イツカノユメ

エドゥアルト・フォン・ロイエンタール

イツカノユメ

 ゴーンという金丸の音が響き、厳かに、そして粛々と葬儀が執り行われている。

 先日亡くなった親友、結夢。高校生の頃から付き合いのあった数少ない親友だけに、訃報を聞いた時の驚きと動揺、さらに横たわる姿を見た際の悲しさは相当なものだった。

 そしてどこかでまだ結夢は生きていて、ただ長く、深い眠りについているだけなのではないかという、現実逃避のような未練がましい願望は、お坊さんの唱える御経の進行に合わせて消え失せていった。

 葬儀はその後何事もなく進み、そうして遂に俺の抱いていた微かな希望を打ち砕くが如く、火葬場に来てしまった。

 火葬前の本当の本当に生きていた姿を見られる最後の時間。

 参列者は結夢の両親や親戚が殆どで、葬式に来ていた高校生時代の友人達は全員帰ってしまっていた。薄情というかなんというか。

「本当に、本当によく頑張ったね……もうゆっくりお休み。これからはもっと自由なところから星が見れるよ。よかったね。狭い病室から見なくてもいいんだよ」

 結夢の母が言葉にならない声で語りかけていた。

 だが、俺は知っている。結夢は星が見たかったんじゃない。

 結夢が好きだったのは高校の屋上で気の合う仲間たちと星を眺めて語り合う、その時間と空間だ。

 そんな思いを募らせつつ、棺に入り、火葬を待つ結夢に最後の別れをする番になってしまった。

「なぁ結夢、お前って本当に身勝手だよな。よく『いつか一緒にもっと綺麗に星が見える場所に行こう』って言ったじゃねぇかよ……だから俺は天文台に勤めて、自由に星を見る用意をしてたのに……一回も来てくれなかったじゃねえかよ。俺は……俺はずっと、お前とまた一緒に星を見れるのを楽しみにしてたのに……くそっ。所長に頼んで発行してもらった年パスを置いていくから好きな時に来てくれよ。待ってるから」

 枕元に年パスを置いて次の人に番を回す。

 本当はもっと話したいことがあった。勿論生きている間に。結夢……

 火葬場の人から「火葬が終わるまでしばらく時間が掛かるから待合で待機」するように言われ、待合のソファーに座る。

 二十歳の同窓会以来着ていなかったスーツを数年ぶりに引っ張りだして着ているせいか、妙に各部がきつく感じる。痩せねば……

 眼の前には緑茶とちょっとしたお菓子が置かれている。饅頭を一つ食べ、お茶を一口。普段なら苦さ倍増で嫌な気分になる組み合わせだが、今日は特に何とも感じない。不思議だ。

 そして先程の慣れない葬儀が一区切りついたことで緊張が解けたのか、はたまた旧友の訃報を聞いてからあまり寝れていなかったからなのか、自然と睡魔が襲ってきた。

 最初は寝てなるものかと抗っていたが、どこか「もしかしたら結夢に会えるのでは」という根拠のない絵空事が頭をよぎり、眠ってしまった。


「きみぃおーい。起きてー皆移動してるよ」

 何だよ。うるせえな。移動してる。なんで……はっ、入学式が始まる。ヤバい。ヤバい。

「わっ。びっくりした。驚かさないでよ。起きるにしてもゆっくり起きるとかできないの。急に起き上がったらびっくりするよ」

「今何分だ」

「今九時五十五分。ちなみに入学式開始は十時から。急ぐならかなり急がないとマズイと思うな」

「なら走るぞ。急げ」

 そう言うと隣りにいた謎の少女は少し俯きながら口を開いた。

「それは……無理だよ。私は走れないから。心臓が悪いの。だから激しい運動ができなくて。だからさ、君だけでも走って行ってきなよ。私のことは放っておいて」

 その儚げなセリフは罪だろ。大罪だろ。放っておけるわけないだろ。そんなこと聞いたら放っておけるわけないだろ。

「ほら背中に乗れよ。背負って走るぞ。元はといえば俺が寝てたせいでこうなってるんだ。責任ぐらいとらせてくれ」

 びっくりし、一瞬キョトンとしていた彼女だったがすぐに笑みを浮かべ、背中にそこそこの重量がかかる。本人には絶対に言えないけれど地味に重い。

「よし。じゃあ行くぞ」

 二階の教室から渡り廊下を超えて、体育館へ。

 近づくだけでも、すでに式が始まってるのがわかる。マジでヤバい。

 そんな状況で彼女は満面の笑みを浮かべ楽しそうにしている。凄い肝の据わり方だ……

 体育館の入り口には少し強面の教師が立っている。絶対に何か言われるやつだ。

「やっと来たか居眠り王子。それを目覚めさせたプリンセスを背負っての登場とは恐れ入った」

 ガハハと大笑いしている先生を見て背中の重荷が何かを思い出した。超恥ずかしい。

 彼女を下ろすと、彼女もまた俺と同じ気持ちなようだ。そりゃあそうだろうな。

「とにかく式はまだ始まったばかりだから、今からなら後ろの方の席に付けば目立たないだろう。あそこの席だ」

 指を指して示された先に二人で揃って音を出さず、目立たないように向かった。

 席を目前に彼女が急にふらつき、俺に倒れ込んでいた。

 目は閉じ、見るからに呼吸が弱くなってるのがわかる。するとどこからともなく、彼女の両親と思わしき保護者が駆け寄ってきた。

「あら、大変」

 それからしばらくして彼女は数人の先生に運ばれていった。俺はそのドサクサに紛れて本来の席に着き、入学式を終えた。

 そして入学式終わりの教室ではクラスの大半が俺の下へ集結し、質問攻めにあった……

 彼女は何者なのかなどといった俺が知るわけのない質問をしてくる奴や、付き合っているのかどうかを聞いてくる惚気もいた。

 そんな地獄のような休憩時間が終わり、教室に担任の先生がやってきた。どうやら担任はあの強面教師のようだ。

「改めてはじめまして。今日からこの一年C組の担任を一年間することになる『高木康介』だ。担当科目は体育で、野球部の顧問もしているぞ。よろしくな」

 うん。多分そうだろうと思っていたが、やはり体育教師だった。あの顔と服の上からでもわかる筋肉をしていて、家庭科の教師とかだったら逆にびっくりだ。

「まず恐らくみんなが気になっているであろう彼女『菊池結夢』についてだが、彼女は生まれつき心臓が悪く、たまに倒れてしまうことがある。だからもしみんなも彼女が辛そうにしていたら、すぐに先生に知らせるように。頼んだぞ」

  もしかして彼女が倒れたのって、俺が背負って走ったのが負担になったからなのか……だとしたら……そんなことを考えると申し訳なさで一杯になる。

 その後一人一人自己紹介をしていき、ついに俺の番になってしまった。自己紹介苦手なんだよなぁ。何言ったらいいかわからなくなるし。ここは安定を取って、無難なことだけを言うか。あえて機を狙ってネタに振るか。うーむ。 

「えーと。湯浅望天です。女の子っぽい名前ですが、見ての通り男です。星とかが好きで、この学校には天文台があると聞いたので、志望してきました。よろしくお願いします」

 いろいろ考えたが結局超無難なことしか言わなかった。いや、いえなかった。

 席に座ろうとすると、後ろから「いいぞー色男」とヤジが飛んできた。いや色男じゃないんだが。彼女とか恋愛とかとは無縁だったのだが。

 どうやらヤジを飛ばした奴が俺の次の番のようだ。

「俺は高田海斗だ。よろしくな。俺も星が好きで天文台目当てでこの高校に入ったんだ。だからそっちの面でもよろしく、望天。いや色男」

  高田の言葉にクラス中がどっと笑う。だから俺は……苦笑いしかできない。でも悪い奴ではなさそうだ。どっちにしろ、同じ天文部に入ることになりそうだから仲良くしないと。

 その後は高木先生が連絡事項を伝え、そのまま帰宅となった。

 職員室の前を通ると先ほどの彼女、菊池さんの父親と思しき保護者が先生方と話していた。すると俺に気が付いたのか、深々と頭を下げられた。

 たまらず近づくと、保護者さんから「先ほどは支えてくれてありがとう。助かったよ」と。

「いえ、そんなことありませんよ。俺も助けられたので。それで結夢さんは大丈夫でしたか」

「今は休んで安静にしているよ。心配してくれてありがとう。ところで君の名前は何というんだい」

「あ、ああ。俺は湯浅望天といいます。名乗るのが遅れてすみません」

 名乗ってなかったことを思い出し、少し焦った。

「では湯浅君は何か好きなことはあるかい。おそらく聞いたと思うが娘は心臓が悪いから、少しでも見知った人が傍にいて欲しいんだ」

「そうですね。俺は星が好きです。星が好きでこの学校の天文部に入りたくて来ました」

「そうなのか。確か娘も小さいころ星の図鑑を見ていたことがあったような……今でも好きかはわからないが。天文部というと星を見るのかな。それなら体への負荷はあまりなさそうだし、娘にも提案してみるよ」

 そうして俺もお辞儀をしてその場を後にし、激動の入学初日が終わった。


 入学からしばらくして今夜は俺たちにとって初めての夜間観測だ。

 言葉通り、一晩中星を観測するらしい。ただ今日は俺たち新入部員の歓迎会も兼ねているみたいだ。

「楽しみだな。どんなことするんだろうな」

「そうね。すっごく楽しみ」

 海斗と結夢は待ちきれない様子。もちろん俺も楽しみ。

 逸る気持ちを抑えつつ、部室に行くと二人の先輩が待っていた。

 一人は椅子に座り、もう一人の先輩は寝袋に入っていた。

「おっ待っていたぞ。海斗と望天と、あと菊池さんだな。俺は部長の仲籐だ。それからこっちにいるのが」

「副部長の豊川由紀よ。よろしくね。仲籐くんとは新入生向けの勧誘式の時に会ってるから分かるわよね。私は特学クラスで、勉強が忙しくて中々部活に顔を出せていないの。それに私も仲籐くんも三年生だから猶更ね……」

 豊川先輩の言葉でしばらく静寂が訪れる。何なんだこの空気……

「あ、あぁごめんなさい。そんな変な空気にしたかったわけじゃないのよ。今日は三人にとって初めての観測会になるのだから目一杯楽しんでね。それじゃあ私は時間まで昼寝をしてるわね。ここ最近遅くまで塾だったからあんまり寝れてなくて、今日も眠いのよ。それじゃあお休みー」

 そう言うと豊川先輩は寝袋に戻り寝てしまった。

 その光景に呆気に取られていると仲籐先輩が口を開いた。

「ごめんな。特学クラスってわかるだろ。難関大学を目指してる変、失礼。すごい奴らがいるクラスの中で、豊川はトップの成績なのだが、成績維持の為にたくさん塾を梯子してるから、かなり疲れているんだ。そっとしておいてあげてくれないか」

 なんとなくで状況を飲み込む俺たち三人。

 その様子を見て仲籐先輩が口を開く。

「三人、夕食はもう買ってるのか。もしまだなら近くのコンビニに買いに行ってきなよ」

 お互い顔を一度見る。三人とも考えていることは同じなようだ。

「それじゃあ荷物を一旦おいて、買い出しに行くか。先輩は何かいるものありますか」

 鞄から財布を出しつつ海斗が言う。気の利くやつだ。

「いや、俺はもう買ってるから大丈夫。ありがとうな」

 いえいえと返す海斗。最初は色々思うところもあったが、関わってみると、案外いい奴だ。

 そうこう言っていると全員で駆ける用意が出来たようで、さっそく下駄箱へ向かう。そして三人でコンビニへ。これぞ「青春」という感じがする瞬間。

「菊池さんは何を買うの」

 コンビニへ着き、各々が思い思いの物を買う中、ふと菊池さんに聞いてみた。

「私。私はそうね……サンドイッチにするわ。それとこのおにぎりも買っておけば、夜もしもお腹が空いても大丈夫よね」

 そう言って手に取っているのはハムとレタスのサンドイッチと梅のおにぎり。ザ王道だ。

「湯浅くんは何を買うの」

「俺は……そうだな。このスパゲッティかな。俺スパゲッティ好きなんだ」

「へぇそうだったんだ。知らなかったよ」

 そんな他愛もない会話をしつつ会計を済ませ、外で海斗を待つ。まだ五月なのに少し暑い。

「今日の観測会、どんな感じなんだろうな。楽しみだな。どんな星が見れるか、今から楽しみだよ」

「今日見れる星はねぇ……」

 そう言いつつ菊池さんはポケットからスマホを取り出し、少し触ると画面を見せてきた。

 そこには今日この時間にどの方角を見れば、どの星や星座が見れるかを教えてくれるアプリの画面だった。凄い。

「そういえば菊池さんは好きな星や星座はあるの。よかったら教えてよ」

 そうねぇと少し考え込む。そんなガチで考えてほしかったわけではないのだけど……

「北極星。私北極星が好きだわ。北極星は昔名乗りを、常に北から見守り続け、正しい進路へ導いてきた、そんな導きの希望の星。私もそんな希望の導き手に成りたいわ。そういう湯浅くんの好きな星や星座は何」

「俺の好きな星はシリウス。おおいぬ座の中で一際輝く恒星で他を寄せ付けない輝きで周りの星を包んでいる。そんな星が俺は好きだ」

「ふふ、湯浅くんって結構ロマンティストで詩的なことを言うのね」

「菊池さんだって」

 そう言い、少しの間をおいて同時に二人で笑った。

「おっ楽しそうだな。なんの話だ」

 買い物を終えた海斗が袋一杯のお菓子とジュースを持って戻ってきた。パッと見た限り夕食と言えそうなものを買っている様子はない。まさかこいつ、お菓子を夕食代わりにする気じゃないだろうな……

「いやぁね。好きな星について話していたら、紹介の文言がお互い凄く詩的だったのが面白くて」

 思い出すとまた笑いが込み上げてくる。いけないいけない。そろそろ落ち着こう。

「お、おう。そうか。じゃあ部室に戻ろうぜ」

 それから部室へ戻り、仲藤先輩や途中から来た先輩たちと話ながら夜を待った。

「みんな揃っているかな」

 顧問の内田先生が入ってきた。ついに観測会が始まるのだろう。

「まず初めに新入部員の三人に自己紹介をしてもらおうかな。名前と好きな星座や星と一言をどうぞ」

 何も聞かされていない俺たち三人。三人でキョトンと目合わせをした。どうするんだこれ。

「俺は高田海斗です。好きな星は……プレアデス星団です。よろしくお願いします」

 おー海斗が先陣を切った。そういうところは凄いと思うし頼りになる。

 よし、次は俺が――

「私は菊池結夢です。よろしくお願いします。好きな星は北極星です。私は体が弱いので、ご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、何卒よろしくお願いします」

 ヤバい、最後になってしまった。こういう自己紹介の場で最後はすごく気まずい……

「えーと湯浅望天です。好きな星はシリウスです。よろしくお願いしましゅ」

 噛んだ。最後の最後で噛んでしまった。

「それじゃあ今日やるのは、新入部員向けに望遠鏡の使い方と、天文台の使い方を覚えてもらおう。すぐには覚えられないと思うけれど、先輩たちのやっているのを見て覚えてほしい。それじゃあ屋上に移動しようか」

 普通に噛んだことはスルーされて、何事もなかったかのように移動が始まった。いじられなくてよかった……

「最後微妙に噛んでたよな。クススス」

 海斗だけはいじってきた。やっぱり聞こえていたか……

 屋上に移動して望遠鏡の組み立て方法と使い方を仲藤先輩から教えてもらい、豊川先輩から天文台の操作方法を習った。

 望遠鏡で見る星は、写真で見る星よりも、なぜか綺麗に見えた。

 そうして観測開始から四時間が経過、現在午後一一時。

「そろそろ時間も遅いから眠い人は下の教室に戻って寝ていいからね」

 内田先生が事実上の解散指示を出すと先輩方は屋上を後にした。

残ったのは俺たち三人と仲藤先輩と豊川先輩の五人だけだった。

「三人も眠いなら戻って良いんだぞ」

「いえ、俺たちはまだ星を見ていたいので、ここに残ります」

 海斗の言葉に俺と菊池さんは首を縦に振り、同調した。

「私たちも一年の時、最初の観測会では遅くまで起きて、星を見ていたよね」

「ああ、そうだった。先輩から『あの先生は良い先生だ』とか『この先生は厳しいからクソ』とかそんな話も聞いたりしてた……楽しい時間、楽しい思い出。俺たちはもう三年だし受験で忙しくなるから、観測会に参加できるかわからなくなるんだよなぁ」

「あー受験嫌ー、こうやって高校生のまま、天文部の一員のまま一生を過ごしたいわねー」

 豊川先輩が子供のように駄々をこねている。三年になると俺たちもこうなるのだろうか。

 それからしばらく先輩から過去の観測会のことや、この学校の先生のことを色々教えてもらった。

 楽しそうに話す先輩からはどこか寂しく名残惜しいような、そんな雰囲気を感じた。

 現在午後二五時、もとい午前一時。さすがに海斗も菊池さんも眠そうにしている。そろそろ教室に戻って寝よう。

「それじゃあ俺たち戻って寝ます。おやすみなさい。観測頑張ってください」

「おう、お休み」

「私もそろそろ寝ようかしら。お肌の維持の為には良質な睡眠が必要だからね……」

「肌のゴールデンタイムは十時から二時だろ。もう手遅れじゃないか」

「細かいことはいいの。とにかく私は寝るの。おやすみ」

 豊川先輩と眠そうにしている二人の四人で、屋上から階段を下りる。

「遅くまで私たち二人の話に付き合ってくれてありがとう。今後あまり頻繁には活動に参加できないけれど、一年間よろしくね」

 先輩二人のちょっとした思い出に花を添えることが出来たなら嬉しいな。


 初めての夜間観測を終えて約半年が経ち、今日は待ちに待った文化祭、その二日目。

 天文部でも今までに撮られた星や星座の写真、そしてテーマに沿って各部員が調べたことを模造紙に書いた展示を行っている。

 今年のテーマは「天文と古代文明」について。

 俺はエジプト文明とシリウスについてまとめた。

 エジプト文明では、冥界の神オシリスはシリウスで生まれたとされ、またナイル川の氾濫を予知するための印としてシリウスをとても大事な星と位置付けていた。最近の研究だとシリウスの周りには白色矮星という惑星の燃えカスがいる。そしてシリウスという名前はギリシャ語で「焼き焦がすもの」という意味らしく、興味をそそられることが続々と出てきた。

 今回模造紙を提出した部員の中で二番目に文量が多くなってしまった。だが、仲藤先輩は「マヤ文明と星々」について調べて俺の倍以上の文を書いていた。凄すぎる……

 昨日は受験を控えた中学生の他、地域の小学生や高齢者が大勢来た。先輩たちは「今日も昨日と同じぐらい来るだろう」と予想している。

 今日は午後の一時から二時までの時間、展示室の受付と案内の仕事をしないといけない。

 同じ時間菊池さんも手伝いに入ってくれている。心強い。

 そんなこんなで時間になり、受付の席に座ってお客さんを待つ。正直暇だ。先輩が言っていたほど、今日はお客さんが多くないようで、暇だ。

「菊池さんはお昼何食べた。というかお昼何か食べた」

「お昼はうちのクラスが出してる出店のスープを食べたよ。アイントプフってやつ。美味しかったよ。湯浅君は何か食べたの」

「俺。俺は……」

 言葉に詰まった瞬間、お腹がグゥーと鳴った。

 その音を聞いてすべてを察したかのように、菊池さんは話題を変えた。正直このままスープの話をされると、空腹を抑えられなかった。

「そういえばそこに飾ってある写真は、湯浅君が夏休みに旅行先で撮ってきた写真だよね。凄いなぁ。私も海外で星を撮ってみたいな」

 菊池さんが指を指した先には、夏休みにテキサスへ行った際に撮った星の写真が飾ってあった。

 確かに綺麗だが、実物を俺は知っているからこそわかる。実物はもっと綺麗だと。

「実物はもっと綺麗だからいつか……いつか一緒に見に行こう。約束」

 菊池さんは一瞬驚き、考え、「でも」と言いかけたが黙り、すかさず言葉を改めた。

「いいよ。一緒に行こ。でも行くからにはしっかりとエスコートとナビゲートしてもらうからね」

 こういう言葉遣いと目線、表情を小悪魔的というのだろう。

 俺は初めてこの菊池結夢という人を、一人の女の子と認識した気がする。

 何も言えず固まっている俺を見て菊池さんは笑い出した。

「冗談だよ、冗談。本気にしないで。そもそも私は心臓が弱すぎて、飛行機を使った長距離移動に耐えられないから」

 そういえばそうだった。彼女の体は弱い。でも弱いからって諦めさせるのはかわいそうだ。

「いや、絶対に連れていく。一緒に星を見よう。約束だ」

 そして互いに小指を出した。約束のまじない。決して忘れず、違えない約束のまじない。

 まじないを終え、俺たち二人は笑った。なぜかわからないけれど笑いたかった。お互いわかっていた。この約束を果たすことが簡単ではないだろうし、おそらく果たすことはできないだろうと。それでも夢が見たかった。もしも二人で、皆で一緒に綺麗な星を見に行くことが出来たらなと。

 笑っていると急に菊池さんが苦しそうに胸を抑え始めた。息が極端に早く、荒くなっている。

「菊池さん、一度落ち着いて。息をゆっくり吸って。ゆっくり」

 ゆっくり呼吸をするように言い、落ち着くまで見続けた。そして落ち着いたのを認め、保健室へ連れて行った。

 保健室の先生からは「よく過呼吸を落ち着かせる対応ができたね。よくやった」と褒められた。少し嬉しかったが、当たり前のことをしただけだし、大切な友人の一大事なら助けてあげないと。

 それから受付の仕事を全うし、文化祭は終わった。放課後、片づけが終わったら、保健室行こうと思っていたが、思いのほか片付けに時間がかかり、下校時刻になってしまった。様子を見に行けなかったことが気がかりだが、仕方ないので下校した。

 

 三年生、受験を迎える俺たちにとって事実上最後の夜間観測の当日。

 海斗は親から受験勉強に集中するように言われ、参加できていない。さすがに不憫でならない。

 参加者は俺と菊池さんのほかに後輩が数人。その中には今年から入った新入部員もいる。

 新入部員に、俺は望遠鏡の組み立て方と使い方を、菊池さんは天文台の操作方法を教えた。とても既視感のある構図だ。これも縁なのか。

 そして既視感があるかのように、夜が深まる時間まで残ったのは俺と菊池さん、そして新入部員たちだった。

「もう部活も終わりかぁ。これから受験勉強か……気が滅入りそう……」

「そうだね。でも湯浅君は天文学を学べる学校に行くんでしょ。合格出来たら、その先は本当に楽しい時間が待ってるじゃない。私はたぶん合格出来ても、今までのように病院通いは変わらないから、大学生生活は楽しめなさそう」

 菊池さんの言葉によってしばらくの静寂が訪れる。どうしようもない問題だけに、どう言葉をかけるのが正解なのか、俺にはわからない。

「そんな悲しくなるような話は止めて、もっと楽しかったことを話そう。部活の思い出。昔先輩たちがしてくれたような、そんな楽しかった思い出を話そうよ」

 それから菊池さんと二人で、後輩たちに色々話をした。

 昔仲藤先輩や豊川先輩がしてくれたような話を。楽しく懐かしい学校の思い出たち。後輩に伝えることで思い出が大切な記憶へ昇華されるような素敵な時間が過ごせた。

 夜も更け、遅くなったので、後輩たちを寝るように伝え、教室へ返した。

 そして屋上には俺と菊池さんの二人だけが残った。

「ねぇ湯浅君。背中貸してくれない」

 そう言うと菊池さんは、俺の了承を待たずに背中合わせに凭れ掛かってきた。ほんのり暖かく、そして思い出す、入学式の時の重み……

「高校の三年間、楽しかったわ。この天文部で過ごした時間、海斗君や湯浅君と紡いだ日々の学生生活。最高だったわ。病院のベッドにいたら経験できなかった、かけがえの無い時間だったわ。本当にありがとう」

 その言葉には儚くも力強い、そんな意思が乗ったものだった。初めて会った入学式の時に見た表情に似た、消えゆく星のような、ある種の諦めの混じったもの。だが今の菊池さんには諦めの中に、希望や未来への渇望のようなものも秘めた、そんな言葉だった。

 そんな彼女の言葉に俺は一言「そうか、ならよかった」と返し、しばらく間を置き、続けた。

「俺もさ、楽しかったよ。菊池さんや海斗、それから部員の皆やクラスの皆と過ごした高校生活。でも、一番楽しかったのは、こうして夜に気の合う仲間といつまでも、いつまでも星を眺めているこの時間だったよ。今でも心のどこかで願ってるんだ。『この時間を切り取っていつまでも保存出来たらな』って。それだけ大好きなんだ。ここの皆と星を眺めるこの時間が」

 それからまたしばらく静寂が訪れた。でもこの静寂は気まずさからではない。この大事な時間を噛みしめるための、そして受験という現実を受け入れるための時間。きっと菊池さんもそうだろう。

 急に背中の圧力が消えた。「菊池さんもそろそろ戻るのだろう」そう思っていた次の瞬間、穏やかな温もりが背中を多い、菊池さんが「今までありがとう。湯浅君と最初に友達になれて、とても幸せだったわ。これまで本当に、ありがとう」そう耳元で囁いた。

 俺はそれを何も言えず、ただ聞くことしかできなかった。

「それじゃあ私寝るね。お休み。湯浅君も観測はほどほどにねぇ」

 そう手を振りながら去っていく菊池さんの姿は、どこか切なかった。


今日は悲しくも喜ばしい卒業式。クラスの皆は各々感情を爆発させて、この日を迎えていた。

「望天ぁ写真撮ろうぜ。ほら笑って、笑って」

 いつも通りの調子で海斗が絡んでくる。不思議と海斗の存在が、俺の中の緊張のようなものを解いてくれた気がした。

「結夢、残念だったよな。卒業式直前に体調を崩すなんて。望天、よかったら後で一緒に見舞いに行かないか」

「いいね。そうしよう」

 友人たちとの最後の交流を楽しみ、惜しみつつ別れ、海斗と共に菊池さんのいる病院へと向かった。

 病院へ着くとすんなり病室へ通され、対面した。

 入ると、窓から風が吹き込み、白いカーテンを揺らす。そして桜咲く外を眺める儚げな少女がいた。

「よう。元気……ではないよな。これクラスの皆から卒業祝いにって預かってきた物だ」

 海斗が手渡したのはクラスの皆からの言葉の書かれた寄せ書き。海斗が提案したものだ。やっぱり海斗は良い奴だ。

「ありがとう。最後の場に居れなかったから、忘れられてるんじゃないかと不安だったんだぁ。でもよかった。すごくうれしい」

 わざとらしく笑う菊池さん。そして言葉を続けた。

「ねぇ海斗君。少し外してくれないかな。しばらく湯浅君と話がしたいの。お願い」

 その言葉を聞き、海斗はくるりと周り、俺の肩に手を掛け「頑張れよ」と一言言って部屋を出て行った。


 その後、菊池さんが話した言葉を聞く前に意識が薄れ、目が覚めてしまった。

 目が覚めると、目元が濡れていた。

恥ずかしさから、ポケットのハンカチを取り出して、目元を拭う。

 その時一枚の紙が、足元にひらひらと落ちた。

 その紙を拾い上げると、そこには一言「ありがとう」の文字が書かれていた。

 そして心の底から涙が溢れた。





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