人ずつが良い所を言いい、それを他の皆さんは聞くことができないと言うことです。そしてそれを私、Xが認めたら、ゲームクリア!四人のこのコテージからの脱出を認めましょう。もちろん一人がクリアすれば四人全員が脱出できますし、お一人様何回でも挑戦可能です。ただ、このゲームがクリアできなければ……、このコテージから脱出することはできません。よろしいですね?」

「おい待てよ!」

「そんな……」

浩次と美和が声をあげる。そして浩次は衝動的に今いる部屋のドアを開けようとするが……。

「ロックしてやがる!おい、ここから出せ!」

そう言ってドアを叩き回るが、ドアが開く気配は一向にない。

「あとこのコテージには爆弾が仕掛けられていますので早まった行動にはご注意を」

「そんなの犯罪じゃねえか!」

浩次は普段見せないような大声をパニックと共に発する。極限状況に置かれた時、人はこんなにも変わるのか。

「もちろん違法なのは重々承知です。でも、あなたがたに選択肢はありません。今から自分の良い所が見つかった人、挙手をお願いします。私がドアのロックを解除致しますので、隣の部屋のパソコンに向かって良い所を述べてください。私がそれを査定致します。またお手洗いの場合も挙手をお願いします。お手洗いは必ず男女二人ずつの行動とさせて頂きます。またこれは先に言っておきますが、お手洗いに隠しカメラは設けていませんのでご心配なく。私にそのような趣味はございません。ただ早まった行動をしていると私が判断した場合、躊躇なく爆弾のスイッチを押させて頂きますので、あしからず」

「トイレの件も信用できないですね」

正義感の強い一がそう指摘すると、

「それでは隠しカメラの全映像を公開致します。それでも信用できない場合は……、どうぞご自由に」

そうXが言った次の瞬間、パソコンの画面に部屋の様子が映し出される。それは一たちのいる部屋、隣の部屋、廊下など……。確かにその中にはお手洗いは含まれていなかった。

「ご覧になられましたか?では部屋の明かりをつけさせて頂きますね。さあ、楽しいゲームの始まり、始まり!」

 そう言った瞬間、部屋の明かりが元に戻る。

 そしてパソコンの仮面はどこかに消えていた。あるのは黒塗りの画面のみ。

「フン!楽勝ね!私の良い所を言えばいいんでしょう?良い所なら……、あるわよ!」

直後にそう言ったのは、何とか落ち着きを取り戻した京香だった。


   CASE1:吉本京香の場合

「えっ、良い所……、あるんですか?」

「何よその言い方!失礼ね!」

浩次がそう口を挟むと、京香はそう切り返す。

またそう言った浩次は心底この状況に恐怖を感じているようで、その恐怖を何とか紛らわせようと一言発してしまったという雰囲気である。

「で、でも京香さん、このゲームに必要な『良い所』、持ってるんですよね?だったらこんなゲーム早く終わらせちゃいましょう!」

完全に腰を抜かしていた美和はその希望のせいか青ざめていた顔色が少し戻ったかのようである。そしてそのまま美和が立ち上がろうとした時、浩次が余計な一言を放つ。

「と、いうか思ったんですけど、犯人、Ⅹは本当に僕たちを解放する気あるんでしょうか?」

「ちょっと、何よその言い方!」

「いや何かこのゲーム、設定が突拍子もないなあと思いまして……」

「いやでもその突拍子のなさが逆に信用できるかもしれませんね」

やはり冷静な一。その一の指摘に、皆が耳を傾ける。

「犯人ですが、僕たちを本当に監禁したいなら他に手段はいくらでもあったはずです。もちろん雪山にスキー教室を装い呼び出す手口は誰でも思いつくでしょう。でもそこから先……、こんなゲームをする意味が分かりません。

 ここから先は推測ですが、犯人Ⅹは、何らかの意図を持ってゲームを進めたいんだと思います」

「……アンタ本当に高校生!?何か妙に落ち着いてるけど」

京香のそんなびっくりした指摘にも、一は笑顔で返す。

「で、でもそれがⅩが僕たちを解放する証拠にはならないじゃないか!」

浩次の叫びに、

「とりあえず今はⅩの言うことを聞くしかありません。もし京香さんがこのゲームをクリアする鍵を持ってらっしゃるのなら……、その鍵、有効に使って頂けませんか?」

「もちろんよ。良い所を言えばいいんでしょう?こう見えて私、良い所一つぐらいは持ってるんだから!」

 そう言う京香の顔からは少し自信が垣間見える。

「ただ……、確か別室に入れるのは一人だけですよね?京香さん一人での行動は少し危険ではあります。でも別室に他の人が入るのもルール違反になり危険だし……、やはりここは、廊下を出て京香さんが別室に入るまで四人全員の行動が望ましいですね」

「そ、そうですよ!みんなでいれば怖くない!」

美和がそう言う。その声色は元の元気な美和に少し戻ってきていた。

「やっぱり女性同士だけでの行動は危ないですし、男女のペアもどうかと思いますし、かと言って三人で行動して一人だけこの部屋に残すのもどうかと……。やっぱりここは四人全員での行動を基本としましょう」

「そうですね!」

「じゃ、じゃあアタシ行くわよ」

「分かりました!」

そう言って四人がドアを開けようとすると……。

 ドアの施錠が解かれていた。


 そのコテージの廊下は、電気が消されていたついさっきまでとは打って変わって明かりが灯されている。その光は白い蛍光灯のそれ。やけにまぶしく、ここに閉じ込められた四人の心情とは好対照であった。

「ここの部屋ね。じゃ、入るわよ」

「お願いします京香さん!」

京香の確認に美和がそう声を上げる。

 そして、隣の部屋のドアを開けた瞬間、今まで暗かった部屋の電気がつき、京香が完全に部屋に入ると、扉が独りでに閉まり……。

 京香は別室に閉じこもる形となった。


「これが……、もう一台のパソコンね」

そのもう一台も、画面が黒くなっている。これもやけに明るくなった部屋の照明とは好対照だ。そして、顔認証でもついているのだろうか、それとも外から完全に監視しスイッチを変えているのだろうか、京香の存在に気づいたかのようにパソコンの画面が変化する。

「こんばんは、吉本京香さん。Ⅹです。早速のエントリー、ありがとうございます!」

「べ、別にエントリーしたつもりはないわよ!」

Ⅹの言い草に京香は腹を立てる。ただそこに恐怖の色はもうない。

「これは失礼しました。でも……、このゲームを解く答え、持ってらっしゃるんですよね?」

「まあね」

「ではお聞かせ願いましょう。吉本京香さん。あなたの良い所は?」

「アタシね、こう見えて、ってどう見えてるか知らないけど……、好きな人に対しては一途なのよ」


※ ※ ※ ※

 吉本京香には、好きな人がいる。

その人は京香の勤める会社の一つ上の先輩。

そして京香はその人のことを考えると幸せだった。


 そのきっかけは、会社で同じ部署になり、同じプロジェクトを任されたこと。

「今日からよろしくお願いします!」

元々ギャル的な素質のある京香は最初その先輩に対して特に好意を寄せていたわけではなく、ただ持ち前のハイテンションで他の人にするのと同じように初対面の挨拶をした。

「よろしくお願いします」

対する先輩はいわゆるチャラチャラした所は一切なく、黒髪の短髪で180cm代の長身、スーツが似合う好青年であった。また声のトーンが低く、穏やかな語り口で女子が喜びそうな要素だらけの男性であった。

「和馬さんって、そんなに資格持ってるんですか!?」

 それは、そのプロジェクトメンバーの親睦会での一コマ。

 京香は昔から物事にそつがなく、何でも器用にこなせるタイプであった。しかし勉強面は苦手で何とか赤点を免れているような学生時代であった。

「ええ。まあ、実益だけでなく趣味も兼ねてますけどね。何か、いろんなことに対して目標を持つのが好きで……」

「すごいですね~!アタシ……、私なんか見た目の通りの頭すっからかんなんで、そんなに知識詰め込めないです!」

「いえいえそれほどでも。でも京香さんは器用で、物事をよく見られていると思いますよ」

「またまた~!」

 人は昔から、自分にないものを持っている人に惹かれると言う。ただその時の京香は自分がそういった気持ちになるとはその時は思っていなかった。ただ潜在意識のうちに「和馬さんは頭のいいステキな人」といったものが刷り込まれていたのかもしれない。


 その後和馬はそのプロジェクトで頭角を表していく。

「今回は福祉分野への新規参入ですよね?もちろん現場をとり仕切るのは僕たちではありません……が、一度就労継続支援B型の施設をプロジェクトメンバーで見学に行くのはどうでしょうか?」

と上司に掛け合い、

「君がそこまで言うのなら検討するが……、宮田君自身は福祉関係には詳しいのかな?」

「もちろん実務経験はありませんが社会福祉士の資格を取得しています」

「確かに経歴書にはそう書かれてあったな。いや資格もあるなら身にもなるだろう。見学には行った方がいいね。それにしても君は頼もしい!」

 和馬はすこぶる上司受けが良く、またそれだけでもない。

「京香さん、その資料はざっと目を通すだけでも大丈夫だよ。もちろん全部の資料を真面目に読むのが理想だけど……、人生要領が肝心だからね!」

 ある程度京香と仲良くなった和馬は敬語でなく京香にそう話しかける。

それはたまたま部屋の中に二人きりで、上司がいない5分程度の時間。

「ありがとうございます!」

「いえいえ。リーダーに聞かれたら怒られちゃいそうだけどね」

「その時は一緒に怒られましょう!」

「ハイ!」

そう言い合い二人は声を小さくして笑う。その笑い声はガラス張りのプロジェクト用の部屋の中だけで聞こえる小さなもの。でも、それは京香にとっては、真面目そうな和馬の冗談ともとれる朗らかな一面であり、心の中に大きく響くものであった。 

 思えば、この時だったかもしれない。

 京香が和馬のことを「好き」と自覚したのは。


その後もプロジェクトは進んでいく。新しい福祉施設を設置するこの計画だが、京香にとっては完全に専門外のことで、最初は戸惑ってばかりの京香がそこにはいた。いや、京香だけではなくプロジェクトメンバーの全員が福祉業界は未経験で、中には

「俺、こんなことするために入社したんじゃないんだけどな~」

「……ってか元々何する会社だよココ?面接試験の意味ねえじゃん!」

そんな不満を口にする者もいた。

 そして未経験なのは和馬も一緒であったが、和馬は不平不満を言うことなく、資格の知識も活かしながら業務にあたっていった。そして不満分子をうまく冗談を交えてやる気にさせ、気づけば皆が一丸となる体制を作る。もちろん和馬は表立ってげきを飛ばすタイプの青年ではなかったが、他の人がいない所で個別にその人に合わせて話を聞いたりするなどし、皆の意識を目の前のプロジェクトに向けるのが上手なまとめ役であった。


「私が頑張れば……、和馬さんはこっちを振り向いてくれる」

京香はそんな確信めいた気持ちをなぜだか持っていた。それは京香が今までモテてきたこととも関係しているかもしれない。また、

「和馬さんは今までのオトコたちとはどこか違う。頭もよくて、優しくて……、特別な存在ね」

 妙に冷静になって分析している京香も心の中の数%には存在する。それは獲物を狙う肉食動物の心境かもしれない。……そこは京香らしいのだが、とにかく、京香は和馬のことが好きで、和馬にどんどんハマっていった。


 そしてそんな京香だから、その瞬間もそんなにショックは受けなかった。

和馬には大学生の頃から付き合っている彼女がいると知った時も。

「えっ、和馬さん、この写真……!?」

「あっこれ?裕子。俺の大学時代からの彼女だよ」

その日はプロジェクトの非公式の懇親会。今日のお代は全て和馬持ちだ。

 そんな和馬を太っ腹だ、やっぱり優しい、そんな風に思い妄想も膨らませていた矢先に見てしまった和馬の携帯の待受画面。

 ここで慌てふためいてはいけない。和馬さんみたいなイケメン、他の女が放っておくわけがない。彼女の一人や二人、いるに決まっている。いや和馬さんは真面目だから彼女は一人だけか。……とにかくここは冷静に。かつ大胆に。京香は今までそうしてきたように言葉遣いに注意しながら探りを入れる。

「へえ~まあ和馬さん、モテそうですもんね!」

「いやそんなことないよ」

「……でも気を悪くされたらすみません、何かその彼女さん、和馬さんに比べて地味?な感じもします~」

 その待受画面に映る彼女は黒髪で清楚な服装であった。

とにかく和馬に意識させなければならない、和馬にはもっと華のある女が似合う。画面に映る彼女は確かにかわいらしい……かもしれないがどこか学生っぽい。大人の男性の和馬にはそれ相応の華やかな人が隣にいるのがふさわしい。

 これは半ばマインドコントロールだ。でも和馬さんのため。もちろん半分は自分のためだが。……だからミスをしてはいけない。そう頭のCPUの3割を使い計算した京香は、残り7割を和馬への純粋な好意と営業スマイルにあてる。

「地味?まあ……。でもこいつ、裕子、優しいんだよね。それに意外とって言ったら失礼だけど、頭もいいし」

「頭いいんですか~?」

ここはとにかく和馬さんのタイプを訊き出さなければ。優しさは捉え方次第でどうにでもなる。あと和馬さんは裕子という女の外見に関してはまずは触れなかった。ということは内面重視?フン、内面なんて私ならどうにでも演じられるわ。まあ頭は良くないけど、回転の速さなら自信アリ。要はこれも捉え方次第。

 ……今の自分は、周りにどう見られているだろうか?はっきり「獲物を狙う」意志が、というかオーラが出てしまっているだろう。実際横目で他の連中を見てみると、女性陣はそのあざとさにドン引きしている様子。男性陣は和馬のことをちょっと羨ましそうに見ているヤツもいる。でもまあそれはどうでもいい。アタシは……、今日の狙いをもう一本に絞っている。周りは関係ない。

「そうだね。留学経験もあるから英語もしゃべれるし、あとピアノを小さい時から習っていて、絶対音感も持ってるんだ」

「は、はあ……」

何この意外な解答!?英語ならまだしも、絶対音感って……。

「俺、そういった才能のある女性に弱くってさ。まあ広い意味での頭の良さになるのかな……」

「そ、そうなんですね……」

 全くもっての予想外の答えに京香は面食らう。何!?つまりはスペック重視ってこと?まあ分かるけど女はやっぱりかわいさと愛嬌でしょ?アタシ古い?

 いやでも単純なスペックではない気もする。才能?絶対音感?そんなものアタシには……ないわよ!

 バグが発生したパソコンのようにその場でフリーズする京香。もちろん営業スマイルはキープしているが次の言葉が出てこない。それを見て女性陣は「ざまあ見ろ」という表情。男性陣は「和馬は何もったいないことしてんだよ」という和馬に対する呆れ。そこは冷静に見られる京香であったが……、肝心の和馬への対応ができない。

 

 そうこうしているうちにもお酒も料理も運ばれてくる。気づけば他の男性陣も女性陣も、仕事やいわゆる打ち上げにかこつけてそれぞれの獲物を探し、狙っているようだ。

「アタシちょっとお手洗い行ってきます!」

そう言って京香は作戦ルームへと消える。


 何よ和馬さん、裕子って……。

京香は作戦ルーム内で自分の気持ちと戦略を立て直そうとする……が、まず気持ちの方が参ってしまってそれがなかなかうまくいかない。

 ってかオトコなんて他にもいくらでもいる。別にうまく行かなければ乗り換えればいいだけ。ただ、それだけ。

 その日京香はそう思い込もうとし、お手洗いから出た後、また残りの飲み会の時間を当たり障りない会話に終始した。あと、他の男性からの露骨なアプローチはポーカーフェイスとも営業スマイルともとれる対応で適当に流した。


 しかし、一度は和馬を忘れようとした京香であったがなかなか和馬が頭から離れてくれない。

 飲み会後日の仕事の時間。プロジェクトは順調に進んでいく。そして、相変わらずのビシッと決めたスーツ姿の和馬、特にネイビーのスーツが似合う和馬はやっぱりかっこいい。それに気もやっぱり回る。さらに福祉関係の事業の進捗も佳境に入り、

「ここ、コンプライアンス的に問題ある!うちはあくまで就労継続支援B型でA型じゃないんだから、工賃、賃金の確認は念入りにして!」

「この建物の間取り、本当に利用者目線?ここなんか狭いよ。バリアフリーじゃないよね」

和馬の頭の回転、また気配り、リーダーシップも勢いを増していた。

 そんな和馬の姿を見て、京香も気が引き締まると共にどんどん和馬への想いを強くしていく。

 例えば朝の出社前。いつもより鏡に向かう時間が長くなっている、メイクにかける時間が長くなっている京香がいる。もちろん京香のポリシーで写真の中の恋敵のようなナチュラルメイクはしないが、メイクは派手になる一方だがそれでも和馬を意識している京香がいる。

 また、たまの休み。友達とランチに行った時。こういった時どうして女子たちは恋バナが好きなんだろうか?

 友達の彼氏自慢を聞くと、自分も和馬とそうなりたいと思ってしまう。他の誰でもなく、和馬と。もちろん友達にそのままを話すと恥ずかしいので、

「ああ~アタシも早くオトコ作んないとな~!」

とは言ってみるものの、その「オトコ」は京香の中では和馬という固有名詞に決まっている。


 そうして、京香は日に日に和馬への想いを強くしていき、しかしその想いは裕子という女に阻まれ京香は片思いを続けるのであった。


※ ※ ※ ※

「ね、言ったでしょ?アタシこう見えて一途なのよ」

京香はXに、顔も本名も素性も何もかも知らない相手に一気に自分の境遇を話す。そしてXは……、もちろんどんな表情か京香には知る由もないが黙ってそれを聞いているようであった。

 そして、しばらくの沈黙。京香はその沈黙をどう解釈して良いか迷う。これは罠かもしれない。ただ自分の境遇を話させて楽しんでいるだけ?もしかしたら、その後の良からぬこともXは考えているのかもしれない。

「……ハハハハハハ!」

その京香の心配をよそに静寂を破ったのは、Xの高笑い、嘲笑であった。

「……何がおかしいのよ?」

その笑い方にムッとした京香はXにそう質問する。

「……あなたのご意見、確かに伺いました。それでは私の方からいくつか質問させて頂いてもよろしいですか?」

形だけは紳士的なXがそう言う。もちろんXが男性だとこの時点で決めつけるのは早計だが。

「勝手にしなさいよ」

「では遠慮なく。あなたはその……裕子さんに嫉妬したことはございますか?」

「もちろん、当然よ」

「では、その裕子さんを殺したいと思ったこともおありで?」

「はあ!?アンタと一緒にしないでよ!そこまで思うわけないでしょう!」

「すみません質問が極端でしたね。しかしあなたはこう思ったことはおありでしょう。『裕子から和馬さんを奪い取りたい』とね」

「それは……まあ……」

「そしてあなたはこうも思ったはず。『あんな女、裕子に私が負けているはずがない』と」

「……」

「つまり私の意見はこうです。あなたは確かにその、和馬さんのことが好きなのかもしれません。しかしそれは100%の純愛でしょうか?裕子さんのことを殺したいとは思わないまでも、その女性から相手の男性を奪ってでも幸せになりたいというのは、果たして『きれいな心』でしょうか?」

「アンタなんかに何が分かるのよ!」

気づけば京香は叫んでいた。その声はおそらく外の廊下にも響いたのであろう、外から一と思われる声が叫び返し、外からドアを開けようとする音が京香のいる部屋にも聞こえてくる。

「少し待ってください。外部アナウンスに切り替えますので」

こちら側、閉じ込められている側の動きはお見通しと言わんばかりにXはそう京香に告げる。きっとこの後外の一たちに「中は大丈夫だ。ヘタなことをすると爆破する」とでもマイク越しに言ったのだろう。外の物音がすぐに静かになり、辺りに静寂が戻る。

「失礼致しました。では話の続きを。吉本京香さん、あなたは本当に、和馬さんのことを何の掛け値もなく好きだと言えますか?」

「当たり前でしょ!アタシは本当に、和馬さんのことが好きなの!あんな女さえいなければ……」

「今何と仰いました?『あんな女さえいなければ』?繰り返しますがそれが純愛でしょうか?邪な気持ちが一切ないと言えるでしょうか?」

「それと和馬さんを好きな気持ちとは別でしょ!」

「どう別なのかが分かりませんね。あなたはとある女性から男を奪い取りたいと思っている。その奪われた方の女性はどう思うのでしょう?まあいい気持にはならないでしょうね。それがあなたの『良い所』なのですか?まさしく世の中の男女が持っている邪な感情そのものではないですか!つまりそれはあなたが『良い所』と思い込んでいるだけであって、実際には単純に男を自分のものにしたいだけということになりますよ」

「だからそれとこれとは別なの!!」

気づけば京香は泣きだしていた。それは恐怖からくる涙?いやこの場合は恐怖ではないであろう。ということは和馬を想って?でもそれは自分の気持ちが否定されたから?自分の純粋な気持ちに、自信が持てなくなってしまったからであろうか?

「感情的になられても困ります。これはゲームなのですから。ここは冷静にいきましょう」

「アンタに何が分かるの!?それにこれはアンタが勝手に始めたことでしょ!」

少しヒステリックになった京香を半ば諭し、そして半ば嘲笑うかのようにXが続ける。

「その通りですね。そして私はあなたの境遇にどうのこうの言うつもりはございません」

「もう言ってんでしょうが!」

「ただゲームに参加されている以上……」

「誰も好きでこんなことやってるわけじゃない!」

「……参加されている以上、あなたの和馬さんへの気持ちに邪心がない、全くないということを論理的に証明して下さい」

「……それは……」

またもやの沈黙。しかし今度の沈黙は、京香の方が作り出したものだ。

そしてその沈黙の後の、顔は見えないがXの勝ち誇る表情が見えるかのような嘲笑。

「フフフ。できませんね。では今回は失敗です。隣の部屋へお戻りください」

するとパソコンの電源が消え、ドアのロックも開く。


「京香さん、大丈夫でしたか!?」

その場にしゃがみこんで動けなくなっていた京香に廊下から急いで駆け寄ってきた一が声をかける。

「……京香さん?」

京香は大泣きしており、メイクの一部が顔に流れ出していた。そして聡い一はその京香の見た目だけでなく、心の中の異変にも気づく。

「今回は失敗。アタシの負け。でも、アタシの和馬さんへの気持ちは何も変わらない」

「……えっ!?」

「アタシは一旦出直すわ。他に行けるひとあったら行ってちょうだい。ただこれだけは言っておくわ。Xは強敵よ」


   CASE2:西野美和の場合


 京香はXと対峙した後、放心状態となり元の部屋まで戻る。その間の記憶は…後で思い返すと飛んでいるであろう、形容するとそのような精神状態であろうか。

「京香さん、京香さん!」

美和の呼び声に京香が反応したのは、京香たち四人が揃って最初いた部屋に戻ってからしばらくした後のことであった。


 気づけば時刻は深夜。当然のことながら外は真っ黒で、京香たち四人のいる部屋の明かりが異様に明るく感じる。それは暗闇に灯された希望の光……と表現したくなる所だろうが、今の四人にそんな希望を見出せる余裕はなかった。

 またこの小屋のどこかには、爆弾が仕掛けられているという。それがもし爆発するようなことになればこの辺りはどうなるであろうか?きっとものすごく明るい光が発せられるであろう。しかしそれは希望どころではなく、自分たちの命と引き換えに照らされる光……。今の四人には、そんな恐怖の方が、希望よりも数倍も勝っていた。


 しかし、そんな恐怖と別の種類の恐怖を味わった顔の人間が一人いる。

 もちろん、京香だ。


「何よ」

「Xに何を言われたんですか?京香さん、青ざめてますよ!」

怖さのあまり失神する勢いであった美和が、それでも自分を奮い立たせて京香にそう尋ねる。

「それが……」

その勇気に心が一ミリだけ動いたのか、京香がさっきあったできごとを語り始める。


「そんな……。人の純粋な気持ちにケチをつけるなんて、ひどい!」

美和が京香に感情移入してそう言うと、

「確かにひどいですね……。でもこれで分かったことは少しだけあります。一つはXが人の心を読むのがうまいということ。そしてもう一つは……」

「……とても論理的であるということですかね」

一は美和とは対照的に、京香に同情しつつも冷静な分析を見せる。しかしそれを途中で遮り、「論理的である」という指摘をしたのは浩次だ。

「何よその言い方!」

冷静というより全く感情を出していないその物言いは京香の逆鱗に触れたらしい。

「アンタなんかにアタシの何が分かるのよ!一くんはいいわよ、頭は切れるし人の心は大切にするし。でもアンタはただ面白がって分析してるだけじゃない!」

「いや別に面白がってなんて……」

「面白がってるわよ!」

今までの青ざめた表情が嘘であるかのように、京香は激昂し顔もみるみるうちに赤くなる。

「ってかもしかしてXってアンタなんじゃないの!?何にも知らないフリして!どうせ遠隔操作とか得意でしょアンタ!」

「いや京香さんそれはないです。浩次さんもずっと僕たちと一緒にいました。そんな素振りは見せられませんでしたよ」

一の指摘に、

「分かったわよ。一くんが言うならそうみたいね」

京香は一応振り上げた拳を下ろす。

「でもこれを続ければ……、Xのことをプロファイリングできるかもしれません。ということはXの正体に近づけるかもしれませんね!」

一には、この部屋の明かりほどではないが希望の光が見えたようだ。

「でも、でもね……」

そこに口を挟む京香。


「どうされました?」

それを冷静に見る一。

「……何か、Xと話していると自分の気持ちに自信が持てなくなってきちゃう。もちろんアタシは和馬さんのことが今でも好き。大好き。でも、でも……掛け値なし?って訊かれたら、すぐに反論できなかった。結局これはエゴ?アタシの気持ちはアタシが思ってるだけ?とか嫌な思いが勝手にアタシの頭の中から出てきちゃって……」

「そんなことないです!」

そしてそこで叫んだのは、美和であった。

「京香さんは素敵です!何か私、うまく言えないけど……。もちろん人間だから嫉妬もします。でも、でも、人が人を想う気持ちって、論理では絶対に測れません!」

「ありがとう、美和ちゃん」

気づけば京香は涙を流している。そして、美和は決意の面持ちでこう宣言する。

「次、私行きます!」


CASE2:西野美和の場合


※ ※ ※ ※

 西野美和には、おごりたかぶりがない。

美和は小さい頃は兵庫県の小さな町、姫路市に住んでいた。そこは姫路城で有名な歴史の残る町。美和も小さな頃はよく城の周りで遊び、

「……ってかこの辺って昔サムライがおった城やんな?」

「うち歴史は分からへんけど確かにきれい!そんなことより遊ぼ!」

とよく友達と言っていたものである。

 そんな美和も小学校高学年になり、好きな人ができたり、異性に興味を持ったりする年頃になった。その頃美和とその友達はお城近くの店に小学生ながら入り浸り、

「美和のクラスの子でかっこいい子おる?」

「いやおらへんかな~」

「とか言って好きな人おるんちゃうん?」

「いやホンマにおらへんって!」

など思春期のトークに花を咲かせていた。

 姫路城周辺では四季の移り変わりもはっきり感じられ、自然も多くきれいな景色を楽しむことができる。また観光客の中には外国人も多く地方都市であるが国際色もある。美和はそんな姫路が大好きで、

「うち大人になっても、結婚してもここにずっとおりたいなあ~」

と、漠然と思っていた。


 そんな美和の人生に、早すぎる転機が訪れる。

それは美和が中学生になる直前のこと。

両親の離婚と、母の実家のある東京への引っ越しだ。


「えっ、うちら、東京で住むん?」

「そうだよ」

最初母からそれを聞かされた時、美和は耳を疑った。

もちろん美和は東京に対しての憧れは昔から持っていた。渋谷、原宿、表参道……。それは片田舎の姫路とは異なる煌びやかな世界。テレビやネットの中に存在する世界。当然であるが母の帰省の際には美和も東京に行ったことがあり、そういった「メディアの中の世界」で母と一緒に映画を見たり、大好きなお洋服を買ってもらったりもしたものだ。しかし、まさかそこに自分が住むなんて……。

 美和は東京ももちろん好きだが、やっぱり自分の生まれ故郷、姫路が好きだ。そこを離れるのは辛い。それに東京にはテレビやら何やらで常に触れることができるが、姫路は観光サイトでも見ない限りそこを離れたら関わることができない。また東京暮らしで大人になって、わざわざ姫路で就職する人なんていないだろう。ということは、この町、姫路城下の美しい街とはお別れ……美和にはそれが悲しかった。


 しかしそれよりも何よりも、美和にとってもっと悲しいことがある、そのことを美和は子どもながらに分かっていた。

 理由は訊いていないが、お父さんはこのまま姫路に残る。東京へはお母さんと美和の二人で行く。と言うことはお父さんとはもう会えない。一緒に遊ぶことはできないし、話をすることもできない。今まで美和はお父さんもお母さんも両方とも大好きで、

「あんた、お父さんのことそんなに好きなん?」

とませた同級生から言われる始末であった。

 しかしこれからは離れ離れ。大好きな姫路の町と同様、お父さんはこのまま自分が東京に行ったら遠い人になってしまう。新幹線を使えばいつでも会いに行くことは可能かもしれないが、そんなお金これから中学生になる身分の自分にはない。いやそもそもお父さんは自分とこれからも会ってくれるのだろうか?もしかしたら、大げさではなくこれが一生のお別れになるかもしれない。そう思うと美和は泣けてきて、大好きな故郷とお父さんのことを思って泣けてきて、でもその涙を母には見られてはいけないことも悟っていて、人のいない

所で美和は声を出して大泣きした。


「でも、お父さんをうちがとったら、お母さんが寂しくなってまう。うちは頑張らなあかん」

人生には辛い選択をしないといけない時がある。美和の場合はそれが少し早過ぎただけなのかもしれない。美和はそう思い、いや思い込もうとし、大好きな父との別れに耐えようとした。


 そして……、実際に暮らしてみた東京、テレビの中や憧れの中ではない東京は、何もかもが違った。

「西野美和さん……、確か兵庫県出身なんだよね?」

「そう!うち、やなくて私、そやからこっちに友達おらへん」

「そうなんだ……」

東京への引っ越しと共に入学した中学校。姫路と桁違いの生徒数がいる中学校。そこでの美和は……。

「あの子、言葉変だよね」

「地方からやって来た子でしょ?」

完全に浮いてしまっていた。

「あ、あの……、うち、やなくて私と一緒にご飯、食べへん、いや食べませんか?」

関西弁を無理矢理隠そうとして全く隠せていないその言葉遣いは完全に異質であった。もちろん東京は日本の中心。地方出身者に合わせる風潮はない。

「……」

美和を苦しめたのは、言葉だけではない。中核市ではあるものの田舎の方の姫路とは違い、ここ東京にははっきりとしたスクールカーストが存在する。まあもちろん姫路にもあるにはあったがやはり都会と田舎とではレベルが違う。そんな中に独り放り出された美和は、昼食時も休み時間の時もずっと孤独で、話し相手がいなかった。


 また母はシングルマザーとなり仕事も忙しくなり、美和が家に帰る時はいつも母はおらず美和が一人で鍵を開けるようになっていた。

「うち、こんな生活送るつもりやなかった……」

学校からの帰り道。昔大好きで憧れていた渋谷を通る帰り道。世の中の女子中学生たちはみんな友達、また彼氏とキャッキャキャッキャと騒いでいるが、美和にはそれが眩し過ぎた。スクランブル交差点を渡る時。周りにこんなにも人がいるのに、姫路に比べてこんなにも人が溢れかえっているのに自分だけ孤独に感じるのはなぜだろう?やっぱり言葉のせいかな?いやそもそも自分が暗いのかもしれない……。美和はそんな人の多い街が落ち着かず、逆に誰もいない美和の家に入ると何だか落ち着く感じがした。でも、そんな「落ち着き」は仮初めのもので……。美和は家に着くなり、大泣きする生活を繰り返していた。


 そんな美和であったが、中学二年ぐらいになると、徐々に友達ができ始めるようになっていた。

「西野美和さんだよね?三組にいた?」

「うん、そうだよ!初めましてかな?」

美和は中学生になり、その可愛らしさが際立つようになっていた。そして言葉遣い。美和は慣れ親しんだ関西弁、播州弁を封印し、標準語で話ができるようになっていた。そうなれば人の評価が変わるのは速い。地方出身だが垢抜けており、可愛らしい女の子……美和はスクールカーストの頂点まではいかないものの、底辺に位置することはなくなっていた。


 そして美和は都内の高校に進学する。その頃は美和は完全に東京の女子高生に染まっており、当然ながら言葉は東京のそれ。また美和は常にニコニコするようになり、挨拶もしっかりする。するとその見た目とも相まって人気は校内でうなぎ上りに上がり、美和に告白をする男子高校生も多かった。

「美和さん、僕と付き合ってください!」

「あの……、ちょっと考えさせてもらえます?」

しかし美和はなかなか告白を受け入れようとはしない。そしていつしか美和は「ガードの固い女の子」……的な評判になり、しかしそれで評価は下がることなく美和は同性からも異性からも好かれる存在になっていた。


 そんな美和の人気は大学生、社会人になってからも続く。そして美和はそれまで生きてきた人生の中で、一つ学んだことがある。

「人間、おごったりたかぶったりしてはダメ」

ということだ。

 別に昔友達ができなかったのはおごりたかぶりがあったからだというわけではないが、人間やっぱり尊大な人間には寄りつかないだろう。常に謙虚に生き、みんなと仲良くし、いつも笑顔を忘れない。そうすれば友達も自然とでき、最愛の人とも巡り合えるかもしれない。そうやって人と人との「縁」を大事にして、これからも生きていきたいなあ……。美和は、そうポジティブに考えることができるようになっていた。


※ ※ ※ ※

「だから私、おごりたかぶりがないんです。人間、自惚れたらダメだと思います。もちろん私の人生にも嫌なことたくさんありました。でも、それでも前を向いていたらいいこときっとあると思います!以上が私の『良い所』です!」

美和はそうXに話す。もちろん美和の話の中には美和にとって思い出したくないこともたくさん含まれていた。それでもそんな話をしたのは……、みんなを助けたい、そんな想いからだろうか、美和は話し終わった後の少しの間にそんな思考さえ巡らせる。

「……ハハハハハハ!」

その一瞬の思考を遮ったのは、京香の時と同じXの高笑いだった。

「何がおかしいんですか?」

「……あなたのご意見、確かに伺いました。それでは私の方からいくつか質問させて頂いてもよろしいですか?」

「どうぞ」

顔の見えないXの高笑いに嫌な表情をしながら美和はとりあえずそう返す。そしてふとこんなことも思う。こちらからは見えないXはそんな私の表情を見て楽しんでいるのだろうか?と。

「まず西野美和さん、あなたにはおごりたかぶりがないとのことでしたが、それは本当に掛け値なしのものでしょうか?」

「当然です」

「では訊き方を変えます。あなた、ご両親が離婚されて、東京で苦労をされたんですよね?」

「さっき話した通りです」

「では、もしご両親が離婚されなかったら、それでもあなたはご自身のおごりたかぶりがない性格に自信が持てますか?」

「それは……、仮定の話だと思います。答えないといけないですか?」

「冷静なご指摘ありがとうございます。でもそう仰るということは、少なくともご両親の離婚と東京での生活がご自身のメンタルに影響を与えている、という解釈でお間違えないですか?」

「……何が言いたいんですか?」

「私の解釈はこうです。西野美和さん、あなたはご両親の離婚、そして東京での辛い生活が原因でどうしてもご自身の身を守らないといけなかった。そこでおごりたかぶりがない自分を演じた。そうすると周りに段々人が集まってきて、自分は幸せだと感じるようになった。ということはおごりたかぶり、いえ自分の感情を殺すことによって幸せを手に入れたということになります。……果たしてそれは本当の幸せでしょうか?それははっきり言って偽りですよね?そしてそんな『幸せを手に入れるための手段』としての性格、おごりたかぶりのなさを本当に『良い所』と言えるでしょうか?」

美和は、その瞬間頭を打たれた気がした。自分の良い所、それは本当は偽り?

「そんなこと分からないじゃないですか!」

そんな自分への疑念をかき消すように、美和は気づいたら叫んでいた。

「ではご両親の離婚はご自身の性格に全く影響を与えていないとお考えで?」

「そんなことは……言ってません!でも私にはおごりたかぶりなんてありません!」

「それを掛け値なしではないと私は申しております。もしご両親の離婚が少しでも西野さんのメンタルに影響を与え、それを『良い所』と主張なさるのなら、ご両親の離婚はあなたにとってプラスになった、という解釈でお間違えないですか?」

「どうしてそうなるんですか!」

「では本当に掛け値なしで、ご両親の離婚とは関係なしにあなたの『良い所』が成立するとお考えで?」

「それは……、はい!」

ここで悩んでしまうとみんながここから脱出できない。それは避けなければならない。ここは嘘でもXを納得させなければ。美和は自分の心に生じた疑念を必死にかき消そうとした。

「とてもそのようにお考えであるようには見えませんね」

「あなたに……、私の何が分かるんですか!」

気づけば美和の目には涙。それも今にも決壊しそうだ。しかし……、美和の中に残る理性がXに闘いを挑んでいる。

「何も分かりません。……と断言しては失礼ですかね。心中お察しします。しかしこれはゲームです。なので『良い所』を証明するのが先決かと思いますが」

「望んで参加しているわけではありません!」

「これはこれは。でもこのゲームに勝たないとあなたたちはどうしようもありませんよ?繰り返します。あなたのおごりたかぶりがない性格、本当に掛け値なしの『良い所』ですか?」

「だから何だって言うんです!私は本当におごりたかぶりなんてありません!」

「そうだとしてもそれはご両親の離婚の賜物ですよね?離婚という『不幸』の結果の性格を良い所だと仰るのは無理がございませんかねえ?」

「だから、両親の離婚とは、関係ありません!」

美和の心のダムはここで決壊してしまう。気づけば美和は大泣きしていた。何で赤の他人にここまで自分の精神をさらけ出さないといけないのか?それは美和の過去をスコップで掘るような行為で、その穴は容易には埋まりそうもない。

「ではご両親の離婚とご自身の性格とは全く関係がなく、『おごりたかぶりがない性格』は掛け値なしの『良い所』であると、論理的に証明して下さい」

「……それは……」

美和はここで押し黙るしかない。それは、その沈黙は最も辛い行動……。しかしそれ以外に今の美和には手段がなかった。

「フフフ。できませんね。では今回は失敗です。隣の部屋へお戻りください」

するとパソコンの電源が消え、ドアのロックも開く。京香の時と同じように。


美和は完全に放心状態になっていた。その状態では涙も出ない。ただ、美和は腰を抜かし、その場に座り込んでいた。

「美和さん、大丈夫ですか?」

 やはり一はしっかりしている。こんな時、二度目の勝負の後でも落ち着いている。

「……私……」

しかし一より年上の美和は何も言えない。

「とりあえず向こうの部屋に戻りましょう」

「……気持ち、分かる。でも行くわよ!」

美和は京香にそう言われ、肩を抱えられながら前にいた部屋に戻った。


   CASE3:齋藤浩次の場合

一は、京香、美和の様子を見て、考え込んでいた。

「美和さん、それに京香さんも、お疲れ様でした。それにしても、Xの狙いが見えません」

その「お疲れ様」の物言いは決して機械的でもなければ事務的なものでもない。一はしっかり二人の女性の心をケアし、心底心配する表情でその言葉を口にしている。しかし一がXについて推論を巡らせているのもまた事実。どうやら一は自分の中の理性と感情を同時に使用できるようだ。

「アンタ、タダモノではないわね……将来きっと出世してモテ男になるわよ」

Xとの会話から少し時間が経ち幾分か落ち着いた様子の京香が一にそう言う。

対して美和は……、まだ放心状態であった。

「いえいえそんなことは。それより……Xの正体です。Xの目的が分かれば、その正体にたどり着きやすくなるのですが」

「それはそうねモテ男!」

「京香さんその言い方はよしてくださいね。……Xですが、気になるのはこの突拍子もないゲームのことです」

「確かに」

放心状態の美和を除いた一同、残り二人が頷く。

「こんなゲーム、例えば推理小説や映画やドラマでは聞いたことがありません。と言うことは犯人、Xは」

「ちょっと変わった頭のいい人、ということになりますね……」

「ってか何アンタみたいなオタクが口挟んでんのよ!一くんの邪魔しないでちょうだい!」

「で、でも僕は推理はできませんが論理的な思考には自信が……」

「ああアンタ数学オタクだったっけ?」

京香の物言い、そして声のトーンに押され気味だった浩次だが、一に助け舟を出される。

「浩次さんの言うこと、もっともですね。Xは確かに頭がいいように見受けられます」

「まあ確かにね……」

Xと画面上ではあるものの対峙した京香はその点は認めざるをえない。

「それにもちろんXは変わってますね。ただ問題なのはその変わり方、言い換えればこのゲームのXにとっての目的です」

「なるほど」

「まず仮にXが愉快犯であったとします。そしてXは急に人を閉じ込めなくなった。……これは一般的な常識では考えられないですが愉快犯ならありえるでしょう。そしてゲームで人の命をコントロールしたい。これもあくまで『愉快犯』として考えるなら自然です。そこでゲームの内容です。暗号解読、体を張った危険なギャンブル、この辺りは定石でしょう。でもそれではXは満足しない。そこでXは全く新しいゲームを考える。それが『人良い所探しゲーム』……腑に落ちません」

「た、確かに愉快犯、つまり犯罪に手を染める人が人の良い所はおかしい……」

浩次の気づきに、

「それで数学的に何か気づいたことはあるのそこのオタク!」

京香がその能力に半信半疑になりながら尋ねる。

「い、いやそこまでは……」

「もう使えないわね!で、一くんは?」

露骨に表情筋の使い方を変えた京香はそう先を促す。

「浩次さんの言う通りです。犯人は妙に人の良い所にこだわる。それも京香さんの体験を聞くと、それを打ち砕くことにエネルギーを注いでいる。そこから考えられるのは……」

「人の良心を信用していない、と言うことですかね?」

「かもしれません。浩次さんの言うように人の良心を全否定することに魅力を感じているのだとしたら説明がつきます。ただ今の段階では、情報が少なすぎますね……」

「分かりました。では次は僕が行きます」

「ちょっと一くん、このオタクで大丈夫なの!?一くんが行ってケリをつけた方が……」

「僕に考えがあります!」

浩次は京香の話を遮る。それは決意の表れであったが、そういうことに慣れていない浩次の声は妙に上ずってしまった。

「一くん、君には最後に回って欲しい。そして僕ができるだけXの情報を引き出して君に伝えます。そして僕が無理なら……、君が最後にXに勝って、Xの正体を暴いて欲しい」

「……分かりました」

「確かに筋は通ってるわね」

「大丈夫です。僕は対人関係は苦手ですが相手は画面上。つまりネットでの関係と疑似的にみなすことができますしそれなら大丈夫です。それに僕は論理的思考回路なら自信があります。確実に一くんにバトンを繋いでみせます!」

今度は確実に、はっきりした声で浩次はそう宣言する。そして一も、

「頼みます!お願いします!」

と応じる。

 そして四人は三たび隣の部屋へと向かう。

そして、浩次の入室。その後、京香が何か気になるような素振りで一に話しかける。

「……どうしました京香さん?」

「あの男……、良い所をXに認めさせる気はないわね」


※ ※ ※ ※

「ミレニアム懸賞問題の一つ、ポアンカレ予想は既にペレルマンによって解決されています。その概要は、とても難しいのですが……」

 大学内の大講義室。その広さの割に学生の数は少なくはっきり言って室内は閑散としている。今は齋藤の講義の時間。と言ってもその内容はこの時は本格的なものではなく、あくまで数学の楽しさを伝えるような基礎科目だ。

 この数学、近頃ではITの普及によって少し市民権を得たもののやはり学生の人気の専攻ではない。もちろん高校時代理系であった生徒たちは否が応にも数学は勉強しなければならない。しかし数学の華はそこまで……というのは言い過ぎかもしれないが、その生徒たちは大学生になると企業への就職に直結する工学関係の専攻が多くなる。百歩譲って物理学専攻ぐらいまでが、理系の人気の専攻と言えるだろう。

 しかしそんな数学を若い頃からこよなく愛する男がいた。名前は齋藤浩次。その男も歳をとり、現在はその数学好きが高じて大学の教員にまでなった。

 浩次は小さい時から、友達が少なかった。もちろん浩次に話しかけてくる子どもはたくさんいた。それが子どものコミュニケーションの常というものであろう。しかし浩次は、

「え、いや、あの、その……」

その子どもの声かけにうまく返答をすることができなかった。

 その代わり、小さい時から浩次を魅了するものがあった。それは、数字。算数。浩次は車のナンバープレートを見つけてはそれを足したり引いたりし、またゾロ目の番号に出くわすと独り喜んでいた。また三角定規なんかにも幼い時から興味を示し、その定規をぐるぐる回したりどこかの角度に当てはめたりして楽しむような子どもであった。

 そして、そんな少年は中学生になる。この頃浩次には一人も友達はいなかった。

「なあ、齋藤さあ、今度俺らとカラオケ行かね?」

半分パシリ目的、半分冷やかしでかけられたそんな不良グループからのお誘いにも、

「僕は勉強があるから」

と浩次は早口で対応し、放課後にはそそくさと家に帰る生活を繰り返していた。


 しかし、その頃には浩次は高校数学の一部を独学で勉強し、自分のものにしていた。もちろん中学校の数学の成績は抜群に良く、また他の教科の成績も良く、テストを受ければいつも学年トップクラス。なので浩次は友達がいないながらも、自分なりには中学生活は充実していた。

 さらに、その頃浩次は数学に関する本をよく読んでいた。例えばフェルマーの最終定理に関する本。この定理はアンドリュー・ワイルズという数学者が最終的に解決したものであるが、それに関する本を読んで浩次は、「将来自分も自分の定理を打ち立てられる数学者になりたい」という思いを強くしたのであった。


 そして浩次は高校生になる。もちろん高校生と言えば、周りは男子でもオシャレに気を遣う年頃であるが、浩次は大きな黒縁眼鏡にボサボサの黒髪のスタイルであった。そんな男子は女子からの人気がないだけでなく男子からも疎まれ、

「齋藤君って、暗いよね」

「友達いないんじゃね?」

と陰口を叩かれていたが、浩次はそんなことは全く気にしていなかった。


 それよりも浩次が気になっていたのは、

「アンドリュー・ワイルズは、いかにしてフェルマーの最終定理の解決に至ったのか?」

……例えばそんなことである。

 浩次は高校でも数学の成績が良く、いつでもトップクラスであった。しかし浩次はそれには全く満足しない。浩次の夢はあくまで立派な数学者になること。そのためには……、たとえ高校の成績がトップでも実力は足りない。自分には何が足りないのか?どうすれば、アンドリュー・ワイルズのようになれる?どうすれば、自分オリジナルの定理を発見できる?浩次はそれを日々考え、自分の目標に向かって本を読み勉強する高校生であった。


 そして浩次は大学生になり、気づけばそのまま大学に残り、教員となる。もちろんそこでも浩次に友達はほとんどいない。世間一般の基準で言えば、浩次は「陰キャラ」ということになるであろう。でも浩次はそれでも良かった。自分には大好きな数学がある。人は自分のことを裏切るかもしれないが、数学に関しては自分を裏切らない。もちろん結果が出ずに苦しい思いは今までもしてきた。でもそれが何だというのだ。それは数学に対する「愛」に比べたら本当にどうってことはない。そう、自分はこれからも、数学と共に歩んでいきたい……。浩次は、そう決意を新たにするのであった。


※ ※ ※ ※

「なので僕は、友達は少ないかもしれませんが、数学に対しては本当に真摯に向き合ってきたんです。それが僕の、いい所であると思います」

 気づけば夜は完全にふけている。周りは物音ひとつせず、それが雪山の寂しさを助長している。そんな中でも、浩次は数学に対する思いを持ち続けることができる。周りの状況など関係ない。それが浩次の強みであると、浩次は再確認しながらXに話をした。

「ハハハハハハ!」

その直後に出てきたのはXの高笑い。Xはその人の神経を逆撫でする声を容赦なく浩次にも向ける。

「何がおかしいんですか?」

「……あなたのご意見、確かに伺いました。それでは私の方からいくつか質問させて頂いてもよろしいですか?」

「ええ、遠慮なくどうぞ」

「まず齋藤さん、あなたの良い所ですが、私には裏があるように見えてなりません。あなたのその数学に対する愛、本物でしょうか?それはあなたが単にどうにもならない、うまくいかない現実から逃げて数学にのめり込んでいるだけではないでしょうか?つまりはただの現実逃避の産物ではないでしょうか?」

「……そうくると思いましたよ」

ここから、浩次の逆襲が始まる。

「……と申しますと?」

「まあ逃げているかどうかはさておき、私は人との関わりが苦手で数学にのめり込んでいる面は否定できないと思います」

「ではあなたはご自身でご自身の良い所を否定なさっているということになりますが?」

「……でも、いえだからこそ、私には見えるものがあります」

「ほう?」

意外な展開であるがXに動揺する気配は見られない。

「それは、論理的な考証能力と言いかえてもいいかもしれません。まずあなた、Xですがあなたは人の粗探しが非常にうまい」

「……なるほど」

「また極めて論証能力が高く、判断力もある。つまりは論理的な人物、もっと言うなら左脳優位の人物であるということができますね」

「……」

ここでXは沈黙する。これは虚を突かれたからだろうか?それとももう少し浩次の出方を窺っているのだろうか?

「一般的に左脳は論理や理性をを司り、右脳は感情やひらめきを司ると言われています。今回の女性二人の様子から見て、そして先ほどの僕に対する対応から見てあなたは相手に対して感情を抑えて話をするのがうまい。なので左脳優位と言わせて頂きました。つまりは自分の感情を見せずに理性的に話をするのが上手だということです」

「……あなたの仰りたいことは分かります。ただ、このゲームの趣旨に関してですが、この『人の良い所を探す』ゲームはそもそも人の感情の部分に依拠する所が大きいものです。その辺りに関しては、どうお考えで?」

「そこなんですよね」

浩次は弁に力が入り、少し腕が震えそうになるのを必死で抑える。ここで相手の出方を見誤ってはならない。今までこちら側がされてきたことを返すには、そしてこのゲームに勝つにはその「冷静さ」が必要だ。


「X、あなたはこのゲームの仕掛け人です。……ですが、あなたは我々にこのゲームに勝って欲しいように見受けられます」

「……と言いますと?」

「これはあなたがこのゲームを仕掛けた目的に関わることかもしれません。それで、何もなしにこんな手の込んだゲームを仕掛けたりするでしょうか?私にはそうは思えません」

「……」

「X、あなたがこんなゲームを仕掛けたのには理由がある。それも愉快犯でない理由が。単なる愉快犯にしてはルールが突飛すぎる。それに……」

「……それに?」

「ここまで言っておいて変かもしれませんが、これは人としての勘です。あなたは心からこのゲームを楽しんではいない。どこかで人の良い所を探して、人の良い所を見つけたいのではないでしょうか?」

「……なるほど。あなたの考え、よく分かりました。しかし、それは数学者としての態度でしょうか?」

「……はい?」

「先ほどあなたは『人としての勘』と言われましたね。それを元に話を進めるのは、数学者としてどうかと言っているんです。まあ端的に言うと、数学者失格ですね」

「……何だと!?」

人と関わるのが苦手な浩次はここまで何とか頑張り、頑張り抜いて顔は見えないながらも難敵のXと闘ってきた。しかし、ここで限界が見え始める。

「繰り返し言います。あなたは論理的に話を進めているように見えて、実際の所、最後には勘に頼っていますよね?それが数学者としての行いでしょうか?それが研究ですか?」

「……これは研究ではない」

「では言い換えます。私はあなたのそのような態度を問題視しているのです。ただでさえ人と関わるのが苦手なあなたが頼るのは論理。その論理でさえも最後には『勘』という名の論理矛盾。それでは中途半端です。まあ人として半端なのは言うまでもありませんが、何よりも数学者としてあなたは失格ですね」

「お前に何が分かる!」

「ええ論理的に考えて分かります。厳密な論理こそが数学において肝要なはずです。人として落ち度のあるあなたがそれを忘れてしまってはただの欠陥商品です。まあ、『人として』はよしとしましょう。あなたのそのプライド、数学者としての誇り、そんなものはまやかしです。自己満足の研究としか言いようがありません。なぜなら論理を捨てて、自分の感情のままに話を進めているのですから」

「……お前なんかに数学の何が分かる!」

「確かに私は数学の専門家ではありません。ただ論理ではあなたより一枚上手であることはこれで証明されましたね。繰り返し言います。論理を捨てたあなたは数学者を名乗るべきではない。それが嫌なら、そうですね、反論を感情ではなく論理的に行って下さい」

「何だと!」

冷静なはずの研究者が顔を火照らせてしまう。一旦尻尾を掴みかけたはずのXの像が、すり抜けるように逃げていく。Xはそれほど手強く、またそんなXが仕掛けたこのゲームにはそんな魔力があるのかもしれない。

「貴様なんかに学問の何が分かる!数学の何が分かる!」

「どうやらこれ以上話をしても無駄ですね」

次の瞬間、部屋の照明が元に戻り、鍵も開かれる。

「齋藤さん、どうされたんです?」

一が駆け寄った時、浩次は数学者らしい冷静さを取り戻していた。

「肝心な所で論点をすり替えてしまいました。そしてそこを突かれただけで怒ってしまう……。本当に僕は、数学者失格なのかもしれませんね」

そこには自嘲的に笑う浩次の姿があった。Xは、そんな浩次を、そして閉じ込めた四人の姿をモニター越しに見てどのような気分に浸っているのであろうか?


   CASE4:登坂一の場合

 一は、京香、美和、浩次のXへの挑戦に関する話を聞き、対策を考えていた。

「齋藤さんは惜しかったですね」

「ごめんなさい……」

一が珍しくボソッと放った一言に、浩次は反省しきりである。

「いえでも少しXの尻尾がつかめた気がします。とにかく三人がやられたんです。僕は努めて冷静に、Xの正体をあぶり出さないといけませんね」

そう言う一はやはりこれもいつもの一らしくないが、少し緊張しているようだ。相手、Xがただ者ではないということを一は肌感覚で感じたのだろう。

「とにかく僕が行って……、決着をつけてきます」

そう一は言い残し隣の部屋へと向かう。


「登坂一さんですね。お待ちしていましたよ」

一が隣の部屋に入るや否や、Xがもちろん顔は見せずに一に話しかけてくる。

一はそんなXの様子を、声のトーンを中心に注意深く洞察しようとする。

「おやおやいきなりの探りですか。これは抜かりない」

「それは僕の表情を観察して判断でしょうか?ならこちら側は顔は見えないのでアンフェアな勝負ということになりますが」

一の冷静な指摘にも、

「確かに。ただこのゲームの主催者は私、Xです。さらに、世の中は常にフェアなものでしょうか?アンフェアなのは何もここに限ったことではないと思いますが」

Xは動じる気配はなく、声のトーンも一定だ……。一はそうできるだけ顔には出さないようにして分析する。

「それはその通りですね。ここでフェアさの議論をしても仕方ありません。とにかく僕たち四人の目標はX、あなたに勝利しここから脱出することです。なので無駄な感情は排します」

「さすがですね」

やはりXに感情の高ぶりなどは見られない。ただ声のトーン、それも機械で調整された声だけでは感情の判別は難しい……。しかしそんなことを言っても堂々巡りだ。一は気を取り直してXに挑戦する。

「僕の良い所は……」

四人の中で一番頭が切れるであろう一の、良い所の披露が始まった。


※ ※ ※ ※

登坂一は、学校でも随一の優等生である。

それは、一が小学校の頃から高校生になる今まで変わらない。

しかし、一は天狗になったり、優等生という地位に胡坐をかいて座ったりしているわけではない。

こう見えて、一はとても努力家なのだ。


 早熟。小さい頃の一を一言で表すとするなら、この熟語が一番当てはまるであろうか。

実際一は幼稚園に通う頃からある程度の漢字は読んだり書いたりすることができた。もちろんひらがな、カタカナに関しては言うまでもない。また算数に関しても、小学校低学年の頃に誰もが苦労する九九を、小学校入学前にほぼマスターしていた。

 ただ一は英才教育を受けていたわけではない。家庭も決して貧乏ではないが、お金持ちというわけではなく、いわゆる一般的なサラリーマンの家である。ただ、一はその中にあって物事に対するモチベーションが違った。


 分からないことがあったらすぐに質問する。幼稚園の頃の一はそんな子どもであった。もちろんその質問は知的好奇心に満ちたもの。理科的なものから文科的なものに至るまで、一の好奇心は留まることを知らなかった。そしてそんな一は、小さい頃は「物知り博士」と呼ばれていた。

 それが小学校の中学年程度になると、分からないことを「質問する」態度から「自分で調べる」態度へと変化する。もちろん最終的に分からないことは質問するのであるが、まずは自分で納得がいくまで調べる。それが一をさらに賢い子どもにした。また、自分で調べると今まで訊くだけでは頭に入らない類似のことまで知ることができる。それが今に至る「物事を見極める能力」、洞察力の礎になっていると言っても、過言ではないであろう。


 そんな一は中学時代の成績は常に学年一番か二番。また一は小さい頃から運動もできた。さらに中学時代の読書量も多く、最近流行りの小説、また過去の名作文学から専門書に至るまでジャンルも多岐に渡った。それら読書を一はあくまで楽しみとして行っており、決して他者から強制されて読んでいたわけではなかった。その「学ぶ姿勢」は小さい頃から健在で、また豊富な読書量が想像力を養成するのに一役買っていた。


 そして一は高校生になる。高校は私立ではないが、地元屈指の進学校。そこでは成績が常に一番、二番ということはなくなったが、トップクラスであることには変わりはない。そう、一は小さい頃も今でも、「誰もが羨む優等生」なのである。


 ただ、一は自分に酔ったことがない。

 一の両親は決してエリートではなかったが、一には「常に謙虚でいるように」という教育をずっと行ってきた。なので一は自分を「頭の良いできる子」と思ったことがない。さらにいじめに加担したこともない。それどころかいじめられている他の生徒を助けたこともある。もちろん一はいじめられる側ではなく、クラスメイトたちから常に一目置かれていたのでいじめっ子たちはいじめを止めるより他なかった。そうして、一のクラスではある程度の平和が保たれていた。


 そんな一は学級委員長や生徒会長などを歴任する。そこでの仕事も真面目かつ的確で、本当に一は絵に描いたような優等生であった。

 ただ、一には少しコンプレックスもあった。数学に関して、一には勝てないライバルのような存在がいたのだ。もちろん一も数学の成績は良かったが、そして相手の数学のできる生徒は万能というタイプではなく、どちらかというと数学オタクのようなタイプであったが、一は数学の成績だけ見ればその生徒には勝てなかった。これは同じ中学、そして現在の同じ高校の間中ずっとである。

 もちろん一も人間なので「悔しい」という気持ちは持ち、その生徒に勝つために努力もしてきた。しかしそれは決して足の引っ張り合いではなく、正々堂々としたライバル争いであった。また当初は「悔しい」気持ちが勝っていた一であったが、徐々に相手をリスペクトする気持ちに変わり、また成績争いではなく数学を純粋に楽しむ気持ちの方が強くなっていった。さらに、そうやって切磋琢磨することの大切さも、一はその一件から学んだのである。


 そうやって努力していった結果、一は今の地位を手にしている。しかし、何度も言うようであるが一には奢り高ぶりがない。本当に、ある意味で一は真面目な高校生なのである。


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White Game 水谷一志 @baker_km

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