第22話

「あいつ、勉強道具置きっぱなしじゃんか」


 散らかったままの机を見て、また深くため息をつく。

 そして雪村の解いていた問題集を片付けながら、彼女の言葉を思い出す。


「俺と一緒に大学行きたいって……なんだよそれ」


 俺にはわからない。 

 進学という大きな人生の選択を、他人の選択に委ねるなんて、理解できない。

 俺が大学に行くなら行きたい? 

 そうじゃなかったら行かない?


 なんでそんなことが言えるんだ。

 どうして俺なんかにそこまで……。


「貴樹、入るわよ」


 叔母が扉をノックしてから、部屋に来た。


「なんだよ」

「さっきはごめんなさい。帰りの車の中で盛り上がってた流れでつい、ね。ちゃんとさゆちゃんは送っていったし、あの子にも謝っておいたから」

「別にいいよ。でも、俺の気持ちは変わらないから」

「まあ、それは嫌でもわかってるわ。だけどさゆちゃんの気持ちも、少しくらい考えてあげたらどう?」


 叔母は扉を閉めてから、床に正座して俺の方をまっすぐ見つめた。

 

「ごめんなさい、あの子を使って説得してるみたいで卑怯だとわかってるわ。でも、私たちは最近のあんたを見てたらほんとに嬉しかったの」

「だから雪村に嫌われないようにあいつの意見を聞けって?」

「そうじゃないわ。あんた自身が意地を張って、本当の自分の気持ちに蓋をしてるんじゃないかって心配してるの」

「本当の、気持ち……」

「楽しいことは楽しいって、嬉しいことは嬉しいって、もっと素直に出していいのよ。さゆちゃんのこと、大切に思ってるんでしょ? あの子といるのが、楽しいんでしょ?」

「……」


 俺と雪村は、叔母が思っているような関係ではない。

 成り行きで知り合っただけの同級生。

 しつこく絡んでくるから仕方なく……いや。


 しつこくされたって、嫌なものは嫌だと避けてきたはずだ。

 でも、雪村にはなぜかそうしない。

 できない、気がする。

 俺が、そうしたくないから……。


「とりあえず進学の話は忘れてくれていいわ。でも、ちゃんとさゆちゃんのことは考えてあげてね」

「……わかってるよ」

「じゃあ、そういうことだから。夕食作ってくるわね」


 叔母は静かに立ち上がり、部屋を出ていった。


 俺はまた、深くため息をつく。


 両親が亡くなった日から今日に至るまで、俺は我慢なんかしているつもりは微塵もなかった。

 叔父と叔母への感謝を込めて。

 そして自分自身が強くあるために。

 脇目も振らずに頑張ってきたつもりだった。


 けど。

 もしかしたら、蓋をしていただけなのかもしれない。

 辛い現実を直視したくないから。

 両親がいない寂しさを感じたくないから。

 他人と関わる怖さから逃げるために。

 

 見ないフリをしていたのかもしれない。

 そんなことを思うと、頭の中がぐちゃぐちゃになる。


「あーもう、頭痛い」


 ガリガリと頭を掻きむしり、考える。

 でも、何も結論なんか出てこない。


 自分がどうしたいのかも、どうなりたいのかも。

 でも。


「雪村……」


 なぜか、彼女のことが頭をよぎる。

 あいつのことだから、俺のことを心配して一人で悩んでるんじゃないか。

 今、どうしてるのか。

 気になって、しょうがない。


「……ったく」


 ひとまとめにした雪村の勉強道具を手にとり、部屋を出た。


 店に降りると、叔母さんが黙々と夕飯の準備をしていた。


「ちょっとでかけてくる」


 声をかけると、目を丸くしてきょとんとしていたがすぐに「いってらっしゃい」と。


 優しく声をかけてくれる叔母に手を振ってから店を出た。



「……どうしようか」


 俺が向かった先はもちろん雪村の家。

 しかしあまりに近所なので考えをまとめる間も無く家の前に着いてしまった。


 思い立った勢いで出てきたまではよかったが、ここで俺は自分という人間の生き様の不器用さを改めて痛感する。


 知り合いの家に一人で訪ねた経験がない。

 しかも女子の家なんて、あるはずもない。


 この前は不可抗力で家にお邪魔したが、あれは雪村と一緒だったし。


 急に俺が訪ねてきて、変に思われたりしないだろうか。


 いや、らしくないぞ俺。

 別に他人にどう思われても関係ないってのが信条だったじゃないか。


 別に悪いことをしているわけでもないんだし。


 ……行くか。

 

「す、すみませーん」


 玄関先で呼びかける。

 舞い上がっていたのか、インターホンを鳴らすなんてことも忘れていた俺は少し声を張り上げて何度か呼びかけた。


 すると、玄関の向こうからどどどっと慌ててこっちに走ってくる足音がして。


「た、貴樹君!?」


 勢いよく扉を開けて雪村が飛び出してきた。


「ど、どうしたの!?」

「い、いや、別に。忘れ物、届けにきたんだよ」


 いつもならなんとも思わないのに、雪村の姿を見て俺は少し緊張してしまった。

 さっきまでと変わらない白のシャツとジーンズ姿の彼女は、そんな俺を見て驚いた後でまた。


 いつものように笑う。


「えへへ、来てくれてありがと。ねっ、せっかくだしお茶していかない?」

「いや、それは」

「いいからいいから。今日ちょうどね、貴樹君の好きなケーキあるの。ねっ?」

「……ちょっとだけなら」


 さっきの後ろめたさもあり、帰るなんて言えず家にお邪魔することに。


 そして前回と同じ部屋に通されてから、ソファに座ると雪村は「お茶いれてくるね」と。


 部屋を出ていって、俺は一人部屋に残された。

 


「貴樹君、貴樹くん、たかきくん、たかきくん……好き。大好き」


 ヤカンを火にかけながら。

 頭の中は彼のことで溢れかえっていた。


 おばさんたちとあんな会話があって、貴樹君も辛いはずなのに私のことを心配して来てくれた。


 忘れ物だって、ふふっ。

 そんなの、別に明日でいいじゃんって貴樹君は真顔で言うタイプなのに。


 さゆに会いにきてくれたんだよね?

 心配してくれてるんだよね?


 いつも。

 どんなときも。

 私に優しい貴樹君。


 好き。

 今日は、帰したくない。


 叔母さんに、ラインして。

 ママにも、ラインして。


 パパにも、連絡しておこう。


 えへへ、幸せ。

 あつーい、あつーいコーヒー淹れてあげる。


 飲み干せないくらい熱い。

 一口も飲めないくらいぐつぐつ沸いた。


 私の気持ちくらいあっつあつの。


「待っててね。貴樹君」

 

 

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病んでそうなギャルに懐かれたのだが、同時に周りの様子もおかしくなった件 天江龍 @daikibarbara1988

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