第四話 見られた!
おそるおそる天井を見る。
白いだけと思っていた天井には、二つの黒い染みがあった。
ぼやけていてまとまりがない。
見つめるうちに、それらは意志を持っているようにうごめきだした。
二つの黒い染みは、こぶし大の大きさまで膨れ上がっていった。
濃く、まんまるの満月みたいになった。
その二つの満月からするりと糸が出て、満月の周りを刺繍していくようだった。
刺繡は三日月のようになり、満月を内包した。
三日月はニヤリとした目の輪郭になり、真っ黒な満月は黒目になった。
その気味の悪い黒目と目が合った気がして、すぐに視線を下に戻す。
右手に爪を食い込ませて、必死に震えを止めた。
俺が震えると、その震えは左手を通じてシルヴァに伝わってしまう。
そうなるとシルヴァも震える。
彼女を不安にさせてはいけない。
ずっと不安で一人彷徨っていた彼女は、ようやく俺にたどり着いた。
俺を頼った。
頼ってくれた。
俺でなくてもよかったかもしれないけど、そこにいたのは俺だった。
「上を、見るなよ」
シルヴァはこくりとうなずく。
ヒーローは、ピンチにいるからヒーローだ。
といっても、ここでは俺のスキルが使えない。
師匠、ルナリアの教えを思い出せ。
『スキルに頼りすぎるな、常に頭を使え』
そうだ、頭を使え。
俺たちを照らすスポットライトの正体は、あの『月』であるのだろう。
そういえば、三日月の目をしたモンスターをルナリアから聞いたことがある。
幻惑系だとかいっていたが、倒し方がわからない。
天井にへばりついて自由に形を変えるモンスターなど、単純攻撃で倒せるわけがない。
俺は探索スキル以外には特に何もない。
どうすればよいだろうか。
まてよ、幻惑系ならば……倒す必要はない。
その幻惑の対象から外れればよいだけだ。
つまり、逃げられればよいのだ。
「シルヴァちゃん、走れそうか?」
「……がんばる」
シルヴァはうつむいてはいるものの、先ほどとは様子が変わっていた。
シルヴァの右手の震えはますますひどくなっているのに、横顔は凛としているのだ。覚悟を決めたように。チャンスは今だと思った。
「よし、いくぞ」
シルヴァの手を取って、暗闇に向かって走りだした。シルヴァのことを考えると、あまりスピードはだせない。シルヴァはついてくるのに精いっぱいで、飛んでいきそうな帽子を左手で押さえながら走っている。
斜め後ろを振り向くと、やはり『月』は追ってきていた。
黒いのに、俺たちにスポットライトを浴びせ続ける。
シルヴァの帽子から溢れている銀髪が映えている。
逃げても逃げても追ってくる。
ニヤリとした三日月が、さらにニヤリとした気がした。
だんだんとシルヴァの息が荒くなっていくのが分かった。限界が近そうだった。
一瞬歩幅が合わなくなり、シルヴァは足を絡ませてこけた。急に止まったもんだから、左手が引っ張られて俺までこけてしまった。
「もう、むり……」
シルヴァから帽子が落ちたので、すぐに拾ってかぶせてやった。
「置いて行ってもいいですよ。私がいるから逃げきれないんです」
シルヴァは急に敬語になった。
帽子を深くかぶって、目元を隠してしまった。
「それじゃあ、なんで手を握ったままなんだ?」
ちょっとからかうように言った。置いて行ってなんて言うくせに、シルヴァの右手は離れていない。
バカだ。
「それは……」
「十分、シルヴァちゃんは一人で頑張ったんだ。もう、手を離さなくていい」
「だけど、それだと、タマキが……」
シルヴァはさらに帽子を深くかぶった。
「シルヴァちゃん。俺、一人はさみしいよ。だから、一緒に帰ろう」
我ながら情けない言葉である。しかし、こんなときに説教臭い言葉を言えるほど俺は強くないし、偉くない。
だけど、シルヴァに一つだけ教えてあげたいことがあった。
それは、『さみしい』って言ってもいいんだってこと。
さみしいとき、つらいとき、悲しいときに、『一緒にいてほしい』って言っていいんだ。
「タマキ……私も……さみしい。だから、一緒にいてほしい」
帽子が目元を隠していて、表情が見えない。
シルヴァの帽子をひょいっととった。
「あ、泣いてる」
「ちょっと! なにするんですか!」
恥ずかしそうにして帽子を取り返してくるシルヴァ。
めもとに涙を浮かべながら、こちらをにらみつける。
しかし涙だけではなく笑みも零れていて、よかった。
最高にかわいい顔をしてるじゃないか。
この子のお父さんはいったい何をやっているんだ。
もういい、俺がお父さんになる。
だが、あいつに娘はやれんな。
俺は視線を天井にやる。
そろそろ、あのいやらしい視線の『月』を懲らしめてやらんとな。
ダンジョンから連れ出して ~プロの迷宮案内人vs絶対に迷子になる少女~ 朝山夜空 @AsayamaYozora
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