第5話 二層目、森の階層
次の階層へ行く感覚は不思議なものだった。落ちているはずなのに落下している感じがしない。ゆっくりと下降しているような感覚が終わり、地に足がついたと分かったとき、不意に視界に入った強い光にヤクサは目を焼かれたと錯覚するほどの衝撃に見舞われた。
「光……昼?」
「あ~言ってなかったな、迷宮には昼夜はない。一層でも見たろ?魔光晶っていう鉱石の明かりだけが頼りなんだが、迷宮の機嫌によってはこういうバカに明るい階層が出来るんだ」
ようやく目が慣れてくると辺り一面に広がる木々が瞳に映った。鬱蒼とした景色はここが先ほど自分がいた迷宮か疑うほどの変わりようである。
「ここにはどんな魔物が出るんですか?」
「そうですね……何が出ると断定はできませんがとりあえず気を付けて欲しいのはアピキアですかね」
どんな魔物か聞いてみるとそれは蟻の魔物らしい、しかも巨大な。
「アピキアは群体の事を指しますが、その名の通り蟻の群体と戦う羽目になります、特別な理由がない限り戦闘は避けますね」
やっぱり数は力ですから、とヤクサはその考えに納得した。アピキアの一匹一匹は大型犬サイズらしいがそんなものに寄ってたかって襲われれば、いくら探索者の屈強な肉体があってもひき肉にされることは想像に難くない。
「……噂をすれば。何か来たな」
ホカリが呟くのを聞いて、ハッと辺りを見回す。迷宮の経験が浅いヤクサにはまだ気配は感じ取れない。が二人はもうすでに臨戦態勢に入っているようだった。
「ヤクサは下がってろ。巻き添え食いたくなけりゃな」
素直に従って数歩下がると、反対に茂みから数体の影が飛び出してきた。同時に舌打ち。
「……ヒプノ・モスか。いきなり厄介な奴が出てきやがったな」
「来ますよ!!」
わかってらぁ!とホカリは抜刀した。その少し後ろにアイも構える。慣れている者の動き、といった感じだ。
蛾の魔物は人間の顔くらいの大きさで見ているだけでも不快感を煽る。二人の臨戦態勢など意に返さず一斉に飛び掛かってきた。それに対して二人は冷静に対処していく。ホカリはその場から特に動くことをせず、アイとヤクサの壁になるような形で刀を振る。素人目にも熟練されたその刀で魔物に手傷を与えていく。一つ振られる度に魔物は羽を手足を捥がれていった。行動不能になった魔物にすかさずアイが棍を振り下ろす。緑色の体液をまき散らしながら一匹の魔物が動かなくなった。残るは三匹。
仲間がやられても魔物たちはそれを気にするそぶりを見せることはなかった。既に手傷を負っていない魔物はいなかったが、大きくなっても昆虫は昆虫なのか、その動きに「思考」が入っているようには感じなかった。
「……っ!すまん!抜けた!!」
「逃げてください!」
傍観に徹していたヤクサに危険が迫る。ホカリの脇を抜け、アイには目もくれずに一匹の蛾が向かってくる。
よく見れば、普通の蛾をそのまま大きくしたようなフォルムなのだ。遠目からでは分からなかったそのディティールが鮮明に見え、ヤクサの心臓が締まるような感覚に襲われる。
「うわっ!!」
一瞬遅れて拳銃を取り出す。蛾は既に目の前へと迫っており、とても間に合いそうにない。刹那、全身の力が抜けたような感覚に襲われ、世界の時間が遅くなる。抜けた力をもう一度充填し、視界を回転させながら跳ぶ。捻転させた力が解放され威力は脚に集中した。対象がひしゃげた感覚が脚に伝わり、吹っ飛んでいく。そして振りぬいたままの勢いで着地。と同時に世界の時間が戻ってくる。
魔物は吹っ飛ばされたまま動かない、なんとか仕留められたようだ。ホカリがダメージを与えてくれたことも大きかった。ふと二人の方向を見るとそちらも最後の一匹を仕留めたところであった。
「大丈夫ですか!?」
「ええ、なんとか……」
比較的近くにいたアイが駆けよってくる。
「体にしびれはありませんか?ヒプノ・モスの鱗粉には毒があるんですが……」
「先に言ってくださいよ……」
とんでもないことを聞いた。今のところは特に異常は見られないが遅効性の毒だった場合が怖すぎる……。
そこに遅れてきたホカリが合流する。
「しかしお前結構動けるなあ、見直したぜ!」
「そ、そうですよ!すごいじゃないですか、ちゃんと戦えたんですね」
なんとなくアイに誤魔化された感は拭えなかったが口々に賞賛の言葉をかけられる。慣れない状況にたじろいでしまうが、たまたまですよ。と濁しておく。自分でもよく分かっていないが、この遅くなる世界は明確な意思があれば簡単に使用できるようだった。さながらオーバーヘッドキックのような曲芸も強化された身体能力のおかげで問題なく繰り出すことが出来た。記憶はおぼろげだがモグラ蛇の時も不安定な姿勢から3メートルほどの跳躍をすることが出来たことを考えるとヤクサの体はもう今までのそれとは一線を画したものとなっている。
「そんだけ動けるんならあんまり心配しなくてもよかったな、戦闘系の技能でも持ってんのか?」
「……?」
ホカリがおもむろに右手を前に突き出すとゴボゴボと音が鳴り、手の平の中心から水が湧いてきた。蛇口から流れるくらいの勢いで迷宮の地面を叩き、吸い込まれていった。
「手品じゃねぇぜ?俺は水を発生することが出来る技能を持ってる。アイも似たようなもんだ。どうすれば発現するのかはまだ解明されていないが、迷宮に長く潜れるやつは大体持ってる」
ちなみにホカリのこれは生産系に属する技能らしい。回数制限はあるが、迷宮のどこでも清潔な水を出すことが出来るので意外と重宝するそうだ。
ちなみに技能は主に戦闘系と生産系に分かれており、その2つに該当しないものは概念系とざっくり括られているとのことだった。
「生産系の技能は1人持ってるやつがいるだけでも探索がかなり楽になる、食いもん出せるヤツもいるし、電気出せるヤツもいるぜ。そいつは迷宮に家電持ち込んでた」
すぐやめたみたいだけどな。と
「細かい調節効かせるのが面倒だったんだ、俺も出力の調整には難儀してる。戦闘でも使えるけどほとんど最大出力ぶっぱだな」
それでも一瞬隙を作るのがやっとな感じだが。とホカリは言う。
「アイさんはどんな技能を持ってるんですか?」
ふと気になって聞いてみた。が反応はあまりよろしくない。聞いてはいけない事だったのだろうか、べらべらと話すホカリの方が異常なのかもしれない。
「私は……その……」
「勘弁してやってくれ、こいつの技能は人に言いづらいんだ。戦闘に使える様なものでもないから無いもんと思ってくれ」
言い淀むアイを見かねてホカリは助け舟を出す。
「それはそうと、さっきのどうやったんだ?多少身体能力が上がったとしてもいきなりあんな動きは出来ねぇだろ」
「なんて言うか、相手の動きが凄く遅く見えたんです、必死だったのでよく覚えてないんですけど」
起こった事をそのまま話す。
「となると単純な動体視力の強化っぽいか?でも常時発動型じゃなさそうだしなぁ」
ホカリが考察するも、探索者ではないヤクサは何度と知れない疑問符を浮かべる。
「あの、常時発動型ってなんですか?」
「戦闘系の技能は恒常的に効果が出る常時発動型と任意で効果を発揮する任意発動型があるんだ。大まかな分け方としてはコストを支払うかどうかってとこだな」
ついでに言うと常時発動型よりも任意発動型の方が効果は大きく。代わりに精神力を使って発動するものが多いらしい。
「特殊な状況でしか使えないとか準備が要る技能もこれに入るな」
だそうだ。ここまで聞いている身で思うことでは無いが、ホカリはかなり面倒見のいい奴なんだなと思った。意外なことに。
初めて見た時はツリ目に金の短髪という外見から、ガラの悪い男、なんて印象を受けてしまったが人は見た目に寄らないと考えを改める。
ヤクサの様子を見て察したのか、ホカリは精神力というものの説明に入ってくれていた。
曰く、精神力とは簡単に言ってしまえば心の力である。
「何をするにも気持ちってやつは大切だろ?理屈は分からねぇが迷宮に入った奴は心を体現することが出来るようになる。ちなみに俺のもそうだが技能は少なからずそいつの心を反映したものになるんだよ」
俺はガキの頃溺れかけたことがトラウマになってるってので発現した技能だしな。とそこまで聞いて気が付いた。技能がその人の心を反映したものだというのならばそれは人に言えない技能もあるのだろう、と。
アイが自分の技能を言いたがらなかったのはアイにも人に言えないトラウマみたいなものがあるのかもしれない。
それが何かは、やはり聞けない。それでもホカリは間を開けることなく何も知らないヤクサに迷宮の事を話し続けてくれるのだった。
借金が返せないので迷宮に放り込まれました ただのトカゲ @kattin714
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