第2話

「────ていう話なんですけど、テレビで使えそうですか?」

「……うーん」

 正直どこにでもありそうな雑然とした話だ。小学生の間で流行る噂なんてそんなものだろうし、勝手に聞いておいて勝手にがっかりするのは失礼か。こちらで尾ひれを付ければ多少整合性とエンタメ性も増しそうでもあるが。

「あ、それのせいか知らないんですけど、学校六時には閉まっちゃうんですよね」

「六時はちょっと早いね。ちなみにその話って御粕會小にずっとある話?」

「多分そうだと思います。俺達が今五年生なんですけど、三年の時に六年から聞いて、その六年は二年の時に聞いたらしくて、だからえーと……結構前からあるみたいですけど、お母さんは知らないって言ってました」

「お母さんも御粕會小出身なの?」

「あ、はい、そうです」

「お母さんはいくつ?」

「四十? 多分そんくらいです」

 少なくとも三十年前には怪談は存在していなかった訳だ。これまで世間でも怪談ブームは幾度となく訪れているし、その流れに乗って作られたものだろう。

「その教室のどこが古くなってるとか聞いた事は? 工事とか入ってるの見た事ある?」

「ううん、見た事無い。学校の事だからすぐにやるのは難しいんだって、あ、ですって」

「はは、敬語とかは気にしなくていいよ。それで、実際にその女の子を見たり声を聞いたりした友達っているのかな?」

「……」

 ここに来て急に黙り込んでしまった。恐らく誰も見聞きしてはいないのだろう。あくまで噂は噂。幽霊の正体見たり枯れ尾花。偶然聞こえた声をその幽霊と思い込み、子供達が語り継ぐ度に尾ひれが付いて、封鎖されたその教室に引きずり込まれる話になったのだろう。更に代を跨げば地獄に繋がってて等と言い始めるはずだ。まあ教室が修理されれば、噂も自然消滅するに違いない。

……と、思っていたのだが。

「なぁ、お前この前さぁ」

「あれは、違うって言ったくない?」

「でもあんだけ見たって言い張っとったやん」

「だから勘違いだったって言ってんじゃん!」

「なんむきになってんの? キモ~」

「だってお前も聞いたって言うけん話したのに、実は違うて言い出すけんさ、さ、黙ってるって言っとったのに勝手に喋るから!」

「いいだろ別に。だってテレビ出れるんばい、それくらい良かろがって」

「ちょっとちょっとストップストップ。こんな事で喧嘩しない」

 長身の坊主と茶髪の子が言い争い、他の子は我関せずで様子を見ている。

 その茶髪の男の子を仮に久保康平くぼこうへい君とする。

 察するに久保君が何かを見聞きし坊主に話したが、理由があるのか勘違いという事にしたいらしい。

「久保君、勘違いなら勘違いでもいいんだけど……もしかして誰かに話しちゃダメって言われた? 親じゃなくておじいちゃんおばあちゃんとか。あ、勿論言いたくないなら言わなくてもいいんだけどね。まあ……ちょっと番組のネタとしては弱いかもしれないけど、そうだね、うん、俺の方から掛け合ってみるよ」

 少々意地が悪いなと思いつつも、するすると口が滑る。私の言葉と共に久保君の顔が曇り、分かりやすく目線が泳いでしまっている。

「じゃあ……他に怖い話知ってる人はいるかな? 友達とか兄弟の話でもいいよ」

 そう助け舟を出すと久保君は分かりやすく胸をなでおろし、他の子達は記憶の底を各々掘り起こす。出てきた単語がムラサキカガミや口裂け女で無い所を見ると、もうそんな古めかしい都市伝説や学校の怪談は廃れてしまったのだろう。私が小学生の頃は、放課後に2、3人が集まってこっくりさんに興じているのを見かけたものだが、ゲームやインターネットが確立した現在にはオカルティックな代物も流行りにくいのかもしれない。伝聞でしかない噂話だからこそ噂話怪談足り得るし、その方が断然オリジナリティがある。

 出て来たのは、滝のある山の方には腕が四本で人型の怪物がいるだとか、例の住宅街には夜な夜な徘徊する女の霊がいて、もしも出会うと自分の子供にする為に連れ去られてしまうだとか。あとは祭りの名前の由来にもなった、町を流れる粕會川に河童がいる説。

 夕焼け小焼けが懐かしく周囲に鳴り響き、それを合図に彼らへの取材は終了した。途中こちらからも父の学生時代に起きた体験や亡くなった友人が現れた話を提供し、一頻り怖がらせて公園の方へと再度戻る。

 金持ちロードを通過し公園が見えてくると同時に、恐らく従姉弟の物と思われる赤いミニバンが自分を通り越し、駐車場に入っていくのが遠目に見えた。そしてバンが停車してすぐに着信が鳴り

「着いたよー! どこー!?」

 と可愛らしい声が耳を貫いた。場所を伝えると、勢いよくドアが開きこちらに向かって手を振る小さい姿が確認出来た。真鍋優紀まなべゆうきが首の座らない頃から成長を見守っているので、こんなに大きくなったのは両親程ではないにしても感慨深い物がある。年に数回しか帰省しないのもあって余計にその成長ぶりを感じられる。

「どこ行ってたのー?」

「ちょっと散歩してただけだよ。優紀また大きくなったんじゃなーい? 今身長いくつ?」

「えー、えーっとね分かんない。ねえねえおじちゃん早くあそぼー」

「はいはい。じゃあ優奈ゆうなさん、ちょっとその辺り行ってきます」

 優紀の後ろからてくてくと優奈が歩いてくる。

「ありがとう。私はスーパーに用事があるからそれまでよろしくね。何か要るものはある?」

「いえ、特には。アレルギーとかありましたっけ?」

「ううん、あ、ジュースじゃなくてお茶にしといてね。今日はもう飲んでるから」

 優奈が駐車場を出るのも二人で見送り、公園に設置された遊具に取り掛かる。昔地元の村にあった唯一の小さい公園には、二人乗りのブランコと動物を模ったスプリング遊具があった。劣化や安全基準の改定で危ないと撤去され、今はその土台だけが時間の経過を表す様に残っている。比べてここにあるのは可動域も少なく、丸みを帯びたものばかりだ。安心設計になったのは嬉しい事だが、若干の寂しさがあるのは否めない。親になればその考えも変わるのかもしれないが。

「ねー、おっきい象のとこ行きたーい」

「よーし、じゃあお鼻のとこまで競争だ! よーい……どん!」

 合図と共に勢いよく走り出す優紀。その後ろをもったもったとついていく私。周りでも同じように子供達と親家族が各々の遊びを興じ笑い声を上げ、街路樹に取り付いた蝉がその声に負けじとばかりに泣き喚いている。向かい風が砂ぼこりと声を押し返し、優紀は負けじと腕を振って前に進もうとしている。

 ふと、どこかで嗅いだ事のある香りが砂に混じって私の鼻を突いた。

「いっちばーん! ぼくのかちー! じゃあねじゃあね、次は上にのぼって……こんにちわー」

「……こんちわ」

「あ、久保君」

 象をかたどった複合型アスレチックの滑り台の影から現れたのは、先程別れたばかりの久保君だった。ボールは他の子の物だったようで、手には小さい財布だけが握りしめられている。眉間に皺を寄せて俯いているが、喧嘩でもしたのだろうか。今にも泣き出しそうな感じが見受けられる。

「久保君、大丈夫?」

「……たら……か?」

「え?」

「いくらあったら……?」

「……何だって?」

「い、いくらあったら僕を助けてくれますか? 今、お小遣い……少ないかもしれないんですけど三千円持ってます。これとあと家の貯金箱にお年玉が多分一万円くらいあると思います。これでたっ、助けてくれませんか」

「おじちゃん、この人だれ?」

「いや、えっと……」

 本当に失敗したなと思った。ただの小学生だと思って油断していた。テレビ局の人間だなんて言ってしまったのが原因ではあるが、この歳にもなって本気で幽霊を信じているとは思わなかった。

「あー、久保君、テレビ局じゃ助けたりっていうのはちょっと難しいんだよね。霊媒師さんが働いてるわけじゃないからさ。残念だけどそういう知り合いもいないし……近くの神社に神主さんがいるだろうから、その人達に聞いてみるといいかもしれないよ」

「神主さん分かんないです」

「じゃあ学校の先生には? 学校の事なんだから色々知ってるんじゃないかな?」

 俯いたまま小さく首を振る久保君。

「それじゃあお父さんお母さんには相談してみた?」

 大きく振った首元から、汗に混じって溜池の匂いが辺りに散らばった。

「む……無理です。おこ、怒られたんです。声が聞こえたって言ったら『それ以上その話をするんじゃない』って。でも、でも……」

「でも、どうしたの?」

「なんか夜眠れなくてっ……凄く心臓がドキドキして、だから水飲んだら落ち着くかなと思って台所に行って、そしたら……そしたらお父さんとお母さんが机に座って泣いてて、それでそれでその」

「久保君落ち着いて? ね?」

 優紀が私の服の袖を引っ張りながら怖いと訴えてくるが、その声は久保君には届いていない。

「それでお母さんが『なんであの子なの』って『こんなのひどすぎる』って言ってお父さんが慰めてて、でもその子って僕の事だよね!? 仕方ないって何!? 諦めるしかないってどういう事!?」

「ちょ、ちょっと久保君、落ち着こうか」

「なんで!? 僕が選ばれたから悪いの!? 声が聞こえたからいけなかったの!? 何も悪い事してないのになんで僕なの!? 僕死んじゃうの!?」

 私は羞恥しゅうちを感じて辺りを見回した。久保君の叫びを風も蝉も搔き消さず、誰もが息を潜めているかのように公園中に響き渡ったからだ。

 若干の薄ら笑いを浮かべて頭を下げながら、どこにでもよくいる腰の低い感じを装った。これで痴話喧嘩している歳の離れた親戚に見えるだろうと。

「…………」

 しかし、その薄ら笑いは一瞬にして消え去ってしまった。

 右を見ても左を見ても、公園中にいる保護者達が子供の手や体を握り締め、開いた瞳孔でこちらを凝視していたからだ。普通に考えれば大人が子供を泣かせていて、それを訝しむ大人達という図式だと思われるが、何かが違う気がした。

 ただ見つめられているのではなくて、しっかりと顔を覚える為にこちらを見ているのではないかと思われる様子だったからだ。その後すぐ、前々から示し合わせていた様な動きで子供を抱えて、我先にと公園から出て行ってしまった。車に子供を乗せる時も、ドアを閉め車列にねじ込み公園を出て街角に消えていく時も、私達三人を殺す勢いの眼光で睨みつけていた。

「ど……どうなってんの?」

 泣きじゃくる久保君と、意味も分からずただ雰囲気に飲まれてびくびくと私の服の袖を握る優紀だけで、呟いた疑問に答える人は一人も公園に残ってはいなかった。

 優奈が戻ってくる前にとりあえず落ち着かせなくては。先に思い立ったのはそれだった。自販機近くのベンチに二人を誘導し、コーヒーとぶどうジュースを購入する。普段であればスタンプを貯めている所だったが、そんな事をしている余裕は無かった。

 意味が分からない。恐怖よりは困惑の方が勝っているのもあるが、大人があんな目で人を見るなんて相当だろう。まさか本当に幽霊がいるのか……? いやまさか。幽霊の存在を否定してはいないが、そこまで過剰な反応になるだろうか。多少意識して事故物件や心霊スポットを避けることはあっても、真剣に逃げるなんてあり得るだろうか? いや、俄かに信じ難い。久保君自体もこの歳で幽霊の存在を本気で信じているわけだし、親が宗教か何かにのめり込んでいる可能性もある。それで我関せず逃げ出したと考えると割と納得出来る気もする。

「おじちゃん?」

「ああ、ごめん。はいこれ、久保君も」

「あ……ありがとうございます」

 涙を拭いながら缶を受け取ったが、俯いてすぐに飲む様子は無い。

 もしも私からした話で余計に怖がらせて、信じさせてしまったのなら払拭させなければ。

「久保君、心配する事ないよ。心霊現象っていうのは思い込みだったり勘違いだったり、後は体の不調とかからくるもので、科学的に証明出来るものなんだよ。教室の方から声が聞こえた、んだったかな。声が聞こえた時久保君はどこにいたの?」

「……」

「まあ、多分、多分だけどね、放課後の廊下に誰もいなかったのは間違いないとしても、その机のバリケードの先は普通に六年生が使ってる教室があるんでしょ? もしかしたらそこに女の子がいたのかもしれない。それで話し声が聞こえただけなんじゃないかな。ふざけてスリッパを投げ込んだのかもしれないし……きっとそうだと思うよお兄さんは」

「……違うんです。声だけじゃないんです」

 俯いて小さく首を振る。

「えーっと、その女の子が見えたってこと?」

「そうじゃないんです、そうじゃなくて……」

 俯いたままゆっくりと私の後ろを指さした。

「そこに立ってずっと僕の方を見てるんです」

 振り返って周りを確認しても公園内には誰もいない。指さす方向に建物がいくつかあるけれども、それらしい人物が佇んでいもしない。

「ずっとって、いつから?」

「一昨日くらいからです。それまでは声だけで」

「その女の子はどんな見た目してるの?」

「えっと」

 ほんの少しだけ頭を上げて女の子の姿を確認する。

「茶色の着物? 多分ですけど」

「茶色の着物ねえ」

 改めて久保君が指さした辺りを見るが、やはり何もいない。霊がいたら寒気がすると言うが全くそんな事もない。七月の公園で寒気を感じるほうが難しい気もするが。

 所謂霊感の差と捉えるべきなのか……久保君には大変申し訳ないが、これは私がどうこう出来る問題ではなさそうだ。究極的に困ったときに児童相談所か警察にでも誰かが相談してくれると信じよう。本人は真剣に困っているのだろうが、私にはどうする事も出来ない。

「おじちゃん……ママは? もうお家帰りたい」

 今にも泣きそうな目で優紀が私を見上げていた。

「もう少しで戻って来るからね、そしたらお家に帰ってご飯食べようか」

「うん」

 そう言うと久保君は慄き言った。

「えっ、僕はどうしたらいいんですか?」

「そうだなあ、盛り塩するか近所の神社でお守りを買うか、神主さんにお祓いしてもらうのがいいんじゃないかな。盛り塩のやり方くらいなら一応教えられるけど」

「どれくらい効果あるんですか? やったら見えなくなりますか?」

「いや、流石にそこまで保証は出来ないけどやらないよりはましかな」

「教えて下さい! お願いします!」

 簡単なやり方を教えて帰らせたその十分後、優奈が戻ってきた。姿が確認出来ると優紀はすぐにそちらに向かって走り出し、倒れこみそうになるくらい勢いよく抱き着いた。

「おっとっと、どうしたのー? いっぱい遊んだかなー? んん? ちょっとージュースは飲ませないでって言ったでしょ……どうしたの泣いてるの? 大丈夫?」

 優奈の鋭い目線が突き刺さる。

「あーえっと、何て説明したらいいか。ちょっと俺も動揺してたっていうか、怖い話聞いちゃったからかな」

「なに? 怖い話? いつもパソコンで書いてる小説の話したの? いくらなんでもそれはダメでしょ~、怖かったねえ優紀。後でおじちゃんの事叱っておくからね」

「いやいや、俺のやつじゃなくて、近所の子供の話なんですよ」

「どういう事?」

「それが────」

 公園で見かけた子供達の事と追いかけてきた久保君の事を多少端折りつつ説明し、彼がした女の子の話をする。途中で優紀が本格的にぐずり始め、致し方なしと車に乗り込んで優紀と優奈さんに謝りながら公園を後にする。チャイルドシートに座り車が発信すると、その揺れと母親のあやす声に安心したのかすぐに泣き止み眠り込んだ。

 それを報告すると再度鋭い視線が飛んできて私は謝り、優奈はため息を漏らした。続いて話の続きを促され、流行りの怪談の話を説明した。

「あー、それでその男の子が呼ばれちゃったって話?」

「そんなとこです。本気で信じてるみたいで目の前で泣かれちゃったんですよね、公園にいた人たちに顰蹙ひんしゅく買って全員そそくさと帰っちゃうし……犯罪者を見る目でしたよあれは」

 優紀を起こさないよう小さく話す。

「そりゃ大の大人が子供泣かせてたらそれなりの反応になるでしょ、とはいっても過剰と言われれば過剰にも思えるか。やっぱりあれなんじゃない? 団地の人と思われたのかもよ? ほら、あんまり大声では言えないけど分かりやすい金持ちばっかりだし、ちょっと嫌な顔されちゃったとか。震災以降大分発展したとはいえ、まだまだ心持は田舎だからね」

 かれこれ十年程前、山間部を走る断層によって引き起こされた内陸型の地震でこの町のみならず市、他県にも大きな被害が齎もたらされた。私の家も例外ではなく、そもそも築百年を過ぎた家にはあまりに大きな負荷となり、結果全壊となってしまった。幸いな事に家族に別状は無かったものの、長年住んだ家が無くなるのはとても寂しい思いをしたものだ。祖父は特にそうだったようで新しく建った家に馴染めず、年を経る毎にぼけは進行し、幾度となくに帰ろうとしていた。それに二階の奥から出てきた物が原因で揉めた事もあり、地震なんて一つもいい事は無いが、町にとってはそうでもなかった様だ。

「今も昔も変わらないねー。私はほら……オカルト興味ないしやっぱり遠慮したいから正直関わりたくはないってのが本音だけど、小さい頃の話をすれば、小学校の頃はこっくりさんとかやってる同級生とか見かけたかな。もし優紀がそういうのにはまったらあなたのせいだからね」

「すいません」

「冗談だよ冗談。信用ならないのは本当だけどね。まあ噂とか聞きたいんだったらそれこそお父さんに聞いてみたら? 顔広いんだし、昔の事も含めて知ってるでしょ」

 確かに自営業で御粕會町の人とも交流が深いし、今日のご飯時にでも聞いてみるとしよう。

 窓の外を見るとだだっ広い田んぼを夕陽が赤く染め上げ、空はその赤と夜の闇を足した様な紫色に変化していた。

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2024年11月16日 15:00
2024年11月18日 15:00
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水は天井から滴る 久賀池知明(くがちともあき) @kugachi99tomoaki

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