第8話 「こんなに素敵な人は他にいないのに」
鈴原くんとふたり、夜の街を歩いて行く。
任務以外で男性と2人きりで夜道を歩いて家へ帰るのは初めてなので、どこかふわふわしたような気持ちがした。
(酔っているせいよ)と自分に言い聞かせながら歩く。
何を話して良いかわからず、沈黙が流れた。
「さくら」では、桜もいてくれたおかげで、自然と会話をすることができたのだけど。
(私から、何か話さないと……)
ふわふわする頭をぶんぶんと振って、何とか探し出した話題を振った。
「先日の、討伐の際の戦い方は、今後も使えますね。鈴原くんの【疾風】で風を起こしてもらって、そこに私の【
そう早口で話す綾子の耳に、弱弱しい鈴原くんの声が聞こえた。
「――隊長」
「外側から風を巻き上げて内側に集めることで、取り逃がさず……って、大丈夫ですか!?」
横を見ると、鈴原くんが地面にうずくまっていた。
「隊長……、すいません……、少し、気持ち悪くなってしまいました……」
「えええ、大丈夫ですか?」
慌てて鈴原くんの横に身をかがめた。
「鈴原くん、お酒弱かったんですね?」
入隊時の歓迎会で酒を飲んでいる姿は見たことがあったが、弱いイメージはなかった。
「そんなことはないんですけど……、かなり飲んだので……、情けないです……」
鈴原くんは膝をかかえて、小声で呟いた。
「そんなに飲んでたんですか?」
人当たりは良いが、どことなく冷静な印象のある鈴原くんは、羽目を外して飲むタイプにも見えないし、こんなに酔うほど飲むイメージがなかったので、少し驚いた。
鈴原くんは少し黙った後、はぁ、と一呼吸して言った。
「――飲まないと、声をかける勇気がなかなか出なくて――」
「――」
なんと返事して良いかわからず、黙ってしまう。
「桜さんとのお話が耳に入ってきて、ここで名乗りを上げるしかない!って思って、一気に飲んで……お声をかけたんです」
「そうなんですか……」
気軽に声をかけてきたような気がして、そんな様子には見えなかったけれど。
「俺なんかがお相手に名乗り出るなんて差し出がましいかと思ったのに……まさか、承諾してもらえるなんて……夢ですかね」
言いながら鈴原くんは、ぱちんと両手で自分の顔をたたいた。
「そんな大袈裟な」
「大袈裟じゃないです」
鈴原くんはぶんぶんと首を振ると、立ち上がって綾子を見つめた。
「――どうして、隊長はいつも自信が無さそうなのかな、と思っていたんです。こんなに素敵な人は他にいないのに」
「……褒めすぎですよ」
気まずさを感じて、視線を逸らした。
「いえ、本当に神宮司さんはもったいないことをしたと思います。せっかく隊長みたいな人と婚約できたのに、破棄されるなんて」
鈴原くんは、綾子の逸らした視線の先に、顔をひょいと向けて、再度視線を合わせると、意を決したように言葉を切り出した。
「――俺、隊長に憧れて防衛隊に入隊したんですよ」
「え?」
「2年前、中央公園で隊長が妖――九尾の妖狐を討伐されたとき、俺、その場にいたんですよ」
それは、私が参番隊の隊長に推薦されるきっかけになった事件だった。
狐の姿の妖を「妖狐」と呼ぶが、人を喰らい力をつけた妖狐は尻尾の数が増えると言われている。2年前、東都の中心にある中央公園に夕暮れ時、いきなり現れた妖狐は九本の尾を持っていた。誰も予想していなかった突然の妖の襲撃に、公園は大混乱になった。――その時、偶然非番で公園にいた私は、伝書烏で本隊に連絡し、彼らが到着するまで、妖狐の足止めをした。――その戦いで、前任の参番隊隊長が重症を負って引退したため、その後を引き継ぐ形で隊長になったのだ。
「――あの時の――鬼になりかけていた学生さん――ですか」
当時のことを思い出して、鈴原くんの顔を見つめた。
その日は非番の日だったのだが、何となく心がざわざわする感覚を感じて、公園を訪れていたのだった。
そうしたら夕焼けで赤く染まった公園の広場で、横にいた学生風の青年が突然横にいた親子に襲い掛かった。
焦点の定まらない見開かれた眼に、妖の力で変形し裂けた口からは
(鬼に……なりかけている)
瞬時にそう判断して、彼を止めた。
自分が鬼になりかけた時と雰囲気が同じだったのですぐわかった。
「そうなんです。――情けないことに、俺はあの日、半鬼化して、隊長に助けられて人に戻れました」
鈴原くんは噛みしめるように呟いてから、にっと微笑んで私を見つめた。
「自分の身の危険を顧みず、人のために動ける人って本当にいるんだなと思って。……俺、やりたいこととか、特になかったんですけど。隊長の姿を見て、こういう風になりたいって思ったんです」
自分の胸元を押えた。素直に嬉しかった。
自分の仕事に対して、こんな風に真っすぐに賞賛の言葉を言われたことは初めてだったから。
「入隊した時にはもう隊長は神宮司さんと婚約されてましたし。雲の上の存在って言うか。――でも、隊長と神宮司さんの婚約がなくなったって聞いて、もしかして俺にもチャンスがあるかな、とか思って」
鈴原くんは照れたように目を伏せた。
思わず自分の頬を両手で押さえた。顔が熱い。
(こういう時は、どう返したら良いのかしら)
こんな風に好意を示されたのは初めてだ。どう返事していいかわからずどぎまぎとしてしまった。微妙な沈黙の中、春先の暖かい風がふわりと吹いた。
鈴原くんは「歩きましょうか」と呟くと、歩みを進めた。「そうですね」と相槌を打ち、後につづく。てくてくと夜道を歩いて行く。
しばらくすると、家の門が見えた。
「あ、あそこがもう、家ですので――」
綾子が立ち止まると、鈴原くんは「はい」と微笑んだ。
なんと声をかけて別れるべきか逡巡して、口から出たのは。
「――それじゃあ、明日もよろしくお願いします」
「そうですね。ええと、明日は、この前の調査報告のまとめの続きですかね」
「そうですね!」
少しの沈黙。
「では、……お疲れ様です」
鈴原くんは笑うと、頭を下げた。
「……お疲れ様です」
私も微笑み返した。
顔が熱いのは飲みすぎたせいだけではなさそうだった。
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