第10話 絶対的アイドル奥義
5月に差し掛かり、講義も順当に進んでいたある日。
土曜日で大学は休みということもあり、太陽と虎雅の2人は遅めの朝ご飯を摂ろうとリビングに来た。
そして、ダイニングチェアに座った2人は目を疑った。疑いまくった。
それもそのはずだ。
いつも中庭で黄昏れ、明らかに自分達と距離を取っていたであろう少女が、目の前には座っている。
少女の前にはフルーツグラノーラが置かれており、いかにもオシャレと言いたくなるような女子の食事をしていた。
「……何か当たり前のようにリビングにいるぜ」
「……本当だね」
虎雅と太陽の2人があえて音を立ててダイニングチェアに座ってみるものの、少女は見向きもしない。
ただ淡々と、黒く艶めいたウルフカットの髪の毛を耳にかけながら、小さな一口でフルーツグラノーラを頬張っている。
とはいえ、自己紹介をするには千載一遇すぎるチャンスだ。
虎雅と太陽の2人は目を合わせ、決心する。
「……あの、すいません。同居してる方ですよね?」
らしくない敬語で、虎雅は相手の出方をうかがう。
するとその言葉に、少女はスプーンを置いてから、おもむろに顔を上げた。
「――そうだけど?」
初めてしっかりと視認する少女の顔に、虎雅と太陽は鳩が豆鉄砲を食らうように目を見開いた。
「う……そだろ……え?」
「ちょ……ちょっとまって……僕って幻覚とか見えるタイプじゃないんだけどな……」
虎雅と太陽、2人の視界に映るのは、中学生の頃からテレビでよく見ていた同年代の大スター。
国内の人間の大半に好かれ、世界でも有数のアイドルとして名を馳せていた――天宮カリナだ。
「本当だよ。私もここに住んでる」
「いや、その……住んでるのを疑ってるんじゃなくて、人がありえないっていうか……」
「ありえない? 私はここで朝ご飯を食べてるけど?」
「そ、それも知ってます、はい。それでも信じ難いっていうか……」
義務的に、虎雅はらしくない敬語になる。
それほどに、天宮カリナという存在はスーパースターなのだ。
すると、驚きのあまり黙っていた太陽が、おもむろに口を開いた。
「……あ、僕の幻覚じゃなければですけど……
天宮カリナさん、です……よね?」
この質問をするだけ無駄なのかもしれない。
頬あたりまで髪が伸びているウルフカットと、見たことの無い顔の小ささ。
あの日、あの時に見た、ソレ。
少女の容姿を構成する全てが、天宮カリナであることを強調している。
「だからそうだって。天宮カリナ」
虎雅と太陽の予想は、カリナのいとも簡単な一言で簡単に証明された。
「……ええええぇぇえええ!?」
「……ええええぇぇえええ!?」
リビングに響き渡る虎雅と太陽の絶叫。
しかし、そんな2人にはお構いなしに、カリナはもぐもぐとフルーツグラノーラを再び食べ始めた。
「いやいやいや、オレらが聞いた大家さんの言う有名人って、天宮カリナさんのことだったんすか!?」
「うん。私のことじゃない? 大家さんがそんなこと言ってたのは初耳だけど」
「それは聞いてないっすよさすがに……」
改めて夢でも見ているかのような展開に、虎雅は頭を抱える。
敬語だがラフに話していることからも、若干緊張よりも驚愕が勝っているようだ。
そんな中――最も遅く起床したもう一人の住人が、階段を下りてきた。
「おはよう……って、相変わらず早いな起きるのが」
篠塚康太だ。
「は、早いとかじゃないっすよ! そんなことより、この状況やばすぎないすか!?」
「なんで敬語……?」
意味不明な虎雅の敬語に、康太は起きたての
「あ……お前は康太だったか。てかよ、見ろよ! 黄昏てた少女! ここにいるんだよ!」
「……ん? え」
虎雅に言われ、康太はぼやけていた視界のピントをダイニングテーブルに合わせる。
そうしてはっきりと視界に映ったのは、フルーツグラノーラを口に運ぶカリナだ。
「んふふ、おはよー康太くん」
すると、カリナは微笑みながら康太の方へ向き、挨拶をする。
その言葉に、太陽と虎雅の2人は更に目を丸くした。
「こ、こここ、康太くんだと!?」
「え……ええええ……え……え……」
「……最悪だ。バカなのかあいつは」
どう考えても間違えているカリナの立ち回りに、康太はため息を吐く。
「お、お前、いつから天宮さんに名前で呼ばれる程の関係になったんだよ、おい!」
虎雅がソワソワしながら、康太へ言葉を向ける。
太陽は驚きと緊張のあまり、口数すら減っているようだ。
「……まあ、色々あったんだ。色々あって、俺がカリナに怒った」
「おま……さりげなくお前もカリナ呼びかよ……」
「そう呼べってうるさいからな、そいつが」
朝食を用事する為に冷蔵庫へと向かいながら、康太は適当に返事をする。
その返事を受け取った虎雅は、今度はカリナへと視線を向けた。
「そのですね……天宮さん。やっぱりオレらも同居人だし、良ければ
「ぼ、僕もです! 呼ばせて頂けたら遊々園の焼肉弁当奢ります!」
「勝手にして。どっちでもいいから私は。
「ほ、ホントですか!? なら遠慮なく! ちなみにオレの名前は佐藤虎雅っす!」
「僕は緒方太陽です! よろしくお願いします!」
カリナからの嬉しい肯定に、虎雅は胸筋を張り上げ、太陽はムチムチの手を空へ伸ばす。
そんな3人の会話を見つつ、康太は予め買っておいた菓子パンを持って、ダイニングチェアへと座る。
「カリナ。なら、俺は天宮呼びでいいか? どっちでもいいんだろ?」
「あんたはダメ。カリナって呼ぶのは強制」
「……なんでだよ。意味が分からない」
「分からなくていい。理解しようともしなくていい。とにかくカリナって呼ばないとどうなるか分かるよね?」
「……はいはい。怖すぎるんだよ本当」
何故か脅迫めいた言葉を受けつつ、康太は菓子パンを口へ運ぶ。
同時に、カリナの小皿からはグラノーラが無くなっていた。
「ごちそうさま」
手を合わせ、カリナは呟く。
すると、急に鋭い眼光で虎雅と太陽を睨みつけた。
「二人とも。私と約束してほしいことがあるんだけど」
「え……あ、はい。何ですか? オレに出来ることがあれば何でもするっす」
「僕もその通りです。なんでもお申し付けください」
ありふれたカリナのオーラとカリスマ性に心を打たれつつ、虎雅と太陽はカリナの口元へ耳をシフトする。
「私に敬語使うの禁止。あと、特別扱いするのも禁止。私はもうただの女の子だから。分かった?」
鋭い眼光になったかと思えば、今度は柔らかい目付きで虎雅と太陽を交互に見つめる。
そのギャップにやられたのか、虎雅と太陽は途端にニヤケ始め、
「分かったっす……」
「了解しました……」
と、天に昇るかの如く幸せな表情を浮かべながら返事をした。
「ほら、2人ともカリナの名前呼んでみ」
すると、横から見ていた康太が口を開く。
「は……いや、何でお前に言われなきゃいけねーんだよ! ばかたれ!」
「そうだそうだ! 僕たちが有名人に会えて喜んでるのに!」
そんな康太の言葉に、虎雅と太陽はカリナをチラチラと見つめながら上の空で怒る。
とはいえ、康太がそう言うにも、理由があった。
「だって、全然敬語抜けてないぞ。『分かったっす』とか『了解です』とか、まだまだ緊張してるのバレバレ」
「……うるせえな……」
「……くそ……」
「そうだよな? カリナ」
「そーだそーだー。康太くんの言う通り。キレて暴れてしまいそうです私は」
カリナが突拍子もない事を言うと、虎雅と太陽の2人は一気にキリッと姿勢を正す。
そして、言った。
「天宮……カリナ」
「カリナ……天宮」
「ガッチガチだな。てかなんで虎雅は英文法なんだよ」
康太が冷静なツッコミを入れると、聞いていたカリナは「んふふ」と微笑む。
「ま、よしとするね。二人とも頑張ったみたいだし。そんなことよりさ……」
そう言って、カリナは康太の方に視線を向ける。
「……何だよ」
「この2人に私の名前を呼ばせたってことは、あんたも私の名前を呼ばないとね」
「意味が分からん。関係ないだろ俺は」
「んーん、ある」
「いや、無い。なんで俺だけそんな恥ずかしい思いをしなきゃいけないんだ」
「私の名前を呼ぶのが恥ずかしいって? 何それ、私に惚れてるの?」
「もう無茶苦茶だな……」
康太が面倒臭そうに返事をしても、カリナの目線は一向に康太からは離れない。
それどころが、少しだけ首を傾げて、アイドル時代の人を落とす奥義でも使用しているかのように、あざとい表情をしている。
「……あー分かった分かった。呼べばいいんだろ!」
「そういうこと。あんたの物分りが良くて助かるよ、私」
途端に生意気になったカリナに呆れつつ、康太は「はぁ」と息を吐く。
そして、一拍置いたところで、言った。
「カリナ」
これほどに羞恥心が勝る状況は無かった。
とはいえ、言わない選択肢を取れば永遠に生き地獄に晒されるのも事実。
康太は少しだけ頬を赤くし、はっきりとカリナの名前を呼ぶ。
その言葉を聞いたカリナは、再び首を傾げてニヤけると、
「――んふふ、はーい」
と、まるで天に昇るかのような幸せそうな表情で、微笑んだ。
シェアハウスに入居したのは良いんだが、世界的アイドルと同居するのはさすがに聞いてない たいよさん @taiyo__
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