第11話 波乱の予感
「……大丈夫か?」
「あ、ありがとうございます」
もう一度そう問われて、私はハッとしてお礼を口にする。
黒髪の青年は私の体勢を整えると、背後へ隠すようにして前に出た。
そして、ボソリと私だけに聞こえるような小さな声で話しかけてくる。
「……この者たちは知り合いか?」
「いっいえ! 違います!」
そう答えると、彼は更に一歩前に出る。そして酔っ払いに向かって口を開いた。
「彼女になにか用か?」
「あんだぁ? 兄ちゃんには関係ないだろ?」
「そうそう。俺たちは迷子のお嬢さんを家まで送ってあげようとしただけだって……ヒック」
「そうか。ならば、その任は俺が引き受けよう。お前たちは自分たちの家に帰るといい」
酔っ払いたちはカチンときたのか、「ああん?」と詰め寄ろうとする。が、しかしその足は途中で止まった。彼の腰に提げられていた剣が目に入って、「ちっ」と舌打ちする。
酔っ払いたちは「もう行こうぜ」と言って、私たちから離れて行った。
彼らが遠くまで離れて行くのを見届けて、ほっと安堵する。
私は黒髪の青年の顔を見上げて、改めてお礼を言った。
「あの……助けていただきありがとうございました」
「あ……ああ……」
彼の頬が少し赤く色づいている。
どうしたんだろう? こちらをチラッと見たと思ったら、バッと目を逸らされた。
……私、なにかしたかな?
「それで、貴女はどちらに向かわれるのだ? そこまで送ろう」
「あ、はい。えっとこの道の先にあるパン屋さんへちょっと行きたくて……」
そう言うと彼は先頭を歩き始めた。私は黒髪青年の言葉に甘えて、その後ろをついていく。
パン屋に到着するまでの間、私たちの間に会話らしい会話はなかった。
店に着いて、もう一度改めてお礼を言おうとしたそのとき──目の前のお腹から『ぐぅ』という音が聞こえてきた。
黒髪の青年が顔を赤くして、私は思わずふふっと笑ってしまう。
「あの。良かったらお礼させてください。ここのパン、美味しいんですよ?」
「あ、いや、しかし……」
「遠慮なんてしないでください。あ、私はマナカって言います。貴方様のお名前を伺っても……?」
「俺はアレクシス。アレクとでも呼んでくれ」
「では、アレク様。お好きなパンを選んでくださいね?」
「……すまない。お言葉に甘えて、ひとつ選ばせてもらおう」
アレク様が少し眉を下げる。その顔がなんだか子犬のように見えて、また私はふふっと笑ってしまった。
彼がパン屋の扉を開ける。ふたりでその扉の中に入るのだった。
***
「──本当にありがとうございましたっ!」
そう言うとマナカ嬢は慌てて去って行った。
突如、ハッとして「いけない! 師匠が!」とかなんとか言うと、彼女は店を飛び出す。
「家まで送ろう」と、そう言おうとしていたのだが、それを言う暇もなくマナカ嬢はいなくなってしまった。
店の前で彼女が走り去った方角を見ていると、パン屋の女店主が出てくる。
「あれっ!? マナカちゃんもういなくなったのかい?」
「あ、ああ……なにか大事なことでもあったのか、慌てて走って行ったが……」
「あの子ったら、お釣りもパンも忘れて……おっちょこちょいだねぇ。ちょっと兄さん、これをマナカちゃんに届けてくれないかい?」
「……それは構わないが……しかし、店主殿。俺はあの子の家を知らないんだ」
「ああ~! それなら大丈夫。この道を真っ直ぐ行くと大きなお屋敷がある。かの大魔法使い様の家に、あの子は住んでるんだよ」
「大魔法使いって……もしや、ルシード殿か……?」
「おや? もしかして知り合いかい? それなら話は早いね。それじゃ、頼んだよ」
そう言うと女店主は俺に紙袋とお金を押し付けてきた。
そして、背中をポンポンと二回叩くと彼女は店に戻っていく。
「ルシードの屋敷に……女……? 初耳だ」
あの男は美しい顔の持ち主で、男も女も魅了する。
顔だけでなく、その地位も魅力的だ。
彼の伴侶になりたいという女性は多数いる。それこそ鈴なりだ。
それらを全て断って、長年浮き名ひとつ流れたことのない男の家に、女が……マナカ嬢がいる?
小動物のように愛らしい彼女が、あの男の家に住んでいるだと?
「幼馴染の俺に隠しごとなんて、酷いじゃないか。ルシード」
いつから彼女がいる?
ふたりの関係は?
ぎゅっと力を込めると、手に持っていた紙袋がガサッと音を立てた。
その音を聞いてハッとして、慌てて力を緩める。
なんにせよ、自分好みな女性との縁はここまでか……と思ったら、妙な形で繋がっていた。
もしかすると、これは運命なのかもしれない。
俺はルシードの屋敷を目指して歩き始める。
その足は少しばかり浮足立っていた。
***
「ただいま戻りまし──」
「随分と遅かったね。どこまで行っていたんだい?」
屋敷に戻ると師匠が扉の前で待っていた。
玄関の扉を開けた途端、彼が私を抱きしめる。
すると、師匠はふんふんと鼻を鳴らし始めた。まるで私のにおいでも嗅いでいるようだ。
「……ん? マナカから、男のにおいがする」
「ふ、へ……?」
におい? 男??
師匠の体をぐいっと押しやって、それから自分の腕を鼻に当て、くんくんとにおいを嗅いでみた。
けれど、特に変なにおいはしない。いつも洗濯で使っている洗剤の香りしかしない。
「……マナカ。パンを買いに行ったはずなのに、パンも持っていないし……お前は外でなにをしてきたんだい?」
師匠が首を横に傾けて、私をじっと見つめた。
その瞳は、なんだか光が消えたようで、ゾクリと嫌な感覚が背中を走る。
師匠は胸のポケットに手を入れると、中からなにかを取り出して、それを私の首に着けた。
私はそれを触ってみる。肌触りはベルベット生地のようなものだ……これはチョーカー?
「師匠……これは?」
「うん。これでお前がどこにいても分かるようになったよ」
「はぁ……」
彼はニッコリ笑って、うんうんと頷いている。
よくわからないけど、師匠の瞳に光は戻っているし、機嫌も良くなったから、まぁいいのかな?
(──って、それは置いておいて!)
私ってば、パン屋さんに買ったパンを忘れてきたみたい!
師匠に言われた言葉で、自分がなにも持ってないことに気づいた。
取りに行かないと! と思って、お屋敷の玄関を開けようとしたとき、その扉がトントンと叩かれる。
師匠がガチャリと扉を開くと、先ほどまで一緒だった黒髪の青年──アレク様がそこに立っていた。
「おや? アレクじゃないか。うちに来るなんて珍しい」
「……ああ。これをパン屋の女店主に届けるように頼まれてな」
そう言ってアレク様が見せたのは、今朝行ったパン屋の紙袋。
それを見て、私はピンとくる。
「あ。もしかして、それって」
「パンもお釣りも忘れてましたよ。マナカ嬢」
「あああ、ごごご、ごめんなさい!!」
慌ててそれを彼から受け取ろうとして、師匠がそれを遮った。
師匠はアレク様からパンの入った袋を受け取り──いや、奪い取って、私にそれを差し出してくる。
「マナカ。それを持って先に行ってなさい」
「え、あ、でも」
一度ならず二度までもお世話になったのだし、お礼を言わないと。
「大丈夫。彼は私の知り合いだから。いいんだよ」
「は、はい……」
師匠の微笑みが怖い。これは素直に従ったほうが身のためだろう。
私はアレク様に向かって、ペコリとお辞儀をする。
そして、玄関ホールから立ち去った。
──まさか、この日以降ルシード様とアレク様が私をめぐって対立したり、師匠の溺愛が始まるとは夢にも思ってないのだった。
転生女子にチートなし!?~師匠に恋する弟子の私は、うわさの『恋に効く薬』をこっそり作ってみたけれど、どうやらそれは媚薬だったようです?~ 椿原守 @tubakihara
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