#4 探偵の黎明④


「でも、ボスには何か裏がありそうなんだよなあ。果たしてあの人が、事務所の評判だけを気にして僕に案件を回すだろうか。絶対に何か落とし穴が――」

「んな身内を疑う暇があったら、とっとと今後の方針を決めてくんない? 優秀な探偵は段取りも一流だっつの」

「ははっ。優秀な探偵になりたくないからこそ、優秀な探偵ムーブを取らなければならないとか、やっぱりどうかしてるよ。じゃあ、今回の案件のおさらいといこうか」


 頭では分かり切っていても、改めて声に出して確認しておくことは重要だ。

 一人で動くならばまだしも、今回は芳乃と組んで事に当たる必要がある。


「依頼人『小里 勇太こざとゆうた』くん、21歳。奇しくも僕と同じ大学四年生。付き合っている恋人『大町 沙綾おおまちさあや』さんが最近妙によそよそしく、連絡も取れないことから浮気の疑いを持ち、当事務所へと調査依頼をしてきた……と。ま、よくあるといえばよくある」


「問題点っつーか懸念点は一つね。


「いわゆる学生の惚れた腫れた、だね。二人が夫婦なら話は早かったけど」


 民法上における不貞行為とは、夫婦・婚約・内縁関係にある男女のどちらかが、配偶者以外の異性と自由意志で肉体関係を持つこと、即ち貞操義務違反行為のことである。

 妻か夫が不貞行為を働いた場合、離婚事由として認められ、相応の慰謝料を支払った上で婚姻関係を解除することになる。


 平たく言えば、肉体関係のある浮気をして、それがパートナーにバレたら離婚の理由になり、慰謝料も払わなければならない……ということだ。

 もっとも、そこを追求するのは弁護士の仕事であり、探偵の役目はその不貞行為の証拠品を集めることにある。

 今回はそういうケースではないようだが。


「結婚とかしてない単なる学生恋愛に、探偵使って浮気調査するとかやり過ぎじゃね? その辺り、アンタはどう考えてるわけ?」


 社会人ですらない学生の恋愛に、探偵事務所が出張ってきて、そして浮気の証拠品を集めてどうするというのか。

 芳乃はあえて質疑にし、鹿山を試した。


「一般的にはね。ただ、そうでもないケースはある」


 それに鹿山はすぐ答える。

 基礎知識くらいは、玄羽の小間使いをする中で覚えていた。


 浮気調査とは、いわゆる法的な夫婦関係にある者にしか行われない――

 二人が事実上の内縁関係にある、近い将来結婚の可能性が高い、周囲の近しい人間が二人のことを婚姻関係にあると認めているなどの場合、浮気をした側に慰謝料請求は可能だ。


「小里くんと大町さんの二人が、学生結婚をするレベルの関係性なら、それを裏切られた小里くんが浮気の証拠を掴み、慰謝料を大町さんに請求するのは妥当だよ」

「そうだとしても、現時点では小里って男は『浮気調査』しか言ってないでしょ。証拠を集めたとして、大町って女に慰謝料請求するとは限らないんじゃないの?」


「そうだね。だから改めて彼から話を伺う必要がある」

「じゃあアタシらがすることは――」


「大町さん側の浮気の証拠――可能ならば不貞行為、つまり肉体関係を小里くん以外の男性と持っている現場の証拠を押さえたい。無理なら無理で、他の男性と付き合っている証拠くらいは確保しておこう」


「おっけ。んじゃ依頼人の小里にはアタシから連絡入れとく。一回ここ呼んで、担当がボスからアンタに変わったことを伝えた上で、改めて状況を確認しなくちゃだし」


 高校の頃からこの事務所の事務員としてバイトしているだけあって、芳乃の理解と行動はかなり早い。

 自分が何をすべきなのか、言われずとも完全に把握しているのだろう。


 カタカタとキーボードを叩く芳乃。

 早速、依頼人の小里へメールを作成しているようだ。


 鹿山は椅子の背もたれに体重を乗せる。

 向こうは玄羽という探偵を頼ってきたのに、いきなり自分みたいな事務員上がりが担当しても大丈夫なのだろうか。


(っていうか――名刺持ってないな、僕)


 事務員のバイトにそんなものは必要ない。

 じゃあ発注しておくか――そう考えた鹿山だが、一回こっきりの探偵の真似事に名刺など不要であると、すぐに思い直したのであった。

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普通、探偵は推理しない 有象利路 @toshmichi_uzo

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