水は天井から滴る

久賀池知明(くがちともあき)

第1話

 1時間に1、2本出る市営バスは、夜の7時には最終便が出てしまい、市内まで繋がる電車までは車で15分。むしろ電車など使用しない方が早く市内に着くだろう。近くの町のスーパーは車で10分。標高が50から100メートルの連立する小高い丘をぐるっと取り囲むように、延々だだっ広い田んぼが広がっている。その田んぼを3キロ弱真っ直ぐ突っ切る農免道路は、小学生の持久走大会に使用され、変わらない景色の中息せき切るのが冬の恒例行事となっている。

 その農免道路から丘の方へ入ると鬱蒼うっそうと茂る森、竹林、生活排水を溜める汚い池が古臭い匂いと共に歓迎してくれる。大抵の道路は離合が出来ない程狭い為に、一旦隣家に入るかバックして脇道を探す必要がある。基本的に二階建てまでの建物しかなく、唯一高い建物と言えばそれは間違いなく小学校校舎である。小学校は何故かわざわざ丘の一番高い所に建てられており、小学生達はお菓子に群がる蟻の様に、そこに向かってえっちらおっちら歩いていくのである。

 そんなそこそこに辺鄙な場所が私の地元、御粕會町花掌村みはくえまちはなごころむらである。田んぼが多いのは説明したばかりだが、一昔前まではその取れた米で酒を造っていたらしく、酒粕がよく手に入っていた。そして稲作と酒造のおかげで人が集まる。つまりかい(會)するという字を合わせて御粕會となったそうだ。残念ながら今はその酒蔵はどこにも無く、ただ田んぼが広がるばかりである。町中に名産といえる名産は無く、草スキーが楽しめる高原と更に山奥へと向かえば幾つかの滝がある程度だ。

 観光の名所になるかと言われれば賛否あろうが、私はなるとは思わない。何せ辺鄙へんぴな所にあるし、出店の一つもないからだ。それらの手前にゴルフカントリークラブがあるが、未だに訪れた事は無いし私自身は全くの興味が無い。等々書き連ねてみたのでもしかすると地元が嫌いなのかと思われるかもしれないが、別段嫌いではなく、むしろ何も無いが故に落ち着けるとも言える場所である。

 花掌の由来はヤツデが大量に自生しているからだが、掌の形をしているのは本来葉の部分だ。しかし葉掌よりは花とした方が、「はな」と「たなごころ」を掛けられると言うので、花掌としたとの説が一般的だ。職員室前の掲示板によればだが、誰が書いたのかは定かではない。

 高校までは実家から自転車で通っていたのでこのだだっ広い村の不便さを憂いもしたが、卒業後、他県の専門学校に通い始めるとその不便さがまた良く思えたのだった。

 さて、土地の話もほどほどに私の話であるが、あまり人と関わるのが得意でなく、友達は片手で数えられる程しかおらず、その友人達ともこの数年連絡を取ったのと言えば年末年始の挨拶くらいなものだった。小中高専門と良い関係性を築けたかと思えば、私のデリカシー皆無の言葉によって関係を悪化させることもしばしばあり、殆どが疎遠となっている。専門学校の同級生に関して言えば、大半が夢を追って上京している。それでも付き合いを続けてくれる友人達には感謝してもしきれないが、私がお気楽な思考をしているだけかなとも思う。

 その友人達とは基本アニメなり映画音楽なりのサブカルを話すことが主で、その延長として声優を目指し専門学校に進学した次第である。そして分かりやすく挫折し、自分で劇団を立ち上げたはいいものの、そちらも大した理由も無く断念したのだった。今はぼちぼちテレビ番組の仕事を続けながらホラー小説を書くに至っているが、それもまたどうなるかは分からない。如何いかんせん、自分の飽き性には溜息が出るばかりである。

 地元を落ち着くと言ったが、それは逃げる場所があるというだけの事であって、本当は何もせずに生きていければそれでいいし、可能な限り親のすねを齧り寄生していければと浅ましく考えているのもまた事実でもあった。しかし、それでもこれからの人生何かを成し遂げられるのではと激甘な夢を抱えているのだから質が悪い。そして今もこうやって自分の「卓越した感性」に刺さる何かを探して町を練り歩いている訳だ。

 つい先月の事だったが、弟が彼女にプロポーズしたと連絡があった。兄、私、弟と三人兄弟の内誰が先に結婚するかと家族内で茶化しあったが、一抜けしたのは弟だったようだ。まあ順番などどうでもいいし、何だったら無理に恋人を作り結婚する必要も無いと考えているし、子供を作らないのかと言われても正直ピンと来ない。もしその気があればその時でいいし、何だったら孤児の子を養子にするも一つだろう。まあとにかく弟のプロポーズは大変喜ばしく思うし、末永く幸せでいてくれと人並みに願っている。

 兄はウェブデザイン関連の仕事をフリーでしており、それなり成功している。兄はまだまだと言うが、私からすれば大変な成功だ。

 名前を忘れたが、二人乗りで車高が低く、キャリーケースを一つ入れれば満杯になるトランク備え付けの車を購入していた。それも昨年に請け負った大きな仕事が無事に終わり、断続的な契約が取れたからだと言う。家族親戚一同鼻高々だ。

 彼らは努力の人であり、大きな挫折や苦難を乗り越えて勝ち得、それを鼻高々に自慢する事も無い謙虚な人物だと言える。

「もう三十近いんだよ? そろそろちゃんとしたら?」

 故にちゃらんぽらんに生きている私がそう釘を刺されても仕方ない。反論の余地は一寸たりとも存在していない。どんなに言い訳を並べても勝ち目がない。一しきり有難い言葉を頂いて、そして性懲りもなく現実逃避の為に町へと繰り出すのが常だった。何も無い町に、一人。

 地図上、今いる場所は御粕會町上粕會みはくえまちかみはくえに位置しているが、町の人はただ御粕會町と呼んでいる。

 雰囲気のある店やトンネル、森の入り口、頭の欠けた地蔵などをそこそこ写真に収め、公園でストロングゼロのレモン味を開ける。実家からこの町までは車で十分だが、車など持ちようもないので歩いてきた。その時点でもう大分疲れてしまっていたので、夏の暑さと相まってよく喉に染みる。公園では小学生達がボール遊びをし、明るい未来を夢見ながら汗を流している。

 もしも頭が風船なら叩き割ってやろうかな、と物騒な妄想がはかどりつつ大きな溜息を吐く。

 携帯の画面には「夕方から公園に遊びに行きます」とバナーが出ていた。市内に住む従姉弟とその息子が暫くすればここに来るらしい。私が帰省した際に都度遊んでいたおかげで、すっかり懐いてくれていた。やって来るまでまだかなり時間があるし、どうやって時間を潰したものか。

 ふと、狙いを外したボールが私の方へとボトンボトンと音を立てながら転がって来た。

「すいませーん」

 と、若干緊張した面持ちの少年が走ってくる。軽い立ち眩みを覚え苦い顔をしてボールを蹴って渡す。

「ありがとうございまーす!」

 恥ずかしさを出すまいとする顔をして走り戻る少年。

 彼の向かいから一陣の風が吹き、青臭さの残る土埃と共にどこかで嗅いだことのある淀んだ香りが鼻を突いた。

 公園を離れまた町を散策する。公園から大通り────と言っても整備され車幅があり、学生時代にそう呼称していたというだけの事だが────を跨いで中学校方面へと向かう。校庭ではサッカー野球硬式と軟式テニス、体育館の開け放たれた外扉からバレー部が、授業終わりに懸命に汗を流している。無意識に眉間に皺が寄るのを感じ、大きく息を吸い込み吐き出して気持ちを整える。更に進むといかにもな佇まいの染物屋と、高校の頃に店名の変わった実家から一番近いスーパーが姿を見せる。二階建ての一階が売り場で二階が事務所になっていたはずだ。外観を多少改装したはずだが最早見る影もなく塗装は剥がれ、昔の店名が前面に滲み出ている。大抵の人がそのスーパーを昔の店名で呼んでいるが、馴染みのあるそちらがやはり呼びやすいのだろうし、私もやはりそうしている。

 その駐車場を突っ切り西に向かう。

「また増えてるな」

 スーパーから先程の小学生が通っているであろう小学校を横切って三区画分歩き、大通りよりも更に太い道路と交わる。横断歩道を渡る時に左右を見れば、等間隔に植えられた桜と剪定された生垣。

 それらの更に先に、蛇の鱗の様に生え揃った巨大な住宅群が私の目を覆った。

 この御粕會町は基本的にはどこにでもある田舎町と言っていい。しかしながらこの「ゆめまちロード」と名付けられた道路から西側は、誰もが羨む高級住宅街が悠然と存在していた。

 年に2、3件が大蛇を成長させる様に山肌に生えていき、ざっと数えても100を越す住宅が軒を連ねていた。有名建築家が設計したであろう小洒落た出立ちの高齢者向けアパートすらある。麓から頂上に上るにつれ新しい住宅になり、一番古い建物は御粕會町の中心を流れる粕會川はくえがわの畔にある築百年の立派な屋敷。そしてその屋敷から始まる住宅街の左端に、去年には無かった新しい家が建っている。

 正直言ってこの町にそこまでの価値があるのか甚だ疑問である。名産も観光スポットも人────有名人の出身地的な意味合いが大きいが、人情の深さでも────も特に目立った物が無いのに、どうして片田舎に作るのだろうか。「田舎で農家!」「静かな田舎でまったりスローライフ!」「時間に縛られない生活を手に入れませんか?」「移住で社長!?」なんてキャッチコピーの広告をそこら中で見るが、それに感化された若者が都会から越してきたのだろうか。まあ、町の発展に貢献してくれるのであれば、願ったり叶ったりではあるが。

 ゆめまちロードを南下していくと左手にドラッグストアや雑貨屋が軒を連ね、その合間を継ぎ接ぎだらけのトタン屋根が埋めている。

 住んでいる時には特に何も考えていなかったが、他県へ引越し様々な街を見た結果、こうもくっきりと差をつけるのも珍しいなと今は思う。格差というか付加価値というか、分かりやすく区別しようとしているのは手に取るように分かる。外観はさておき、この町の経済活動にとって必要なことならば、それは大変「良い」事なのだろう。

 暫く道沿いに歩くと、前から小学生の集団がボールを小さくパスしながらやって来る。服装からして先程まで公園にいた集団だ。

 前方から風に乗って聞こえてくる話し声に、何気なく耳を傾けると気になる単語が飛び込んできたため

「あ、ちょっと」

 と、呼び止めてしまった。

 怖がらせるかと思ったが時既に遅し。少年達はこっちを振り返り、怪訝な顔をして私の方を見つめている。どうしたものか。不審者扱いされてはたまったものではない。適当な言い訳を付けて立ち去るのが間違いないが、酔った勢いを止められなかった。

「ごめんね呼び止めて。実はお兄さんテレビ局で働いてるんだけど、今度特番を組む事になってね。怖い話の番組なんだけど……ほら『信じるか信じないか』ってやつの。そうそう! 知ってるなら話が早いや。いやね、番組で使えるかまだ分からないけど、良かったら今君達が話してたその話、聞かせて貰えないかな? もし採用されたらお礼もするからさ」

 少年達は互いの顔を見合わせる事無く

「全然良いですよ!」

 彼らが通う小学校にあるという、開かずの廊下について話してくれた。

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