最終章 未来の二人
それから数年の時が経った。
緋色は通信学校を卒業と同時に、カラーコンシェルジュの資格を活かした仕事――webデザイナーに就職した。仕事は常に在宅で、メールでのやりとりだから声が出ない事はハンデにならないらしい。
緋色のメールは、いつも淡々としているけれど。仕事について語る文面は、なんだか嬉しそうなんだよね。それが私も嬉しくて、仕事が楽しいんだなって分かって安心する。
一方の私は、高校を卒業後。教育学部の入った大学に進学し、無事に教員免許を取得して卒業した。そして今は、新米先生として幼稚園で働いている。
毎日、仕事に追われて大変だけど、子供たちの笑顔に囲まれると、そんな大変さも忘れちゃう。「あかね先生~」って呼ばれると、どんなに大変でも笑顔で返事しちゃうの。
っと。話がそれちゃった。
とにかく、私と緋色はお互いに社会人になり就職し、それなりの毎日を過ごしている。あ、一つ変わったことと言えば――
【夕方から雨が降るらしい。傘持ってないだろ?迎えにいく】
二人の居住先が、一緒になったこと。
私が大学を卒業すると同時に、私の勤務先に近いアパートを借りて、二人で住んでいる。仕事に慣れない私がヘトヘトで家に帰ると、エプロン姿の緋色が「おかえり」って口を動かす。そう、いつもご飯を作ってくれるの。
仕事終わりに好きな人に会える幸せ、帰ったらご飯が出来ている幸せ――近頃の私は、多幸感でいっぱいだ。
話を戻して。
仕事で、お昼休み中の出来事。
一息つきながら、緋色からのメールを確認した。
午後から雨?そういえば、向こうの空が暗いような――窓の向こうにのびる、黒い雲に目をやる。どうやら緋色は、今日仕事は17時きっかりに終わるらしくて、私を迎えに行くことが可能らしい。
いつもなら「大丈夫だよ」と言うのだけど、週末は幼稚園の運動会が待っている。もし、ここで風邪を引いたら――欠席の二文字が脳裏をよぎった瞬間、背筋がゾッとした。潔く「お願いします」とメールを打つ。するとすぐ既読になり「了解」と、緋色らしい短文が送られてきた。
「じゃあ今日は、仕事終わりにすぐ緋色に会えるんだ……っ」
幼稚園からアパートまで、さほど距離はない。歩いて十五分くらい。でも、同棲を初めて一か月ほどの私たちは、すぐにでも家に帰って好きな人に会いたいのだ。
「……って、なに恥ずかしいこと言ってるんだって話だけど」
緋色に「ありがとう」のスタンプを送って、スマホを閉じる。時計を見ると、ちょうどお昼休憩が終わった。
「あー、お昼休みにやろうと思っていた書類……」
チラリ、と。分厚い書類に目を移す。いくらデジタル化が進んだとはいえ、幼稚園教諭のすることって終わりナシだ。
「持ち帰り確定かな……」
すると遠くの教室から「あかね先生まだー?」って声が聞こえる。
しまった、早く戻らなきゃ!
◇
「お疲れ様でしたー」
子供たちが保護者に引き取られたあと、運動会の準備をコツコツと進めていた。全く時計を見て居なかったら、先輩に「もう上がって」と言われた。わ、いつの間に17時になっていたんだろう。
急いで着替えて、下駄箱に移動する。すると、そこで何人かの先生が固まって話していた。
「あの人、どう思う?」
「不審者かしら?通報した方がいいかしら?」
「(不審者?)」
先生たちの視線の先を見ると、そこには見慣れた後ろ姿。幸い雨が降らなかったけど、いつ振ってもおかしくない状況と判断したのか、メールの通り緋色が迎えにきてくれていた。
「でも不審者にしてはカッコよくない?」
「思った。なんかガタイもいいし」
私の傘を余分に持ち、園の門前で待っている。細身のパンツに、大きなシャツ。四月ということもあって、緋色は薄着だった。筋肉質な二の腕が、暗雲の下でも目立っている。
「あの、すみません。あの人、私の彼氏……です」
いつまでも緋色を不審者扱いされたくないのと、あのカッコイイ人が私の彼氏なんだよっていう優越感と。色んな感情が混じった声が、先生たちの耳に届く。その瞬間「えぇ!」と、大きな声が幼稚園に響き渡った。
「あのカッコイイ人が、澤田さんの彼氏⁉」
「羨まし過ぎるわよ、ちょっと~!」
「あはは」
褒められて、照れ臭くなる。すると、先に靴に履き替えていた先生たちが「挨拶しなきゃね」と、私よりも先に緋色へ近づいた。
「あ、ちょっと待ってください!」
緋色が喋れないことを伝えてないから、説明しようとしたけど。先生たちは俊敏だった。すぐ「こんにちは」と、緋色に挨拶する。
急いで後を追いかけた私。そんな私の目に写ったのは、緋色が手話で「こんにちは」と挨拶するところ。
「……え?」
状況が呑み込めない先生たちが、困ったように眉を下げて私を見た。慣れた反応なのか、緋色が私へ向いて「説明してあげて」と口を動かす。
「緋色は……彼、喋れないんです」
「え!あ、そうなの……」
「へぇ……、そうなんだ」
明らかに、一歩引いたような先生たち。さっきとは声色も、目の輝きも違う。その差異が「困惑」だと知っている。……知っているけど、目の前で見るのは、ツライ。
特に、緋色が「慣れたように対処する」姿を見るのは、特にツライ。
「じゃあ澤田さん、お疲れ様」
「ま、また明日ね~」
「……お疲れ様でした」
先生たちに背中を向けられた瞬間、重たい物が胸に落ちて来る。いつまで経っても慣れない感覚。
「(朱音、帰ろうぜ)」
「……うん」
隣の緋色を見ると、なんともないって感じでケロッとしてる。そんな顔してほしくないんだけど、でも実際、緋色が傷ついた顔をしたら、私……たぶん泣いてしまうと思う。
大事な人に傷ついてほしくないって思うのに、現実は難しい。
「私はね、ずっと緋色に笑っていてほしいの」
「(ずっと前にも聞いたな)」
ニッと笑った緋色の頭上に、雨が落ちる。すると緋色が、二人の間で自分の傘をさした。
「私の傘あるなら、私、自分でさすよ?」
「(これでいい)」
フルフルと頭を横に振られ、何も言い返せなくなる。緋色は私の方へ傘を倒してくれているから、自分は濡れちゃってる。それなのに、かたくなに相合傘をやめようとしなかった。
「(昔、朱音が俺に言ったじゃん。〝私に触れてくれれば、俺の気持ちが分かる〟って)」
「うん、言ったけど?」
「(じゃあ、分かって)」
お互いの空いた手を、傘の下で強く握った緋色。温かな手の温度は、冷たい雨をものともしていない。その温度は、緋色の強さを表わしている気がした。
「(さっきの反応、俺が傷ついたと思ってんだろ。それ間違いだから)」
「間違い?」
「(俺は、こうして緋色と手を繋いで同じ場所に帰ってるだけで、すげー幸せなんだよ)」
「!」
そっか――ストン、と。
胸にあった重たい物が、瞬時に消えた。
緋色の目を見る。すると「分かったか」って言わんばかりの、得意げな笑みが浮かんでいる。
「私、まだまだだね」
「(まだまだだ。でも――)」
ぎゅッ、と。繋がった手に、緋色が力をこめる。
「(朱音に気を遣わせちまってるのは、俺の改善すべきところだから。お前が〝まだまだ〟なんじゃなくって、単に、俺の表現不足だ)」
「緋色……」
思わず涙が溢れそうになった。こんな時にまで、私を気遣ってくれて。全ての責任を、自分が背負って。どうしようもなくカッコイイ。
「やっぱり緋色は、私のヒーローだね」
「(ぶは! やめろ、それ。恥ずかしくて死にそう)」
口を開けて笑う緋色が、可愛くて。「マイヒーロー」って、ふさけて呼んでみた。そうしている内に、浮かんだ涙は、いつの間にか消えていた。
雨がパラパラ降っている。雨粒が、傘を控えめにノックしている。でも横にいる私のヒーローは、いつだって私の胸を、激しく熱く叩いてくれるんだ。
大丈夫だから。
俺も、私と同じ気持ちだからって――
「私、幸せだよ」
「(同じこと思ってたわ。じゃあ今日の夜、カレーにしようぜ)」
「〝じゃあ〟って何?」
クスクス笑っていると、目の間に、ちょうどスーパーがあった。家に材料があるか尋ねると、緋色は首を横に振る。
「いつも何かをストックしてる緋色が……珍しいね」
「……」
すると緋色は、少し照れた顔で、頬をぽりっとかく。
「(一度、仕事終わりの朱音と買い物してみたくて……わざと今日は、晩御飯を用意してねんだよ)」
「緋色……ふふ、私も!仕事終わりに緋色と買い物できるなんて、幸せ!」
満面の笑みを浮かべて言うと、緋色が少したじろぐ。かと思えば、急に傘を傾けて私から自分の姿を隠した。
「ちょっと、私が濡れているんですけど!緋色~!」
「(うるせー。ちょっと頭冷やしてんだよ)」
「じゃあ緋色が雨に打たれなよー!」
「(やーだね)」
そんなことを手話で伝えながら、なんとか入店。すると夕方どきということもあってか、思ったよりもお客さんの出入りが激しい。傘を傘立てに置いてくれた緋色は、買い物かごを手に取った。
「(まずは野菜だな)」
「うん、何を入れようか」
第三者から見ると、私は一人で喋ってるように見える。たまに訝しむ人もいるけど、私たちが手話している姿を見ると「あぁ」と、納得するように目をそらした。
「(ってか、本当に人が多いよ。緋色を見失っちゃいそう!)」
人ごみをかき分けながら、緋色の高い身長を頼りに、必死に前進する。すると、全く関係ない「おかしコーナー」に緋色が入って行った。
お菓子?と疑問に思ったけど、緋色が入ったなら――そう思って、後を続く。コーナーへ入った瞬間。今まで混雑していたのがウソみたいに、伽藍洞へと変化した。
「緋色、お菓子が食べたかったの?」
「(いや?休憩。人が多すぎて、朱音が踏みつぶされそうだったし)」
「そこまで小さくないよ!」
憎たらしく口角を上げた緋色だけど、私が休憩できるように、わざわざココい寄ってくれたんだよね?さりげない優しさに、胸が弾む。
「あ、ちょうどチョコ食べたかったんだよね。何か買ってもいい?」
「(むしろ、もっと太ってほしいから、どんどん買えよ)」
全身をジロジロ見られて、うッと後退する。そりゃ、体の厚みは全体的に薄い方だけど……。視線を下げて、フラッとな体を改めてみる。そして、肩を落とした。
これ以上、体型のことを言われないようにするため、お菓子を選ぶ。私の好きなチョコ系のお菓子はないかな~と、足を動かした瞬間だった。
ドンッ
「わ!」
「!」
足元に小さな男の子がいたことに気付かず、私の足と男の子がぶつかってしまった。緋色が私に向かって手を伸ばしていたけど、あと一歩のところで間に合わず。男の子は地面にしりもちをついてしまう。「ごめんね」と近寄ると、なんと私が担任する組のだった。
「あー、あかね先生!」
「まさくん!お買い物きてるの?」
「うん!」
誰と?と聞くと、まさくんの顔色が変わった。必死に周りを見渡しても誰もいない。水をかぶったように、顔色が悪くなる。さては……親とはぐれた?
「まさくん、誰と来たの?」
「お母さんだよ。お菓子えらんでてって言われたんだけど……」
お菓子コーナーに、私たち以外の大人がいないと知り、まさくんの目が潤んだ。「迷子、確定かな?」と緋色に言うと、彼も同じ考えだったらしい。迷子のアナウンスをしてもらうため、近くに店員がいないか、辺りを見回した。
だけど、お客さんでごった返したスーパー内で、店員さんは息をつく間もないほど慌ただしくしていて。しかも特売のアナウンスも、この喧騒にかき消されていた。
「これは、自力で探すしかない……よね?」
「(そうだな。俺らで母親を探すか)」
一歩コーナーを出れば、そこは人だらけだし。私たちが何とかするしかない。
そんなこんなで、手話で短く話を済ませると「えぇ⁉」という驚きの声が響く。見ると、まさくんが緋色を見てビックリしていた。
「にーちゃん、今なんていったの?っていうか、何で喋らないの?」
「(……説明してやってくれ)」
今日二度目の出来事に、緋色も苦笑を浮かべる。私は、まさくんに伝わるように、かみくだいて緋色を紹介した。
「まさくん、この人はね、先生の大事な人なんだよ。昔、病気のせいで声が出なくなったの。さっきのは手話って言ってね、声がなくても会話できる、便利な方法なんだよ」
「しゅわ?」
「例えば、この手の動きで〝ありがとう〟って意味なの」
ゆっくりした動きで、手を動かす。するとまさくんは、明らかにハテナを浮かべていて……これ以上にない、キョトン顔。
「よく分かんない。お兄ちゃん喋れないの、かわいそうだね」
「え、うぅん……」
子供の言葉は、本当にストレートで。残酷だ。それは幼稚園で働いていると、何度も感じて来た。それを、今この場で体感するとは……。
何て言おうか迷っていると、後ろにいた緋色が、まさくんに手を伸ばす。何をするのかと思えば、なんと、肩車。
「わー!高い!」
「(朱音、母親の特徴きいて)」
「わかった!っていうか、私もまさくんのママとはほぼ毎日会ってるから、見つけられるよ!」
「(お、頼もしいな)」
一方。背の高い緋色に肩車されて、まさくんは大喜び!
「にーちゃん、すっげーな!こんなに高いの、俺、はじめてだよ!」
「(う、うるさい……)」
げんなりした顔の緋色だけど、行きかう人の中にお母さんがいないか、あてずっぽうで指をさす。するとまさくんが「あ」と、人の波を押しのけてこちらに向かって来る、一人の女性に手を振った。
「まさと!あ、澤田先生も!」
「まさくんママ、こんにちは」
申し訳なさそうにする彼女に、まさくんが「皆でママを探してたんだよ」と言う。すると全て状況を理解したのか、まさくんママは深々と頭を下げた。
「すみません!ちょっとの間、と思って離れてたのですが、まさかここまで混雑するとは思わず……ッ」
「まさくん、泣かずにいい子にしてましたよ」
「そうなんですね。まさと、ごめんね。もう離れないからね」
私がいる手前、はずかしいのか。まさくんは「別にー」と言っていたけど……語尾が少しだけ震えていた。だって私と会った瞬間は、泣きそうな顔をしていたもんね。寂しかったよね。
すると緋色が、まさくんをおろす。そして「よく頑張ったな」って。そう言うように、小さな頭を、大きな手で何度かなでた。
「じゃあ私たちはこれで。まさくん、またあ明日ね」
バイバイ、と手を振る。すると、ドンという音がした。音のした方を見ると、なんとまさくんが、緋色に体当たりしていた。
そして、
「にーちゃん、〝ありがとう〟!」
さっき私が教えた手話を、たどたどしくも、やってみせる。
「!」
それを見た緋色は、目を大きく開けて。まさくんと同じく「ありがとう」を、手話で返した。
そしてまさくん親子は、私たちの前から去っていく。遠くなっていく会話に「にーちゃんカッコよかったんだよ!」と、緋色の話が出ていた。
「……」
その後ろ姿を、しばらく見つめていた緋色。だけどフッと、口角を上げた。
「(子供っておもしれーな)」
「ね、かわいいでしょ」
二人でクスクス笑っていると、緋色がピタリと手の動きをとめた。かと思えば、やっぱり、ゆっくり動かす。
「(俺って、やっぱりヒーロー?)」
「! ふふ」
さっきの瞬間。
まさしく緋色は、まさくんにとってヒーローだった。
それを、緋色自身が言ってくれるのが嬉しい。
「緋色は、なくてはならない、唯一無二のヒーローだよ!」
からかいなし、本気度100パーセントで笑うと。観念したように、だけども、なんだか嬉しそうに。緋色も同じ笑みを、私に返してくれた。
【完】
無口な偽物カップルは、夢の中ではしゃぐ またり鈴春 @matari39
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