エピローグ

第54話

「綺麗だった、だから摘み取って俺だけのものにしたいと思ったんだ」



『だからそれは錯覚よ』



「違う」



『違くないわ、貴方は勘違いしてる』



「違うんだ。君には分からないかもしれないけど、俺は君といる時だけは意識がハッキリとしていた。俺は今まで君と"傀儡"として会話したことはないよ」



『!?』



男の言葉に少女はこの男と出会った瞬間から、今までの記憶を瞬時に振り返った。



どの瞬間にも彼の瞳には人間特有の熱い光が宿っている。



(人間の"情"が私の能力を上回ったってこと!?)



この瞬間、少女の中で今までに感じたことのない程の危機感が生まれた。



それはふっと湧いたかと思うとあっという間に膨らみ、内側から少女の全てを飲み込んだ。



そんな中、男は更に言葉を続ける。



「バーベナ…君が好きだ。君がなんと言おうと、俺のこの想いは変わらない」



大量の血を流しながら青ざめた顔で微笑みながら自分を見上げてくる男に、少女は背筋が凍り付いた。



これまで人間をここまで恐ろしいと思ったことはなかった。



『…………でもだからって…』



洗脳出来ない時点で、少女にはその人間をどうにかすることなど不可能だ。



(こんな人間がいるなんて…またこんな人間が現れたらどうすればいい?)



少女の頭はこの時既に、この先現われるかもしれない人間のことでいっぱいになっていた。



ぐるぐると嫌な想像が頭を駆け巡り、どんどんと気持ちが追い詰められていた時、突然男に襟元を掴まれ、噛み付くなキスをされた。



『!?』



キスなどという愛情表現は、吸血鬼にはなんの意味をはさない行為。



その為、少女は目の前の男が一気に分からなくなった。



少し前まではペットに向ける程度の愛着はあった。



彼女にとってこの男は傍に置いておくことによって得られるメリットが多かったからだ。



話し相手にもなり、盾にもなり、そしてなにより食料でもあるのだから。



しかしこの瞬間、彼女の目には彼がまるで宙をフラフラと不規則に飛ぶ羽虫のように予測不能で恐ろしくなった。




恐怖でしばらく動けなくなった少女が、やっと少し冷静になったとき、いつの間にか男が動かなくなっていたことに気が付いた。



(死ん、だ…?)



男の死に顔を見た少女は、その瞬間ほっと胸を撫で下ろしたが、すぐに我に返り、男に向かって叫んだ。



『待って!貴方にまだ聞きたいことがあるの!』



「………………………」



『お願い!返事をして!』



少女は男にかけた洗脳がなぜ解けたのか、そのきっかけが一体なんだったのかを確かめておきたかった。



「……………………」



しかし男は皮肉にも切羽詰まった少女に反して実に穏やかな表情で瞳を閉じている。



そして少女がもうダメだと諦めかけた時、再び男の唇が動いた。



「君を…俺のものに…」



『!?オリヴィエ!!』



少女は男の声に反応し、最後の最後で赤い目を一層強く光らせ、男に暗示をかけて操ろうとしたが、それ以上、男が反応を示すことはなかった。



『逃げなきゃ………』



『仲間…仲間を作らなきゃ…私を守ってくれる…仲間…作らなきゃ…安全な…安全な場所…』



一人残された少女は、二人の人間の死体をよろよろと跨ぎ、身体の内に大きな不安と恐怖を抱えながら闇へと消えていった。

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君は闇に咲く 椿 @Tubaki_0902

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