第6話

「ただいまー」

 玄関のドアが甲高い音を立てて開き、重量のあるビニール袋が置かれ振動が壁越しに響く。靴を脱ぐのに手間取っているのか、カツカツと幾度かのステップの後、荷物分の重みを足した足音が廊下を移動していく。

「ゆいとー? 元気んなったー? 今日はねー、職場の人に教えて貰った絶品シチューば作るけんね、楽しみにしときなっせー」

「お母さん」

「おお、なんね起きとったんね」

「うん、あ、おかえり。あの、ちょっとその……話があるとだけど」

「話? 話ってなん?」

「それがえっと……実はその」

「なーん? さっさ言いなっせ。おもらしでも──」

「すいません、お邪魔してます」

「わっ! ……誰?」

 手に持っていたアイスの箱が床に落ち、衝撃でカップが一つが飛び出して床に転がった。それを拾おうとする前に、キッチンの上に差し込んである包丁に向けてゆっくり手を伸ばし始めた。家の中に見知らぬ、それも息子よりもかなり年上の男が座っていたら驚くのも無理は無いが、意外と思い切りの良い母親だなと私は思った。

「ど、どなたですか?」

「息子さんと仲良くさせて貰ってます、桑名と言います。実は息子さんの今後の事でご相談したい事がありまして、不躾かとは思いましたが上がらせて頂きました」

「はあ……」

「そんなにお時間取らせませんので、食材を直すまでお待ちします」

「じゃあ……少し待って貰えます?」

 一対一なら話にもならないだろうが、息子がいて、その息子の事で相談となればテーブルに着くくらいはしてくれると踏んだが成功だったようだ。チラチラとこちらを伺いはするものの、包丁を取り出すような真似はしなさそうだし、第一段階はクリアしたと言っていい。

 食材を冷蔵庫に仕舞い終わり、麦茶を注ぎ私に差し出した。

「ご丁寧にありがとうございます」

「……それで息子の事でなにか?」

「その前に一つお伺いしたい事がありまして、息子さんらの中で学校に纏わる噂話があるのはご存じですか?」

 母親の眉毛がピクリと動いた。

「いえ……それと何か関係が」

「ええ。もう少し具体的にお伝えしますと、学校の三階に誰も入らない開かずの教室ならぬ開かずの廊下があるのはご存じですよね? 授業参観か何かでご覧になった事があるはずです。そこに幽霊がいる、という噂話なのですが」

「まあ……見た事はありますが、そんな噂話があるとは知りませんでした。あなたもしかして宗教か何かの勧誘ですか? そういうのうちお断りなんですけど」

「いえまさかそんな。私は無宗教ですので、入信がどうとか壺を売ったりだとかセールス的な話でもないです」

「じゃあ何ですか? 正直気持ち悪いんで早く終わらせて欲しいんですが」

「息子さんがその噂話、学校の怪談に巻き込まれてるっていう話なんですよ」

 目を見開いたまま固まった母親。反応からしてやはり知っているようだ。すかさず私は畳みかけた。

「息子さんと仲良くしていた久保君、ご存じですか? どうやら彼は昨日から失踪しているらしく、息子さんも、同じく甲斐君も探していたそうなんです。家には勿論、町中にはいない。甲斐君の話によると久保君の部屋の荷物が全て片付けられていたそうですし、引っ越しかなとも考えたんですが、そうでもないようで……ここからが本題なんですが、昨日唯人君にお使い、頼みましたよね?」

 固まっていた母親が私を見、そして息子へと視線を移した。驚愕、恐怖、焦燥。そういった感情が簡単に読み取れる。恐らく順風満帆だった彼らの生活に入り込んだ怪異。こんなに動揺している親を見たのは、彼の短い人生において初めてではなかろうか。

「その途中で学校に──」

「か、帰ってください」

 予想していた通りの反応が返ってきた。宗教勧誘と思った、のではなさそうだが、有無を言わせぬ言い方は知っている人特有のテンプレートなのかもしれない。

 私の父と同じように。

「あなたがどこの人かは知りませんけど、うちの子には必要ないです。お引き取りください。じゃないと警察呼びますよ」

「唯人君に関わる大事なことなんですよ?」

「今時テレビでも取り上げないような話なんて誰が信じるって言うんですか。もう息子に関わらないでください……本当に警察呼びますからね」

「……分かりました。ごめんね力になれなくて……じゃあお邪魔しました」

「桑名さん……」

 背後からのチクチクした目線を感じながら、足早に藤家を後にした。小学生に任せるなんて無責任だと言われても甘んじて受け入れるしかない。いくら理由を並べても他人と家族じゃ説得力が違うのだから。


 帰り着く頃には夕食の時間はとっくに過ぎてしまうだろうが、こんなど田舎でタクシーを拾うのはほぼ不可能に近いし、当初の予定通り歩いて帰るしかない。ついでに学校の外観でも見て、教室に所狭しと貼られている新聞を確認するとしよう。

 グーグルマップで現在地と学校までの最短ルートを確認し、案内に従って歩いていく。地元とはいえ案外知らない道もあるもので、小さいながらに駄菓子屋や個人経営の電気屋もある。この辺に住んでいる子供達が住宅ひしめく狭い道を通り、町中を縦横無尽に駆け巡っているのが目に浮かぶ。

 壁や窓の隙間からの監視付きで。

 学校までの道のりはそう遠くなく、速足で十五分弱で到着した。もう既に裏門の柵は閉まっており、サッカー部や他の生徒先生等の声も聞こえない。藤君が久保君を発見したのはここか。校舎内に薄っすらと入り込んだ光で、下駄箱とそのすぐ横にある階段が確認出来る。上階へと目線を上げていき三階、例の廊下と教室を探す……人がいない巨大な建物程静けさが際立つ。

 実は全てがドッキリだったりしないかと宝くじに当たるくらいの淡い期待をしていたが、三重に並べられた机のバリケードを見て「そうかあ」と溜息をついた。

 暗くて詳細は分からないが、机と机はチェーンで補強され倒れない仕様にしてあるようだった。小学生くらいの体格ならばどうにかして通れなくもないだろう。久保家横の秘密の通路しかり、子供は大人が思いつかない、思いもよらない場所に侵入したがるものだ。神社の軒下、飼育小屋の屋根の上、藪の中にある廃小屋。自身の過去も思い浮かばれる。

 そのバリケードの先に教室があるのだが、角度的に教室の天井の一部しか見えない。あそこからどす黒い水がバケツをひっくり返したみたいに流れ出たという話だったが、遠目からでは普通の天井に思える。幽霊は突然そこに現れるものだし、いつもは普通の天井で発現する時にだけ変化があるのかもしれない。どちらにしろ私が入ることは叶わないが。

 教室の反対側も同じく封鎖され、証言通りの『開かずの廊下』となっていた。

 教室一つを丸々封鎖するなんて、相当の理由が無ければまずしないだろう。それが天井の老朽化によるものだとするならば、すぐ両脇の教室は勿論階下も危険極まりない。すぐにでも補強工事なりするべきである。金の工面が難しい、と言い訳も出来るが金持ちロードがそれを否定しているし、何よりそんな危険な場所に子供を通わせられるとは考え難い。震災の影響か……? 

 近くの家々から醤油や香辛料の香りと談笑が道に転がって来る。私の家も昔みたく談笑する日が来てほしいが……学校を後にして帰路に着く。

 実家へと帰るには大きく分けて道が三つある。山間部から金持ちロードを直進し、丘を一つ越える新道、もう一つはその丘をくねくねと登って行く旧道。そして今は私が歩いている広大な田んぼを突っ切る農免道だ。時間的には大体同じだが、丘を行く道はゆるゆると登り続けなければならない為、中学からの帰宅時にはこちらを使用していた。逆に登校時は登り切ってしまえばずっと下り坂なので新道か旧道を使用する。

 周りが田んぼのみだから人はおろか車も殆ど通らない。点在するビニールハウスの中で人影が動いているのが遠目に見える。何を作っているのか聞いた気もするが、すっかり忘れてしまった。

「あ、もしもし。少し時間大丈夫ですか?」

「えーっと……まあ少しなら大丈夫だけど……今一人?」

「そうですね、田んぼのど真ん中なので」

 時間的に食事の最中だったのかもしれない。電話の奥から優紀の声がそこにいるかのように響いてくる。

「ごめんそれで……何か用事だったかな?」

「用事って程でもないんですけど、聞きたい、確認したい事がありまして」

「確認? 何の?」

「この前の話覚えてます? 公園での事なんですけど」

「ああ……まあ、そうね、覚えてはいるけど」

 歯切れの悪い物言いに私は確信した。

「2つ聞きたい事があって、優紀に代わってもらえたりしますか?」

「優紀に? 今ご飯食べてるからちょっと難しいかな、ごめんけど」

「そうですか、じゃああと一個優奈さんに聞きたいんですけど……昨日、父から電話ありましたよね?」

「…………」

 やはりあの電話は優奈に掛けていたものだったようだ。違っていたとしたらそれはそれで謎が深まるだけだが、これで家族が抱える秘密に少し近づける。優奈が答えてくれればいいが。

「何言われたか教えて貰えたりしますか?」

「……いや、まあほら子育てに関してだったから。聞いてもあんまり意味ないんじゃないかな?」

「話に出てた男の子が行方不明になってても、ですか?」

「え──」

「いや、違うか、そうじゃなくて、行方不明になるかもしれないから電話があったんですよね。例えば何だろう……暫くこっちに寄るな、とか言われたんじゃないんですか?」

 また黙り込んだ優奈の横で、どしたのーと声を掛ける優紀。

「父さんから何を言われたにしろ、一人の男の子が行方不明になったんです。しかももう一人既に巻き込まれてるんですよ。僕らにとっては全くの赤の他人だとしても助ける手段があるんならそうすべきです。それに……また家族に隠し事されるなんて嫌ですよ。隠し事があったからあの時」

「それを持ち出すのはずるいでしょ…………話したら縁切るって」

「何言ってるんですか。幽霊にしろ事件にしろ子供が行方不明になってるのにそれを黙ってろって、関与してますって自白してるのも一緒ですよ。自分の親に対してあれですけど、そんな人とは縁切る方が良いと思いますけどね。借金とかがあるんなら話は変わってきますけど」

「…………すぐに掛け直すから五分くらい待ってて」

 優奈はそう言って電話を切った。

 全くの赤の他人。自分で発した言葉の意味を改めて考える。

 出会った誰も彼も親戚でも友人でもクラスメイトですらないのに、わざわざ事件に首を突っ込む必要がどこにあるのだろうか。見て見ぬふりをすれば自分の人生に何の影響も無いし、親との関係性が不安になることもない。昔から厄介ごとに首を突っ込む傾向があったかと聞かれればノーとは言えないが、自分の身を危険に晒してまでやることか。

 こちらはイエスだ。どれもこれも十年前の事件のせいなのは間違いなく、それを優奈も分かっているから無下に断らないでいてくれる。

 まだ家族の中に秘密があるのということがどんなに気持ちが悪いか、優奈も分かっている。

「もしもし」

「手短に話すけど、まず伯父さん達には黙っておいてくれるのよね?」

 優奈からの折り返しだった。開口一番、いつにも増して語気が強い。

「絶対言いません。今、両親にも町にも不信感しかないですし、またかよってちょっと呆れてる部分もありますし」

「でもどうするの。まさかあなたがこの意味不明な問題を解決するつもりなの?」

 やれるかやれないかはさておき、沈黙で答える。

「はあ……私も手伝ってあげたいけど、私には優紀がいる。だから大した事は出来ない」

「大丈夫です。気持ちだけでも嬉しいんで」

「……一回しか言わないからね。伯父さんが言ってたのは優紀が不審者に目を付けられたかもしれないから暫くの間御粕會に来るなってこと。多分公園にいただろうから優紀が見たかどうか確認して、もし見てたらすぐに連絡して、出来るだけ遠くに逃げること。不審者は伯父さん達がどうにかするらしいから、とにかく私は関わるなってこと。ちなみに優紀は着物の人は見てないって。だからそういう意味では大丈夫だと思うけど」

「……匂いについては何か言ってなかったですか?」

「匂い?」

 久保、藤両名から放たれた異臭の話を若干の推論はありつつも伝える。しかし、返ってきた答えは「覚えていない」だった。自我が芽生えて間もない子供に、数日前の匂いを覚えているか、と聞く方が無茶というものだったか。あの匂いを嗅いだら小さい子なら思わず臭いと声に出しそうなものだし、優紀は何も感じ取れてはいないのかもしれない。幼い子の方がそういうものに敏感とはよく言うが、そうじゃない子供だっただけだ。一応、優紀に関しては一安心としていいだろう。

 匂いに気を付けてと注意した直後にキャッチフォンが入り、礼を言って優奈との電話を切った。切る間際に無茶はしないでねと釘を刺されたが、私も死にたい訳ではない。むしろ心地よく生きる為には必要なのだと思う。

 収穫はあった。根本的な解決策ではないにしても、天気予報の様に備える事はできる。確実に濡れる土砂降りの雨でも傘が無いよりはマシだろう。

「………もしもし、桑名さんですか」

 知らない電話番号に出ると、聞き馴染みのない女性の声がした。だが、その声の主が誰なのかはすぐに分かった。

「あの……藤ですが……桑名さんの携帯で間違いないでしょうか」

「はい、そうです」

「先程はその……本当にすみませんでした…………唯人から色々と聞きましてその、身勝手なのは重々承知してますが……唯人を助けては頂けないでしょうか」

 実家のある方角を見ると黒々とした木々は風に揺られて、荒れる波の様にうねっている。荒れ狂う波は葉の擦れる音と共にあの淀んだ匂いを運び、以前と同じ忌避感を覚えさせた。

 まだ実家に帰る事は出来ない……一度目の長い夜が始まろうとしていた

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