右隣、左利きの彼女

泉田聖

右隣、左利きの彼女

 世界中のおよそ九割の人間が、右利きらしい。


 かく言う僕も右利きで、両親も祖父母も兄妹も友人も——齢一四歳の僕の社会を構成している人間は大抵、ありふれた右利き人間だった。

 

 ただ一人。彼女を除いて。


 右隣の机。頬杖を突きながら横目に見やった。

 忙しなく板書をノートに写していた彼女の左手が、垂れた髪をかき上げた。彼女の頬に髪が貼り付いていて、思わず見入ってしまって人知れずどぎまぎしてしまう。


 七月の暮れ。空調が効いているとはいえ、窓に近い席は暑い。

 南中を少し過ぎた太陽の日差しはカーテンを貫いて彼女の机に注いでいる。左手でペンを走らせている彼女の机には長い影ができていて、随分と書きづらそうにしている。運の悪いことに照明も彼女の左側にあるせいで、机に向かうとノートに濃い影が落ちていた。


 彼女がどんな文字を書くのか。僕はまだ見たことがない。彼女が左利きだからだ。文字を書く時は左から書く忌々しい現代日本の文化のせいで、僕の目に彼女の文字が映ることはない。やはり女の子らしい丸字だろうか。それとも成績優秀な彼女らしく達筆なのだろうか。角ばった文字や走り書きでも意外性があっていいかもしれない。

 よく気の周る彼女だから、そういう意外性が一つや二つあってもおかしくなかった。


 何かの番組で、人間は利き手側にあるものをまず注視するという話をしていた気がする。


 だから彼女は気が利くのだと思う。

 僕たち平凡な中学生とは違う角度から物事が見えているから。小さな変化にもすぐに気づける。そんな彼女に僕は惹かれていた。


「ずっと思ってたけど」

 普段は決して授業中に私語をしない彼女が口を開いた。

 窓の外の蝉の鳴き声なんて忘れるほど澄んだ声は管楽器に似ている。

 やがて彼女は微かに微笑んで、


「寝癖。朝からずっとだよ」


「なッ」


 言われて頭を抑えた。

 後頭部の辺りに不可解な膨らみがある。窓を見やると後頭部で何かが炸裂した痕跡が残っている。家を出る前に直したはずだが、いつの間にか復活していたようだ。なるほどこれは完璧な寝癖だ。彼女が笑うのも納得だった。


「今日はいつにもまして酷いね」


 屈託なく彼女が笑って、つい視線を窓へ逃がした。

 真夏の炎天下。蝉時雨の響く街並み。群青の空には入道雲が聳えている。


 窓には、僕の寝癖を見つめる彼女の視線が映っていた。

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