第22話 買い物
ショッピングモールは予想以上に賑わっていた。エスカレーターの周りには親子連れが手をつないで歩き、買い物袋を両手に抱えた若いカップルが楽しそうに話している。人々の笑い声やアナウンスの声、時折聞こえる子どものはしゃぐ声がモール全体を活気づけていた。
ただ何となく友達と集まりに来たらしい中高生たちがゲームセンターの前でたむろし、老夫婦はゆっくりとペットショップのウィンドウを眺めている。土曜日の昼間ともなれば、地元の人々が自然と集まる場所、それがこのショッピングモールだった。
12時ごろモールに着くと、モール内のレストラン街へと向かう。
オムライス専門店の前に来ると、黒川がふと立ち止まり、「ここにしましょ」と軽く振り返る。そう言って扉を押し開けると、室内にはふんわりと卵とバターの香りが広がっていた。
店内を見渡しながら進む黒川の背中を追っていた悠の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「黒川先生、ここよ!」
窓際の席で大きく手を振る母親の姿が目に入った。あの懐かしい声と笑顔。隣には姉も座っている。黒川は小さく手を振り返し、そのまま席に向かって歩き出した。
「あら、悠。ちょっと見ない間に可愛くなっちゃって」
「ほんと、私よりもかわいいかも」
久しぶりに再会した姉は、大学生となり髪を茶色に染めてゆるくパーマもかけている。母も白髪交じりだった髪を、艶のある黒髪へと染めていた。
少しは生活の余裕が出てきたのが見た目からでもわかる。
オムライスを食べながら、姉は楽しそうにキャンパスライフについて話している。
「今度サークルのメンバーと旅行行くんだけ。めっちゃワクワクしてる!」
姉の生き生きとした表情と言葉に、悠は姉の幸せを崩さないためにも女子の誘惑にのって退学にならないよう、心の奥に小さな決意が生まれるのを感じた。
母たちとの久しぶりのランチは、笑い声が絶えず、あっという間に時間が過ぎていった。食事を終え、店の前で立ち話をしていると、母が「この後、買い物に行く予定があるの」と微笑みながら言い、姉も「私、バイトの時間が近いから」と名残惜しそうに言った。
4カ月ぶりの再会だったが、母も姉も以前より明るく、元気そうな様子が何より嬉しかった。名残惜しそうに母と姉の背中を見送る悠に、黒川が軽やかに声をかける。
「さて、そろそろ本題ね。買い物しましょうか。まずは服からよ。で、瀬川さん、何か狙ってるのある?」
悠は一瞬、スマホを握りしめて迷った。けれど、意を決して画面を黒川に見せながら恐る恐る言葉を口にする。
「えっと、こんな感じのチュールスカート……着てみたいなって、思ってて……」
画面にはピンクベージュのロング丈チュールスカート。ふわっとしたシルエットと繊細なデザインが特徴の、いかにも女の子らしい一品だ。いつも黒川が用意してくれるのはミニスカートが多かったから、こんなスカートをお願いするのは少し勇気がいった。
「へえ、可愛いじゃない。それに、瀬川さんにぴったりっぽいわね」
黒川は微笑みながら画面をのぞき込む。そして、少し意地悪っぽくこう付け加えた。
「自分で欲しいスカート言うなんて、瀬川さんも変わったわね」
「えっ……!」
言われて初めて気づく。今まで服なんて姉のおさがりか黒川が選んだものばかりだった自分が、「これが着たい」と言うようになるなんて。
いつの間にか、自分の好みに素直になっている自分がいることに気づき、少し驚いた。
「よし、それなら早速行きましょう!」
黒川が勢いよく声を上げ、歩き出す。
「買い物ってね、あれこれ目移りするのも楽しいけど、最初に目標があると効率よく探せるのよ。イメージは大事! 覚えときなさい」
楽しそうに語る黒川の背中を追いかけながら、悠は不思議と少しだけ胸が弾むような気持ちを感じていた。
目的のチュールスカートを探し、モールの2階にある若者向けブランドのお店に足を踏み入れた瞬間、悠の目に飛び込んできたのは、色とりどりの服が所狭しと並ぶ光景だった。淡いパステルカラーから鮮やかなビビッドカラーまで、まるで夢の中のように華やかな空間が広がっている。
「わぁ……!」
思わず小さく声が漏れる。初めて入るレディースファッションの店。メンズとは違う華やかな雰囲気に心が踊るような感覚を覚える。
マネキンが着ているワンピースも気になるし、目の前に並んでいるプリーツスカートもかわいい。たしかに、黒川に言われた通り目標を持っていないと、目の前の服たちに気を取られて目的を見失いそうだ。
お店の右奥に目を引くシフォンスカートが陳列されているのを見つけた悠は、迷わず手に取った。柔らかい素材感とふわりと広がるシルエットが特徴的で、まさに探していたものだ。スカートを体に当てて鏡の前に立つと、自然と笑みがこぼれる。
「これなら、肩幅が目立たなくなるし、良い感じかも……」
試しにポーズを取ってみたりしていると、目に入ったのは色違いのミントグリーンのスカートだった。ピンクベージュを買うつもりだったはずなのに、この涼し気な色合いも夏らしくて心を引かれる。
ピンクベージュとミントグリーンのスカートを手に取り、悠は隣で立っている黒川に視線を向けた。
「先生、どっちが良いと思います?」
少しおずおずと尋ねる悠。黒川は腕を組み、真剣な表情で二つのスカートを見比べた後、ふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「う~ん、ピンクもいいけど、ミントグリーンの方が瀬川さんに似合いそうね。肌のトーンが明るく見えるわ」
その言葉に悠は顔を輝かせ、再び鏡の前でミントグリーンのスカートを体に当ててみた。黒川のアドバイスが妙に説得力があるのは、彼女自身も店内の別のラックで服を選びながら楽しそうにしているからだ。
「先生って、こういうの詳しいんですね」
「そりゃあね、瀬川さんのスタイリストみたいなものだもの。こっちも楽しませてもらってるわよ」
黒川はおどけるように肩をすくめ、手に取ったトップスを悠に当ててみせた。その瞬間、店内にいた女性客の視線がこちらに向けられた。
「瀬川さん!? やっぱり、瀬川君なの?」
声の主はショートボブの女の子。驚いた表情で近づいてくる彼女を見て、悠はすぐに思い出した。中学時代の同級生、森若綾乃だった。
愛くるしい笑顔でみんなを惹きつけるクラスの人気者だった彼女は、悠が密かに憧れていた存在でもある。まさか、こんなところで再会するなんて。
「あ~、やっぱり瀬川君だ!似てるなと思ったけど、女の子みたいな格好してるし違うかなって。でも、間違いないわよね!」
綾乃は嬉しそうに話しかけながら一気に距離を縮めてきた。悠は一瞬言葉に詰まったが、もう隠しきれないと覚悟を決める。
「森若さん、久しぶりだね。……髪型、変えた?」
「そうなの!高校デビューでショートボブにしたんだ。瀬川君の方こそ大変身じゃない!?」
綾乃の視線が悠のスカートにちらりと向けられる。その視線を受け、悠は答えに詰まりそうになったが、ちょうどその時、離れた場所にいた黒川が戻ってきた。
「瀬川さん、こちらは?」
「えっと、中学の時の同級生だよ」
「初めまして!瀬川君と同じクラスだった森若綾乃です」
綾乃は礼儀正しく軽くお辞儀をしながら自己紹介する。それに対して黒川はどこか面白そうに微笑みながら応じた。
「あら、そうなの。中学の頃から随分と変わったんじゃない?びっくりしたでしょう?」
黒川の言葉に、綾乃は笑いながら頷いた。
「本当に!でも、変わってても瀬川君ってすぐわかっちゃうね。雰囲気はそのままだから!ところで、瀬川君のお母さん、めっちゃキレイだね!」
「あ、ああ」
綾乃は黒川のことを母親と勘違いしているようだ。黒川は一瞬だけ悠の方を見て頷き、話を合わせることにしたようだ。
その間に綾乃はスマホを取り出し、屈託のない笑顔で言った。
「ライン交換しようよ!」
断り切れない悠はスマホを取り出し、綾乃とアドレスを交換した。すぐに綾乃から「よろしく」とコメントのついたかわいいスタンプが送られてくる。悠も適当なスタンプを選んで返信した。
「瀬川君……じゃなくて、瀬川さん!ごめんね、最初全然気づかなくて。でも、女の子になりたいんだったら、早く相談してくれたら良かったのに。協力してあげたのにね!」
綾乃はまるで悠を応援するかのように明るく言う。どうやら、彼女も悠のことを心と体の性が一致しないトランスジェンダーだと思い込んでいるようだった。アリーナ母の時と同じだ――。
悠は内心ため息をつきつつも、言葉を飲み込んだ。
帰りの車の中で、悠は隣で運転をする黒川にぽつりと問いかけた。
「なんで男子がスカートを履いてるだけで、トランスジェンダーだと思われるんですかね……」
黒川は少し考える素振りを見せてから、視線を正面に向けたまま答えた。
「そうね……ボーイッシュな女の子がいるんだから、ガーリーな男の子がいてもいいはずなんだけどね。でも、それを受け入れる社会にはまだ時間がかかるのかも。だから、瀬川さんをうちの学校に呼んだの。将来は可愛くなりたい男の子の受け皿になれたらって思ってるの。瀬川さんはその第一号よ」
「それって嘘ですよね。ただ、私が悩んで苦しんでいるのを見て楽しんでるだけですよね?」
悠の指摘に、黒川はにっこりと笑って返した。
「あっ、バレた?そうよ、私が楽しみたいだけなの」
そう言いながら、黒川はアクセルを少し踏み込む。その無邪気な笑顔が、悠にはどうにも恐ろしいものに見えた。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
最終的にどう締めくくったら良いのか分からないのと、他に書きたい作品が思いついたので、中途半端ではありますがいったんここで第一部完とさせていただきます。
ご愛読ありがとうございました。
ドキッ!ハニートラップだらけの女子高ライフ 葉っぱふみフミ @humihumi1234
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