あのサクラに恋をした

じゅじゅ/limelight

あのサクラに恋をした

 春休みが始まってすぐの日。ずっと家にいた僕は父に半ば強制的に家を追い出され、用もなくぶらぶらと歩いていたときだった。

 川沿いに一本だけ立つ、桃色に色づいた満開の桜の木を見つけた。


 毎年この時期に見る桜となんら変わりないはずなのに、僕はすっかりそれに見惚れてしまっていた。そして、吸い寄せられるように木の下にあったベンチに腰掛けた。


 見慣れた桜にこれほど綺麗だという感情を抱いたことはないだろう。はらり、はらりと一枚ずつ花びらが散っていく。その様子に釘付けになっていた時だった。


 「疲れてそうだね〜」


 どこからか女性の声がした。咄嗟に振り返ったが、後ろには桜しかない。気のせいかと思い、袖で汗を拭うと、正面には少女が立っていた。

 全身薄桃色の、あたかも桜を擬人化したような子だった。


 「うわぁっ! 」

 

 あまりに突然の出来事に僕は声を上げて身を引いた。目の前にいる彼女は口を開けたまま目をパチパチと瞬きさせていた。


 「君、私のことが見えるの?」

 「……見える、のかもしれない」


 恐る恐る答えたが、その子は依然として立っているだけだった。


 「あ、あの、君は——」

 「嘘!? 始めて会ったよ君みたいな人! 」


 僕の言葉を遮るように、彼女は突然目を輝かせて歓喜の声を上げた。そして、立て続けに話し始めた。


 「私、サクラ! あなたは?」

 「……僕は、悠斗。春原悠斗はるはらゆうと

 「ゆうとくん! ゆうとくん!」


 彼女は嬉しそうに僕の名前を連呼しながら宙を飛び回っていた。彼女が発していた桜の匂いは強くなり、しかも、サクラさんが飛べば飛ぶほど、足元に桜の花びらが落ちていく。

 

 さっきは桜に見惚れていたのに、視線がサクラさんから離れない。僕は二度、サクラに見入ってしまったらしい。


 ……早く帰ろう。家を出てから時間は経ったはずだし、これだけ汗をかいていれば父も何も言わないはずだ。そう思い、ゆっくり立ち上がる。

 

 「どうしたの!? 帰っちゃうの?」

 「ああ。ここにいる理由もないし」

 

 冷たく言い放つと、サクラさんは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。


 「……明日! 明日また来てよ」

 「えぇ、なんで」

 「ダメ?」

 

 あぁ、もう。ここで断るとなんだかまるで僕がなにかやってはいけないことをしたみたいじゃないか。

 

 「……わかったよ。明日な」

 「やったー! 約束ね!」


 そう言って彼女はひょいっと桜の木の上へ飛んでいった。もしかしたら熱中症になって夢を見ているのかもしれない。

 僕は足早に、桜の木を後にした。もう一度振り返って見ると、また見惚れてしまいそうになった。あの桜の木には不思議な力でも備わっているのかもしれない。


△ △ △


 改めて数日前の出会いを思い返す。今ではベンチで隣に座っているサクラさんは、僕が持ってきた漫画に興味津々だった。

 

 「悠斗くん、次のページ! 」

 「はいはい」


 あの次の日、僕は約束通りまた会いに行くや否やサクラさんは僕に抱きついてきた。けれど、サクラさんは実体のあるものに触れることはできないようで、僕が一ページずつめくっている。


 最初はあまり乗り気ではなかったけど、それでもサクラさんの嬉しそうな反応を見ると僕も嬉しくて。

 今ではすっかり、僕から桜の木のベンチに足を運ぶようになっていた。


 真剣に一コマずつ読む彼女を見つめる。また見惚れてしまうところをサクラさんの「次!」という言葉が僕を現実に引き戻してくれた。


 刹那、僕たちの間を突風が吹き抜けた。


 「ひゃぁっ! 」


 サクラさんの悲鳴と同時に、頭上の桜の花びらと香りが飛ばされていく。風が止んでから、サクラさんは何事もなかったかのようにまた漫画を読み始めた。


 「大丈夫? 」

 「うん! 大丈夫だよ」

 「……」

 

 本当に大丈夫ならいいのだけれど。気のせいかもしれないが、サクラさんが出会ったときから少し薄くなっているように見える。それでも、彼女の笑顔は太陽のように眩しかった。


 漫画を読み始めてから腕時計の針が2周半ほどしていた頃、読み終えたサクラさんは満足そうにして笑みを浮かべていた。


 「おもしろかったぁ〜! ありがとね悠斗くんっ」


 彼女の純粋な笑みがページをめくるのに疲れた僕の肩と心に沁みる。同時に、心臓の鼓動が速くなって、顔が熱くなっていくのを感じた。こんな感覚は初めてだった。

 僕は漫画本をナップサックの中に仕舞うと、重い腰を上げるようにゆっくりと立ち上がる。


 「もう行っちゃうの? 」

 「うん、この後用事があってね」

 「そっか。じゃあ、またね」


 歩き始めてすぐ、強い風が吹き始めた。


 サクラさんの悲鳴が脳裏をよぎる。僕は反射的に後ろを向いた。すると、目に映ったのは桜が風に飛ばされて、群青色の空に薄桃色の花びらが浮かぶなんとも幻想的な花吹雪だった。


 あまりの美しさに僕はしばらくその場に立ち尽くしてしまった。


 △ △ △


 次の日。週末になり、外出する人が増えて、もちろんお花見をする人が多かった。


 ベンチに腰掛け、桜を見上げているおじいさんとおばあさん。木の周りをぐるぐると走り回っている二人の子供は孫だろうか。


 「見て見てー! 花びらがたくさん落ちてるよ!」

 「おじいちゃん! こっちこっち! 」


 仲睦まじい声が聞こえてくる。遠くから眺めていると、微かな桜の花の香りが鼻腔をくすぐった。


 「やっほー悠斗くん! 見ての通り今日は悠斗くんだけじゃなくなったよ! 」

 「よかったじゃん」 

 

 彼女の姿を見るや否や、精一杯の作り笑いを浮かべ、優しく言葉をかけた。

 気のせいじゃなかった。時間が経つにつれ、サクラさんの姿は確実に透明になって、存在感が薄れていたのだ。


 いつもと変わらない優しい表情であの家族を眺めている彼女は、どこか寂しそうに見えた。そんなサクラさんは僕の手を引いた。


 「行こう! ベンチは空いてないけど……ほら、私の近くとか座ってみる? 」


 薄桃色の肌をした彼女の頬だけ朱色に染まっていく。手を握ることこそできないけれど、僕はそのまま彼女に導かれるように桜の木の下に座った。

 さっきまで遊んでいた子供達は、いつの間にかいなくなっていたけれど、僕は誘われるままに座る。


 「ねぇねぇ、今日もあれ、あるよね?」

 「うん、持ってきてるよ」


 ナップサックから昨日持ってきた漫画の第二巻を取り出すと、彼女は新しいおもちゃを買ってもらったかのような、にぱーっとした笑みを浮かべた。


 「今日は悠斗くんも一緒に読もうよ」

 「いや、僕はいいよ。読むスピード違って、サクラさんが楽しめないだろうし」

 「一緒に読も! 」


 こりゃダメだ。そう思い、僕もサクラさんにペースを合わせながら一緒に読むことになった。先に読み終わると、真剣にページを見つめるサクラさんに目を遣る。それから、残っていた桜の花を見上げた。


 「むー! 悠斗くん、今は私と漫画を読むの! 花は見ちゃダメ! 」

 

 まだ少し残っている桜の花、存在感が薄れてきているサクラさん、風が吹くと急に悲鳴を上げる……


 ————確かめたい。


 僕のこの邪推は正しくないことを。そんなことはないと、彼女の口から言ってほしい。今、頭に浮かぶこの最悪の想定を否定して欲しい。


 「……サクラさん」

 「ゆ、悠斗くん? 」


 桜の香りがする空気を存分に吸って、僕は核心を突く一言を放った。


 「この桜が散ったら、サクラさんはどうなるの? 」

 「えっ……」


 安堵した表情から一変、サクラさんは驚きと絶望の入り混じったような真顔になる。冷たい風が吹きつけ、その音だけが耳に入る。

 少しして、彼女は震えた声で話し始めた。


 「うん、私はもうすぐ、消えちゃう。この桜が散ったら……」

 「……」


 当たった。いや、当たってしまった。これまでのサクラさんの不思議に感じた行動に全て合点が行き始めた。ミステリーなら、謎が解けたら達成感があるはずなのに、僕は激しい喪失感に襲われた。


 言葉が出ない。自分から話したことなのに。なにか言葉をかけてあげるべきなのに、僕は口を固く閉ざされたまま下を向いていた。


 「悠斗くん、聞いて欲しいことがあるの」


 そう言って、サクラさんは僕の隣に座って、上を向きながら話し始めた。その声はさらに震えていて、泣いているのかもしれない。けれど、僕に彼女の顔を見る勇気はなかった。


 「私ね、ずっと寂しかったの。ほら、私が桜だから花が咲くときはみんな来てくれるけど、花が咲いてないときは誰も私のことなんか気にかけれくれなくて。しかもね、みーんな花だけ見るの。だから誰も私のことに気づいてくれない」


 今度は暖かい春の風が吹いてきた。それでも、数少ない桜の花がまた、群青色の空に散っていく。サクラさんが纏っていた花の匂いも薄れていた。


 「でもね、悠斗くんは私に気づいてくれた。どうしてかはわからないけど、それがすごく嬉しくて。それから、悠斗くんは花だけじゃなくて私も見てくれた。一回見たらそれっきりじゃなくて、毎日来てくれて……」


 「好き、だから」


 「えっ?」


 思い返せば、初めて見たときから僕は君に一目惚れだったのかもしれない。それから、何度も何度も見入って、その度に君の眩しい笑顔に照らされた。


 だから————

 

 「僕、サクラさんのことが好きだ」


 もう一度言うと、サクラさんは泣いたまま僕を見て、問いかけた。


 「花だけじゃなくて私も好きなの? 」

 「ああ。もちろん花も好きだけど、サクラさんのことはもっと好きかな」


 今更ながら、自分で言っていて少し恥ずかしくなった。全身が熱くなり、心臓の鼓動はもはや意味がわからないくらいに速くなっている。

 僕の言葉を聞いたサクラさんは、泣いたまま笑っていた。


 「えへへ、そっかぁ〜! 私も悠斗くんのこと大好きだよ! 」

 

 その後、お互い恥ずかしくなってしばしの沈黙が流れた。

 

 それから僕たちは一緒に漫画を読んだり、川沿いを散歩したり、時にはサクラさんの思い出話を聞いたりして、時はあっという間に過ぎて、春休みも終わりを迎えていた。


 「ごめんね、悠斗くん。私もう……」

 「うん、わかってる」


 ————はらり。


 最後の花が散ると同時に、サクラさんはまるで最初からいなかった存在であるかのように、姿を消した。

 でも、彼女の存在は僕だけが知っている。


 短い春はもうすぐ終わり、それと同時に僕たちの春も終わりを告げた。

 来年の春、また会える日を待ちわびて。

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