『エミリア・イン・ワンダーランド』


    1


「そこで最後にこう言ったのさ。『あなたの心です』ってね!」

「わ、素敵ね」

 指を鳴らして歯を見せて笑うスバルに、エミリアは手をたたいてあいづちを打つ。

 ロズワール邸の中庭、かげで風を浴びて談笑する二人は、今はスバルの故郷で有名な物語の話で盛り上がっていた。

 身振り手振りを交えたスバルの話し方は巧みで、エミリアは知らず知らずの内に物語の世界に引き込まれてしまう。声色を変えて男女を演じ分けるスバルの達者な技量に、エミリアは素直に感心するばかりだった。

「でも、スバルって本当にたくさんのお話を知ってるのね。それも私が知らないお話ばっかり。すごーく感心しちゃう」

「俺も今は自分の記憶力と、地球に生まれたことを感謝してるよ。こうしてエミリアたんにささやかな感動を与えることが、アンデルセンが俺に与えた使命だったんだね」

「チキュー? アンデルセン?」

「俺の住んでた宇宙船と、そこで有名な童話作家の名前」

 首をかしげるエミリアにスバルがウィンクしてみせるが、イマイチ意味のわからないエミリアはあいまい微笑ほほえんで納得する素振り。たぶん、わからなくてもいい内容だ。

 スバルがロズワール邸に入り、魔獣絡みの騒動を解決してから早二週間。事件の際の傷もえて、使用人として復職したスバルは時たま、こうして時間を作っては休憩中のエミリアに色んな話を披露してくれている。

 慣れない勉強で疲れてしまっているエミリアには、スバルのその気遣いがありがたい。さらに話自体も面白いのだから、続き続きとせがんでしまうのも仕方なかった。

「さて……話もひと段落したところで、ごり惜しいけど仕事に戻らなきゃ。エミリアたんはどうする?」

 尻を払いながら立ち上がり、スバルがエミリアにそう尋ねる。吹く風に銀髪を揺らしていたエミリアは、木に寄り添いながらしばし悩み、

「もうちょっとだけ、ここにいるわね」

「そっか。じゃ、またあとで。ラムに見つかったら首をねられかねないから」

 冗談めかしてスバルが屋敷へ戻るのを見届け、エミリアは「んー」と欠伸あくびをする。

 昨晩はなかなか切りのいいところが見つからず、読書で夜更かしをしてしまった。こうしておだやかな風の中、一人でいると途端に眠気が襲ってくる。

「スバルと一緒に、戻った方がよかったかも……」

 うつらうつらとなりながら、エミリアはささやくような声でそうつぶやいた。

 ダメダメと思いながらまぶたを閉じると、心地よい眠気がゆっくりとやってくる。

 そして、エミリアの意識はそのまま──。


    2


「大変、大変! 早くしないと間に合わない!」

 眠りかけていたエミリアは、突然聞こえたその声にはじかれたように顔を上げた。

「え、なに?」

「大変だー! 一大事だー! よくわかんないけど急がなきゃ!」

 あたりを見回したエミリアは、その声のぬしを見つけて目を丸くした。

 庭の樹木に寄り掛かるエミリアの目の前を、二足歩行の灰色の猫──エミリアにとっては見慣れた家族同然の存在、小猫精霊のパックが駆け抜けていく。

「パック? なんで実体化して……って、ちょっと待って!」

 通常はてのひらに乗るサイズのはずのパックが、か今は人間の幼児ぐらいの大きさ。基本的にサイズを自由に変えられるパックだが、めつなことではそれをしない。

 のんびりと焦った声に、何かあったのかもしれないとエミリアもあわてて立ち上がる。

 なのにパックは、そんなエミリアには目もくれず、

「せっかくだからボクはこの底の見えない穴を選ぶよー!」

 とてとてと愛らしい足音を立てて、走るパックがエミリアをかいして樹木の裏へ回り込む。と、「てやっ」と掛け声がしてパックの気配が遠ざかる感覚。

「ちょっと!? パック、なんで私を無視するの、もうっ」

 いつもと違う家族の態度にショックを受けながら、エミリアも慌てて木の後ろへ。するとそこにパックの姿はなく、代わりにぽっかりと地面に空いた穴があった。

 まさか、さっきの掛け声はここに飛び込んだのだろうか。

「なんでこんなところに穴があるんだろう……ひょっとして、スバルが宝物でも隠してるのかしら……」

 先入観で犯人を断定しながら、エミリアはおずおずと穴をのぞき込む。暗い穴は底が見えないほど深く、吸い込まれそうな空気に思わずエミリアは息をんだ。

「ぱ、パックー? 聞こえる? 聞こえてたら返事してー!」

 穴の中に呼びかけてみるが、声はむなしく響き渡るばかり。途方に暮れるエミリアは、ひとまず屋敷の誰かを呼んでこようと後ろを振り返った。そして、

「──話の進行に差し支えるから、とーぉりあえずどーぉぞ」

「え?」

 またしても聞き慣れた声がしたと思った瞬間、エミリアの体が後ろから何者かに引っ張られる。穴の中から肩を引かれた感覚にエミリアは驚き、その驚きはそのまま自分の体が落下することへのきようがくへと入れ替わる。

「やっ、うそ! 私、ぺっちゃんこになっちゃう!」

 頭から穴の中へと落っこちて、エミリアは地面にたたきつけられてしまう未来を想像してゾッとする。とっさに壁をって上下感覚を正しくすると、舞い上がるスカートのすそを押さえながらすぐに打開策を──見つける前に、柔らかい感触に受け止められた。

「きゃっ──わふっ」

 紙の束に抱かれるような感触に、エミリアはそこからじたばたとい出す。服や髪にまとわりつく何かを払い落とすと、それがかれであることにエミリアは気付いた。

 どうやら穴の底に敷き詰められた枯葉が、落下の衝撃から守ってくれたらしい。

「ふぅ……びっくり仰天しちゃった」

 ホッと胸をで下ろすのもつか、エミリアはきょろきょろと周りの様子をうかがう。まるで木の中身をくり抜いたような景色だが、それでは自分は樹齢何百年の大木の中にいるのだろうか。というより、落ちた場所は地面の穴だったのに。

「あ! パック!」

 疑問にまゆを寄せていると、エミリアは空間の奥にある通路からこちらをのぞき見ていた小猫の姿をとらえる。パックはエミリアの声にその場で飛び上がると、「おっと急がなくちゃ遅れちゃうよ。困ったなー」と何も付けていない腕をチラチラ見て白々しく言った。

「なんにも持ってないじゃない。変なイタズラして、怒ってるんだから。待ちなさいっ」

 かれりつけて走り出すエミリアから、パックももうぜんと走って逃げ出す。あまりの足の速さにエミリアは驚き、パックってすごいと場違いな感心までしてしまう。

 先の見えない通路の中、猛ダッシュのパックがあっという間に視界から消える。エミリアはそれでも懸命に走り、なんとか通路を抜けて明かりのある部屋へ飛び出した。

「ええっと……ここって? それにパックも」

 小さく息を切らしながら、エミリアはまたしても様変わりした景色にぜんとする。

 見ればそこは明るい色でまとめられた可愛かわいらしい部屋だ。テーブルとだん、窓辺には見たことのない花が飾られた花瓶が置いてある。

「誰かのお部屋かしら……勝手に入って怒られちゃったらどうしよう」

 不思議な状況を前に現実的な心配をしながら、エミリアはパックの姿と部屋のあるじの姿を探して回る。しかし、部屋の中は見て回るほどの広さはなく、エミリアはすぐにパックが見つからないことに肩を落とした。ただ、肩を落とした理由はそれだけではない。

「外に出られそうなドアがあるのに、私じゃ体が大きくて通れないわ」

 これにはさすがのエミリアもショックを隠し切れない。自分が人よりも飛び抜けて体が大きい自覚は彼女にはなかった。確かに屋敷の女の子は、レムもラムもベアトリスも、エミリアよりもたけが小さくて可愛いけれど。

「ううん。それにこんな大きさ、ベアトリスだって通れないわ。だからきっと、作った人がとってもうっかりだっただけよね」

 落ち込みそうな気持ちをひらめきで打開し、エミリアは他に何かないかとあたりを調べる。それで見つかったのはテーブルの上の、小さなかぎと変な薬の入れ物だけだった。

 鍵はおそらく、あのけつかん工事のドアの鍵だろう。問題は薬の入った瓶の方だ。られたラベルには『エミリーへ愛を込めて』と書いてある。

「……アンネ?」

 自分をそう呼ぶ心当たりがあるのは、ロズワールの親類であり、短い間だけ交友のあったずっと年下の友人だけだ。彼女の贈り物がこの部屋にある理由はわからないが、アンネローゼが自分に悪さをするはずがない。エミリアはそれだけはすぐに信じた。

「いただきます」

 だから、エミリアは疑わずにその薬をグイッと飲み干してしまう。飲んでから、「体に塗るお薬だったらどうしよう」とうっかりに気付いたのだが、直後に訪れた変化がそんな心配をすぐに否定してくれた。

「わ、わ、わっ」

 ぐんぐんと、突如として部屋の見え方が大きく変わる。腰の高さだったテーブルがあっという間に見上げる大きさに。窓枠と花瓶も空の彼方に。

「違う……これ、私の体が小さくなっちゃったんだ」

 変化の原因にすぐに気付き、エミリアはすっかり巨大化した世界に目を丸くする。それからペタペタと自分の体を触り、服も一緒に縮んでよかったと安心した。

「裸で出歩いてたら変に思われるもの。でも、これであのドアは通れるわね」

 やっぱりアンネローゼはすごい、とエミリアは小さくなった不思議の追及をすっかり忘れてガッツポーズ。それからようようと扉に手をかけて、かぎがかかっていることに気付いて「あ」とがっくりした。鍵はテーブルの上に置きっぱなし。とても手は届かない。

「がっかりしててもしょうがないわ。よし、頑張って登らなきゃっ」

 それで心が折れないのがエミリアの美徳だが、そでをまくってテーブルの脚に挑もうとする姿は勇ましくもぼうだった。走り、テーブルの脚へしがみつこうとするエミリア。ふとそのこんひとみが、テーブルの脚の近くに置かれたものを見つける。

 それは白いお皿と、その上にそっと置かれた焼き菓子だった。皿には手紙が一枚添えられており、拾ってみると『お嬢様の贈り物で困られたなら。保険』と書いてある。

 この特徴的な文章も、エミリアに思い当たるのは一人だけだった。

「おやおや? おマヌケさんはひょっとしてかぎを忘れちゃったのかな?」

 焼き菓子を拾って迷っていたエミリアは、上から降ってきた声に顔を上げる。そんなエミリアをテーブルの上から見下ろすのは、鍵を片手に長い尻尾しつぽを揺らすパックだ。

 パックはくりくりでエミリアを見下ろすと、妙に人間臭い笑みを浮かべる。

「まったくダメだなぁ。選択肢の直前にセーブしておくのは基本だよ? 人生は甘いものじゃないんだから。その焼き菓子みたいにはね!」

「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない。それにうまくないと思うの」

 勝ち誇った顔のパックに、エミリアはいつもの調子で応答。ただ、このやり取りはスバルと交わしているものな気がする、と首をかしげる。今日のパックはスバルっぽい。

「そんなことより、ふざけてないで鍵をちょうだい。それから早く、お屋敷に戻らないとみんなに心配をかけちゃうわ」

「周りの心配より自分の心配をしなきゃダメだよ。しんえんのぞき込むとき、深淵もまたこちらを覗き込んでいるんだからね……」

「──えい」

「にゃーん」

 自分に酔っている風なパックの態度が嫌だったので、エミリアは微精霊に命じてパックを強風で吹き飛ばした。風に巻かれるパックが窓にぶつかり、その手から鍵が落ちるのをエミリアはすべり込んで受け止める。そのままドアの鍵を開けて、

「さあ、パック。ふざけてないで帰るわよ。早く結晶石に……パック?」

 子どもをしかる口調で振り返ったエミリアは、窓のところにパックがいないことに気付いて顔をくもらせる。どうやらまたしても、雲隠れされてしまったようだ。

「もう。ホントに今日は困らせてくれるんだから」

 ぷりぷりと怒りながら、エミリアはドアから外へと踏み出す。エミリアを出むかえたのは草原と、その向こうに見える大きな森だ。見たことのない景色に驚きながらも、とにかく森を目指そうとエミリアは歩き出した。しかし、

「歩いても歩いても、全然森に近づかない……」

 目の前に見えている森なのだが、懸命に歩いてもその距離はなかなか縮まらない。体が小さくなった分、移動できる距離がずっと小さくなってしまったからだ。

「おなかも空いてきたし……あ、そうだ」

 困り顔のエミリアは、自分が焼き菓子を包んで持ってきていたことを思い出す。取り出したそれは甘い香りでエミリアの胃袋をくすぐり、空腹の彼女をすぐとりこにした。

「クリンドさん、いただきます」

 手紙の送りぬしであり、アンネローゼの家令でもある青年に感謝。焼き菓子は作り立てのようにふわふわで、舌の上で踊る味わいにエミリアは思わずもだえしてしまう。

 そして、ごり惜しみながらも一気に焼き菓子をほおってしまうと、

「あれ? あれれ?」

 甘さを堪能した後で周りを見ると、エミリアは見える景色の変化──自分の体が大きくなって、縮んでいた分を取り戻していることに気付いた。手紙にあった『お嬢様の贈り物で困られたなら』の意味がようやくわかる。そして、さすがだと納得した。

「やっぱりクリンドさんってすごい……それに、おかげで森もすぐそこだわ!」

 大きくなった途端に、目の前の森が手が届くところまできている。体が大きくなってもまだ大きい森だが、さっきに比べれば心細さはずっと消えていた。

 エミリアはこぶしを握り、ガッツポーズを決めて森を見つめて、

「さあ、私の冒険はここからだわっ」

 と、いかにも終わりそうな台詞せりふを言ってから森に飛び込んだ。


    3


 ──もちろん、冒険は終わらなかった。

 終わらなかったが、エミリアの足は止まっていた。それは薄暗い森に入って、微精霊の照らす明かりを頼りに進んでいた真っ最中のことだ。

「そこで止まるのよ。ここから先はお前のようなやつはお断りかしら」

 またしても上から降ってきた声に、エミリアはきょろきょろと声のぬしを探す。そして木の枝に寝そべる人影を見つけて、思わず口元を手で押さえてしまう。

 枝の上に横になっているのは、眠たげな目でエミリアをにらむベアトリスだった。ごうしやなドレスと縦ロールを揺らす少女は、口にくわえたパイプで煙を吹かして鼻を鳴らす。

「土足で上がり込むなんて、しつけのなってない娘なのよ。親の顔が見てみたいかしら」

「ベアトリス、あなた……」

「ふん。今さら自分が誰を相手にしていて、どんな無礼をしていたか気付いても遅いのよ。まぁ、悔い改めるというなら許してやらないことも……」

「小さいのに、パイプなんて吸ってたらダメじゃない! それは大人になってからじゃないとダメなのよ! 背が伸びなくなるってスバルが言ってたんだから!」

 幼女のきつえんを目の当たりにして、エミリアが理性的な意見をたたきつける。ベアトリスは驚き、その口からポロリとパイプを落とした。そして、目をつり上げる。

「な、なんたる侮辱かしら! ベティーを子ども扱いするなんてどうかしてるのよ! ベティーは立派な淑女! パイプは淑女で大人のたしなみかしら!」

「そうやって大人にこだわるのって、なんだか子どもっぽい……」

「むきー! なのよ!」

 顔をにして、枝の上で地団太を踏むベアトリスは怒り心頭だ。だが、エミリアとて良識ある大人として、ベアトリスの非行を見過ごすわけにはいかない。ましてやエミリアはこれから、国の王座にこうという立場だ。絶対に譲らない。

「──おっと、お二人さん。そこまでにしときな。森の花たちがおびえちまうぜ」

 そのまま言い合いを続行しようとする二人に、突如として割って入るなぞの人物。エミリアの前に手を出し、枝の上のベアトリスを見上げるのは黒髪の男だ。そして、その後ろ姿にエミリアは当たり前だが見覚えがあった。

「スバル?」

「違うぜ、お嬢さん。俺はスバルじゃなく、チェシャスバルさ!」

 振り返り、親指を立てて歯を光らせるチェシャスバル。どう見てもスバルだ。でもよくよく見てみると、その頭の上には猫の耳が生えていた。普通の位置にも耳があるので、耳が四つある形だ。なんだかちょっと不気味だった。

「うわ……嫌なやつが顔を出したもんかしら」

「そう思うならここは引けよ、ベア子。言っとくが、このチェシャスバルは神出鬼没。おはようからおはようまで、お前の暮らしを見つめ続けることもできるんだぜ?」

「一日中とか嫌すぎるのよ! ええい、これで勝ったと思うなかしらー!」

『かしらーかしらー』と捨て台詞ぜりふにエコーがかかりながら、枝の上を器用に飛んで渡るベアトリスが見えなくなる。それを見届け、チェシャスバルはエミリアに振り返り、

「またつまらぬ幼女をいじめてしまった。敗北を知りたいぜ」

「まだベアトリスに注意が終わってなかったのに。それにこの耳も、みんなして私をからかってるんでしょう。怒るわよ」

「怒った顔もキュートだねって……痛い痛い、引っ張ったら千切れる取れる!」

 怒りのほこさきをチェシャスバルに変えて、エミリアはその猫の耳を引っ張った。が、作り物だと思ったそれは、生温かい上にしっかりと頭にくっついている。

 驚くエミリアの前で、チェシャスバルは涙目になりながらしゃがみ込んだ。

「何をカッカしてるのかは知らないけど、そんなにぷりぷりしてたらみんなに怖がられちゃうよ。女の子の最強の武器、笑顔を使って私TUEEEを楽しもう」

「ちょっと何言ってるのかわかんないけど……うん。でも、そうよね」

 怒ってばかりでは相手を怖がらせてしまう。そう言われて、エミリアはしゅんとうなだれた。沈むエミリアの様子に、チェシャスバルは顔を上げるとまゆを寄せ、

「よし。沈んだときはパーッと楽しくだ。君をお茶会に招待しよう!」

「お茶会?」

「そうさ。森の奥で開かれる、にぎやかで騒がしくも頭のおかしいお茶会さ!」

 チェシャスバルの微妙に不安になる誘い文句に誘われて、エミリアは彼に案内されながら森を抜ける。しばらく歩くと、森の中に開けた空間と小さな家が見えてきた。

 森に溶け込む小さな家は、庭に大きなテーブルを並べて大勢がだんらんを楽しめるように配慮されている。そして、そのテーブルにはお茶会の参加者が──、

「……ああ、チェシャスバルか。お前はきてくれたんだな」

「これで男二人、顔を合わせてお通夜みたいにはならずに済んだみたいだ……」

 ひどく沈んだ顔の二人──というか、沈んだ顔のスバルが二人、席についていた。そのシュールな光景に、エミリアは沈んだ気持ちも忘れてぎもを抜かれる。

「す、スバルが三人? チェシャスバル、どうなってるの?」

「何を言ってるのかわかんないよ、エミリアたん。あそこにいるのは帽子屋スバルと三月スバルだよ。帽子かぶってるのと、うさぎの耳がついてるからわかりやすいだろ?」

 チェシャスバルの説明を聞いてから確認すると、確かにうなだれる二人のスバルはそれぞれ帽子と兎の耳の特徴がある。ここに猫耳のスバルが加わると、意味がわからない。

 混乱して目を回すエミリアをに、チェシャスバルもすべるように席に座り、死んだ魚の目をしている二人のスバルに向かって肩をすくめた。

「おいおい、そんなへこむなって。招待状を送って誰もこないなんていつものことだろ」

「それでも今日ばかりは、って期待するのが人の常じゃん? ひょっとしたら電波悪くて電話がつながらなくて、遅刻の連絡ができないだけかも」

「まぁ、昨日スタートで一夜明けてんだけどな。でも、そこで誰かきたらあえて待ってないよと言ってしまうナイスガイが俺こと三月スバル」

「待てよ、れる」「惚れる惚れる」「俺の時代がくるか。俺のウェーブが」

 顔を上げた三人のスバルが、それぞれに早口で何やら戯言たわごとを交わし始める。途端にお通夜のふんき消えて、やたらめつに騒がしいムードがただようから不思議だ。

 にぎやかで騒がしくも頭のおかしいお茶会、とは見事に客観視した意見といえる。

「そうだ! そんな悲しくもびしくもどうしようもないお前らのために、今日はちゃんとゲストを呼んだ。俺のファインプレーにはくしゆかつさいしてくれていいぜ」

「ゲストって誰だよ。どうせ俺たちを期待させておいて、森でひましてたベア子とか拾ってきたんだろ? お前が使えないことぐらいわかってんだよ」

「まぁ、ベア子でもいないよりマシか。よっしゃ、ベア子のお茶だけ砂糖超入れて、どれぐらいやせ我慢するかけようぜ! 俺、五分な!」

「それもこころかれるけど違ぇよ。今日はベア子以外の女の子。それも超マブい。渇き切った俺たちの心をいやす、森で見つけた歩くオアシス──その名もエミリアたん!」

 盛り上がりも最高潮に達したところで、チェシャスバルが森の方を指差す。期待に目を輝かせた帽子屋スバルと三月スバルがそちらを見た。だが、

「──誰もいねぇじゃねぇか!!」

 巻き込まれるのを恐れたエミリアは、とっくにそこから逃げ出してしまっていた。


    4


「なんだかすごーく疲れちゃった……」

 スバル一人と会話するのには慣れたつもりのエミリアだったが、さすがにスバル三人はちょっとまだ荷が重い。悪いとは思ったが、お茶会にさっさと見切りをつけてエミリアは一人で森を抜け出していた。

 幸い、ナツキ・スバルたちの狂演(マッドティーパーティー)の会場から森の出口まではすぐで、エミリアは数時間ぶりに日差しを浴びて体を心を切り替えていた。

「それに、さっきよりずっと心強い目印があるもの」

 森を出たエミリアが迷わず目指すのは、正面に見えている背の高い建物──それはエミリアの知る限り、王都ルグニカで目にした王城とそっくりなものだった。

 お城だ。誰かしら頼りになる人がきっといるに違いない。もはや自分が穴に落ちた経緯や、あるはずのない城が見える不思議はエミリアの心の中にない。あるのは原因不明の使命感と、パックのお尻をたたかなくてはならないという母性ばかりだった。

「到着っ。さあ、誰かに話を聞いてもらわないと……」

 城のおひざもとに到着したエミリアは、花の咲き乱れる庭園に城が囲まれるという奇妙な景観には目もくれず、きょろきょろと人を探してあたりを見て回る。すると、

「裁判だー! 裁判が始まるぞー!」

 大きな声で叫びながら、花壇を横切る小猫。窓にぶつかって以来、行方をくらましていたパックの登場だ。そのまま彼はエミリアに気付かず、城の中へ駆け込んでいく。

「またパック! それに裁判って……もう、遊んでる場合じゃないのにっ」

 自分を無視するパックにほおふくらませて、エミリアもまた城の中へ。そして城に入ってすぐ、目の前に広がる白い光にエミリアはとっさに顔をおおった。

 おずおずと、顔の前から手をどける。そうして、エミリアの前に広がる景色は、

「これが……裁判所?」

 広い空間だ。見えないぐらい高い天井に、ずらりと周囲を観覧席に囲まれている。座席はすべて観衆で埋められており、うるさいぐらいのざわめきがあたりを支配していた。

「──首をねてしまいなさい」

 そして、その空間の最奥に、冷酷な判決を告げる桃色の髪の少女がいる。

 普段と変わらないメイドのよそおいながら、頭に乗せる髪飾りだけを王冠のようなものにえた人物──ラムだ。

 涼しげな顔で証言台を見下ろすラム。その視線の先には、か縛られたベアトリスが転がされていて、顔を赤くして叫んでいた。

「さ、再審を要求するのよ! これは国家の横暴かしら! められたのよ!」

「首をねてしまいなさい」

「お前それしか言えないのかしら!? 冗談じゃないのよ!」

 えんざいを訴えるベアトリスに耳を貸さず、ラムは断固として処刑するつもりだ。そんなラムの隣に、そっと寄り添う青い髪の少女。妹のレムが姉の肩に触れて、

「あの、姉様。もうちょっとベアトリス様のお話を聞いてあげても……それに、焼き菓子ぐらいならレムがまた焼き直しますから」

「レムが作ってくれたお菓子を、楽しみにしていたのに横取りされたラムの気持ちはどうなるというの。この屈辱、犯人をさらし首にした上で、そのがいこつを使って杯でも作らないことには決して晴れないわ」

「菓子の一つでなんたる悪逆かしら! 鬼! 悪魔! 六天魔王!」

 暴言を重ねるほどに余罪が増えるベアトリス。不敬罪まで加わっていよいよ死罪は免れまいという裁判所のふんに、目を回していたエミリアは待ったを呼びかける。

「待って! いくらなんでも、それは可哀かわいそうだと思うの!」

「おや。ベティーをかばおうっていうのかい? ラム女王様に逆らおうなんて、ずいぶんと身の程知らずな子じゃないか。くっくっく」

 エミリアの訴えを聞いて、いかにも小者っぽい応じ方をしたのはパックだ。づちを持っているパックは裁判を左右する立場なのか、エミリアに証言台に立つよう指示する。

「話はよくわからないけど、ベアトリスはそんな悪い子じゃないわ。首を刎ねるなんてあんまりよ。ラムもどうしちゃったの」

「ラムにれしい口を利く娘だこと。そんなことを言って、それならベアトリス様以外の誰がラムの焼き菓子を食べたっていうの?」

「誰だかは知らんのよ。……でも、この娘からはほんのりとお菓子の甘い香りがしないこともないかしら。そんな風に感じるのよ」

「ベアトリス!?」

 きで転がるベアトリスが、証言台に立って庇おうとしたエミリアを売った。そして実際、エミリアは焼き菓子を食べた自覚がある。それがクリンドの用意したものだと訴えたいところだが、裁判所の雰囲気は一気にエミリア不利に傾いた。

「待って待って! なんだかすごーく嫌な雰囲気になってる気がするの!」

「……まあ、確かに本当にこの娘が犯人なら、ベアトリス様が首を刎ねられるのを見届ければいいだけ。なのに名乗り出たということは……良心が耐えかねた?」

「私が犯人じゃないって見方はしてくれないの!?」

 このままだと推定有罪にされてしまう、とエミリアは顔を青くする。だが、またしてもあわれな被告に救いの手を差し伸べるのは、冷酷な姉を支える優しい妹だ。

「姉様、姉様。さすがにあの方が犯人というのはいくらなんでも……」

「そう。レムがそう言うのなら、そうなのかもしれないわね」

 レムのとりなしで、さすがの暴論をラムも認める気になったようだ。きゆうは脱したようだと、エミリアもどうにか心を落ち着かせる。と、

「そうだぜ、いくらなんでもエミリアたんが犯人なんて言いがかりだ!」

可愛かわいいは正義! 美少女は宝! エミリアたんは俺の嫁!」

「ついでにベア子はもっと脅して涙目にさせようぜ! ギリギリを見計らってな!」

 観覧席から騒がしい声が連続して、全員の目がそちらへと向いた。そこで騒いでいるのは案の定、猫耳とうさぎ耳と帽子のスバル三連星だ。茶会はどうやら終わったらしい。

「スバルくんたち、こちらのお嬢さんとお知り合いなんですか?」

 するとレムが、並ぶスバル三人に声をかけた。三人はそろって歯を光らせて、

「ああ、知り合いだ!」「お茶会した仲だ!」「ただならぬ仲といって差し支えない!」

「そうですか」

 三人のスバルの答えを聞いて、満足げにうなずくレム。それから彼女はエミリアを見つめると、れるほど愛らしく微笑ほほえんだ。

「首をねましょう」

「ええええええ!?」

「わかったわ。首を刎ねなさい」

「ちょっと! ちょっと待って! ねえ、おかしくない!? 急にどうしたの!?」

 あわてたエミリアが無罪を訴えるも、ラム女王もレム大臣も聞く耳を持ってくれない。

 大きな音を立てて裁判所の扉が開き、そこからわらわらと兵士──の格好をした、たくさんのパックが一斉に押し寄せてくる。右を見ても左を見ても、パックだらけだ。

「ええっ、可愛い!?」

 よろいを着たり、庭師の格好をしたり、変なカードの格好をしたパックたちに囲まれて、エミリアは幸せと恐怖を同時に味わわされる。

「す、スバル!」

「どうしてこうなったのか、誰か真相を暴いてください。それだけが俺たちの望みです」

「もう、スバルのバカーっ!」

「てへぺろ」

 三人のスバルが揃って舌を出すのを見ながら、エミリアは突撃してくるパックの群れにすべもなくみ込まれてしまった。


    5


「──エミリアたん、エミリアたんってば」

「ん、ん……」

 肩を揺すられて、名前を呼ばれる感覚にエミリアの意識は揺り起こされた。

 長いまつふるわせ、目を開けたエミリアは何度かまばたき。それから顔を上げ、すぐ目の前に見慣れた顔があるのにやっと気付いた。

「……スバル?」

「そうだよ、俺だよ。びっくりしたぜ。部屋に呼びにいったらいないんだもん。まさかあのまま昼寝しちゃうなんて、エミリアたんも疲れてたんだね」

 小さく笑うスバルに、エミリアはようやくはっきりと目が覚めた。あたりをあわてて見渡して、そこがロズワール邸の中庭であることを確かめて、いきをこぼす。

「よかった……」

「んん? どしたの。ひょっとして怖い夢でも見た? わかった。それなら俺の胸に飛び込んでおいで。どこまでもクレバーに抱きしめてあげる」

「ごめん。ちょっと何言ってるのかわかんない」

 腕を広げたスバルが肩を落とすのを見ながら、エミリアは首をかしげた。

 夢を見ていたと思うのだが、その夢の内容が思い出せない。ただ、すごく騒がしい夢だったような気がする。戻ってこれて、本当に安心したぐらいに。

「なんにせよ、見つかってよかった。そろそろ晩御飯の時間だから戻ろう。午後の勉強をサボったことは、俺とエミリアたんだけの秘密にしてあげるから」

「えっと……うん、ありがと。次からは気を付けるから」

 スバルの手を借りて立ち上がり、エミリアは草を払って背筋を伸ばす。そうしているうちにふと、スバルに言わなくてはならないことがあるような気がした。

「スバル……あのね」

「うん、なになに?」

 振り返るスバルの顔を見て、エミリアはしばし考える。それから、

「スバルがお茶会を開くとき、もしも誰もこなくても私は参加してあげるからね」

「なんで仮定の話でそんな切ない想定してくれたの!?」

 叫ぶスバルを見ていたら、エミリアは思わずき出してしまう。

 だろうかと言われれば、きっとこう答える他にない。

 ──不思議の国で、そんな風に寂しがるスバルの姿を見たような気がしたのだ。


《了》

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Re:ゼロから始める異世界生活 短編集1 @TappeiNagatsuki

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