20XX.12.24 幸せな人生を!

 今日はクリスマスイブ。

 お客さんの会計の時に、あたしの作ったプチギフトを渡した。

 タナベさんは、「今日のおやつにするよ」って笑顔になって。

 ローズさんは、「ヤダ嬉しい! すっごいかわいいんだけどー!」って全力で褒めてくれて。

 エンドウさんは、「ありがとうございます」って普通に受け取ってくれて。

 ちらほら来た他のお客さんにも好評で、あたしはすっごくホッとした。頑張って用意したものだし、やっぱり喜んでもらえると嬉しい。


 たくさんの人の笑顔。コーヒーのいい匂い。綺麗にできた厚焼き玉子のサンドイッチ。

 楽しい、とっても楽しい一日だった。

 これが最後だなんて、ぜんぜん信じられない。



 営業時間が終わって、片付けタイム。

 いつも通り明日の仕込みをするマスターに、あたしはできるだけ自然な感じで声をかけた。


「あのー、マスター、ちょっといいですか?」

「うん、どうしたの」

「実はマスターに渡したいものがあって」


 と、エプロンのポケットに入れてあったものを差し出す。昨日見つけた、クミコさんの忘れ物。

 それはちょうどあたしの手のひらに載るくらいの、綺麗にラッピングされた小さなプレゼントだった。


 マスターはほんのわずか、困ったような顔をした。

 そりゃそうだ。でも。


「これ、クミコさんからです」

「……え?」


 マスターの戸惑いが、別の種類のものに変わる。


「これを、どこで?」

「バックヤードを整理してる時に、たまたま見つけたんです。マスターに渡しそびれちゃったのかなって思って」


 プレゼントを手に取ったマスターは、丁寧にリボンと包装紙を解いてく。

 中から出てきたのは、シンプルなデザインのネクタイピン。

 いつもネクタイ姿でお店に立つマスターにぴったりだ。


 綺麗なメッセージカードも添えられてる。

 そこに何と書いてあるのか、あたしは知ってる。


『メリークリスマス!

 幸せな人生を! 久美子』


 それだけ。たったそれだけの想いが、時を越えてきた。

 クミコさん。塵芥毒に身を冒されて、辛かったに違いないのに。

 きっと、きっと、もっと生きて、やりたいことだってたくさんあっただろうに。


 ——クリスマス、楽しみね。


 最期の最期に彼女が願ったのは、ただ一つ、愛する夫の幸せだった。


 マスターは小さく洟をすすった。


「クミコの字だ、間違いない。リンカさんが見つけてくれなかったら、ずっと気づかないままだったよ。ありがとう」

「良かったです。素敵な奥さんですね」


 知ってたよ。二十二世紀から、ずっと憧れてた。本当に素敵なご夫婦だった。

 ちゃんと渡したよ、クミコさん。

 なんでだろ、あたしまで嬉しい。まるで自分のことみたいに。


 時刻は午後七時。あたしのタイムリミットまで、あと一時間。

 さあ、ちゃんと伝えなきゃ。

 お別れの言葉を。


「あの、マスター。もう一つ、話さなきゃいけないことがあるんです」

「なんだい?」


 ねえ、本当に? 未だに嘘みたいなんだけど。


「ええと……あの、ちょっと急なんですけど、あたしこれからしばらく帰らなきゃいけなくなっちゃって」

「帰るって……うん?」


 そうだよ。あたしに帰る場所なんてないのに。


「事情があって詳しいことは話せないんですけど、すぐ帰らないとかなりマズい感じで」

「そう、なんだ?」

「はい……ごめんなさい、明日ケーキ食べるって約束したのに」

「……いつ、戻ってくるの?」

 

 時空転移装置タイムマシンの実用化計画は中断。

 一般市民の自由なタイムトラベルが実現するのなんか、いつになるかも分からない。


「あの、できれば早くって、思うんですけど……」


 笑おうとして失敗した。

 言葉が続かなかった。

 帰りたくない。ずっとここにいたい。

 空が見えて、不便で、自由で、キラキラして、いい匂いがして、おいしいものがあって、大好きな人たちがいる、大事な大事なあたしの居場所。


 こぼれてしまった涙を拭う。でもすぐに、ペンダントライトのオレンジ色が滲んで広がってく。

 あったかい光の乱反射する中で、マスターがそっと静かに微笑んだ。


「リンカさん、何か僕が力になれることはあるかな」


 優しい声が、じわじわと心を震わせていく。

 だから、ついわがままを言ってしまう。


「ほんとは、ここで働きたいです、もっと、ずっと」

「……またいつでも戻っておいで。ケーキも、その時に食べよう」


 ぱぁっと光が弾けた。

 いつでも戻ってこられる。

 ここはあたしにとって、そういう場所なんだ。


 あたしは無理やり、くしゃくしゃの笑顔を作った。


「はいっ……! あたし、絶対に戻ってきます。一つだけお願いがあるんですけど——」




 こうして、二十歳のあたしの『純喫茶アポロ』での勤務は終わった。

 フェイスシールド越しに見上げた空からは、ちらちらと粉雪が降り始めてた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る