第4話
魔女から借りたテントを張り終えても、エラはまだ戻ってこない。
私は、エラが戻るのを待つ間、ダニエルに『有紗』の記憶のことを話した。
「……正直、信じられない気持ちでいっぱいだけれど……でも、信じるよ。君のその目は、嘘をついていない目だ」
「信じてくれるの?」
「ああ。僕が何年、君に焦がれてきたと思っているんだい? 君の気持ちぐらい、手に取るようにわかるさ」
ダニエルは、甘く優しく微笑むと、私の頬に口づけを落とす。
彼の真っ直ぐな瞳を見ていると、私の不安もすぐに溶けていくようだった。
「それで、君が不安に思っているのは……君と僕の選択が、エラの幸せな未来を奪ってしまうかもしれない、ということで合っているかな?」
「……ええ、その通りよ」
もしも私たちの命が助かったとして。
私たちがエラの近くに居続けたら、彼女は辛い境遇に身を置くことがなくなる。
そうなれば、逆境に負けずに夢を持ち続ける力を彼女が得る機会を、失ってしまうのではないか。
王子様に見初められることも、なくなってしまうかもしれない。
「――結論から言うよ。君のその考えは、正しいとは言えないな」
「……え……?」
「アリサ。君は僕と結婚する時、こんなちっぽけな男爵なんかじゃなく、本当は王族と結婚したかったと思っていたかい?」
「思うわけがないわ。私は、ダニエルを愛しているもの。貴方が男爵だろうと、王子様だろうと、平民だろうと、私にとっては身分なんて関係なかったわ」
「だろう? そういうことさ」
ダニエルは、嬉しそうに微笑み、先程とは反対側の頬にもキスをした。
「つまり、エラの幸せは、エラ自身が決めるってことだ」
「王子様に見初められなくても、本当に好きな人ができたら、それがエラの夢になる。それが、逆境に立ち向かう力を与えてくれる……そういうこと?」
「うん。そうさ。幸せは、自分の力で掴みに行かなくちゃ……君が首を縦に振るまで、僕が君に何十回も告白したようにね」
「まあ……ふふっ。そうね、貴方がそう言うと、重みが違うわね」
ダニエルは、とびきり甘く笑って、私の唇に自身の唇を重ね合わせる。
「……それに、僕は、君に生きていてほしい。僕と、ずっと――エラが幸せを掴むのを、見届けるまで」
「ダニエル……」
ダニエルは、私の髪を優しく梳いている。
私が、馬車でエラにしてあげていたのと同じように――甘く優しく微笑んで。
「エラだって、同じ気持ちに違いないよ。今のエラにとって一番大切なものを与えてあげられるのは、きっと、僕とアリサなんだから。君自身だって、もう、わかっているんだろう?」
「……あたたかな愛と、幸せな思い出?」
「そう」
ダニエルは、満足そうに頷くと、再び私に口づけをした。
「運命が愛を運んでくるのではなくて、愛の強さが、運命を引き寄せてくれる。僕はそう思う」
愛しい夫は、そう囁くと、何度も何度も、角度を変えて私の唇をついばむ。
「……そう、かもしれないわね」
「ああ、そうだよ」
私は、少しずつ深くなっていく口づけを、目を閉じて受け入れたのだった。
*
しばらくして、エラは戻ってきた。
瞳をキラキラ輝かせ、頬を薔薇色に染めている。
「あのね、おともだちができたの! とってもやさしい、おとこのこ」
エラは、転んで泣いていたところを、その少年に助けられたようだ。
年は少し上で、とてもしっかりした、優しい少年だったという。
「ハンカチ、もらっちゃった。ここにくれば、またあえるかなあ? これ、かえさなくちゃ」
エラの視線を追うと、彼女のすりむいた膝に、パリッと糊のついた高価そうなハンカチが巻かれている。
ハンカチには、すっかり血が滲んでしまっていた。
「まあ、痛かったね! ちょっと見せてもらえる? 消毒しましょうね」
エラが頷いたのを見て、私はエラの膝からゆっくりとハンカチを外す。
ダニエルは、馬車から持ってきた薬箱を開け、傷口を消毒しようとして、エラに「しみる!」と泣かれていた。
私は目を凝らして、刺繍の部分をよく見る。
そこには――王家の紋章が、刺繍されていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます