序章 その男、鬼憑きなり

 長岡京から山城国やましろのくに葛野郡くずのぐんおよび愛宕郡あたごぐん(現在の京都市)に遷都したかの帝は、その王都に「たいらかで安らかな都であって欲しい」という願い込めて、平安京と名付けた。

 かつての都では早良親王さわらしんのう叛逆はんぎやく、日照りによる飢饉、疫病の大流行や皇后ら近親者の相次ぐ死去、伊勢神宮正殿の放火、東宮の発病など様々な変事が起き、原因は早良親王の怨霊によるものとされ、御霊を鎮める儀式を行うも厄災はとまらず、二度の大雨によって都の中を流れる川が氾濫し、大きな被害を蒙った。

 長岡京に遷都して、僅か十年後のことである。

 この新しき都は時代が変わりつつも、明治の世となるまで帝が座す王都となる。

 だが――、実際に平安だったかどうかは、人それぞれであろう。


                 ◆


 師走三十日――、昨夜から降り始めた雪は王都を白く染め、内裏では桃とあしでつくられた弓と矢で疫鬼や疫神を払う儀式、追儺ついなが行われた。 

 なにしろ昨年は飢饉と二度の地震があり、内裏・清涼殿では不審火による火事と災難に見舞われ、叡山えいざん(比叡山)僧侶による祈祷が行われたばかりである。

葛城宮親王かつらぎみやしんのうさまの祟りか、はたまた呪いなのか、内裏内は混乱しているようですね」

 大内裏の外郭十二門のひとつ・陽明門にて、ともに守衛に当たる左近衛少将・藤原直之が話を振ってきた。

 葛城宮親王は、三代前の帝の一の宮だった人物である。素行の悪さを問われて東宮になれず、謀反を企ているとされて配流はいる(流罪)になったという。これが事実なら致し方ないとしても、もしそうでないならば、怨霊となって祟りたい気持ちもわかるが。

 実際この事件のあと、帝が二度譲位し、治世が続かなかったことがある。

 まず葛城宮親王の異母弟である先々帝の、寵愛していた梅壺の女御が内裏で病死した。これは里に下がらせるのを拒んだ先々帝の意思らしいが、死はけがれであり、内裏で死を迎えられるのは帝だけとあって問題視されたのである。

 そして践祚せんそ(三種の神器を引き継ぎ皇位を継承すること)したのが、中宮の子である先帝である。

 しかし今度はこの先帝を病が襲い、即位して二年後に崩御する。まだ二十歳だっという。

 この朝廷の混乱に天地の災異が引きずられたのか、それとも逆なのか、はたまた何者かの策略なのか定かではない。

 

「俺達には関係ないことさ」

 少将が纏う従五位を示す深緋こきひほうではなく、従四位下の黒い袍を纏う男――、左近衛中将・藤原征之ふじわらまさゆきはそう言って視線を天に運ぶ。

 鉛色のそらは、地上のごたごたを象徴しているかのように、なかなか晴れない。

 直之には関係ないとは言ったがこの男――、すでに厄介事に片足を突っ込んでいた。これが自ら招いたことなら仕方ないと諦めがつくものの、巻き込まれた形である上に、今上帝きんじようてい(時の現在の帝)まで絡んでいるため、引くに引けなくなった。

 それに王都では盗賊も出没しており、臣下を連れて大内裏に戻ってきた検非違使の別当べつとう(長官)藤原実資ふじわかさねすけの顔は気難しげで、おそらく、賊の足取りは得られなかったようだ。



「藤原左近衛中将さま、主上がお召しにございます」

 大内裏・宜陽殿ぎようでん左近衛陣さこんのえじん(左近衛府の詰め所)に戻った征之に、舎人とねり(下級武官)がそう告げる。

 ほらきた――、と征之は思った。

 彼も内裏に参内できる位階だが、公卿でも殿上人でもない。近衛府は、左近衛府の武官である。普通ならば武官が、帝に拝謁することはない。

 蔵人頭くろうどのとうを兼ねる、右近衛中将を除いては――。

 しかしこの道理を説くほど、征之の神経は図太くはない。

 征之はやれやれと嘆息し、纏っている闕腋袍けつてきほう(武官束帯)の袂を翻した。


        ◆━━━━━━━━━━━━━━━━━◆


 内裏は北側に後宮・七殿五舎しちでんごしや、南側に儀式の場である紫宸殿ししんでん、そして帝の日常生活の中心地である清涼殿などで構成される。

 帝が朝臣の前に出御しゆつぎよ(お出まし)するのは清涼殿・昼御座ひのおましである。

 通常は昼御座と、それに面した簀子縁との間にある孫廂から、御簾が下ろされているのだが、このときは巻き上げられ、白地の御引直衣おひきのうしに緋袴姿の帝が丸見えで、これを他の朝臣が見ようものなら血相を変えるだろう。

 

「――の中将、例の噂、そなたも聞いておろう?」

 帝は、孫庇に征之が座すとすぐに口を開いた。

「葛城宮親王さまの祟り――、でございますか? 主上おかみ(帝の呼び名)」

「誠にそう思うか?」

 どうやら帝はもうひとつの噂――、何者かによる呪いも疑っているようである。そんなことをしそうな人間といえば、東三条院ひがしさんじよういんが征之の脳裏に浮かぶ。

 先々帝の中宮にして、亡き先帝の母后である。


 ――主上おかみは、呪い殺されたのだ! 北院ほくいんに……! 妾は許さぬ……! 主上おかみいし、権力を手に入れた北院を決して!!


 先帝が崩御した際、彼女はそう言ったという。

 当時朝廷で力を持っていたのは摂関家・藤原西院家ふじはらさいいんけであった。先々帝が西院家の中宮を母后としている上に、僅か十三で即位したことにより、西院家当主・藤原良成ふじわらよしなりが摂政となった。そして中宮として入内じゆだいしたのが、のちに東三条院となる藤原輝子ふじわらてるこである。

 このとき藤原本家――、すなわち北院家は現在ほど力はなかったが、ひとりの姫が女御して七殿五舎は梅壺と呼ばれる凝華舎ぎようかしやに入内したことにより、帝の心は強気な性格の中宮・輝子よりも温和な性格の梅壺の女御を寵愛した。

 この梅壺の女御がのちに帝が内裏にて、死の穢という不敬を犯すことになる相手である。

 

 ふたりの后妃はほぼ同時期に懐妊し、中宮・輝子は一の宮を、梅壺の女御は二の宮を産み、一の宮が東宮となり、十八歳にて即位する。

 その帝が病で臥せり、二年後に崩御。母后・輝子は北院の陰謀だと叫んだ。

 これにより、梅壺の女御が産んだ二の宮が践祚する。

 この二の宮が、現在の帝である。

 その後、中宮・輝子は東三条院と名を変えて内裏を出て、朝廷は北院家主導となった。

 当主にして左大臣は、自身の大姫おおひめ(直系の姫)璋子あきこを、今上帝の即位と同時に中宮とし入内させている。

 かつての摂関家・西院家の力は弱まり、東三条院は対抗策に姪を七殿五舎・弘徽殿こきでんに女御として入内させている。

 そう今上帝には、父である先々帝と同じようにふたりの后妃がいるのである。

 しかし東三条院が現在の朝廷に口を出してきたのはこれのみで、彼女が呪いに関与しているかは不明である。

 

「恐れながらわたしは、陰陽師ではございませぬゆえ……」

 征之は、そう言って低頭した。

「その陰陽師が、内裏に不穏な気が漂っていると申した。以前も申したが、朕は朝廷の混乱は避けたい。ゆえに頭中将ではなく、そなたを呼んだのだ」

 頭中将・藤原兼近ふじわらかねちか――、帝の側近・蔵人頭くろうどのとうと、右近衛中将も兼ねる人物である。

 帝が彼を避けたのはこの男が、東三条院を叔母とし、弘徽殿の女御の弟だからだろう。

 しかも、藤原西院家の嫡子ときた。

「かつての摂関家が、呪詛に関わっていると仰せにございますか?」

「現在の西院家に、そのような力はあるまい。されど、再び朝廷を混乱させるわけにはいかぬ。根本を絶たねば、天はまたお怒りになろう」

主上おかみは、またもわたしを災異さいい避けに?」

 原因を突き止め、内々に解決せよ――と遠回しにいってくる帝に、征之は思わず半眼になった。するとそれは当たっていたようで、帝がふっと笑った。

「そなたは類にない、鬼憑おにつきゆえ」

 やはりそっちか――、と征之は軽く舌打ちをした。

 

 鬼憑き――、そういわれる理由は、本当に鬼に憑かれているからである。その本人にすれば自分は列記とした鬼神だと怒るが。

 この時代――、鬼や物の怪、怨霊の存在は信じられ、病の原因もこれらの仕業とされている。ゆえに人々は祓えの儀式を行い、身内が病となれば加持祈祷をするのである。

 この鬼神――、もともと天界に近いところにいたらしいのだが、些細な失態をして地に落とされたらしい。人間側からすればそんなものを地上に落とされても迷惑なのだが、鬼神いわく、自分の姿が視える人間に憑き、徳を積めば、異界に帰れるという。

 それが征之だったのだが、これが大内裏で噂になり、ついには帝の耳にまで届いた。

 怪異があれば真っ先に征之が呼ばれるため、いまや本職よりも、こういった不可解な事件担当である。

 

  

『ふん、人間とは厄介な生き物よ』

 昼御座の前を辞し、簀子縁を歩いていた征之の背後に六尺もある大男が立つ。

 まだ師走だというに半裸で、腕に長い領巾を絡ませただけだ。

「内裏だぞ。紅蓮」

 堂々姿を現した彼を、征之は一瞥した。

 この紅蓮こそが、征之に憑いた鬼神である。

『気にするな。俺の姿は他の者には視えぬ。今回は俺の出番はなしのようだな』

 口から牙を覗かせ、紅蓮はそういう。

「お前に頻繁に出て来られるお陰で、こっちは迷惑をしているんだ。そもそも憑く相手が違うだろうが」

 陰陽師ならば紅蓮のようなモノを式神として使うらしいが、なぜよりもよって近衛武官である自分なのか――、征之はこの問答を何度も紅蓮と繰り返している。

『腕の良い陰陽師がいなかったのでな』

 紅蓮はいつもようにそう笑った。

 そんな二人の前に、黒袍の公卿が顔を強張らせて立っていた。

 おそらく向こうには、紅蓮は視えていない。

 向かい側から独り言を言いながらやってきた相手に、警戒しているかもしれない。

 そそくさと去る公卿に、征之は嘆息した。

「見ろ。また妙な噂が増えるぞ」

 そう言って振り返ると紅蓮は消えていて、征之は前髪を掻き上げる。

 まったく、面倒なことになったものである。

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