ストロベリー・シーフ
早時期仮名子 1/19文フリ京都出店
🍓ストロベリー・シーフ
「ちょっとしたパーティ」というやつに、お呼ばれしてしまった。元たっちゃんさん、現達海さんのお友達の結婚記念パーティらしく、俺はまぁ、彼の特別に親しい者として列席する。
俺は「ちょっとしたパーティー」というものは都市伝説かと思っていたが、その催しは現実のもので、開催はもう二週間後に迫っている。こういう時、列席者が最も頭を悩ませるのは、服装の問題なんだろう。フォーマルな会ではないけれども「オシャレして来てね!」という何とも絶妙なドレスコードが設けられている。
しかし俺は、ここに関しては余裕でクリアできる。何せ俺の母親はアパレル業界に身を置く者であり、また一年半前に別の披露宴にお呼ばれした際、制服というものを持たない身の俺に
「絶対ダサい恰好しないで」
と言って、頭のてっぺんからつま先まで、ぐうの音もでないオシャレ着を買い与えてくれた。
そんなことを考えていた二十一時、ゆうゆうとソファでくつろいでいたら、ドアホンがピンポーン、と鳴った。モニターを見なくても誰か分かる、というか見たところであんまり意味はない。喉仏から下しか映っていない、胸元で少しだけ手を振っている映像。はいはい、とだけ言う。オートロックを開ける間もなく、ご自身で開錠して画面の右側に消えていった。
それに合わせて俺も、玄関に向かう。
「ただいまぁ」
「おかえり。おつかれさん」
一応、家主の帰宅は玄関でお出迎えする。靴を脱ぎながら頭に手を乗せられ、「手すりにすんなよ」とお決まりのやり取りをした。
「ご飯、作って下さったそうで」
ニコニコしながら改めて言われると、関節がギシッと言いそうな変な緊張を覚える。
「……親子丼」
「わぁ、親子丼! 好きだよ親子丼」
知ってる。あと多分匂いとフライパンの様子で分かってたと思う。
「今から卵でとじるから、手洗ったり着替えたりしなよ」
コンロの方を向いたまま言ったら達海さんは、ありがとう、と言って、しばし俺の頭頂部に触れて洗面所に行った。あれ多分、顎乗せた。なんて奴だ。たまに、お友達時代からは想像つかないような器用な振る舞いをする。卵を調理台に打ち付けたら、力加減を誤ってだいぶ深めにヒビが入ってしまった。
贅沢にも卵三つを溶き、ぐつぐつと波打つ具材と出汁の上に、チャーっと回しかけた。ざっくり溶いたから、ところどころ白身が固まっている。心の中でいいじゃんいいじゃん、と呟いた。
配信限定のドラマを腰据えて観る気にはならないから、地上波のバラエティー番組を観つつ親子丼をかき込む。
「レオありがとね、お腹すいてたでしょ。勢いが体育会系だよ。卵超とろとろで美味しいです」
多分ニコニコしてこっち見てるけど、それどころじゃないので、ん、と言いながら引き続きかき込む、というかほぼ流し込む。
「そういえばレオ、着てく服決まってるの?」
「え、何の」
「再来週の、お呼ばれの」
「あー、決まってるよ。達海さんは」
ふ、もちろん決まってますよ、と何故か勝ち誇ったように言われた。へぇーと言って、再び親子丼に向き合う。ややあって
「聞いて。どんな服か聞いて」
「は。当日見るじゃん」
「今日一回自慢して、当日もう一回自慢して、二回いい気分になりたいじゃん」
そう、たまにめんどくさい。俺は女子高生と付き合ったことなんかないけど、女子高生みたいだなと突っ込みたくなる。
「じゃあ、聞かん」
「何、じゃあって」
「当日までのお楽しみにしたい」
「嘘だね。感情こもってないね。別にさ、それを着てる俺がどうとかじゃなくってね? 服がすごいお気に入りなんだよ。レオも納得のオシャレさだと思うよ?」
「ハードル爆上げしてるけど大丈夫か。ごっそさん」
俺は流しに食器を運びながら、あ、と気づいてしまった。
「三つ葉乗せるの忘れてたわ」
「えっ、三つ葉まで乗せようとしてたの? レオすごいね、もてなしの心……」
「いや、別に、ネットのレシピに書いてあっただけ。三つ葉とか使い道ないよな」
俺がハァ、とため息をつくと、達海さんはこともなげに
「明日のお昼にパスタにすればいいじゃん。ペペロンチーノ系の」
と言った。俺が十代だった頃に、うちのばあちゃんちで、さらっときつねうどんを作ってくれたことを思い出した。
「天才じゃん」
「食関係はあっさり褒めてくれるね。しらすとオイルサーディンとどっちが」
「しらす。しらすしらす」
「俺ものすごい名案出しちゃったんだねぇ。あ、冷蔵庫に梅干しもあるけど」
「入れてくれ。最後に乗っけてくれ」
「……オシャレ着見てくれたら梅干し乗せる」
「じゃあ梅干し無しでいい」
「……大葉も付けますよ」
俺の心の天秤が一気に傾き、ガタッと音を立てて片方の皿は床に付いた。梅干しと大葉と引き換えに拝見した服は、確かに納得のオシャレさではあった。
パーティの当日、俺たちは新宿伊勢丹前で待ち合わせすることになっていた。しかし俺は、待ち合わせの一時間前に到着していた。一階の化粧品フロアで、口紅を買うためだ。
俺の服装は、深いブラウンのセットアップで、インにこっくりとした水色の、なめらかなシルクでできたボウタイのシャツを着ている。髪は少しだけ後れ毛の残るオールバックで、後ろで一つにまとめる。これを着て母さんと共に披露宴に参列した時は、まぁチヤホヤされたもんだ。服自体も気に入ってるし、それを着こなす俺自身にも酔っている。そう、自分で認める。俺は自分に酔っている。
そして、自宅の鏡の前で気づいた。この格好に、完全な素顔ってどうなんでしょうね? と。俺はピンク系はグレーにしか見えないけど、そのグレーの濃い薄いは分かる。つまり雑誌グラビアなんかの、服装に合わせた口紅の濃い薄いは分かる。
今日着ているファッション、これは間違いなく、唇にそれなりに色が乗っていた方がいいはずだ。そしてその色選びは、プロの力を借りるべきだと思った。
化粧品フロアは人で溢れかえっている。人とむせ返る香水の匂いに酔いそうになりながら、有名な化粧品ブランドのカウンターに近づいた。
しかし俺は、この段に来て怖気づいた。間違いのない、かつ化粧を施した方が似合いそうなファッションを纏っているのに、同じく間違いのないオシャレをしている人々の中では、戦闘力はイーブンなのだと気づいてしまった。
スススと柱の陰に移動し、一旦出直すか、と入口の方を振り返った。少し奥の、人の流れの落ち着いているブランドのカウンターに、男性の店員さんがいた。俺は身体ごとそちらを向き、その店員さん目がけて早足で進んだ。
幸運にも、ちょうど接客の終わったタイミングだったらしく、あの、と声を掛けると、さっとこちらに向き直って
「お探しですか」
と品の良い声で応えてくれた。
「このファッションに合う口紅をください」
なんて、国語の教科書に載ってた「てぶくろを買いに」みたいなオーダーをしたら、サンプルの前に案内された。
「気になるお色ございますか?」
「あの、俺、赤とかピンク系の色見分け付かなくて。濃い薄いくらいは分かりますけど。だから、ホントお任せでもいいですか」
店員さんは、あそうなんですねぇ、とあっさり言うと、少し上体を離して俺の服装を見、
「ピンク系のベージュか、シアーな明るめの赤がいいと思います。暗めの赤もすごく似合うと思うけど、結婚パーティにはちょっとモードすぎるかな」
カウンターの椅子に腰掛け、ケープを付け、いくつか付けてもらう。お高いであろうリップクリームで保湿され、絵具を塗るように口紅が塗られる。筆の質感は思っているよりずっとコシがあった。筆先はチクチクすらした。このくらい粘度のある絵具だったら筆もコシがないとな、と絵を描く感覚で考えてしまった。
「いかがですか。これは、ピンク系のベージュですね。元の唇の色が明るいから、ミルキーなピンクって感じに見えます。シャツの色のトーンと近いですね」
「なるほど。全体的にまとまりがいい、って感じですか?」
「そうそう」
二十代後半か三十歳くらいの店員さんは、先輩みたいな心地良い親しみを感じる。何だかんだ、同性の気安さというものがある。
二本目は、明るめの赤。
「元の唇の色を活かして、もっとしっかり発色させた感じ。いちごっぽい、みずみずしくてアクセントになる色ですねー。さっきのよりフレッシュで若い印象」
難しい所だ。一回り上の達海さんの隣に並ぶことを考えると、あんまり若く見えたくはない。だが、全体的にまとまっているよりは、パッと目を引く色があるほうが、華やかさはあるだろう。うーん、と言いながら悩んでいたが、達海さんの服装を思い出し、俺は
「いちご色の方で」
と言った。
「かしこまりました。僕も、こっちの方がお客様の雰囲気に合ってるなぁと思いましたよ……良かったら、アイシャドウとか付けていきます? 口元華やかだし」
「え、でもそこまでやるとちょっと……」
そこまで言って、何と言葉を繋げていいか分からなくなった。男だけど化粧するということを恥じている訳じゃない。でも、しっかりフルメイクするほど化粧をしたいわけでもなく。俺が口ごもっていたら、店員さんが
「ああ、色は使わず、ちょっと瞼にツヤあるなー位にできますよ。で、薄付きのマスカラで切れ長な感じにしてーとか。お肌は綺麗だから特に何もせずで」
それ位なら、良いかもしれない。むしろ口紅塗ったのなら、何もしないよりは目元でバランス取ったほうが自然な気がする。じゃ、軽くでお願いします、と言って、また顔を委ねた。
🍓
待ち合わせ場所に行くと、もう達海さんがいた。わりぃ遅くなった、と声をかけると、振り向いた達海さんが、えっ! と声を上げた。
「声でけぇな」
「いやーだって、えー。すごいじゃないですか。どこからコメントしたらいい?」
「好きにしろよ」
どうだ洒落てるだろう、という気持ちと、人前で騒ぐなよ、という気持ちと、その「すごい」はどういうすごいなんだ、という少しの不安が入り混じって、地下通路沿いの広告を見ていた。
「服、凄い似合ってるよ。色がいいし、あと言うと野暮だけど生地がめちゃくちゃ良いから高そう……」
「野暮返しするけど、高ぇよこれ。シルクだし」
「ですよねぇ……あとね。メイクしてるじゃん!」
「……さっき、そこで」
伊勢丹の入り口を指差す。達海さんは、はぁーっ、と言いながらまじまじと俺を見る。きまり悪くて目を伏せると、
「おお、瞼もツヤっとしてる。いいね、お綺麗です。口紅がパッとしてる分、シャドウは抑えめにしておきました~ってやつだね」
「何で詳しいんだ」
「女性のお客さんもいるし、女の子の友達もいるしね」
引きもせず、細かいところまでよく見て褒める。対応としては満点だ、と自分でも分かるくらい上から目線になった。俺もしっかりと褒めようと、
「そちらも、シャツ似合ってるね。ウイリアム・モリス」
「ああ、こないだ言われなかったけど、レオ知ってんだね」
「まぁ手芸屋入り浸ってるからな」
達海さんは、イギリスのデザイナー、ウイリアム・モリスの生地で仕立てたシャツを着ていた。深いネイビー地に、全体を蔦のような模様が覆い、その森の中に背を向け合う二羽の鳥たちが描かれている。くちばしには、丸い木の実。そのシャツに、ダークグレーのベストとパンツを合わせている。オーダーのシャツらしいが、この手の長さなら誂えないと合うサイズなんてないだろう。
「いいな。俺もオーダーのシャツ欲しい」
「おっ、レオもこれ仕立てた店行く? 生地いっぱいあるし楽しいよ! 壁一面生地だよ」
壁一面毛糸の店で、色選び手伝ってもらった日を思い出す。あれからもう三年も経っているなんて、嘘みたいだ。こうやって二人でめかし込んで歩くことも含め。久しぶりに、選ぶのを手伝ってもらうのも悪くない。
「モリスの生地使えるの良いな……達海さん、その柄の名前知ってんのか」
「え、知らない。鳥さん可愛いのと、木の実の赤がきれいだなって思ったから」
真っ白じゃない、よく見るとあんまり目が可愛くない鳥さんがモチーフのその柄の名前は
「ストロベリー・シーフっていうんだよ」
ふーん、どういう意味なの、と聞かれ、俺は口紅の入った小さな紙袋に目を落として
「いちご泥棒」
と言った。
ストロベリー・シーフ 早時期仮名子 1/19文フリ京都出店 @kanakamemari
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