伊勢志摩ダンジョン懲役5年 ~24時間1827日、世界最高難度のSSSランクの迷宮に服役していた男に復讐系ヒロインは興味津々のようです~
一ノ瀬るちあ@『かませ犬転生』書籍化
第1話 建造物損壊罪(ダンジョンコア)
ダンジョン大国、日本。
この小さな島国では、迷宮内部の攻略状況を探索者がリアルタイムに映像を提供する娯楽が流行していた。
いわゆる、ダンジョン配信というものだ。
数多の探索者が名声と収益を求め夢を追いかけ、小学生の将来なりたい職業ランキング1位がダンジョン配信者になった時代。
脚光を浴びる彼らの裏で、人知れず渦中に身を置く者たちがいる。
ダンジョン協会特務通信整備局、通称SCMBだ。
◇ ◇ ◇
「納得いきません」
副都心の高層ビルのとある会議室で、一人の女性が怒りをあらわにしていた。
名前は
小柄な体躯も相まって、激昂してなお可愛らしいが勝る女性だった。
彼女がナチュラルなショートボブをはらりと揺らし、机を叩くように立ち上がる。
「どうして私が異動なんですか」
彼女は東京渋谷にあるダンジョン探索者を支援する部局で、1年と半年ほど前から受付嬢を生業にしていた。
その愛らしい容姿と探索者受けする愛嬌で評判はすこぶるよい。
ひと月ほど前には新進気鋭の探索者パーティからも新たにひいきにされ、まさに飛ぶ鳥落とす勢いの業績を上げる、いま一番熱い受付嬢だった。
ではなぜ、それほど優秀な彼女が、納得のいかない部署への移動を命じられているのか。
その説明を求められた彼女の上司は、嫌な役目だと内心でため息を吐く。
「君の担当探索者が迷宮で負傷しただろう?」
来宮祝莉は小さく首肯する。
唇を少しとがらせた、不服を申し立てる一歩手前の臨戦態勢でだ。
「その探索者がな、『あんな危険な魔物が出るなんて知らなかった。事前に説明しなかった受付嬢の過失だ』と主張していてな」
「はぁ⁉」
来宮祝莉は激怒した。
「私はきちんと説明しました!」
「わかっている。君が職務と誠実に向き合ってきたこと、上司だから知っている」
「だったら何故!」
彼女の上司は言いづらそうに頬をかいた。
言ったら激昂するだろうなとも思った。
しかし言わなければ言うまで解放されないことも予想できたので、しかたなしに上の決定をそのまま伝えることにした。
「彼ら、将来有望だっただろう? 他国から引き抜きの要望が多数寄せられているんだ」
来宮はおおよその事情を正しく把握した。
しかし決めつけはよくないと思い、続きを促す。
「それで?」
「いずれトップ層に至るだろう。そんな人材を失うのは国益の損失だ。不興を買う決断は下せなかったんだ」
しかし、わずかな期待さえも裏切り、返ってきたのは予想通りの回答だった。
冷ややかな感情が凝結し、一滴の雫となって臓腑に落ちた。胃の底から胸へと青色の感情が込み上げて、鋭利な言葉となって吐き出される。
「だから私を斬り捨てると?」
上司はただ一言、「すまない」と謝罪の言葉を口にして、頭を下げた。下げ続けた。
彼女が次のリアクションを取るまで、ずっと。
来宮は理解していた。
彼女の上司がただのメッセンジャーであることを。
決定を下したのはさらに上層部の人間で、彼を責めたところで暖簾に腕押し糠に釘、無意味で無意義な抵抗だと。
屈辱だった。
大学を卒業し、晴れて大企業に就職。
やっとの思いで掴んだ栄光だった。
そこでも慢心せずに業績を伸ばし続け、少しずつ勝ち取り、積み上げてきた誉れだった。
それが、他人の機嫌取りのために踏みにじられている。
ぐっと奥歯を噛みしめる。
口内に鉄の味がじんわり広がり、手のひらに爪が食い込むほどぎゅっと拳を握りしめる。
「こんな職場、こっちから願い下げです」
許せない。
築き上げてきたプライドは自分だけのものだ。
それを他人のために搾取されてたまるものか。
たとえ他のすべてを奪われたとしても、矜持だけは譲らない。
守り抜いてみせる。
「いままでお世話になりました」
来宮祝莉は会議室を後にした。
(見返してやる)
その手に握られているのは一通の書類。
(後悔させてやる、私じゃなく、探索者の機嫌を選んだことを。手放すには惜しい人材だったと、泣いてすがらせてやる)
書類の中身は辞令。
異動先は三重県伊勢市。
(成り上がってやる、もう二度と踏みにじられないように!)
ダンジョン教会伊勢志摩支部、特務通信整備局である。
◇ ◇ ◇
伊勢市駅からタクシーで約15分、一級河川
江戸時代に最盛を誇り、しかし陸上交通の発達とともに衰退した当時の古めかしさを残す町並みに、その根城は異色めいて居を構えていた。
6年前に突如誕生した迷宮群の一つ、伊勢志摩ダンジョンである。
その迷宮の向かいに、ダンジョン協会伊勢志摩支部、特務通信整備局はあった。
みすぼらしい建物だった。
渋谷にいたころの、連続水平窓のオフィスとは比べようもない。
木目もわからないほど真っ黒に塗り上げられた渋墨塗の、古めかしい家屋だ。
今日からここが新しい職場となる
「今日から一緒に働く
その局の局長はつなぎを着た男性だった。
毛根にひどいダメージを負っていて、視力が悪いのか牛乳瓶のような眼鏡をかけている。
まばらな拍手を送るのは局長を含めて5人。
来宮が彼らに感じた第一印象は『温い』。
悪感情寄りの出会いだった。
目がよどんでいる。覇気がない。
付加価値のために努力するより停滞を好む。
そんな競争環境から隔絶された温室のような雰囲気が、彼女のフラストレーションを刺激する。
「ご紹介にあずかりました来宮祝莉です。お仕事の手を止めてしまい申し訳ございません。続けてください。それと、引継ぎ資料の場所だけお教えいただけますでしょうか」
「あー」
職員たちが露骨に目をそらした。
疎まれている、と彼女は感じた。
理由はすぐに露見した。
「来宮くん、申し訳ないが、そういったものは無いんだよ」
「……は?」
「ここでは仕事を口伝で説明しているんだ」
なんて非効率な、という言葉をすんでで呑み込んだ来宮は自分を称賛した。
同時に、この人たちから仕事を習わなければいけない事実に強い嫌悪感も抱いた。
「……わかりました。ご指導ご鞭撻お願い申し上げます」
なんとか感情に折り合いをつけ、頭を下げる。
屈辱ではあった。
だが、彼女には時間が無かった。
成果を出し、失った栄光を取り戻すために、足踏みをしている時間などは無いのだ。
そんな態度が失敗だった。
ここの職場の人間は、そもそも怠惰なのだ。
2時間で終わる仕事をどうやってだらだらと8時間費やすかを考えている人間なのだ。
彼女のように仕事熱心な態度は、軋轢を生むだけ。
何もかもが異なる環境。
いままでのノウハウが通じないことに来宮は強く戸惑った。
「仕方ないか」
局長が観念したようにぼそっとつぶやいた言葉を、彼女は聞き逃さなかった。
「実はこの局にはもう一人職員がいてな。彼を付けるから、彼から好きに学ぶといい」
来宮は眉をひそめた。
「あの、その職員はどちらに?」
「ダンジョン」
一縷の希望を見出した気がした。
なるほど、道理だ。
特務通信整備局、SCMBの仕事はダンジョン内のインフラ整備。
つまりダンジョン内部こそ本当の仕事場であり、すでにそこにいる人物はよほど仕事熱心な人間であると推測できる。
この職場に来て、初めて敬意を抱けるかもしれない相手。
局長はおもむろにスマホを取り出すと、誰かに連絡を取った。
おそらく通話の向こうの相手が、この職場の最後の一人。
「『もしもし? 今日からうち勤めになった新人、お前につけることにしたから。……仕方ないだろう。引きかえしてきてくれ』。来宮くん、帰還魔法ですぐ来ると思うから少し待っていてくれ」
「承知いたしました」
どんな人が来るのだろう。
果たしてその答えは、本当にすぐ現れた。
絶句。
来宮祝莉は言葉を失った。
「えー、どうも。伊勢志摩SCMBの
ぼさぼさの頭、くたびれたTシャツ。
目の下には特大の隈があり、何故か足は裸足。
第一印象は寝食を忘れて何かに没頭し、それ以外を蔑ろにするタイプの人間。
おおよそ清潔感からは程遠い人物が、興味関心の湧かない様子で来宮と向き合っている。
「あー、まあ初見は面食らうだろうが根はいいやつだ」
あっけにとられていた来宮が平静を取り戻したのは、局長のそんなフォローが入ってようやくだった。
すぐに得意の営業スマイルを張り付けると、何前何万回と繰り返した所作で挨拶を返す。
渋谷支部にいたころにも、奇異な探索者とはかかわってきていたのだ。
その延長線にいる人物と思えば、この職場で唯一仕事に熱心であることを思えば、どうということはない。
「はじめまして、志葉さん。渋谷支部探索者支援局から転属となりました来宮祝莉と申します」
彼女が挨拶を返し終えるや否や、志葉と名乗った男性が、ようやく彼女を正しく視認した。
視界に映っていた取るに足らない存在から、明確に興味関心の対象へと切り替える。
「渋谷支部……? エリートじゃないですか。どうしてこんな部局に? あ、いえ。これは決してパワハラではありません。口を滑らせました忘れてください」
しかも、どうやらきちんと線引きができるタイプであるらしい。
この時点で来宮の中で志葉という人物に対する印象は、かなり上方向へと補正された。
「これはできれば答えてほしい質問なんですが、正気ですか? こっちの方が安全ですよ?」
人差し指で職場の床を指し示しながら、志葉は来宮に問いかけた。
来宮は笑顔で答えた。
「問題ございません。学生時代は渋谷ダンジョンを3層まで攻略しています。それに、ぜひ志葉さんから仕事を学ばせていただきたいです」
来宮は暗に、ここにいるやる気のない職員に指導を受けるのはごめんだと伝え、志葉はバツが悪そうに顔をしかめた。
「まあ、それでいいなら。いまから潜れます?」
「はい」
「では向かいましょうか」
ダンジョンに潜ることはSCMB配属と決まったときから予想していたことだった。
故に服装も、ダンジョン探索を前提とした装束にしてきている。
渋墨塗の家屋を出て、正面、ダンジョン入り口へ。
「とりあえず、近場の2層のケーブル修繕から始めましょうか」
「承知しました」
「こっちです」
志葉は複雑な迷宮を迷うそぶりも見せずに進んでいく。
「志葉さんはここに勤めて長いんですか?」
「まあそれなりに。と言ってもそもそもダンジョンの出現が6年前なので長いと言えるかは人によりますが」
「なるほど……志葉さんはダンジョン庁の理念を受けてこの仕事を?」
ダンジョン庁の理念というのは、世界各地にダンジョンが誕生してすぐに発足された省庁が発表した、全ダンジョン透明化計画のことだ。
当時、一にも二にもダンジョン情報を誰もが正確に把握できることが求められ、SCMBが発足され、通信インフラが整えられたのもそういった事情が背景にある。
来宮としては仕事の話としてその話題を振ったのだが、続く言葉に思考がパニックに陥る。
「いえ、建造物損壊罪で」
「……は?」
「5年の懲役がここの通信インフラ整備だったんです。それでまあ、その延長で」
ツッコミどころが多すぎる、と来宮は思った。
まず第一に、建造物損壊罪は最大5年の懲役刑だ。
つまり、建造物損壊の中でもとりわけ重い罰を受けたことを意味している。
「5年って……いったい何を壊したらそうなるんですか」
他にも気になるところはいくつもある。
何故懲役でダンジョンのインフラ整備を行っているのかなどがその最たる例だ。
だが、それ以外に何を疑問に思っていたかを、彼女がこれ以降思い出すことはなかった。
「ダンジョンコア」
彼の口から紡がれた回答が、その他一切の疑問を吹き飛ばしてしまったからだ。
次の更新予定
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