第6話 舞い込む厄介事 ②

 今年は誰が五節ごせちの舞姫に選ばれるのか――、そう言ったのは、左近衛府のもうひとりの中将・源泰時である。この男、女性の話となるとやたら多弁になる。

 彼女たちが舞う五節の舞は、大嘗祭だいじようさい新嘗祭にいなめさいのあとに行われる饗宴きようえん豊明節会とよあかりのせちえで披露される舞で、舞姫は公卿の姫から二人、受領・殿上人の姫から二人が選ばれる。

 帝の前で舞うことになるため、公卿や殿上人は自慢の姫を送ってくるだろう。あわよくば姫が帝の目に留まり、入内となるかも知れぬと踏んでいるからだ。


「お前は平和でいいな……。泰時」

 征之は文机の上に、片方の腕で頬杖をついた姿勢でこの友を一瞥した。

 神無月中旬の宣陽殿・左近衛陣――、ここ数日は怪異も落ち着き、内裏は新嘗祭の準備に入った。左右近衛府でも警備する武官の配置などが練られ、豊明節会の場となる紫宸殿は今からさっそく、異常がないかなどの確認が行われ始めていた。

「家を継げぬ独身男にとっては、普通だと思うぞ?」

 呆れる征之に、泰時はそう言った。

 

 嫡流藤原四家と違い、他家は当主の正妻・北の方が産んだ長男だろうと家が継げるわけではない。親は子供の能力を見極めた上で、最も才能のある男児に立嫡りつてきの儀を行い、嫡男の座を与えていたからだ。ゆえに、兄のほうではなく、同腹の弟が嫡男となった家は珍しくはない。

 家を継げぬ他の兄弟、さらに当主のしようが産んだ庶子はどうするか。ある程度親の力に頼って官位を得るだろうが、婚姻となると有力貴族の姫に婿入りするか、自身の力で出世して家を建て、北の方を迎えるかだ。

 この婿入り婚したなかに、征之の父・露親がいる。

 前藤原北院家当主の庶子として生まれた彼は、男子の血が絶え、断絶の危機にあった南院家の姫に婿入りしている。

 泰時は庶子ではなかったが、彼の兄が嫡男となっており、彼としては出世をするためには婚姻を結ぶ姫の身分も重要という。

 五節の舞姫は、公卿と殿上人の姫から厳選されたものが選ばれる。気になるのは当然という泰時の話を、征之は半眼のまま聞いていた。

 征之の場合は、嫡男の座を巡って対立する兄弟がいなかったため、自動的に南院の嫡子となったが、婚姻の話となるとその腰は重くなる。

 女嫌いというわけではないのだが、どうもこの手の話には積極的ではない。

 乳母の薫衣は、南院を絶やすおつもりですかとうるさいが。

 

  寒露かんろの王都――、蒼穹に吹く風はもうすぐ訪れる冬を告げ、妻戸から覗いた庭では、遅咲きの桔梗が揺れていた。

 記録付の仕事が終わり、筆を置いたときであった。

 帝が左近衛中将を御召しだと、侍従が告げに来たのは。

 

 このとき、ふたりの左近衛中将が顔を揃えていたが、そのひとりである泰時の視線は侍従から征之に注がれ、征之も呼ばれているのが自分だとわかった。

 つい最近、都で物の怪相手に立ち回ったことがすっかり内裏に広まり、さすがは鬼憑きの中将よと囁かれている始末だ。

 帝の側には、帝に近習する蔵人頭にして、右近衛中将・藤原兼近がいるにも関わらず、左近衛中将の征之を召すということは、まちがいなく、帝の要件は怪異関連だ。

 帝としては新嘗祭を前に、災異は減らしたいのだろう。

 帝の目に留まるということは、男でも小躍りしたくなる(実際はしないが)栄誉なのだが、征之はちっとも嬉しくはない。

 被っていた巻纓冠けんえいのかんのずれを直し、闕腋袍の乱れを整えて、征之は左近衛陣を出た。

 

                   ◆


 それは今上帝がまだ本来の名、敦仁あつひとと呼ばれていた頃である。

 父帝が自ら内裏にて、けがれの禁を犯すという事態に、内裏内は騒然となった。彼には七殿五舎・弘徽殿の中宮のほかに、凝華舎に梅壺の女御という妃がおり、にわかに発病した彼女を里に戻さず、そのまま凝華舎内で死を迎えさせた。

 内裏で亡くなることが許されるのは帝だけであり、しかも、死は穢とされる。

 梅壺の女御への愛情と執着が招いたこれが、譲位へと繋がった。

 内裏の混乱を鎮めるため、これに触発されかねない災異を避けるため、当時、朝廷の頂にいた西院家当主にして関白・藤原良成ふじわらよしなりは、帝に譲位を勧めたのである。

 これにより、東宮・尚仁ひさと親王が践祚した。

 この尚仁親王が、先帝である。

 このとき、今上こと|敦仁親王(あつひとしんのう)を帝位にと、北院側公卿が推していたことがある。年の順でいえば先に生まれた尚仁親王なのだが、彼は病弱だった。

 しかし、これに国母となった先帝の中宮・輝子が断固反対し、西院の力が強かった朝廷で、北院の姫が産んだ敦仁親王が即位することはなかった。

 それに最もそれを阻んだのは、その北院の姫こそが凝華舎で身罷った梅壺の女御であり、その子どもである敦仁親王が即位するのはどうかと思われたこともある。

 ゆえに、敦仁親王は幼い頃から淋しい想いをしてきた。

 周りは腫れ物に触るような態度であり、太后となった輝子はあからさまに、彼を睨んだ。

 彼女としては夫である先々帝が、最後まで愛したのが自分ではなく梅壺の女御で、その嫉妬が晴れないのだろう。

 そんな兄帝が即位して二年後――、内裏は再び揺れる。


「帝が……?」

 藤原北院家を在所としていた敦仁親王は、内裏からの報せに腰を浮かせた。

 兄帝が朝議中に倒れ、臥せったという。

「だがら、言ったのだ……」

 のちに、左大臣となる権大納言・藤原頼房が鼻を鳴らした。

「叔父上」

 敦仁親王にとって亡き母、梅壺の女御の兄である頼房は叔父だが、権力への執着は側で育った敦仁親王を戦かせた。

「親王さま、次の帝になられるのは貴方さまですぞ」

「不謹慎ではないか。帝は平癒あそばされる」

「ほんとうに、そう思われますか? たとえ快癒あそばされても、いつまた発病されるかわからぬ御身体では、御子は望めますまい」

 これはいい機会と遠慮なくほくそ笑む頼房を、敦仁親王はそれ以上責めることはできなかった。

 そして帝が平癒することはなく、譲位が決まった。

 敦仁親王が践祚した即日、帝は崩御する。即位して、二年後のことである。

 

 

「如何あそばされました? 主上おかみ

 ふっと我にかえった今上帝は、声をかけてきた相手を振り返った。

 撫子襲なでしこかさねの五衣を纏った中宮・璋子をみて、帝は笑んだ。

「昔のことを思い出してね……」

 かつて母后が暮らしていた凝華舎――、壺庭には秋の草花そうかが風に揺れている。

 白地の御引直衣おひきのうしを纏い、畳ではなく簀子縁の柱に寄りかかっていた帝は、再び揺れ始めた内裏に悩んでいた。

 

 異母兄の先帝が崩御した時、太后・輝子は呪詛による崩御だと騒ぎ、これに内裏はまたも揺れた。政が揺れれば天地にも異変が生じる。

 その年の秋には大量のいなごが飛来し、田の稲をほとんど食い尽くした。

 さらに疫病も流行り、風葬地は亡骸の山ができたという。

 しかも今度は、怪異である。

「昔のこと?」

 衵扇を口元に当て、璋子が軽く首を傾げた。

「都にまた、物の怪が出たそうだ」

「例の?」

 璋子の例の――とは、宙に浮いて現れる白い面のことと察し、帝は視線を壺庭に向けた。

「それはわからない。式部大輔・藤原実綱ふじわらさねつなの息子が襲われたらしいと噂になっている。ちんが即位してからのこの騒ぎ、これも朕の不徳ゆえのことと思っている」

 帝の第一の務めは、民と国家安寧を毎日神に祈ること。

 内裏・清涼殿の石灰壇いしばいのだんにて、毎朝、帝自身によって伊勢神宮が存在する東南に向かって天下泰平を祈った神事で、毎朝御拝まいちようごはいという。

主上おかみのせいではございませぬ。主上おかみがこの国で誰よりも民と国の安寧を祈られていることは、皆承知しております。天とて、おわかりでございましょう」

 璋子は控えめな女性だが、このときははっきりと言った。

「されど、このまま放置はできぬ。陰陽寮にはかったが、よい手立ては見つかるまで刻がかかるそうだ。さすがの左大臣も、渋い顔であった」

「ひとりだけ――、この件を探るに相応しい方がおります。主上おかみ

 璋子の提案に、帝は微笑む。

「奇遇だね、璋子。朕もそなたと同じ男を思い浮かべたよ」

 


 帝と中宮・璋子が同時に思い浮かべたその男は、清涼殿・昼御座ひのおましの御簾前に座した。

 嫡流藤原の北院と南院の血を同時に継ぐ貴公子ながら雅とはかけ離れ、和歌も蹴鞠もやらず、牛車にも乗らない。左近衛中将まで昇進はしたが、面倒なことは嫌いだという。

 従四位下以上の武官が纏う黒の闕腋袍を纏い、端正かつ精悍なその面は、今はさぞ、不遜な表情を宿しているだろう。

 だが、陰陽寮も当てにならぬとなると、怪異の件はこの男に振るしかない。

 今上と中宮・璋子の従兄にして、左近衛中将・藤原征之に――。

 

        ◆━━━━━━━━━━━━━━━━━◆


 怪異の原因を探ってほしい――、帝にそう懇願された征之は、数拍沈黙したあと、面倒とばかりに首の後ろを掻いた。

 帝を前にしてなんとも不敬な態度だが、帝が東宮に立坊される以前は、南院家にも訪れていたため、征之の性格は帝もよく知っていよう。

「恐れながら――」

 渋面で言いかけた征之の言葉を、御簾奥の帝が遮った。

「わかっている。本来の近衛府の仕事でないことは」

「陰陽寮はなんと……?」

「うまく、はぐらかされてしまったよ……」

「彼らのほうが、専門なのにですか? 主上おかみ

「中宮も、そなたならと推してね。四条での一件、朕も聞いているよ」

 帝は愉快そうに笑っているが、件の件で鬼憑き中将の名は帝にまで知られることになった。ただそのときの物の怪が、風葬地で屍肉を喰っているとるとは知らないほうがいいだろう。

「あれは、偶々なわけで――……」

 征之は首の後ろを掻き続けながら、視線を板の間に落とす。

従兄上あにうえ

 そう呼んでくる帝に、征之は嘆息した。

 帝は真に困ったことがあると、征之を左近衛中将ではなく従兄上と呼ぶ。

 それは南院に出入りしていたときからで、征之はこれに弱い。

「…………わかりました。ですが、過度の期待はされませぬようお願いします」

 そう念を押して、征之は清涼殿を辞した。


「お前――、俺の頼みは拒むくせに、人のいうことは聞くんだな?」

 例によって、征之の背後に紅蓮が顕現した。

「人による……」

 叔母だけではなく、ついに帝からも怪異を調べろと依頼され、面倒事を避けていたつもりが結局は足を突っ込むことになった己に、征之は大仰に溜め息をついた。

 そんな征之に対し、紅蓮はやる気満々だ。

「だがこれで、鬼が狩りやすくなったが」

 そう――、こいつがいた。

 紅蓮は征之に憑き、千匹鬼を狩らねば離れられぬというこれも面倒な男である。


 ――まさかこいつ、俺に一生くっついているんじゃないだろうな……?


 そう思うと、もはや溜め息も出ない征之であった。

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