女王の犬

石田空

齢十歳の女王と【番犬】の日常

 女王に似合わぬ宝。

 玉座、王家の紋章、番犬。

 女王に似合わぬ宝。

 赤バラ、白百合、黄色い蘭。

 女王に似合わぬ宝。

 朝靄、昼霞、夜霧。


****


「なんですか、それは」

「女王が子供過ぎて頼りない。この際だから王政なんて廃止してしまえっていう貴族院からのプロパガンダだよ。あの方に絶対に読ませるなよ」

「当然」


 今日の新聞を一瞥し、読むに値しないと結論付けた【番犬】たちは、新聞を捨てることにした。そもそもまだ女王は学校に通う年頃なのだから、学校に送り迎えをしなければならない。

 メルヴィンは黒いスーツの上に黒いコートを羽織り、そして黒い帽子で鮮やかな金髪を閉じ込めると、部屋をノックした。


「入ってちょうだい」

「失礼します。陛下、今日のご予定ですが」

「今日は公務のない日よね? ねえ、友達と放課後部活に出たいのだけれど、それに参加するのはよろしくて?」


 まだ鼻にかかる甲高い声の少女が、この国の現女王であった。

 豊かな栗色の髪をポニーテールに縛り、タータンチェックの制服を着ている。まだあどけない顔をしているビアトリスは、まだ十歳の少女である。

 彼女の不幸は、彼女が学校に行っている間に、外交に出かけていた前王夫妻が事故死。王位継承権があるのがビアトリスだけだったのである。


「彼女はまだたった十歳の小娘だ! 小娘にこの国を任せるだと!?」


 国は元々は貴族階級の会議で政治を決める議院政を取っていたが、この数十年であまりにも癒着でギトギトになってしまったのを、二代続けてどうにか王政と議院政で権力が偏り過ぎないように政治を続けていたところでの、王の訃報。再び議院政に返り咲くために、なんとしてもこの少女王は役立たずで必要ないというプロパガンダを繰り返し行うことで失脚を狙ったのだが。

 彼女には政治的な力は未だに持っていないものの、戦力だけは残されていた。それが【番犬】である。

【番犬】はこの国のシークレットサービスであり、王族直轄機関にあたる。優先すべきは王族の命。

 即位してからというものの、【番犬】が付きっ切りでビアトリスの世話を焼いているのだ。

 ビアトリスの部屋から食卓に送りながら、メルヴィンは彼女の予定を聞いた。


「部活というのは?」

「料理部よ。でも私はメルヴィンが口を付けたものでなかったら食べられないのでしょう?」

「ええ。陛下の御身は、あなたひとりのものではございませんから」

「そう……ねえ、メルヴィン。私、即位するまではそこまで窮屈じゃなかったのだけれど、お父様やお母様もこれだけ窮屈な思いをしておられたのかしら?」


 どう言ったものかとメルヴィンは思う。

 彼女も自分が王族だと理解はしているようだが、今の立場が微妙だという自覚が乏しいように思える。

 王族と貴族の間の軋轢。そのせいで、たった十歳の少女が命をかけなければならなかったし、彼女以外の王族は既に議院政側に取り込まれてしまっている。

 だからこそ、彼女を【番犬】は死守しなければならなかった。

 しばらく黙ってから、メルヴィンは口を開いた。


「お父上お母上もまた、国のために常に命をかけておられました。現状、あなたは政敵に命を狙われている身。しかしあなたが学校を卒業したら、即政治闘争の世界へと身を投じなければならぬ以上、その世界に身を捧げるための力は必要でしょう」

「ええっと?」

「……学校生活を豊かになさいませ。それがあなたの力になるかと思います」

「ありがとう。メルヴィン」


 そうビアトリスがにっこりと笑うのを、メルヴィンは複雑な思いで見つめていた。

 彼女はあまりにも物わかりがよ過ぎて、国を担うのにふさわしいのかと。

 食事は【番犬】に面接をされた料理人がつくり、【番犬】により毒見されたものだけがビアトリスの前に運ばれる。おかげで焼いたパンもスープも冷めてしまっているし、サラダにも新鮮さはあまりない。

 食事を終えたビアトリスが歯磨きをして、身だしなみを整えたら、いよいよ車に乗って学校へと向かう。メルヴィン含めた【番犬】たちにより交代ごうたいで警備されながらも、ビアトリスに直接話をするのはメルヴィンただひとりであった。


****


「いっつも格好いい人に守ってもらえるなんてねえ……」

「そう? 公爵家も警備はすごいと思うけど」

「貴族とか王族のあれそれはよくわからないけど」


 ビアトリスの通う学校は、基本的に王侯貴族以外だったら大富豪しか通っていない。

 ビアトリスの友達であるデリアは富豪ではあるが貴族の爵位は買わず、のらりくらりと労働階級と貴族階級どちらも相手取って商売をしていた。

 校内も警備が厳重なため、王族直轄シークレットサービスの【番犬】が各所に配置されている例は滅多になく、今回みたいな例はイレギュラーであった。

 メルヴィンがビアトリスと直接顔を合わせて口を聞いているのは、他でもない。

 彼は端正な顔つきなため、その顔を見た人々がなにかしらやっかみを覚えるのを控えてしまうからだ。

 これがいかつい顔が校内各地で並んでいるようだったら、表で裏で文句が飛び交い、ビアトリス自身を深く傷つけていただろうが、顔がいいというのはそれだけで暴言を控えさせてしまう力がある。

【番犬】はなにもベアトリスの命だけ守れればいいなんて思っていない。彼らはビアトリスの心をも守ろうとしていたのだ。

 ビアトリスも年こそ十歳ではあるが、そのことはうっすらとわかってはいた。

 だが。

 メルヴィンの端正な蜂蜜色の髪、深緑色の瞳。それらに見惚れる生徒は後を絶たない。中には「胸がドキドキして勉強に集中できない」なんて話を聞くのだから、始末に負えない。

 ビアトリスは自分が王族だという自覚はあれど、校内ではそんなこと関係なく生活できた。だから学校は楽しかったはずなのに、即位した途端になにもかも変わってしまったのだ。

 それにぶうたれた顔して、窓から外を眺めた。

 黒服の人々が校内の各所で見られる。【番犬】たちがビアトリスの安全確保のために、校内に出入りする業者すら調べていることは知っている。

 それに彼女は深く深く溜息をついた。

 まだ政治にすら携われないのに、どうしてこうも拘束だけきつくなるのか。ただ友達としゃべているときさえ、学校にいるときさえ関与されたら息が詰まるというのに。

 城内での呼吸の方法はとっくの昔に覚えている。私事での呼吸の仕方をまだ学んでいないだけだ。


****


 ビアトリスが授業をしている頃。

 メルヴィンは【番犬】から届いた話に目を細めた。


「議院政側が平民側にクーデターするよう陽動している?」

「陛下を擁護している王政側は信用できない、我らが団結するのは今だと煽りまくっているんだ」

「馬鹿なことを……」


 平民の要件は議院政側が聞いているという建前になっているが、彼らの要件は大概貴族側の都合のいいように捻じ曲げられている。むしろ王政側が御用聞きをしたほうがよっぽど都合よくまとまるのだが、情報遮断されていて、それらの話が平民側には流れない。

 議院政側は王政側が未だに頼りにならないビアトリスを擁護したことにより勢いづき、そのまま平民側にクーデターを起こさせて彼女を失脚。そのまま罪を平民側に擦り付けていいように使うつもりなのが、数年前の癒着政治の時代の頃を知っている者ならば安易に想像できた。


「彼女はまだ十歳だ。いくらなんでもあんまりだ」

「それでも守らなかったら、この国無茶苦茶になるぞ」

「わかっているさ」


 これ以上内紛で国が乱れれば、他国からの介入だってありうる。そうなったら一番割を食うのは、本当になにも知らない平民たちである。

 だからこそ【番犬】はクーデター阻止と女王陛下守護に務めないといけない。


「そんな訳で、今回はクーデター阻止のため、いつもより陛下の防衛人数が多い。配置の指示を回してくれると助かる」

「了解」


 メルヴィンは配給のクッキーを口に放り込むと、それを咀嚼した。水分がなくなってパサつくが、これを食べればしばらくはなにも食べなくても活動ができる。

 ビアトリス護衛に全力を出せるというものだ。


****


 ビアトリスは部活のため、皆で調理実習室へと移動する。

 貴族階級の少女たちは部活でもない限り料理をする機会など滅多になく、娯楽の一環として料理部の人気は高かった。


「それでは、本日はビスケットをつくります。皆さん、まずは日陰で半日置いておいて溶かしたバターを泡立て、クリーム状に致しましょう」


 エプロンを着た少女たちが、皆一生懸命バターを泡立てるが、もったりとしてなかなか力が入らず、上手い具合にバターを混ぜることができない。

 腕をパンパンにしながらも必死で混ぜている中、パァンという音がしたので、皆の視線が一斉に窓の外へと向かう。

【番犬】たちが銃声で誰かに威嚇発砲を繰り広げているのだ。


「ちょっと……! 警備はどうなってらっしゃるの!?」


 当然ながら部活顧問は怒って職員室に連絡を入れた。すると職員室からは、弱々しい声が返ってきた。


『それが……いきなり平民たちが武器を持って門番を殴ってそのまま校内に……今、ビアトリスさんを探してて……』

「…………っ!」


 皆驚いた顔でビアトリスを見た。

 ビアトリスは唇を噛んだ。


(いつかはそんな日が来るんじゃないかとは思ってたけど、今じゃなくてもいいじゃない……!)


 彼女は叫びそうになるのを堪えて、ただポーカーフェイスで皆に振り返った。


「探しているのは私なのでしょう? それでは行って参ります」

「ビアトリスさん……!」

「デリアさん。私、あなたとお友達になれてよかったわ」


 そう言って、廊下に出て行った。

【番犬】たちは窓の外で射撃をしながらも、未だに射殺には至ってないようだった。


「平民の方々は!?」


 ビアトリスの言葉に、【番犬】たちは驚いて振り返る。


「陛下、まだ部活動室のほうが安全です! すぐお戻りになって!」

「私のために、守衛がやられたのでしょう? なら私を餌におびき寄せたほうが早いじゃない! あなた方は私を守るのでしょう? だったら、私の目の前に現れた方から守ってちょうだい!」

「……!」


 やがて、ドタドタとした足音が響いてきた。服はきちんとした服を着ているものの、目が血走っているのは怒りとストレスからの酒気によるものだった。


「女王! このガキがか!?」

「はい! 私が女王ビアトリスです!」


 彼女の少女としての気配が萎んだ。だが。

 彼女の女王としての気配が、途端に膨らんだ。周りは呆気に取られるほどに、強いオーラが彼女をきらめかせる。

 まだ棒のような手足、面白みのない幼い少女。だが、気迫だけはただの子供とは言い切れないものであった。


「どうして私を狙うの? あなた方が私ひとりを狙うのであれば、ただのクーデターで済ませられることができます。ですが、無関係な方を狙っては駄目。あなた方を罪人として裁かなくてはならなくなります」


 彼女の言葉、一言一言が重く、気品がある。だが、それに平民は吠えた。


「それだけ頭が回るなら、どうして俺たちの生活は楽にならない!?」

「……それは」

「あんたはまだガキだから! まだ皆が守ってくれるから! なにもしなくても世界は回るとそう思っていられるが! 俺たちは国に何度も何度も掛け合った! 頼むから税金を少しは減らしてくれ! 稼ぎがなくちゃ払いようがないと、何度も何度もな! だが、どいつもこいつも同じことを言いやがる! 『それは働いてない自己責任ではないか』と。働けば働くほど金が取られるって、そんな馬鹿な話あってたまるかよ!?」


 ビアトリスはその言葉に愕然とした。

 彼女は本当にまだ、なにも政治がわからないが。彼らが困っているという声が遮断されていたことすら、知らなかったのだから。


「あなたが話をした方は誰? 残念ながら、私の耳にはまだ届いておりません」

「届いてないだと!? だったら、なんのための王政だよ!」

「それは……」


 ビアトリスが怯んだ中、「もういい」と平民のひとりが彼女に銃を向ける。


「女王陛下がいなくなったら、どっちみち王政はおしまいだからな!」

「……王政はなくならないし、陛下は死なない。お前たちの生活には同情する……が、だからと言って陛下を殺すという極論は許容できん」


 平民の銃は、いきなり打たれた銃により、弾かれてしまった。それに悲鳴を上げている中、ビアトリスは誰かに庇われる。

 メルヴィンだった。


「メルヴィン! あなたいったいどこに……」

「遅くなって大変申し訳ございません陛下。平民たちを扇動した者たちを調査しておりました」


 話をしながらも、メルヴィンは手早く平民たちから得物を弾いていく。銃の弾丸を本当にわずかに掠めさせ、痛みだけで怪我ひとつ負わせることなく得物を落とさせていく様は劇的な腕だった。

 やがて、【番犬】たちは得物を失った彼らを一斉拘束しはじめた。


「それでは連行しろ」

「……お待ちなさい」


 ビアトリスはメルヴィンに声をかけた。


「彼らを拘束して、どうなさりますか?」

「犯行動機を洗います。それで議院政に揺さぶりをかけ……」

「彼らは守衛を怪我させた。罪状はそれだけでかまわないはずです。私は、無事ですから」

「陛下……! 御身にもしものことがあってからは遅いのです」

「わかっています! ですが、私は彼らの苦しみを知らなかった。それは完全なる私の落ち度です。私は彼らの人生を背負いきれてないのに、彼らにだけ私の命を罪として背負わせるおつもりですか!?」


 それにメルヴィンは黙った。

 ビアトリスは、少し屈んで拘束された人々に頭を下げた。


「大変申し訳ございません。現状、私は即位してもなお、政治ができておりません。ですが、私が政治に携わるようになったら、必ずあなた方の苦しみを取り除きます。どうか……私以外の方を狙わないでください」


 その言葉に、平民たちは押し黙ってしまったのだった。


****


 ビアトリスが車で城に戻る頃には、すっかりと女王の覇気は薄らぎ、いつもの幼い少女らしい風情に戻っていた。

 女には何個も顔がある。メルヴィンも聞いたことがあったが、まさかビアトリスもそうとは思ってもいなかった。


「ねえ、メルヴィン。今日はありがとう」

「いえ陛下。任務ですから」

「ええ、あなたはいつもそうね。そんなあなたにお礼なのだけれど」


 そう言って、彼女は包みを取り出した。

 そういえば彼女は料理部でお菓子を焼いていた。生地の一部は毒見したが問題はなかったはずだとメルヴィンは振り返る。

 ビアトリスは学校が支給してくれた袋に入れたビスケットを差し出した。


「他の【番犬】には内緒よ。ねえ、今後もよろしく」

「……陛下。それは自分以外にしたほうがよろしいのではないかと」

「だって。私のあげたい人たちはもうメルヴィン以外いないんですもの」


 その言葉に、メルヴィンは押し黙った。

 ビアトリスは婚約者を決める前に両親を失ってしまったのだから、色恋すら今は縁遠い。そうなったら、ペットにご褒美をやるくらいしかやることがないのだろう。

 メルヴィンはビアトリスに「あーんして」と言われるままにビスケットを齧った。

 バターと小麦粉とビアトリスの優しさの味がした。


<了>

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女王の犬 石田空 @soraisida

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