第7話 「とりあえず、1ヶ月、どうでしょうか」
「こんやくしませんか……?婚約?」
提案の意味が呑み込めず、うわの空で復唱した私に改めて向き直って、鈴原くんは「はい」と力強く頷いた。
「はい。隊長が、俺と、婚約してはどうでしょうか、という提案なんですけれども」
「え?」
話が飲み込めていない私を前に、鈴原くんははきはきとした口調で申し出を続けた。
「突然の申し出で申し訳ないですが……俺だったら、家紋持ちですし、条件には合ってますよね。それに、俺、直系じゃないんで、婿に行けますよ」
直系とは、正式な家の後継者と配偶者の間の子どもを指す。
家紋持ちの家系は、家紋を継承させるために男女問わず妾を持つことが多いので、正式な配偶者との子どもを「直系」、妾との間の子どもを「傍系」と称する。
「直系じゃない……?」
「俺、鈴原の家の養子なんですよ」
言いにくそうなそぶりもなく、さらりと言う。
「俺も
鈴原くんは大げさにため息を吐いてから、髪をさっと分けた。
「東都大学首席で卒業、そのまま参番隊に直接入隊、面倒な戸主じゃない、この見た目とそろってたら放っておかれないでしょう」
呆気にとられた私はしげしげと鈴原くんを眺めた。
女性としては背の高い方の私が見上げるくらいの長身で程よく鍛えられた体に黒字のシンプルな隊服が良く似合っている。
そして、自分で言った通り鈴原くんは、最難関学府である東都大学を昨年首席で卒業し、そのまま防衛部隊のエリートである参番隊に直接入隊した、将来を期待される新人だ。さらに鈴原家は、由緒ある家紋を継ぐ、裕福な家であるのに、面倒なしがらみがある戸主ではない、とくれば。なるほど、見合い話は山ほどあるだろうと、うなずける。
(鈴原くんは、私に同情してくれているのかしら)
そんな彼があえて自分と婚約したいと言ってくる理由がわからない。
「そんなにお見合いのお話があるのでしたら、私じゃなくても」
反応に困ってしまって、とりあえず笑って首を振った。
「違うんです!」
鈴原くんは「うう」と唸ると、向き直った。
「隊長が、良いんです」
しばらくの沈黙。――私は、何とか言葉を絞り出した。
「私は、鈴原くんより、年上ですし……」
「3つくらいの差は差って言いませんよ」
鈴原くんは即座にそう言うと繰り返す。
「隊長が、良いんです」
詰め寄られて、気まずくなり視線をずらした。
「でも」
鈴原くんはずいとずらした視線の正面に入り込む。
「俺じゃダメですか?」
今度は私が「うう」と唸った。
「ダメでは……ないです」
鈴原くんは「やった」と両手の拳を握ると、にっこりと笑った。
「では、お試しで、婚約してみましょう!」
「お試し……?」
「俺が気に入らなければ、いつでも破棄してもらって良いですよ」
「そんな」
この前、修介さんに「婚約破棄」を告げられたばかりなので、「破棄」という言葉に敏感になってしまう。
「婚約は気軽に破棄できません……」
「じゃあ……、じゃあ」
鈴原くんは「うーん」と頭を抱えてから、ぽんっと手をたたいた。
「とりあえず、1月お付き合いさせていただいて! 満足していただければ、婚約披露宴にお相手として連れて行ってください」
頭を抱えていると、桜がとんとんと私の肩を小突いた。
「いいじゃない、綾子。そう言ってくれてるんだから。とりあえず1月お付き合いしてみれば?」
それから耳元でささやいた。
「鈴原くんがお店に来るようになってから、明らかに鈴原くんくんを見てる女性のお客さん増えたんだから。すぐ他の誰かにもらわれちゃうわよ」
「そうなんです。俺、店来るたびに帰りに声かけられちゃって」
鈴原くんは神妙な顔でそう言うと、綾子に向き直って、両手を差し出して頭を下げた。
「とりあえず、1ヶ月、どうでしょうか! 隊長!」
少し躊躇した綾子だったが、
「……わかりました。よろしくお願いします」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。
ここまで言ってくれているのに断るのは気が引ける。
とりあえず1月交際してみるのもありなのではないかと思えてきた。
「おめでとう、綾子。お酒、私のおごりで出すわよ」
面白そうに笑った桜が酒瓶を左手に、グラスを2つ右手に持って綾子と鈴原くんの前に置いた。
「隊長! 飲んじゃいましょう」
「……ええ、ええ……」
グラスに継がれた酒を、勧められるままぐいっと飲んだ。
(「捨てる神あれば、拾う神あり」と言うけれど)
修介さんからあっさりと「婚約破棄」を告げられてすぐに、今度はあっさりと「婚約をしたい」と鈴原くんが申し出てくれたことは、素直に嬉しかった。
久しぶりに飲みたい気分になった。
***
「綾子ってば、学生時代から超がつく真面目でね。学年の委員長もやっていて、私が『試験結果が悪かったら退学になっちゃう』って泣きついたら、翌日にはノートを徹夜でまとめてきてくれてね。そのせいで授業中に眠なったところを先生に差されて、ぼーっとしていたんでしょうね、先生に「はい、お父さま」って返事して……」
桜は先ほどから何やら上機嫌に話している。これではどちらが酒を飲んでいるのかわからないわと苦笑した。――そんな学生時代の話、恥ずかしいわ。
「桜! そんな話はしなくて良いわ」
カウンターから身を乗り出して友人の口を塞いだ。
桜は口を尖らせる。
「だって……、私が話さないと、綾子、全然話さないじゃない」
(だって、鈴原くんと何を話していいのかわからないもの)
「う」と口ごもって、逃げるように時計を見た。もう日付が変わろうとしている。
はっとして、桜に声をかけた。
「そろそろ帰らないと。桜、佳世のお土産に、いつものお饅頭を包んでもらえる?」
「はいはい」
いつものことなので、聞きなれた様子で友人は包を用意してくれた。
「それで……」
「それでは」と言いかけた綾子にかぶせるように口を開いて、鈴原くんは立ち上がった。
「家までお送りしますよ」
「……大丈夫ですよ、私は」
顔の前で手をぶんぶんと振る。
修介さんと会った時でも、家まで送ってもらったことはなかった。修介さんは「綾子なら妖だろうが何が出ても大丈夫だもんな」といつも言っていたっけ、と思い出した。
「いえいえ! 送らせてください!」
鈴原くんは引こうとしない。
「送ってもらいなさいよ」
桜にそう一押しされて、しばらく唸ってから「では、お願いします」と折れた。
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