俺と先輩と糸切り鋏

霜月風炉

俺と先輩と糸切り鋏

 他人の恋愛に関わる事こそ、愚かな行いである事は覆しようのない事実だろう。そのようなものには関わらない事こそが正なのだ。

 そもそも恋愛における好きだとか、嫌いだとか、所詮は一過性の感情の昂りでしかなく、それに振り回される思春期の少年少女たちは実に滑稽だ。

 そんな者たち見ていると、実に馬鹿馬鹿しく思う反面、そんな事に全力で挑まんとする姿を羨ましくも思ってしまう。

 高校生の時に付き合った者同士で結ばれる確率はどれくらいか?

 その真偽は定かではないがネット上の話では10%にも満たないとか……。

 それでも今の恋愛に全力を尽くす少年少女たちを駆り立てるものは何なのか?

 未熟が故の盲目的行いか?

 そんな未熟な者たちの盲目的にして愚かな行いを人々は甘酸っぱい思い出として『青春』と呼ぶらしい。



     ◆◆◆



 クラスの男子の誰かが大声で「彼女が欲しい!」と叫んでいた。

 季節は梅雨が明け、蝉がけたたましく鳴き始めた頃。

 迫る夏休みに一夏の思い出を作りたい男子の魂の叫びなのかも知れない。ただ悲しいかな。そんな男子を女子は冷ややかな目で見ていた。

 魂の叫びを上げていた男子の彼女だが、少なくともこのクラスからは生まれる可能性は皆無だろう。

 そんな青春を謳歌したい男子を横目に見つつ、青春をドロップアウトした俺は静かに席を立つ。

 昼休みが始まってから約五分。そろそろ売店の人集りも捌けた頃合いだろう。

 俺は一人静かに教室を出て売店へと向かう。

 その途中、様々な生徒とすれ違う。その際に耳に入った会話の大半は夏休みの予定についてばかりだ。

 励めよ、少年少女たち――なんて思っていると、売店へ到着した。予想通り人気は多くない。

 売店のレジに立っているおばちゃんが俺に気付くと声を掛けて来た。


かなで、アンタは今日も一人なのかい?」


「まあ、一人は気が楽なんで……」


「そんな事を言ってるからいつまでも経っても彼女できないんだよ!」


 そう言って豪快に笑うおばちゃんに、俺は苦笑を浮かべつつ残っている惣菜パンを数個手に取る。


「もう少し早く来たら人気のメロンパンやコロッケパンだってあるんだよ」


「いや、それだと人の波を掻き分けないといけないじゃないっスか」


「何を言ってるんだい! 小僧小娘の人の波程度で根を上げているようじゃ、セール中のスーパーを戦う主婦のようにはなれないよ!」


 おばちゃん、貴方は俺をどうしたいのですか?

 口元を引き攣らせながら、俺は手に取った惣菜パンをおばちゃんに手渡す。


「330円だよ」


「うっす」


 財布の中から丁度の金額を取り出す。


「うん、ピッタリだよ!」


 その言葉と共におばちゃんからレシートと惣菜パンを受け取る。


「ところで奏、アンタはいつも何処で昼ごはんを食べているんだい? いつも此処から向かっている方向が教室の無い棟みたいだけど?」


「……教室だと賑やか過ぎるんで、いつも家庭科室ですけど?」


「家庭科室? また辺鄙な場所じゃないか。そこは屋上なんかが御決まりだろうに」


「いや、屋上は立入禁止だし、そもそも施錠されていて入れないから」


 屋上が開放されているのなら、俺だって屋上で食べてみたいとは思っている。


「ま、アンタが何処で食べるのかは自由さ。ただ、もう少し他人と関わって欲しいと勝手に思っているだけさね」


 いつも一人でいる俺を心配しているのだろう。

 それはきっとおばちゃんの優しさだ。だけど、その優しさが俺にとっては鋭利な刃でしかない。



     ◆◆◆



「ごきげんよう、少年。今日も相変わらずボッチのようで何よりだね」


 家庭科室に入るや否や、そんな言葉を投げつけられた。

 俺はジロリと声の主へと目を向ける。

 吸い込まれてしまいそうなほどに黒く艶のある腰まで伸びた黒髪と透き通るような白い肌。そんな女子生徒

 去年の夏――俺が一年生で丁度今頃の時期に彼女と出会った。クラスメイトと特に馴染む事なく一人だった俺が、昼食場所として家庭科室に入り浸るようになって数日経過した頃だったと思う。


「やあやあ、そんな怖い目で孕まれちゃうと、流石のわたしも怯えてちゃうぞ」


 同じ学年に彼女の姿は無かったので、出会った時から先輩である事は分かっていた。二年生になった今でも顔を合わせる事から現在は三年生なのだろう。

 そして、出会って一年も経つと言うのに、お互いに名前を知らない間柄だったりする。


「何すか? それなら先輩も俺と同じボッチじゃないすか?」


「ははーん、もしや私に喧嘩を売っているのかな? ですが、残念。そんな安っぽい挑発には乗りません。そもそもな話、私のような神はボッチではなく孤高である存在なのです」


「いやいや、いつから先輩は神様になったんすか?」


「いつからって、そりゃあ生まれた時からだね」


 そんな冗談を言い合える仲。俺自身としても此処の居心地は悪くないと思っている。

 俺は呆れ顔を浮かべつつ、先輩から少し離れた席に腰を下ろす。


「ふむ、どうして私から少し離れたところに座るのかな?」


「いや、何処に座るかは俺の自由ですよね?」


「なるほど、ならば私が――」


 先輩は立ち上がり、俺の隣の席にやって来る。


「――少年の隣に座っても、私の自由と言うワケだね?」


 先輩が俺の隣に腰を下ろす。


「……はあ、好きにしてください」


「うん、好きにするとも」


 そう答えた先輩の表情は心なしか嬉しそうに見えた。

 そんな先輩に対して、少しだけ気恥ずかしさを覚えた俺は買って来たパンの封を開けて齧った。

 その後は静かな時間が流れる。

 お互い特に会話らしいものはせず、先輩は眠ってしまったのか目を閉じてその場に座り、俺は持ち込んだ小説を読み進めていく。

 と、ガラリ――家庭科室の出入口が開けられた。


「あら、紗倉さくら君じゃない? 今日も一人でお昼だったの?」


 入って来たのは家庭科を担当している教師の南天なんてん先生だった。


「いや、俺は一人じゃ……って、ん?」


 一人を否定しようと思ったのだが、隣にいた筈の先輩の姿が無かった。一体いつの間にいなくなったのか?

 俺の様子を不思議に思ったのか、南天先生が問い掛けてくる。


「どうしたの?」


「いや、何でもないです」


「――? そう、でも困った事があったら相談してね?」


「その時は相談します。ところで先生はどうして此処に?」


「五限目の授業が調理実習だから、早めに来て準備をしようと思ったの」

 なるほど、そうなるともう直ぐ家庭科室に生徒がやって来る事になる。

 と、なれば生徒がやって来る前に立ち去ろう。


「じゃあ、生徒が来る前に俺は教室に戻ります」


「ええ。午後からの授業も頑張って!」


「……うっす」


 南天先生の応援を受けつつ、俺が家庭科室から出ると――、


「うん、やっぱり私の見立て通り良い先生じゃない?」


 出入口側で先輩が立っていた。


「……いきなり声を掛けないでください。驚き過ぎて心臓が止まるまであるんで」


「その時は救急車を呼んでもらうから安心して?」


「……そこは先輩が呼ぶんじゃないんすね」


「ええ、当然でしょ? それはそれとして南天先生だけど――」


 途端に先輩の表情が見た事のないものに変わる。無表情までではないが、そう何かに対して怒っているような感じだ。


「――何か厄介な人間に付き纏われているみたいよ」


「……はあ?」


 突拍子の無い事を言い放った先輩に、俺はそんな声を上げる。

 南天先生のプライベートがどうなのかを俺は知らないのだが、それは先輩も同じ筈。いや、個別に相談を受けているのなら別なのだが、教師である南天先生が生徒に相談するとも思えない。

 では、先輩はどうしてそんな事を知り得たのか?

 この一年で俺は先輩がふざけてそんな事を言わないと理解している。ましてや今の表情からしても真面目な話だろう。

 と、なるとその情報源は――。


「南天先生が良い先生である事には俺も同意っす。ですが、幾ら良い先生だからと言って、ストーカーをしてまで情報収集するのはどうなんすかね?」


 女教師と女子生徒のいけない関係……良きと思います。

 俺の発言に対して、先輩は無言で俺の脳天をチョップする。


「アタアッ⁉︎」


「あのねぇ、私がそんなストーカーなんて馬鹿げた事をするワケないでしょう。まったく少年は私の事をどう思っているのかな? まあ、そんな事はどうだって良いの。問題は南天先生だよ」


 家庭科室内にいる南天先生に聞こえていないか不安に思いつつ、先輩の言葉に耳を傾ける。


「物腰柔らかで、気配りも出来て、仕事にも手を抜かない。そんな先生を慕う者は校内は勿論だけど、校外――それこそプライベートにも多い。そんな先生に好意を持つ異性も当然いるワケなのだけど……」


 嫌な予感がしてきた。

 先輩がどうやってそれを知り得たかも気になるところだが、南天先生に付き纏っている人間は痴情の縺れ――いや、この場合は相手側の一方的な恋愛感情によるものだろう。

 しかし、仮にそれが事実だとしても俺と先輩はただの高校生であり、今回の件に首を突っ込んで解決する事が正しいとは思えない。

 それこそ南天先生が自ら警察に訴える方が無難だろう。

 そんな俺の考えを読み取ったのか、先輩が首を横に振る。


「警察に訴える。確かにそれが少年たち人にとって正攻法である事は理解しているよ。でもね、警察は被害が、それこそ事件性がないと本格的に動けない。そりゃあ、訴えれば近隣のパトロールを増やしてくれるだろうけど、所詮はその場凌ぎにしかならない」


 ストーカー被害を受けていた女性が、警察に相談していたにも関わらずそのストーカーによって殺害された事件があった事は俺も知っている。

 だからと言って、俺と先輩に何が出来ると言うのか?


「――と、言うワケで今日の放課後にえんを切りに行こうか」


「……は?」


 先輩の言葉に、俺は思わず首を傾げてしまった。



     ◆◆◆



 放課後。先輩から集合場所は家庭科室と指定され、帰りのホームルームが終わった俺は教室を飛び出そうと席を立った。

 クラスメイトと碌に打ち解けていない故に、俺を呼び止めたりする者はいない。流れるように家庭科室へ行ける筈だったのだが……。


「あの、紗倉君!」


「ん?」


 俺を名前を読んだのは女子生徒の声。

 声の方へと顔を向ける。

 小柄な体格だがスタイルは整っており、赤いふちの眼鏡とポニーテールが特徴的な女子生徒。


「……えーっと――?」


 同じクラスメイトだから見覚えはある。しかし、名前が全く思い出せないと言うよりは、名前と顔が一致しない。覚えはあるが、思いついている名前が正しいかどうかの自信がない。

 困り顔を浮かべている事に気付いたのか、女子生徒は「ああ!」とあたふたし始める。


「いや、そんなに慌てなくても良いからな。同じクラスメイトなのに大変申し訳ないんだけど、君の名前が全く思い出せなくてな」


「そ、そうだったんですね! わ、わたしは紫莉羅むらさきりらって言います!」


 彼女は一体どうしたのだろうか?

 それに周囲から妙に温かい視線まで感じる。


「え、えっとですね、これから暇だったり――――」


 紫の言葉の途中、突如として教室の扉が開け放たれた。


「うん。何処ぞの泥棒猫の匂いを感じて走って来て良かったみたいだね」


 ガラリと勢いよく開け放たれた其処に立っていたのは、家庭科室で待っている筈の先輩であった。

 瞬間、何故かざわつくクラスメイト。

 そして、聞こえるのは「リア充爆発しろ!」という言葉。うん、それは俺とは非常に縁遠い言葉だぞ。


「あ、え……えーと……」


 先輩の登場に紫が口籠る。


「少年、私という存在がいるのに他の女に現を抜かすとは、どういう了見かな?」


「その誤解を招くような言い方は止めてもらって良いっすか? 俺は後輩、貴女は先輩、それ以上もそれ以下もないOK?」


「さ、紗倉君……そ、その人は?」


 何故か動揺している紫の問い掛けに、俺は口を開く。


「あ、ああ……ただの先ぱ――「恋人と言ったら、どう思う?」――って、先輩何を言ってるんですか⁉」


 が、それを遮るように先輩がとんでもない言葉を被せてくる。


「え、ええ……ええ……うっ……」


 そして、何故か涙目になる紫。


「ふむ、これ以上は弱い者いじめになりそうだね。さて、この件は少年から後ほどじっくり聞かせてもらうとしようかな」


 ざわつく教室。

 一部の女子生徒が俺を睨みつけている。待て、俺が一体何をしたって言うんだ!


「それよりも南天先生が早退したみたい。急ぎましょう」


「ちょっと……え、先輩ッ⁉」


 先輩は俺の手を強引に掴んで、走り出す。


「あ、さ、紗倉君……」


 去り際、紫のか細い声が聞こえたような気がした。



     ◆◆◆



「さて、南天先生を追いかけるワケなのだけど……」


 手を引っ張られるままに正門を抜けたところで、先輩は立ち止まり目を閉じて呟く。


「行き先は……うん、どうやら件の厄介な人物に呼び出されたみたいかな?」


 一人で頷きながら先輩は瞼を持ち上げた。


「それって南天先生とその厄介な人物は顔見知りって事っすか?」


「ええ、顔見知りとは言っても親しい間柄ではないかな? えーっと、知り合った経緯は去年の文化祭で、件の人物は調理部の取材をしていた記者のようね」


 スラスラとそんな情報を口にする先輩に、俺は難しい表情を浮かべてしまう。何と言うか、あまりにも知り過ぎている気がしてならない。そもそも、南天先生が付き纏われている話もそうだが、その相手まで把握しているのは異常だ。


「ふーん? どうやら少年は私があまりにも知り過ぎている事に困惑している様子かな?」


 俺の心境を察したのか先輩は問う。


「まあ、私にもいろいろあるのだよ。少なくともが私に隠し事は出来ないと思ってもらえば良いかな?」


 ただの人間風情――その言葉を聞いた瞬間、俺の背筋にゾワリと冷たいものが奔ったような気がした。


「それはそうと、少年にはコレを渡しておこう」


 そう言って、先輩がとある物を俺に手渡した。


「コレは――――」


 手渡されたそれは家庭科の授業でも一度は使用した事がある裁縫道具の一つ――糸切り鋏だった。それも随分と年季の入ったものであり、お世辞にも綺麗とは言えない。しかし、粗末には扱えない妙な雰囲気が滲み出ている。


「古代ギリシャに起源を持ち、見ての通りU字型で中ばねになった鋏だね。一般的には糸切り鋏、或いは和鋏と言われるかな。主に裁縫道具の一つとして使われるけど、飴細工用としても用いられているよ」


「は、はあ……って、コレを渡されても一体どうしろと?」


「……運命の赤い糸。中国を発祥とし東アジアで主に信じられる人と人を結ぶ伝説の一つ。時に人の縁は糸のようであり、それが転じて人との関りを断つ際に『縁を切る』という言葉があるくらいにね。そして、私は放課後に何をするって言ったか……少年は覚えてるかな?」


 そう、あの時確かに先輩は「えんを切りに行く」と口にしていた。

 いやしかし、仮に人と人の間にそんなものがあったとしても、目に見えないものを切る事なんてできるのか? もしも、それが出来るのなら完全なオカルトでしかない。


「まさかですけど、南天先生とその厄介な人物を繋ぐえんをコレで切れと?」


「うん、そのまさかだね」


「いやいや、そのえんとやらが先輩には見えるかも知れませんけど、俺には見えませんよ。それなら先輩がコレを使って切ってしまえば良いじゃないですか」


「いやぁ、そうしたいのは山々なんだけど、使んだよねぇ……」


「それはどういう――」


「ま、それは追々にでも話をしますとも。それよりも南天先生の状況が芳しくなさそうだよ」


 そう言って先輩が走り出す。

 その後を俺も慌てて追い掛けて走り出すのだった。



     ◆◆◆



 韋駄天の如き勢いで駆けて行く先輩に置いて行かれないように、全力疾走する俺。

 先輩は擦れ違う人たちを流れるように搔い潜る中、俺はあまりにも不格好にギリギリぶつからない程度に避けて行く。


「少年、状況はギリギリみたい」


「はぁ、はぁ……ギリギリって……南天、先生は……何処に、いるんすか……?」


 立ち止まり言う先輩に、俺は良き絶え絶えに問う。


「そうだね……場所は件の人物の自宅。直ぐ其処のマンションの八階。部屋番号は809号室」


 先輩はそう言って一棟のマンションを指差す。

 遠目から見ても分かるのだが、あのマンションはオートロックだ。住人ではない以上、部屋番号を入力し居住者に開錠してもらう他に方法がない。

 万策尽きた――と、俺は思ったのだが、先輩は顎に手を当て「仕方ないかな」とぼそりと言った。


「少年、ちょっと裏技使うから舌を咬まないようにね!」


「え?」


 瞬間、俺の身体が浮き上がった。

 気が付けば地上を離れて遥か上空。それこそマンション八階相当の高さまで浮かび上がっていた。


「は?」


「はいはい、説明はあと下手に動いちゃうと落とすかも知れないから大人しくしてね」


 ワケが分からない。

 俺が上空を跳んでいる事も分からないのだが、何よりもどうして俺は先輩から所謂お姫様抱っこをされているのだろうか?


「八階、突入するよ」


「えぇ……」


 予想すらしていなかった方法でマンションの八階に来る事が出来てしまった。

 いや、それよりもだ。


「……この際だから聞きますけど――先輩、貴女は何者ですか?」


 先輩のお姫様抱っこから解放された俺は詰め寄る。

 すると一瞬だけ諦めた表情を浮かべた後、不敵な笑みを浮かべて先輩は答える。


「私が何者なのか? ええ、それは当然の疑問でしょう。では、その問いに答えるのも、一応は神である私の仕事と言えるでしょう!」


「……は?」


「では改めて、私は少年に手渡した糸切り鋏の付喪神。名は――ゆうって事にしようじゃないか」



     ◆◆◆



 何処で選択を間違えてしまったのだろうか?

 誰にも迷惑を掛けたくなかったから、わたし一人で解決しようとした事が大きなミスだったのかも知れない。

 両手両足を縛られ、口をガムテープで塞がれてしまったわたしに出来る事は何も無い。

 これから訪れる地獄を受け入れるしか道はない。


「南天先生が悪いんですよ。僕と付き合わないと言うから、僕の愛は本物なのにそれを受け入れようとしないから……」


 文化祭の時、調理部に取材で来た記者の男性。

 打合せ等の兼ね合いで電話番号を交換した事が失敗だった。

 彼が取材した記事が新聞に掲載されてしまえば、彼とのやり取りも終わると思っていた。でも、それから今日までの間に何度も連絡があり、男女の付き合いを望まれた。

 断っても、断っても、彼は諦めず、遂にはストーカーにまで成り果てた。

 警察に相談もした。ただ、事件性が無い異常は手出しできないと大した協力は得られなかった。

 そうこうしている内に彼の行いがエスカレートしていく。

 いっその事、面と向かって拒絶しよう。そう思って、彼からの連絡が来た時に会う約束をし、彼の自宅へと赴いた。

 軽率だった。わたしは大馬鹿者だ。


「へっ、へっへ……」


 気持ち悪い声を溢しながら、彼がわたしの胸に手を伸ばそうとした時だった。


「ところがどっこい、そいつは問屋が卸さないってね」


 そんな声音共に、ガンッという音が響き渡る。

 それに彼が慌てて玄関の方へと顔を向けた。


「やあやあ、両手両足に口まで塞いで年頃の女性を押し倒しているとは、コイツはあまりにも下劣だねぇ。いやはや、しかし危機一髪ってヤツかな?」


 其処に居たのは一人の女子生徒。身に纏っている制服からわたしが勤務している高校の生徒のようだが……。


「助けに来ましたよ、南天先生」


 そう言って、女子生徒は笑みを浮かべる。

 ダメだ。ただの高校生である貴女じゃ、男性である彼には勝てない。


「飛んで火にいる夏の虫ってヤツか。しかも、女子高生か……悪く思うなよ」


「うーん、是非とも遠慮したいかな。そもそも一人の女性一筋じゃないところが大きく減点対象だ。まあ、そもそも女性を縛り上げている時点でマイナス点なんだけどさ」


 軽口を叩く女子生徒へ、彼が掴みかかろうとした。

 しかし―――、


「まあ、所詮はただの人間風情。この私に届くとでもお思いで?」


 伸びた手を掴み上げると、そのまま華麗な身のこなしで彼を床に叩きつけた。



     ◆◆◆



「ふぅ。さて、下手に動かないでくれ給えよ? もしかしちゃうとうっかり肩の関節を外しちゃうかも知れないからさ」


 瞬く間に例の人物を叩き伏せた先輩に、俺は何とも言えない表情を浮かべる。

 突入前、先輩から「糞野郎は私が相手するから、その後に入って来るように」と言われてしまい、玄関の扉を蹴り飛ばして突入した先輩の姿を後ろから眺めているだけだった俺。

 一先ず先輩が押さえつけている間に、俺は南天先生の元へ向かう。


「大丈夫……じゃないっすね。兎に角、縄とガムテープを外します」


 南天先生は目を見開いていたが、俺は確かな手つきで手足の縄を解き、口のガムテープを剥がす。


「っ……どうして紗倉君が⁉」


「あー、コレにはちょっとした理由がありまして……」


 どう説明したものか困ってしまう。

 が、其処に先輩が救いの手を差し伸べた。


「南天先生、詳細は後ほど説明します。それよりもッ!」


 バコッ!

 そんな鈍い音が響いた。


「よし!」


 どうやら押さえつけていた男が暴れだしたからか、首筋に一発打ち込んで気絶させてしまったらしい。


「見たところウチの生徒みたいだけど……」


 南天先生が先輩の顔を見て怪訝な表情をする。

 家庭科の授業を受け持っていると、全校生徒とそれなりに関りはある筈だ。

 きっと先輩の顔に見覚えがなかったのだろう。

 それもその筈、先輩は生徒ではないのだから……。


「さて、南天先生」


 先輩が南天先生へと声を掛ける。


「今回は危ないところだったかな。まあ、その心境や状況については全て把握しているので理解はできちゃうかな。それはそれとして、先生はこの男とのえんは必要?」


 先輩はそう言って、気絶している男を指差す。


「この男だけど豚箱に打ち込むか何かしないと、また先生に付き纏って来るかな? それは勿論嫌でしょう? だから、南天先生の意思を聞きたいの?」


 真っ直ぐな瞳で南天先生を見ながら、先輩は問う。


「わたしは……彼とのえんはいりません」


 きっと南天先生は何が何やら分からないだろう。ただ、彼とのえんがいらない――その言葉は間違いなく本心の筈だ。


「うん、では――そのえんを切らせてもらいましょう!」


 先輩は指を擦り合わせ、パチンと音を鳴らす。

 すると、南天先生と気絶している男との間に黒い糸が漂うように現れた。


「さて、この黒い糸は先生とこの男を繋いでいる縁さ。これを切る事で男との縁は途絶える。では――少年、心置きなく切っちゃって!」


「へいへい」


 俺は先輩から預かっていた糸切り鋏を手に持ち、黒い糸へと向ける。


「ふぅ、よく理解はできてないけども、そのえん、切らせてもらう!」


 プツン――と、今一本の糸が断たれた。



     ◆◆◆



「ごきげんよう、少年。今日も相変わらずボッチのようで何よりだね」


「紗倉君はボッチじゃありませんよ。少なくともわたしと結がいますからね?」


 明日から夏休みを迎える七月十七日。

 授業は午前中で終わり、生徒たちは明日からの日々に胸を躍らせている。

 そんな中、俺は家庭科室を訪れていた。

 其処にはいつものように先輩が居て、あの日以降から昼食を共に取るようになった南天先生がいた。


「そもそも、俺は最初からボッチじゃないんで」


「はいはい、そんな嘘を誰が信じると?」


 清々しい笑みで先輩は俺の言葉を斬り伏せ、それを見て南天先生が笑っている。


「でも、付喪神様が本当にいるなんてびっくりしましたよ」


 先輩に視線を向け、南天先生は言う。

 それには俺も同感だ。

 先輩――和鋏の付喪神である結。どうやらこの家庭科室に眠っていた和鋏に偶然にして宿った神であり、いつも一人で昼飯を食べていた俺が気になりちょっかいを掛けていたらしい。

 本来は和服の装いらしいのだが、学校にいる以上は制服の方が無難と考えて当校の制服を身に着けているようだ。


「ま、付喪神とは言っても、天照大神みたいなザ・神様って奴じゃないから気軽に接してね」


 先輩の言葉に、南天先生は頷く。

 しかし、先生……馴染み過ぎじゃないですかね?


「ところで紗倉君は夏休みはどうするの?」


 よくある先生から生徒への質問。

 大変光栄な事に俺には夏休みの予定は皆無である。故に冷房の効いた部屋でダラダラ過ごそうと思っていた。


「南天先生、少年は生粋のボッチだよ。予定なんぞあるワケないでしょうさ」


「……先輩? そんな事はないっすよ、人聞きが悪いな」


「ふん、絶対に無いね。私は確信を持って断言できるぞ? と、そんなワケだから例の件も問題ないでしょう」


 先輩の言葉に困ったような笑みを浮かべつつ南天先生が頷く。


「例の件?」


 何やら俺の知らないところで何らかの計画が進行中の様子だった。


「ああ、夏休みと言えば林間学校。そして、偶然にも募集されている高校生ボランティアがあるときた。と、まあそんな理由わけで夏休みの思い出作りに林間学校としゃれこもうじゃないか」


「――はぁ?」


 唖然とした俺を他所に、先輩は決め顔でそう言いやがった。

 どうやら今年の夏は忙しくなりそうだ。

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俺と先輩と糸切り鋏 霜月風炉 @logic1126

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