20XX.12.16 誰かのいなくなった穴を埋めることなんてできないから。

 外側の扉の開く小さな音がした。あたしの背筋に緊張が走る。

 続いて内側の扉についたドアベルがカラン、と鳴りかける。その間たったの十秒。このスピーディーさによって、ターゲットが来店したことをあたしは確信した。


「ッらっしゃいませぇー!」

「いらっしゃいませ」


 今日はマスターよりあたしの方が早かった。

 姿を見せたその人は、ちょっぴりギョッとしたような顔をした。


「な、なんか……リンカちゃん、やけに気合い入ってない?」

「そんなことないです、いつも通りですよ、タナベさん」


 そう、ここ『純喫茶アポロ』の上得意、タナベさんだ。今日も社名入りの作業着で、クマさんみたいなかわいらしい風貌で、お馴染みのカウンター席に着く。


「いつもので?」

「いつもので」


 よっしゃ、来たァー!

 マスターとタナベさんの短いやりとりを聞いて、あたしは心の中でガッツポーズを取った。もちろん表情にはちょっとも出さずに、スンッとした様子を装ってお冷とおしぼりを運ぶ。


 マスターがコーヒーを作り始める背後で、あたしはサンドイッチを準備し始める。前もって作ってあった厚焼き玉子サンドを、それはそれは丁寧に皿へと並べる。よし、今までにないくらい完璧な角度だ。

 淹れたてのコーヒーとサンドイッチをトレイに載せて、タナベさんのテーブルへ置いた。


「お待たせしました」

「おっ、ありがとう」


 何も知らないタナベさんは、まんまとサンドイッチに手を伸ばす。それをあたしはじぃっと見つめる。


「え、えっと……リンカちゃん、どうしたの?」

「いえ、何でもないです。続けてどうぞ」

「えー、いいけどさぁ、何か気になるんだよ」

「気にしないでください」


 カウンターの奥でマスターが笑いを噛み殺してるような空気感がある。あたしは知らんぷりして、タナベさんが厚焼き玉子サンドを齧る様子を見守った。


「どうですか」

「えっ?」

「どうですか、サンドイッチ」

「どうって……いつもと一緒で美味しいけど」

「いつもと一緒?」

「うん」

「いつもと一緒ぉ! いただきましたー!」


 振り返って見たマスターは、何とも言えない苦笑いをしてる。


「リンカさん、気持ちは分かったけど、タナベさん引いてるから」

「だってー! もう、超ドキドキしたんですから!」

「えっ、えっ、結局どういうこと?」


 一人置いてけぼりみたいなタナベさんに、あたしはわけを説明した。かくかくしかじか。


「あー、なるほどね。このサンドイッチ、リンカちゃんが作ったんだ。うん、文句なしに最高だよ。それなら最初から言ってくれたらよかったのに」

「最初からバラしたら、タナベさん絶対お世辞言ってくれちゃうじゃないですか」

「そんなことないって。おじさん本当のことしか言わないよぉ」


 調子のいい発言はともかく。

 タナベさんにお墨付きをもらったら、今後あたしが厚焼き玉子サンドを作る。マスターとはそういう約束だったんだ。


「あれっ、よく見たらポインセチアも全部完成してるし。いい感じに飾れたね。なんか上手く言えないけど、良かったなって思うよ」

「えへ、ありがとうございますー!」


 『良かった』。

 その意味を、あんまり深く考えないようにする。誰かのいなくなった穴を埋めることなんてできないから。

 だけど、あたしのしたことを喜んでくれる人たちがいる。それだけは確かな真実なんだ。


「よーし、僕も頑張るか!」

「頑張ってください! 何でしたっけ、タイムマシン作ってるんでしたっけ?」

「あはは、それはただの夢! お国からいただいたお仕事をやらせていただいてますよー」


 そっか、夢かぁ。

 夢はいつか叶うよって、伝えられたらいいんだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る