第3話

 翌日、未だ大量に残る廃材の片付けに追われ、父に話が出来たのは夕食後だった。父は昨日近所の友人達と朝方まで麻雀に勤しんでいたらしく、起きてきたのは昼を過ぎてからで、私も私ですっかり聞くのを忘れていた。

 解体時に出た大量の木材や屋根に使用されていた瓦、足固め用に置かれていた石材などは、大方当時設営された廃材置き場に持って行き処分した。しかし、それでも細かいゴミや幼い頃に使っていた学習机などは放置されたままになっていた。それらにやっとこさ手に付けたという訳だ。今の今までほったらかしにしていたのは、祖父の介護があったからである。前述のとおり祖父は家に帰ろうとしてしまい、思い立てば家から出て行くようになっていた。普通の腕時計の代わりにGPS機能付きの物に変えて対処していた。それでも気付かぬうち、近くを流れる小川に入っていたなんて事もあったようだ。あくまで対処した母の芳子よしこからの伝聞ではあるが。

 とにかく伸びに伸びきった雑草を刈り、大まかに仕分けした所で太陽が建物に隠れてしまい、この日の作業は終了した。

 そして再度夕飯の時間である。

「くはーっ……流石に疲れたね」

「ぎゃん暑かったらねえ、動かんでも疲るっもんねえ。はい、高菜」

「ありがと。ほんと有り余る程出てくるね、ゴミ。あれって結局どこ持ってくの?」

「保育園の頃行った事なかったかねぇ? 山の上にあるクリーンセンター。ちっと掛かるばってんが何でん引き取ってくれるんよ」

「あー、あのトンネルの近くの所か。でも不燃物だけでしょ? 燃やせる物はうちで燃やすしさ」

 大変よろしくはないが敷地内で燃やすのは田舎あるあるだろう。真っ黒な煙が出ない様に注意さえしていれば、特に消防団が出てくる事もない。

「本当はやっちゃいかんけどね。明日も手伝ってくれるとでしょ?」

「その予定。というかそもそも他に予定とか入ってないしね、昨日も大分歩いて収穫もあったし……あ、そう言えば聞きたい事あったんだった。御粕會小の三階に入っちゃいけない廊下があるのって知ってる?」

「んー……さあ、お父さんに聞いてみっとよかよ。お父さんの方が色々知っとる」

「え、あー、うん」

 急にトーンダウンしたその様子を見る限り、母も知っているのだろうか。公園にいた親達が知っていたのだからおかしくはないけれども、身内が似たような反応を示すと妙に落ち着かない気持ちになる。そんな私を察してか、母は無言のまま席を立って追加のビールを冷蔵庫から取り出し私の前に置いたが、私はお礼を伝えただけで蓋は開けなかった。

 そんな空気を知らない父の文則ふみのりが風呂からあがり、私が飲んでいるのを羨ましがって冷蔵庫から取り出してその場で一気に呷った。

「今日のご飯はー……お、生姜焼きかと鮎か。こんな豪勢なのは中々一人暮らしじゃせんどな」

「そーだね、ありがたく頂いとります」

「で、まだ高橋は出とらんか? 間に合ったか?」

「まだ出てないよ、あと二レース後」

 高橋は高橋逸人たかはしいつひとという中距離ランナーで、今夏季オリンピックに出場している日本人選手の一人である。名だたる外国人選手と並べても遜色ない足の持ち主で、フルマラソン日本記録保持者の肩書きを持っている。そんな彼が実はこの町の出身だというのは、この町の誇りである。試合前のインタビューで

「震災の時、復興支援で来て頂いたメダリストに感銘を受け、長距離走を志しました。その方は勿論、地元の家族友人、お世話になった人や街にメダルを取って恩返ししたいです」

 と、話していた。まあ良く出来た人物なことも相まって、地元のみならず全国にもファンは多い。直接出会ってはいないが、きっとプライベートでもしっかりしているのがそこかしこからにじみ出ていた。父はその高橋の父親とも交流があるらしく、彼がレースに出場する時にはどんなに小さい大会でも欠かさずチェックしている。そういった積み重ねが交友関係を広げているのだろう。

「お父さん、御粕會小って行った事ある?」

「御粕會小? あああるよ。そっがどぎゃんしたつや」

「三階に入っちゃいけない教室があるらしいんだけど知ってる?」

 テレビを見たまま父は答える。

「知っとる。そっでなんね?」

「昨日小学生からそこの噂を聞いたんだけど、お父さん知らないかなって」

「ふうん……どぎゃん噂か?」

「女の子の幽霊が出るんだって」

 レーススタートの電子音が鳴り、選手が一斉にラインから飛び出していく。

「その女の子が貞子みたいにどっかに連れてっちゃうらしいんだけど──」

「知らん」

 顔はテレビを向けたまま父が端的に、私の言葉を遮って否定した。

「そっば誰から聞いたつか」

「公園にいた男の子から……え、やっぱ知ってるの?」

「だけん知らんて。なんべんも言わすんな。聞いた時優奈はおったつや」

「や……おらんかったけど」

「優紀もか」

「いや……優紀はおったよ」

 そう答えるや否や父はおもむろに立ち上がって部屋を出、どこかに電話を掛け始めた。電話はすぐに繋がったようで父の挨拶だけは聞こえ、それ以降はすぐにフェードアウトして何も聞こえなくなった。静寂の代わりに観客の沸き立つ声がリビングを満たしているが、それが余計に無言の空間を助長していた。

 ふと、一昨日公園で久保君が叫んだ瞬間の状況を思い出していた。今もあれと同じ静寂だ。母の方を見ても目も合わさずに黙々とご飯を食べている。

 父は高橋が一着でゴールし準決勝へと駒を進め、次の走者達が最終ラップの鐘を鳴らした所で戻ってきた。何事も無かったかのようにご飯を食べ始めたが、相変わらず無言のままで何の説明もない。私も母もとっくにご飯を食べ終わり、ちびちびと焼酎を飲んでいる。

「高橋は?」

 先に口を開いたのは父だった。

「一応、勝ち進んだよ。一着で」

「そうか、ようやっとるな…………さっきの話ばってんがな、まあ、噂は噂だけん、あんま気にすんな。万が一何か聞いても適当にあしらっとくとよかけんな」

「万が一何かって──」

「分かったか?」

「……まあ、うん」

 有無を言わせぬ口調に私はすごすごと仏間に引きこもった。

 以前の家ならば小さいながら自室もあったが、新しい家には祖父母と両親用の部屋しかなく、普段はそのままリビングに雑魚寝している。リビングではまだ両親が何かしら話し込んでいるし、あの空間に居続ける度胸は私には無い。聞き耳を立てようと考えドアの傍にいたのだが

「そこでなんばしよっとな」

 と、祖母のカネがトイレに起きだし話しかけられ断念した。

 そしてこれも企画のネタになるだろうと事の経緯を書き留めている。正直久保君の話に期待してはいなかったのだが、ここまで来ると探らずにはいられなくなっている。この期に及んで未だに家族に秘密があろうとは思わなかったし、町の人にも関係しているらしいとくれば、そっくりそのまま書けば面白い物になるに違いない。

 私は相談がてら話をしようと、職場で知り合ったオカルト好きな友人に電話を掛けた。

「もしもし~どうしたの急に電話したいって」

「ごめんねこんな時間に。ちょっと相談したい事があってさ」

 水城真帆みずきまほは私がバイトを転々としていた際に出会った人物である。ありきたりな出会いではあったが、話している内にどうやらオカルトやホラーが好きだと分かり、私がまた職場を変えた後も時折連絡を取っては蒐集しゅうしゅうした怖い話を交換しあう仲だった。こういう時に頼れて趣旨を理解してくれる人がいるのは大変ありがたい。

「普通に大人の事情が絡んでるんじゃないの?」

 一通り話を聞いて、彼女はそう答えた。

「大抵の心霊現象は──」

「勘違いや思い込み」

「そう、殆どは科学的に証明出来る事。三階の廊下が何で閉鎖されてるかは想像の域を出ないけど、声が聞こえたのは多分、反対の教室に女の子がいて声が聞こえたんじゃない?」

「俺もそう伝えたんだけどね。じゃあ仮にそうだとして目の間に着物の女の子がいるってのはどう解釈したらいいかな。見間違いって線はまず無いとして」

「それは……イマジナリーフレンドとか? その子に変な様子は無かった?」

「変なって言われるとそりゃまあ変だけど。その女の子に話しかけてる様子も無いし、怖がってはいたけど四六時中見えてたら普通怖くない?」

「守護霊ならまだしも引き摺り込むって噂の女の子だもんねえ。まあなんだろうな……公園にいた親達って大体同い年くらいだった?」

「え? いやまあどうだろう。そう見えるっちゃそう見えたかな」

「んー、例えばの話だけど。その親達が小学生だった頃にいじめが起きてて、恐らくその女の子が自殺した。もしかしたら町の役員とかの子供が加害者で、いじめは起きてないとして処理したかも。けどその子の幽霊が出るなんて噂が立ち始めて、いじめてた子が『見える』って言い始めて公になりかけた。それで学校に圧力をかけてその教室自体を封鎖した、臭い物に蓋をするみたいにね。で、その加害者達は大人になり女の子の事を忘れていたけれども、久保君が『見える』って言いだした事で思い出し、怖くなって逃げだした、みたいな。あとは封鎖してる間に物置にしたりして使える状態じゃなくなってるから、わざわざ教室として開放する必要がないんじゃない? うちの学校にもあったよ、普通の作りだけど物置にしてある教室」

 仮説を聞くとそんな気もしてくる。大人たちが密談している様は不安を掻き立てるだろう。特に人一人殺してしまった後では余計に。実際花掌村の小学校にも似たような教室は存在する。そこは閉鎖されてはいないが通常の授業では解放されておらず、時折ある学校行事の際に開いているくらいだ。圧力があったかはさておき、臭い物には理論は一昔前なら横行していたとしても不思議ではない。いじめ、というワードが浸透して重く扱われる様になったのもごく最近の事だ。当人はいじめ・・・ではなくいじり・・・だと思ってやっていたが、やられる側からしてみればそれはまごうことなきいじめなのである。今思い出しても殺してやろうかと思う相手が私にもいなくはないが、その親、加害者達は死して尚恨み続けられる様なことをやっていたのかもしれない。あくまで想像の域を出ない、が。

「直接役場か学校で聞いてみたら? 案外すんなり教えてくれるかもよ」

「それは恥ずかしい」

「恥ずかしいってもういい年でしょ。折角乗りかかった船なのにネタにするなら丁度良いと思うんだけどなあ。あれ中々良かったよー作った本。続き作るならこんないいネタそうそう出てこないよ」

 数年前から自分が書いた怪談をまとめて本にして、イベントに出したりネットで出版している。職場を移る前に一冊渡したのだが、読んでくれていたようだ。売上についてはほぼ無名の作家が出した物を買う人が果たしてどれだけいるのか、とだけ言っておく。

「学校の怪談繋がりで思い出したんだけど、昔、学校の裏山に廃屋があって、そこにお化けが出るらしいから皆で肝試ししたことあったなあ。結局出るものも出なくってただの散策になって終わりになってね、麓に出てから解散して各自家に帰ったんだけどさ。その時に一体憑いてきた事あったなー」

 真帆は大学に上がるまで霊感があったらしい。今は何も見えていないそうだが、ふと感じる時もあるそうだ。その彼女が久保君の言う事をすぐ肯定しないのは、小学生の頃自称見える子がやれあのトンネルには幽霊が、やれあの廃ビルには自殺者が等と言って周囲を困惑させていたからだ。むやみやたらに幽霊話を信じず、消去法でどうしても理解できない場合は一考する余地がある、と彼女は考えている。

「あったなーって。随分軽く言うじゃん」

「今は昔の話だから。それでマンションのエレベーターに乗って八階のボタン押して待ってたらさ、止まったのよエレベーターが。四階で。誰か乗って来るのかと思って顔上げても誰もいないし、そういう事もあるかと思って閉まるボタン押したんだよ。確かに押したんだけど、何回も閉じたり開いたりすんの何かが詰まってるみたいに。すー、がっちゃん、すー、がっちゃんって。で、気付いたの。あ、丁度人一人分の隙間じゃんって。想像してよ、両開きドアの真ん中に見えない何かが立ってんの。無茶苦茶ボタン連打して十回くらい開閉繰り返してやっと閉まったわけ。勿論八階に着いた瞬間家までダッシュして鍵開けて貰ったの、ほらドアチェーンあるから。ドアが開いて目の前に弟がいたから安心して『ただいま』って言ったら『おかえり』じゃなくてなんて言ったと思う? 『お姉ちゃん、その人だあれ?』……私、勘違いしてたんだよね……エレベーターのドアが閉まったのって、それがいなくなったからじゃなくて、中に入って来たからなんだな、って」

 真帆は話を終えて何も発さず、通話口からもこの仏間からも静寂の音が聞こえてくるばかり。これは二人の間にある暗黙の了解。どちらかが怪談を話終わったら、暫く黙り、話し手が合図を出すまで聞き手は感嘆も嘆息も感想も無し。

 ふと、気配を感じて右を向いた。薄く開いた襖の隙間から、目が二つこちらを見ていた。

「うわっ! わわっ!」

 思わず声が出て通話口から「えっえっ大丈夫!?」と聞こえてくるが反応している余裕はなかった。驚いた私は携帯を手から零れ落とし、キャッチし損ねた携帯は襖の方へと転がった。すると襖がゆっくりと開いて

「まぁだ起きとっとな」

 と、祖母が姿を現した。

「な……なんだ婆ちゃんか……びっくりしたぁ。もー! そんな開け方しないでよびっくりするじゃん」

「何時と思いよっとな、はよ寝なっせ」

「はいはい、分かってるから大丈夫。はい、おやすみなさい」

 襖がゆっくりと閉まり祖母が姿を消した。ひっくり返った携帯を拾い上げ、ため息をついて真帆に話しかける。

「あー、もしもし水城さん?」

「もしもし!? 大丈夫!? 何があったの?」

「大丈夫大丈夫。うちの婆ちゃんが様子見に来ただけ。タイミング完璧過ぎてまじでビビった。いつもああなんだよね、ノックするでもなくほんの少し扉開けて何も言わずただこっち見てんの」

 亡くなった祖父もよく同じ事をやっていたが、夫婦は似るのか、田舎だからか、時代なのか。

「むしろそっちの方が怖くない? 幽霊より生きてる人ってのはまさにこのことかもね」

「気にしてくれてるのは凄い嬉しいけど流石に……さっきの話、水城さん弟いたんだ」

「あ、そうそう六つ下でね。あの時は私が中二だったから弟が小三か。弟も割と最近まで見えてたって言ってたなー」

「へえ。何歳くらいから見えてたの」

「年長さんくらいかな。園の皆に怖がられてから指さしたりは止めたけど、危なそうな場所にはかなり拒否反応示してたね。事故が多い場所とか回転の速いアパートとか」

 金属探知機ならぬ幽霊探知機か便利だな、と思ったが口にはしなかった。

「爺ちゃんが元々神主でお祓いとかやってて、それの影響じゃないかなと私は思ってる。お母さんも見えてたし、そういう一家なんだろうね」

 その後しばらく仕事の話をし、祖母襲来の気疲れと作業の疲れで瞼が重くなったのをきっかけに電話を切った。

 完全に意識が落ちる寸前に公園で久保君が俯いている姿を思い出した。彼の目線はずっと下にあったが、そんなに恐ろし気な見た目の霊が憑いているのだろうか。茶色い着物と言っていたが普通白ではなかろうか。いや、それも幽霊への先入観があるだけで、茶色なのかもしれない。それにあの場で何かを見落としている様な気がする。何がとは分からないが、大人達の反応以外にもやもやと引っかかる……。

 しかし、その答えを見つける前に私は眠りに落ちた。

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