肉と妖精

     ……………


『ガチャァン! ガチャガチャッ』


 けたたましい音。ヨシノリ以外の家族三人が一斉に持っていた食器を落としたのだ。

 あまりの突然のことにヨシノリは呼吸も忘れて固まる。


「アアアア……。あつい……。あつぃいいいいい……」


 目の前の父親の口から、擦り切れる様な高い音でそのような声が響いた。それは、かろうじて言葉とわかるが、ほとんど筒を通る風切り音と変わらなかった。


「ああ、あああ……!」


 ヨシノリは声を漏らした。目の前の事実を信じられないという思いと、何が起きているのかわからないという恐怖の混じった嗚咽だった。

 目の前の家族はそれぞれ父と同じようなうわ言を鳴らしながら顔や体に爛れた様な痕を浮かび上がらせる。

 その痕は多数の水膨れとして膨らみ、肉の膨らみとして体の底から、沸騰する水の如く湧き上がる。

 ヨシノリが浅い呼吸を三つほどするうちに彼の家族は人間より少々大きい醜い肉の塊として腕も、脚も、頭も、胴もなくなり、ぶよぶよとした肌のある芋虫のように自重でその場に横たわる。

 ヨシノリは、しばらくそれを見た後、震えた声を発する。


「父さん……? 母さん? アマネ……」


 返事はなく、そこには床で水疱を湧き上がらせ、蠢く肉の塊が三つ、あるだけだった。


「は……。はぁ? ……。は……」


 ヨシノリは訳が分からなかった。

 だが、家族がこうなったことを徐々に認識し始めると、彼の背を流れる血液は冷め、滝のような脂汗と、恐怖からの震えが始まった。そして、突如として彼の脳裏にあの祠のことが思い出される。そこからの連想は単純な筋道であった。


――祠が壊れたから……。全部おれのせいなのか……?


 眩暈のように世界の輪郭がぼやけ、震える。いやな想像が頭を支配する。立っていられず、膝から崩れ落ちる。

 涙が、頬を伝う。


「だァれがみつけた、しんだのをみつけた」


――!?


 ヨシノリは顔をあげ、辺りを見回す。嘲るような声が響いた。その声は何人もの人間が入り混じったような、君の悪い声だった。

 見上げた彼の眼にはダイニングの壁に妙な突起が生えているのが見えた。それは半透明で、うっすらと壁紙の色が透過している。

 彼はそれを虫かと思い目を凝らす。だが、それは虫とは全く違った。

 その突起はゆっくりと動く。壁から伸びるように動いて行くそれは、『人間の手に生えた獣のような爪』であることが分かっていく。壁の中から半透明な人間の腕がゆっくりと生えているのだ。


「はっ、はっ、はっ……。なんだ、あれは……!」


 その腕は赤黒く血飛沫に汚れた様な色相の麻の服に包まれていた。

 そして、ゆっくりと壁から半透明の半身が現れ、それが腰の曲がった老人のような姿をしているが、顔は人間のものとは異なり大きく赤い瞳、動物の牙のように突き出た歯、そして、血に濡れた様な痕が顔や被っている帽子にびっしりと付いていることが分かった。

 その半透明の怪人はヨシノリを嘲るように顔を歪ませ見定めていることがハッキリとわかる。


「だァれがとったぞ、その血をとったぞ」


 その厭らしい笑みの男は笑いながら先程の複数人の男女が混ざったような声で歌う。そしてその男の左手には大きく、血濡れた斧が握られていた。


「わたしの皿に、ちいさな皿に、わたしがとったよ、その血をとったよ」


 そう歌いながら、その男は壁より一気に体を透過。ヨシノリめがけ、斧を振り上げながら飛び掛かる!


「う、うわぁああああああ!」


『ガシャァアアアアン!』


 彼は驚き叫びながらリビングの方へと逃げだす。背後で男にぶつかり、ダイニングテーブルが破壊され、食器が砕ける音がする。半透明の男は確かに実体を持ちヨシノリを殺そうとしたのだ。

 リビングへと逃げ込んだヨシノリは肩で息をしながら、震える脚をおさえつつダイニングを見る。

 男は床にある彼の母だった肉塊を潰し、顔を血に染めながらさらに上機嫌な、はち切れんばかりの笑みを浮かべ声を漏らす。


「ああ、あああ! いひひひぃへぇへへへ……」


 だが、ヨシノリはもう、腰が抜けるほどに恐怖していた。立つこともままならず、リビングのテーブルに腰を置き、動こうとしても立つこともできず、怪人を見ていた。


――クソッ、クソッ、クソッ! あいつ、笑いやがって……!


 彼は歯を食いしばり、拳を握り締める。だが巨頭はその様子を満足気に見て歌いだす。


「だァれがたつか、お葬式ともらいにたつか」


『ドッ!』


 怪人は歌と共にヨシノリめがけて飛び掛かる!


「『そォれはわたしよ』ってな」


 声。ヨシノリの耳に入ったその声は聞き覚えのあるものだった。


『ドガァアッ!』


 怪人はヨシノリの目の前、リビングの床を破壊した。それはまるでブレーキの為に空中で軌道を変えたかのような動きだった。

 怪人は既にヨシノリに背を向けていた。彼は近くで見た怪人の背丈が自分の半分ほどしかないことに気づく。だが、その体躯と見た目に見合わぬ機敏な動きは常人の反射神経では追いきれないものだった。


『コツッコツッコツッ……』


 階段を降りる『ブーツの音』が響く。

 ヨシノリは、先程の聞き覚えある声の主の記憶をたどる。


――あの声は確か……。


 階段を降りて現れたのはハッキリと輪郭ある人間。黒いコートに黒革の手袋、赤い眼鏡サングラスにニヤリとした笑み。

 ヨシノリが祠を出て初めて会った男。他のものから『天出仁』と呼ばれるものだった。

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