20XX.12.3 ちゃんと生きてるって感じがするよね。

 『純喫茶アポロ』には、常連のお客さんがちょいちょい来る。

 平日のお昼によく来店するタナベさんも、その一人。

 誰か店に入ってくる時は、まっさきに一番目の扉の開く重い音が聞こえるんだけど。そこから二番目の扉が開くまでのインターバルがだいぶ短めなのが、タナベさんだ。


 カランコロンとドアベルが鳴ると同時に、マスターが深い声を響かせる。


「いらっしゃいませ」

「らっしゃいませー!」


 あたしもそこに高い声を重ねる。最初のころは「居酒屋みたいだよ」ってマスターからツッコまれたけど、今はもう何も言われなくなった。


「あー、本降りになる前に出てこられて良かったー! えっ、何それクリスマスツリー? リンカちゃんが飾ったの? いやーやっぱ若い女の子がいると違うねぇ。パーッと華やかになるもん。ねっ、マスター」


 入ってくるなりマシンガントークしながら、カウンターの定位置に座ったタナベさん。作業服姿の五十代くらいのおじさんで、近くの町工場の社長さんをやってるらしい。


 あたしはお冷とおしぼりを出す。


「タナベさん、今日もいつものですか?」

「うん、いつもので」


 タナベさんの「いつもの」は、スペシャルブレンドと本日のサンドイッチだ。


 マスターは、サイフォンのフラスコに入れた水を熱し始めた。こぽこぽと、沸騰したお湯が下のフラスコから上のロートに昇ってく。

 タナベさんは、サイフォンの様子をじいっと真剣なまなざしで見つめてる。

 あたしは、あらかじめタナベさん用に準備してあったサンドイッチを皿に盛りつける。今日は厚焼き玉子サンドだ。


 あぁ、コーヒーのいい匂いがしてきた。


 マスターが熱湯に浸かったコーヒー粉をヘラで軽く掻き混ぜる。ロートの中身はだんだんと、泡、粉、琥珀色の液体っていう綺麗な三つの層に分かれてく。

 火が止められる。しばらくすると、抽出されたコーヒーがロートからフラスコへと落ちてくる。

 最初は透明だった水が、ロートに昇って降りてくると、コーヒーに変身してるんだ。なんだか魔法みたいでおもしろい。


 タナベさんがサイフォンをうっとり眺めながら言う。


「やっぱりこの瞬間がいちばん好きなんだよねぇ」


 マスターがカップにコーヒーを注ぐ。あたしはそれをトレイで受け取って、サンドイッチの皿を隣に載せて、タナベさんの席まで運ぶ。


「お待たせいたしました、スペシャルブレンドと厚焼き玉子サンドです」

「ありがとう! リンカちゃん、マスターと息ぴったりじゃん。もう長年勤めてるみたいだよ」

「作ってあったやつを皿に置いただけですよ。ごゆっくりどうぞ!」


 タナベさんはふくふくした両手をきっちり合わせて、丁寧に「いただきます」と言う。


 この厚焼き玉子は、本当に厚焼きだ。二センチくらいあるかもしれない。あたしも時々まかないで食べるけど、ふわっふわで甘くてからしマヨネーズが効いてて、最高のサンドイッチなんだ。

 タナベさんも美味しそうに頬張って、当店自慢のスペシャルブレンドに口をつけてる。


「なんか、ちゃんと生きてるって感じがするよね」


 同感。外がどれだけ厳しい世界でも、このお店の中はふんわりあったかい。

 あたし、コーヒーはぜんぜん分かんないけど。

 お客さんが幸せそうにコーヒーを飲む顔は好きだなと思う。

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