3 五月二十一日

 示唆されたみたいにオイラがカイくんの存在を知ってから、何日か経った。五月二十一日。リコちゃんは学校から帰ると部屋に籠り、机に向かっていたから、多分テストが近いんだろうと思う。カイくんの存在はずっと気になったままで、あの日以来何も集中できなかった。ぬいぐるみが集中することはあまりないんだけどね。

 勉強に疲れたのかパジャマ姿のリコちゃんは立ち上がって体を伸ばした。カーテンが閉まっていて外の景色は分からないけど、恐らく今は夜中だ。

「冷蔵庫にチョコあったかも……でもなー、間食よくないか。うーん」

 リコちゃんは悪魔の囁きと戦っている。いつも負けているけれど、それが可愛いのだ。例によって「よし」と呟いたリコちゃんは部屋を出てチョコを取りにリビングへ行った。

 しばらくして、帰ってきたリコちゃんは一口サイズのチョコをいくつか持ってきて机に置いた。その後、部屋を見渡してオイラと目が合った。リコちゃんは思い出したようで、オイラの前まで来て、オイラを掴んだ。

「くまきちに見られたなぁ。チョコ、お母さんに内緒ね」

 リコちゃんはオイラを枕の上に置いて、口止め料としてチョコを一個オイラの口元へやった。「あーん」と言われたので緊張したけど、なんとかバレないでやり過ごした。

 リコちゃんはたまに距離が近いから、ふとした瞬間にときめいちゃうよオイラ。カイくんとかにも同じようなことしてないといいけど。リコちゃん無意識だから、オイラ不安で夜も眠れないよ。

「テスト勉強してるんだけどさ、カイくんと友達になっちゃって、全然集中できないよ」

 リコちゃんが急にそんな話題を突っ込んできたので、オイラは思わず驚いてしまうところだった。オイラは多分、そんな話聞きたくないよ。でもリコちゃんが楽しそうに話しているなら、好きな人の話なら、楽しそうに聞かなければならない。

「カイくんっていうのは前に言った……言ってないっけ?」

 前にカイくんを聞いた時は何者か気になったけどさ、それがリコちゃんの好きな人だっていうのならオイラはもう聞きたくないんだ。……けど、気になるから聞いてしまう。そもそも耳を塞ぐ機能なんて量産型のオイラにはついてないけどね。

「カイくんっていうのは、私の気になってる人。中学から一緒なんだけど、最近意外と優しいことが判明してさ。それから身長も伸びて、顔も悪くないの」

 ああ、オイラの前で他の男をべた褒めするのは辞めてくれよ。オイラは嫉妬でおかしくなってしまうよ。オイラはその男を否定したいけど、それはリコちゃんの選択を否定することでもあるから、それはできない。

 でも、まだ気になっているだけだろう。なら、大丈夫。リコちゃんはその男が気になってるだけで、好きには至ってない。そんなただの言葉のあやかもしれないことにすら縋ってしまうのがオイラの弱さだ。

「でもカイくん人気だから、私なんて眼中にないよね」

 リコちゃんがため息をつく。オイラならリコちゃんにそんなことはさせないのに、と思う。オイラならリコちゃんにため息を吐かせるようなことはしない。だからリコちゃんはカイくんじゃなくてオイラを選んでほしい。

 でも若い人っていうのは、安心できる人よりも刺激的な人を選んでしまう。間違いに気づいていてもだ。オイラとリコちゃんは出会う場所を間違えたのかな。でもオイラが必要とされているのも事実だ。こうして話を聞いてあげてる。都合のいい男になりそうで、オイラはとても怖いよ。

「私、もっと可愛くなりたいな」

 そんなことより、ほら、勉強しなきゃだよ。勉強、勉強。

「そうだ、テスト終わったら、お化粧の練習してみよかな。くまきち、私、可愛くなれると思う?」

 可愛いって、いつも言ってるじゃないか。やっぱり伝わってないんだね。オイラの為のお化粧ではないんでしょ。……可愛くなるよきっと。オイラはもっと自信を持ってもいいと思うな。オイラはどうせ伝わってないからと、ひねくれそうになるのを堪えた。オイラは見返りが欲しくてリコちゃんを愛している訳ではない。その程度の愛ではない。オイラはリコちゃんの恋愛を応援するんだ。例え相手がオイラではなくとも。

「少し休んだし、勉強に戻ろうかな。くまきち、ありがとね」

 オイラとリコちゃんの関係は、恋人とか、そんな安っぽい言葉では表せない。もっと強くて深くて、そんな信頼関係なんだ。だからオイラは辛くも悔しくもないよ。大丈夫、オイラは強いから。そんな言葉を紡いでみたけど、この世の終わりみたいな気持ちはなかなか拭えなかった。

 リコちゃんはまた机に向かって、結局その後もずっと勉強していた。その間もオイラは自分のことを考え、カイくんのことを考え、そして何よりリコちゃんのことを考えていた。気がつくとリコちゃんは眠っていて、夜が明けていて、そしてリコちゃんはまた学校へ行ってしまっていた。

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