第1話『ネコと子猫』

 オレ――瀬田せた十郎じゅうろうにはかけがえのない幼馴染が居る。

 まるで、黒猫みたいなそいつの名前は絢瀬あやせ美月みづき

 幼稚園の頃から一緒だったから、ミヅキと呼び捨てにしていて、ミヅキもオレのことをタジュウロウと呼んでいる。


 ただ、ここで間違って欲しくないのは、オレの苗字は瀬田で、名前が十郎であるという点だ。

 だから、せめて名前を呼ぶなら、ジュウロウにして欲しい。タジュウロウじゃあ、苗字があまりに貧し過ぎることになってしまう。


「タジュウロウさんよー。お前の幼馴染ちゃん、さっき中庭で見つけたぜぃ。どっかから持って来た枕抱えて、走ってた」


 廊下前で友達と談笑してたのに、わざわざそんなことを言うためだけに教室に戻ってきて、静かに一人で弁当を食べようとしていたオレの前に現れたのは、ガラの悪そうな男子高校生だ。

 ただし、なぜかニコニコと屈託のない笑顔とやらを向けてきているのは、オレの見間違いだろう。それに、別にコイツがオレにどんな表情をしてようと、どうせ大したことないし、興味もない。


「ああ、そうなんだ。教えてくれてありがとう、コーくん」


 机に置いて、ナプキンで包み縛っていた弁当を、元の持ち運びやすい姿へと戻しながら、冷めた口調で言うと、視界の端でかすかに見えるガラの悪い顔が、ギョッと引きって、余計にガラが悪くなった。


「おい、その気持ち悪い呼び方すんなよ、オレんが嫌いなの知ってんだろ?」

「まあね。そりゃあ、知らない方がおかしいさ。で、オレがタジュウロウ呼ばわりされるのが、同じくらい嫌いだって、君は知ってるワケだ。その上で、なにか言うことはあるか?」


 かつて、オレと対等の関係でいたいと溢した男子生徒は、眉をひそめては、あごに手を置いて、口をムッと締めた。

 どうやら、考えごとをしているらしいその素振りをかたわらに、オレはせっせっとかばんの中からマフラーと手袋を取り出して、それを着け始める。


「うーむ………、……、……、……、……ない」

「よろしい。じゃあ、またあとでなコウイチくん」

「おう! 幼馴染ちゃんに宜しくな、ジュウロウ!」


 外気に触れる準備が完了したオレが席を立つと、冗談の言い合える程度の仲の、ガラの悪い単なるクラスメイトこと清村しむら浩一こういちが、やはり晴々とした笑顔で、手まで振っちゃってオレを見送った。

 そんな羞恥心の有無さえ怪しいコウイチを、軽く無視して、オレからなにも言わずに道を開けてくれたクラスメイトを尻目に、教室を後にした。



 ◇



 防寒具を重ねているのに、外気の寒さに肩を震わせて、鼻水をすすりながら、中庭に着いて、辺りを見渡すと、そこには人影なんてありゃしなかった。

 これは騙されたかと、少しナイーブに考えていると、背中に流していた口元を覆うくらい大袈裟に巻き付けたマフラーの端を、ちょいちょいと引っ張られた。


「タジュウロウ……。それ、私にもちょうだい?」


 聞こえた声は凍えたのか、震えた声で、振り返るとそこにはやっぱり、鼻先と頬を赤くさせたミヅキが鼻を啜りながら、立っていた。

 見たところ、それらしい格好は手袋しかししていないから、凍えて当たり前だ。


「いや、ダメだ。これは上げられない。ちゃんと自分のを使うんだ」


 厳しく言いながら、ミヅキの鼻に、ポケットティッシュを押し当てると、ミヅキは鼻をかみ始めた。

 そして、かみ終わったティッシュを、一応といつも制服の内ポケットに常備している絆創膏やら髪ぐしやらの中から、袋を取り出し、その中に入れた。

 その一連を、どうやらオレの内ポケットは、四次元に繋がっていると勘違いしているらしいミヅキは、目を輝かせながら見ていた。


「……じゃあ、自分のないから、タジュウロウのちょうだい?」

「“じゃあ”とはなんだ。どうせ、バックにでもしまったままなんだろう? セイコさんが、マフラーを持たせないワケないからな」


 本当に親子なのかと、最近では怪しんでいるくらいにミヅキと真反対の性格をしたミヅキの母親であるしっかり者のセイコさんの名前を出すと、ミヅキは自分の家がある方角へ遠い目をした。


「セイコは、昨日から風邪引いてて寝込んでる」

「え……。セイコさん、風邪引いちゃってんの? じゃあ、忘れたってのも、あながちウソじゃない感じか……」

「いや、それはウソ。取りに戻るの面倒だから、ウソついただけ」

「………」


 思わず、返しの言葉が見つからないくらい簡単に諦めたミヅキの素直さに、少しばかり思うところを残しながら、はぁとため息をついて、マフラーを脱いで、ミヅキの首元に巻きつける。

 代わりにオレの首元は寒くて仕方ないが、ミヅキが自分のマフラーを取りに行く時間よりも、校舎内に戻る時間の方が早い気がして、そこは諦めた。


「とりあえず、今日はオレ行くけど、なんか要るのあったりするか? 帰りにスーパー寄るから」

「……ない」

「薬は?」

「……ない。みたい」

「よし。冷蔵庫に卵とかは?」

「……ない。たぶん」

「そうか。大体要る物が分かった。全部だな」

「……そうかもしれない」


 少し遅れた返しをしながら、こくりと頷くミヅキ。その姿だけでも、マイペースな純粋無垢は、時に残酷ということを改めて知れた。

 きっとセイコさんは苦しくても、ミヅキのこの性分を理解して、なにも言わなかったんだろう。

 さっきのオレと同じで、買いに行かせるよりも、我慢した方が良いと考えたに違いない。なにかと物騒な世の中だから、仕方がない。

 ただ、こっちが目も当てられないくらいに、自分のことよりも、簡単にミヅキを優先出来てしまうくらい過保護なんだ。セイコさんは。

 それか、ミヅキに薬の違いなんて分からないと諦めて、オレを頼ったのか。どっちにしろ、もう行くと決めたからには、薬は必須だ。


「そういや、枕がどうとか言ってたな。まさかだけど、こんなとこで寝ようなんて考えてたんじゃないだろうな?」

「いや、こんな寒さじゃ、流石に寝れない。枕は――」


 ミヅキが振り返って、指を指す。

 その方向には、中庭と校舎の間にある植木鉢や小池などがあるため、間違ってボールでも飛んでこないようにフェンス代わりに植えられた生垣いけがきがある。

 すると、生垣の下に、丸く十センチくらいの穴が、ぽっこりと空いているのを見つけた。


「なんだ……この穴」

「入り口。出口は反対側みたい」

「ん……入り口? そこの穴から、なんか出入りしてるのか?」

「うん。見てみて」


 と、肝心なことは言わないミヅキに扇動せんどうされて、穴を覗き込むと、そこには見覚えのある小さな枕が押し込められていて、その枕の上に小さな子猫が、小さな身体を丸めて眠っていた。


「……なんで、ここにミヅキが昔使ってた枕が敷かれてるんだ?」

「その子、いっつも地面で寝てたから、ベッドになるだろうと思って上げた」

「ふーん、ベッドねぇ……」


 呟きながら、頭の中で懐かしい姿を思い出した。

 それは、ミヅキがこの町に引っ越してきたばっかりの頃で、親父さんを亡くした直後だったとかで、その親父さんからの最後の誕生日プレゼントだったらしいこの枕を抱きしめて、セイコさんと一緒に挨拶しに来た時のことだった。

 当時は、その枕があまりに気になって、見つめていたら、なぜかオレが枕をろうとしていると思ったみたいで、警戒された思い出がある。


「まっ、いいと思うけど。あんなに大事なものを渡すくらい大切なら、飼えば良いんじゃないか?」

「ムリ。ケイコがアレルギーだから」

「あ、そっか。たしか、そうだったな」

「うん……」


 と、頷きながら、隣で膝を折り曲げて、こんな寒い中でも気持ち良さそうに眠っている子猫の頭を撫でるミヅキの横顔は、いつもと同じ表情だったけれど、どこか寂しそうに見えた。

 だから、仕方がない。


「なら、オレの家で飼おうか? 夜なんかずっと寒いし、コイツもこんな所で、隠れるみたいに暮らすより、のびのび出来る場所に居た方が良いだろうしさ」

「……いいの?」

「ああ。それにウチのオヤジは無類の猫好きだ。この前なんか、仕事帰りに猫喫茶に行ってたみたいで、母さんに叱られてたぞ」

「そっか……。ありがとう、タジュウロウ」

「おう。まっ、気にすんな。なんなら、いつでも見に来ていいし、これでオヤジも一直線で帰ってくるだろうしさ。そうなりゃあ、オヤジの傷が減って、万々歳だし、あわよくば小遣いが増えるかもしれん。――ただまあ、それもこれも、コイツがオレの家で良ければの話だけどな」


 そう言うオレの隣で、ミヅキは嬉しそうに微かに口端を持ち上げて、子猫のことを色々と教えてくれた。

 名前は、道端に落ちていたコーラの空き缶を舐めていたからコーラで、出会いは下校途中にある自販機の前だったらしいこと。

 それから、会えば撫でるようになって、登下校していたら、後を付けて来るようになり、偶然にも生垣にサッカーボールがめり込んで、丸い穴が出来ていた所で、暮らすようになっていたこと。

 昨日、そのことに気付いて、会いに行ってみたら、地面の上で寒そうにしていたから、家の中を探して、見つけた枕を渡そうと思ったこと。


 ―――そして、コーラがやっと暖かい場所で暮らせることが、どれだけ嬉しいのかを、ゆっくりミヅキらしい言葉とペースで、教えてくれた。

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クロネコDays 高松 庚栄 @emiyahana

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