20XX.12.18 いつも通りっていう平穏が大事だって人も、いるんだろうな。
エンドウさんが。
なんと、普通にご来店した。本気で何事もなかったかのように。
今日も静かに、一番すみっこのテーブル席に座って文庫本を読み始めてる。
あたしはマスターと目配せしてから、お冷とおしぼりをエンドウさんのテーブルに置いた。もちろん、細心の注意を払って。
「あの、先日は本当にすみませんでした。またお越しいただけて良かったです」
「いえ」
「えっと、ご注文はいつもの水出しアイスコーヒーとプリンでよろしいですか?」
「はい」
いつも通り、最低限のやりとりだけ。
怒ってる? 怒ってない? ぜんぜん分かんない。
カウンター奥に戻って、コーヒーを作り始めたマスターとひそひそ話する。
「何かサービスで出したりした方が良くないですか?」
「いや、いつも通りでいいんじゃないかな。普通だったでしょ」
「そりゃいつも通り普通でしたけど……その『いつも通りの普通』の状態でぜんぜん顔色が読めないからこそ困ってるんですよー」
マスターは冷蔵庫の中からピッチャーを取り出し、グラスに綺麗な氷を入れて、コーヒーを注いだ。いい香りがふわっと広がる。
「変に特別なことをすると、今度こそ来づらくなると思うよ」
「そういうもんですか?」
「うん、そういうもの」
念のため、右のこめかみを確認する。ちゃんと定期通信も済ませてあるし、今日は大丈夫。
当店自慢の水出しコーヒーとプリンを、今度こそ気をつけてゆっくり運んで、エンドウさんのテーブルへと丁寧に置く。
「お待たせいたしました」
「いえ」
エンドウさんの視線は文庫本からわずかに逸らされたけど、特に目が合うわけじゃない。これもいつも通り。
あたし自身は、毎日違うことが起きても楽しいし、いつでも新しいことを見つけたいし、クリスマスが近いならかわいく飾りつけしたいと思う。よく行くお店で何かサービスしてもらったら、ラッキーまた行こ!って思うタイプだ。
だけど。いつも通りっていう平穏が大事だって人も、いるんだろうな。
何事もない日常こそが尊いってこと。
あたしもこの時代に来て、なんとなく分かるようになった。
エンドウさんはいつも通りゆっくりコーヒーを飲み、ときどきプリンを食べながら読書して、グラスが空になったころに本を閉じて席を立った。
あたしがレジ対応に入る。
彼はいつも通りスマホのコード決済アプリを立ち上げかけて、小さく「あ、」と声を上げた。
「……このチケット、いいですか」
スマホの代わりに差し出されたのは、前回お渡ししたレトロな紙製のコーヒーチケットだ。
「あっ……はい! もちろんです! ありがとうございます!」
「ごちそうさまでした」
エンドウさんはやっぱりいつも通り小さな声でそう言って、帰っていった。
よ、良かったーー!
カランコロンと音を立てて閉じた扉の内側で、あたしの飾った赤いリースがきらきら揺れてた。
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