序章 その男、鬼憑きなり
長岡京から
長岡京とは、、山城国乙訓郡にあった奈良時代末期の都のことである。
その都では
早良親王とは桓武帝の同母弟で、その後、東宮に立てられたが、時の権力者・
ただ、実際はどうだったかは定かではなく、濡れ衣を着せられたと思った親王が祟っていると、当時は思われたようだ。
桓武帝が長岡京に遷都して、僅か十年後のことである。
相次ぐ災異を憂いてなのか、桓武帝は再度の遷都をしたのだろう。
この新しき都は時代が変わりつつも、明治の世となるまで帝が座す王都となる。
だが――、平安だったかどうかは、人それぞれであろう。
◆
師走三十日――、昨夜から降り始めた雪は王都を白く染め、内裏では桃と
なにしろ昨年は飢饉と二度の地震があり、内裏・清涼殿では不審火による火事と災難に見舞われ、
「
寒天の下――、内裏の護衛にあたる左近衛少将・藤原直之は、連れ立って歩く人物に問いかけた。
直之が参議に就いている父・
素行の悪さを問われて東宮になれず、謀反を企ているとされて
「内裏のことは、外にいる俺達には関係ないことさ」
少将が纏う従五位を示す
年は直之より三つ上の二十三歳――、父親は右大臣にして藤原南院家当主・藤原露親、叔父は時の権力者・左大臣にして、藤原北院家当主・藤原頼房である。
征之はまるで、彫刻から抜け出してきたかのような鋭い顔立ちをしていた。
濃い眉は意志の強さを物語り、切れ長の目は周囲を見渡すたびに冷静な光を宿している。
冠から零れ落ちる前髪は、風に乱れても無造作ながら凛々しさを失わない。その姿は飾り気がなく、派手さはないが、その佇まいには人目を引く力があった。
肩幅は広く、引き締まった体は、彼が鍛え抜かれた日々をおくっていることが見て取れる。その立ち姿だけで、彼が頼れる人物であることを、直之にもわかった。
左近衛府の花形――、左近衛中将となるくらいである。血筋以上に、一芸に秀でていなければ昇進はしないだろう。
ただ――、彼は「俺は面倒なことは嫌いだ」とよく言っている。
直之が
「ですが、すでに厄介事に片足を突っ込んでおられませんか?」
「まったく、
征之は渋面で、首の後ろを撫でている。
何でも陰陽師でもないのに、怪異の調査をさせられているという。さらに、
「王都では盗賊も出没していますしね……」
直之は臣下を連れて大内裏に戻ってきた
「藤原左近衛中将さま、主上がお召しにございます」
大内裏・
ほらきた――、と征之は呟いた。
彼も内裏に参内できる位階だが、公卿ではない。近衛府は、左近衛府の武官である。普通ならば武官が、帝に拝謁することはない。
征之はやれやれと嘆息し、纏っている
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
内裏は北側に後宮・
帝が朝臣の前に
通常は昼御座と、それに面した簀子縁との間にある孫廂から、御簾が下ろされているのだが、このときは巻き上げられ、白地の
「――
帝は、孫庇に征之が座すとすぐに口を開いた。
「葛城宮親王さまの祟り――、でございますか?
「誠にそう思うか?」
どうやら帝はもうひとつの噂――、何者かによる呪いも疑っているようである。そんなことをしそうな人間といえば、
先々帝の中宮にして、現在は太后・東三条院と名乗っている先帝の母である。
征之が父・露親から聞いた話によれば、彼女は先帝が崩御した際、こう叫んだという。
――
当時朝廷で力を持っていたのは摂関家・
このとき藤原本家――、すなわち北院家は現在ほど力はなかったが、ひとりの姫が女御して七殿五舎は梅壺と呼ばれる
この梅壺の女御がのちに帝が内裏にて、死の穢という不敬を犯すことになる相手のようだ。
ふたりの后妃はほぼ同時期に懐妊し、中宮・輝子は一の宮を、藤壺の女御は二の宮を産み、一の宮が東宮となり、十八歳にて即位したらしい。
その帝が病で臥せり、二年後に崩御。母后・輝子は北院の陰謀だと叫んだという。
これにより、藤壺の女御が産んだ二の宮が践祚したという。
この二の宮が、現在の帝である。
その後、中宮・輝子は東三条院と名を変えて内裏を出て、朝廷は北院家主導となったらしい。
現在、北院当主にして左大臣は、自身の
かつての摂関家・西院家の力は弱まり、東三条院は対抗策に姪を七殿五舎・
そう今上帝には、父である先々帝と同じようにふたりの后妃がいるのである。
しかし東三条院が現在の朝廷に口を出してきたのはこれのみで、彼女が呪いに関与しているかは不明である。
「恐れながらわたしは、陰陽師ではございませぬゆえ……」
征之は、そう言って低頭した。
「その陰陽師が、内裏に不穏な気が漂っていると申した。以前も申したが、朕は朝廷の混乱は避けたい。ゆえに頭中将ではなく、そなたを呼んだのだ」
頭中将・
帝が彼を避けたのはこの男が、東三条院を叔母とし、弘徽殿の女御の弟だからだろう。
しかも、藤原西院家の嫡子ときた。
「かつての摂関家が、呪詛に関わっていると仰せにございますか?」
「現在のに西院家に、そのような力はあるまい。されど、再び朝廷を混乱させるわけにはいかぬ。根本を絶たねば、天はまたお怒りになろう」
「
原因を突き止め、内々に解決せよ――と遠回しにいってくる帝に、征之は思わず半眼になった。するとすれは当たっていたようで、帝がふっと笑った。
「そなたは類にない、
やはりそっちか――、と征之は思った。
鬼憑き――、そういわれる理由は、本当に鬼に憑かれているからである。その本人にすれば自分は列記とした鬼神だと怒るが。
この時代――、鬼や物の怪、怨霊の存在は信じられ、病の原因もこれらの仕業とされている。ゆえに人々は祓えの儀式を行い、身内が病となれば加持祈祷をするのである。
この鬼神――、もともと天界に近いところにいたらしいのだが、些細な失態をして地に落とされたらしい。人間側からすればそんなものを地上に落とされても迷惑なのだが、鬼神いわく、自分の姿が視える人間に憑き、徳を積めば、異界に帰れるという。
それが征之だったのだが、これが大内裏で噂になり、ついには帝の耳にまで届いた。
怪異があれば真っ先に征之が呼ばれるため、いまや本職よりも、こういった不可解な事件担当である。
『ふん、人間とは厄介な生き物よ』
昼御座の前を辞し、簀子縁を歩いていた征之の背後に六尺もある大男が立つ。
まだ師走だというに半裸で、腕に長い領巾を絡ませただけだ。
「内裏だぞ。紅蓮」
堂々姿を現した彼を、征之は一瞥した。
この紅蓮こそが、征之に憑いた鬼神である。
『気にするな。俺の姿は他の者には視えぬ。今回は俺の出番はなしのようだな』
口から牙を覗かせ、紅蓮はそういう。
「お前に頻繁に出て来られるお陰で、こっちは迷惑をしているんだ。そもそも憑く相手が違うだろうが」
陰陽師ならば紅蓮のようなモノを式神として使うらしいが、なぜよりもよって近衛武官である自分なのか――、征之はこの問答を何度も紅蓮と繰り返している。
『腕の良い陰陽師がいなかったのでな』
紅蓮はいつもようにそう笑った。
そんな二人の前に、黒袍の公卿が顔を強張らせて立っていた。
おそらく向こうには、紅蓮は視えていない。
向かい側から独り言を言いながらやってきた相手に、警戒しているかもしれない。
そそくさと去る公卿に、征之は嘆息した。
「見ろ。また妙な噂が増えるぞ」
そう言って振り返ると紅蓮は消えていて、征之は前髪を掻き上げる。
まったく、面倒なことになったものである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます