月蝕

     ……………


「ただいまぁ」


 ヨシノリは玄関で靴を脱ぎながらそう言う。その声は彼の想像以上に疲れた調子を含んでいた。


「おかえり、早かったけどあんたどこまで行ってたの?」


 リビングに彼が入るとキッチンの方から母親の声が響く。ヨシノリは荷物を床に下ろし、洗面所へと向かう。

 手を洗いながらヨシノリは母に返答する。


「奥の山のほうまで行ってたよ」


「奥? わざわざそんなとこまで何しに行ってたの?」


 彼はタオルで手を拭い、機材を拾い上げつつ答える。


「新しいカメラ試しに使ってたの」


 そう言って彼はすたすたと洗面所を出て、ダイニングを通り、リビングとの間にある階段へ向かい、二階の自室へと入って行った。

 彼の部屋はベッドと本棚、机を置いた四畳半程度の部屋で本棚には大学のテキストのほか、漫画や小説、興味本位で買った学術書、たくさんの古いゲームソフトなどが並んでいる。

 彼は少々値が張ったデスクチェアにどかりと座ると机のデスクトップを起動する。PCが立ち上がる中、暗くなってきた空を左手の窓からふと見るとひときわ大きく輝く月がそこには見えた。


――満月……。やけに大きい気がするな。


 そう思ったヨシノリは立ち上がったPCで戯れに月について調べる。


     ―――――

11月8日の今日はスーパームーンと皆既月食が重なる珍しい日!

 年に数度ある月と地球の距離が非常に近い状況で満月となるスーパームーン。非常に大きな満月を見れることで知られるこの現象ですが、本日はなんと、太陽と地球の間に月が並び、地球の影が月を完全に隠す『皆既月食』と同時に発生する天文学的確率の日なんです。

 部分月食は18時9分ごろから始まり、皆既日食は19時16分から20時42分まで続きます。

 今日は夜の空を眺めて月食を楽しんでみるのもいかがでしょう?

     ―――――


「へぇ」


――皆既月食にスーパームーンねぇ……。何年……。下手すると何十年に一度かもしれないな。


 そんな事をしみじみ思いつつ、彼は空を見る。


「ん?」


 彼は暗い16時半頃の空に浮かぶ月を見て、その光景に違和感を覚える。何か、パソコンを見る前と比べて月の色が一回り暗くなったような、そんな気がした。


――いや、流石に気のせいだ……。変なことが起きたせいで敏感になってる。ビビり過ぎだな、おれ。


 ヨシノリはそう考え首を振り、パソコンに向かう。彼の頭の中の疑念や悩みは次の動画の企画や撮りためた動画の編集で忙殺された。


「修典、ご飯だよー」


 一階から声が響く。ヨシノリは顔をあげ部屋の時計を見ると既に六時。窓を見ると満月は未だ完全な状態で空に佇んでいる。


――飯を食った後には、もうずいぶん日蝕が進んでいるだろうな。


 そんな事を考えつつ、部屋を後にして一階へ降りる。

 階段を降りてダイニングに入ると、ヨシノリ以外の家族は既に席に着き、彼を待っていた。


「兄ちゃんどこまで行ってたの?」


 ダイニングテーブルに座りざま、ヨシノリの妹・アマネは彼にそう訊く。彼はタオルで手を拭きながら答える。


「山の方」


「山? なんにもないでしょ」


「風景を撮ってるんだよ。お前には関係ないだろ」


 いつもの調子で返答するがやはり疲れが滲んでいる。それに気づいたのか彼の父が訊く。


「なんか、疲れてるのか?」


 ヨシノリは茶碗を持ちながら答える。


「ウーン、機材の三脚が重かったんだ。あと、なんか変な人が居てさ……。戸締りとかしっかりした方が良いよ」


 それぞれが夕飯を食べ始める。ヨシノリの言った変な人の話を母が心配した様子でうかがう。


「変な人って……。何かあったの?」


「まぁ。途中妙な……。宗教? の人たちみたいなの数人に囲まれたというか……。いや、何もされなかったんだけど、何か、こう、妙な雰囲気だったから」


 彼の父は「要領を得ないな」と言いつつも訝し気な表情で心配しているようだった。母も相槌や表情から嫌悪感や不気味に思っている様子が伝わってくる。


「あーあれでしょ、隣の谷地町の……。なんか赤い服着た教団。ウチの学校でもちょっと話題になってた。地域の人と結構フレンドリーに交流してるって聞いたけどね」


 それを聞き父は苦言を呈する。


「そう言う手口なんだろ。今日日そんな明け透けに古い手をやり始めてもつられる奴がいるのか」


「いるから何人も引き連れて歩いてたんだろうよ。とにかく妙な様子だったのは確かだね」


 ヨシノリはそう言って白米をかき込む。

 ダイニングには窓が幾つか備わっており、そこからも外の月は覗くことができた。

 時刻は18時7分。

 彼は時計を確認したあと、ふと、二時間ほど前の祠での出来事や、先の奇妙な人物たちとの出会い、そして最後の役人らしき三人組のことを思い出した。


――後で来ると言っていたが、結局この時間になっても来ない。……。おれを散々脅してきたあいつ等は全員グルで、何らかの詐欺に嵌めようとしていた何てことだったりしてな。それかあれら全部があの祠の仕業で、正体は狐でしたーなんてオチ。そうなったとしてもムカつくことには変わりないが……。

 

 ヨシノリには釈然としない心持からか、意味のない考えが沸き上っては消えてゆき、より精神的な疲労を感じていく。だが彼は溜息一つ吐いて、考えを切り替え食事に集中し始める。


『ぞっ』


 彼がおかずに箸を向けたとき、背中からねっとりとした悪寒が全身を包むように走っていく。それは、彼の緩んだ心に『祠』の恐怖を思い出させた。


「な」


 時刻は18時9分。月食が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る