第21話 帰郷

 二日目のカレーは美味しい。ましてや、それが昨晩由紀がスパイスから作ってくれた特製のチキンバターカレーなら尚更だ。スパイスの香りが一晩寝かされたことでより深みを増し、柔らかく煮込まれたチキンは口の中でほろりとほどける。


 由紀の教えに従い、昨晩寝る前に冷蔵庫に入れておいたカレー鍋を取り出し、丁寧に温め直している間、トースターには由紀が「朝食べてね」と置いていったナンを入れた。焼き上がったナンの表面が香ばしく、ふんわりとした温もりが手に心地よい。


 さらに、由紀が同じく「これも一緒に」と手渡してくれたヨーグルトを添えれば、どこか異国の家庭の食卓を思わせる豪華な朝食が出来上がる。


 カレーを一口食べるたび、昨晩のことが頭をよぎる。由紀の真剣な瞳、その温かさと覚悟。彼女は悠の事情を知りながらも、微塵も態度を変えなかった。


 カレーを食べ終えると、ノートや教科書を広げ早速勉強へと取り掛かる。この学校のテストのレベルはすごく高い。

 数学や英語は大学入試レベルの問題が並ぶし、社会などの暗記科目も戦争が起こった背景やその後の国際関係を問われるため、ただ暗記するだけでは乗り切れない。問題集とにらめっこを続けるが、なかなか解答にたどり着けないまま時間ばかりが過ぎていく。


 次の週末には由紀の家で勉強合宿が予定されている。勉強はしっかり教えてもらえそうだが、女子たちと一夜を共にするという状況に不安がつきまとう。あの明るくにぎやかな彼女たちに囲まれると、どうしても気後れしてしまうのだ。


 そんなことを考えているうちに、ふと服のことが頭をよぎる。

 6月に黒川から夏用の服を3着ほどもらったが、正直デザインは無難なものばかり。最近、ネットで目にしたティアードスカートやシアーシャツなどトレンドアイテムが心に引っかかっている。

 シンプルだけど少し甘さがあるコーディネートは、女子高生の間で人気らしい。


 勉強合宿、みんなはきっとオシャレなコーデでくるだろうな。そんな中で、一人だけ平凡なコーデなのも恥ずかしい。


 「これ、着てみたらどんな感じなんだろう……」スマホに映る画像を見ながらつぶやく。ピンクやラベンダーといった淡い色合いに心惹かれる自分がいることに、少し驚きつつもワクワクした。

 嫌々始まった女装生活も慣れてくると、どうせ着るなら可愛いや流行の服を着たくなってしまうようになってしまった。


 とはいえ、実際に買うには少し高い。黒川に頼むのも気が引けるし、どうしたものかと悩んでいると、スマホの着信音が鳴った。

 差出人は黒川からだった。


「勉強頑張っているようね。でも、今から出かけるから5分で準備しなさい」


 メッセージを見た悠は立ち上がると、クローゼットを開け慌ただしく出かける準備を始めた。


 コーデを考える余裕もなく目についた水玉のフリルブラウスとピンクのスカートに着替え終わると同時に、玄関のドアが開いた。


「おはよう!準備できた?」


 ババッグに慌ててスマホや財布を詰め込み、玄関に仁王立ちしている黒川の元へ駆け寄る。ふと目が留まったのは、黒川が履いている黒のレースタイトスカートだった。その大人っぽいデザインと、裾からちらりと見える細く綺麗な脚に、思わず目が釘付けになる。


 (あのスカート、すごくいいな……)


 一瞬、そんなことを考えてしまった自分にハッとしながらも、気持ちを切り替えようと黒川の顔を見る。しかし黒川は何事もなかったように軽い笑顔を浮かべているだけだった。


  悠が立ち上がって玄関で黒川と顔を合わせてから、数十分後。黒川の運転する車は、高速道路に入ろうとしていた。

「どこに行くんですか?」と尋ねる悠に、黒川はサラリと答える。


「くすのきモールよ」


 くすのきモール。それは悠の地元にあるショッピングモールだった。娯楽の少ない地方都市にとって買い物や食事ができ映画館やゲームセンターまであるモールは、毎週のように友達や家族と訪れた記憶がよみがえる。

 黒川の車は高速道路に乗り、快適なスピードで流れに乗り始める。ハンドルを握る黒川は、今日の予定を楽しそうに語り出した。


「モールに着くころにはお昼時だから、まずはランチね。それから買い物に行きましょう」


「買い物って……?」


「来週、桐原さんたちと勉強合宿があるでしょ。そのときに着る服も必要だし、瀬川さんもそろそろメイクに興味が出てきたんじゃないの?」


 黒川の言葉に悠はぎくりとする。まるで心の内を見透かされたような気分だ。由紀との勉強合宿のことも、最近流行りの服やメイクに少し憧れている気持ちも、黒川にはすべてお見通しのようだった。


 悠が驚きと気恥ずかしさで言葉を失うと、黒川は意地悪っぽく微笑みながら付け加える。

「久しぶりの里帰り、懐かしいんじゃない?」


 黒川の言葉に、悠はふと視線を落とし、少し困ったように笑った。


 「まあ、そうですね……懐かしいかも」

 地元に帰ることにどこか後ろめたさを感じている自分に気づき、悠は曖昧に返事を濁した。

 

 県境を越え悠の地元が近づいてきたころ、黒川は視線をまっすぐ向けたまま助手席に座る悠に話しかけた。


「昨晩は、お楽しみだったようね。私も青春って感じで楽しかったわ。」


 昨晩のことを思い出しながら黒川はうっとりとした笑みを浮かべていた。


 昨晩、由紀に悠の事情を説明すると、由紀はさらに距離を縮めて耳元で囁いた。

 

「黒川先生が言っていたように一方的な愛は交際ではないから、悠さんが手を出せないということなら私から」


 由紀の言葉が不穏に響いた次の瞬間、彼女は勢いよく抱きつこうとしてきた。悠は驚きに目を見開き、反射的に身を引くが、後ろには壁。由紀の体温がふわりと触れる距離まで迫り、その瞳が真っ直ぐに悠を見つめる。


「ちょ、ちょっと待って由紀さん!」


 悠は必死に腕を伸ばして間合いを保とうとするが、由紀の勢いは止まらない。彼女の手が悠の肩に触れた瞬間、悠の心臓は大きく跳ねた。


「やっぱり、男の体って筋肉質でいいですね。女の子だと柔らかくて壊れそうだけど、男だとしっかりしていて頼もしいです」


 悠の体を撫でまわしながら由紀は恍惚の笑みを浮かべた。自分から手が出せない悠は由紀のなすがままにされながら、天井にある監視カメラを見上げて必死に理性を保った。


 悠が昨晩のことを回想しているうちに、黒川の車は高速を降りた。

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