終章 禁書目録の少女の結末 Index-Librorum-Prohibitorum.
「何もないね?」
大学病院の診察室で、小太りの医者はそう言った。
回転
博愛主義なインデックスだったが、科学者だけは嫌いだった。
魔術師も変人ぞろいと言えばその通りだが、科学者はその上を行くと思う。
何でこんなヤツと二人っきりなんだと思うが、連れはいないのだから仕方がない。
連れは、いないのだから。
「
そんな事は、インデックスにだって分からない。
本当に、
いきなり、今まで一年周期で記憶を消されてきたとか、その忌まわしい循環から救い出すために一人の少年が命を
「それにつけても、
それじゃ最初で最後の質問になってない、とインデックスは思う。
「ところで、その手にある手紙は彼らから贈られたものだよね?」
カエル顔の医者はインデックスの持っている、ラブレターでも入ってそうな封筒を見る。
インデックスはムッとして、ビリビリと強引に封筒を破って手紙を取り出した。
「っとっと? それは君
いいんです、とインデックスは不機嫌そうに答えた。
大体、差し出し人が『
ちなみに手紙には、
『
まったくよくもやってくれたなこの野郎と言いたい所だけど、その個人的な思いの丈をぶつけてしまうと世界中の木々を残らず切り倒しても紙が足りなくなるのでやめておくよこの野郎』
こんな感じの
と、九枚目──最後の便箋にこんな事が書いてあった。
『とりあえず、必要最低限の礼儀として、手伝ってもらった君にはあの子と、それを取り巻く環境について説明しておく。あとあと貸し借りとか言われても困るしね。次に会う時は敵対する時と決めているから。
教会が用意した
まぁ、魔力の回復なんてありえないとは思うけど。注意するに越した事はない、って所だね。一〇万三〇〇〇冊を自在に操る『魔神』ってのはそれぐらいの危険があるって事かな。
(ちなみに、これは別に
なんて書かれた挙げ句、手紙の最後にステイルお得意のルーン文字が刻んであった。
慌てて手紙を放り捨てると同時、クラッカーみたいな破裂音と共に手紙が粉々に
「なかなか過激なお友達だね? うん、液化爆薬でも染み込ませてあったのかな?」
そこで驚かない医者も相当にぶっ飛んでる、とインデックスは半分以上本気で思う。
けれど、インデックスも感情が
だから、ただ
「あの少年の事なら、直接会って確かめた方が早い……と言いたい所だけどね?」
カエル顔の医者は、本当に面白そうに言った。
「本人の前でショックを受けるのも失礼だから、手っ取り早くレッスンワンだね?」
こんこん、と病室のドアを二回ノックした。
たったそれだけの仕草に、インデックスは心臓が破裂しそうになる。返事が返るまでの間にそわそわと
はい? と少年の声が返ってきた。
インデックスはドアに手をかけた所で、はい? と言われたからにはここで『入って良い?』と聞くべきかと迷った。けれど逆にしつこい野郎ださっさと入ってくりゃ良いのにとか思われるのもなんか
ギクシャクとロボットみたいにドアを開ける。六人一部屋の病室ではなく、一人一部屋の個室だった。壁も床も
少年は真っ白なベッドの上にいて、上半身だけ起こしていた。
ベッドの
生きていた。
たったそれだけの事実に、インデックスは涙がこぼれるかと思った。今すぐ少年の胸に飛びつくべきか、それともあんな無茶をした事にまず頭を丸かじりするべきかちょっと迷う。
あの……、と頭にハチマキみたいに包帯を巻いた少年は、小さく首を
「あなた、病室を間違えていませんか?」
少年の言葉はあまりに丁寧で、不審そうで、様子を探るような声だった。
まるで、顔を見たこともない赤の他人に電話で話しかけるような声。
──あれは記憶喪失というより、記憶破壊だね?
──思い出を『忘れた』のではなく物理的に脳細胞ごと『破壊』されてるね? あれじゃ思い出す事はまずないと思うよ? まったく
「……、っ」
インデックスは、小さく息を止める。視線が、どうしても下を向く。
超能力者が無理矢理に力を使い続けた反動、そしてインデックス自身が放った(らしい、はっきり言って彼女は全く覚えていない)光の攻撃は、一人の少年の脳を深く傷つけていた。
それが物理的な───つまりただの『傷』ならば、背中を
つまり、少年を治そうとしても、その回復魔法さえ打ち消されてしまう。
ある少年は、
あのう? という、不安そうな、否、心配そうな少年の声。
インデックスは
少年は自分のために傷ついた。なのに、少年が自分の事を心配するなんて、そんなのずるい。
インデックスは胸に込み上げる何かを飲み込むように息を吸う。
笑う事は、できたと思う。
少年はどこまでも透明で、インデックスの事なんて少しも覚えていなかった。
「あの、大丈夫ですか? なんか君、ものすごく
なのに、透明な少年は一発で
「ううん、大丈夫だよ?」インデックスは、息を吐きながら、「大丈夫に、決まってるよ」
透明な少年はしばらくインデックスの顔を眺めていたが、
「……。あの、ひょっとして。
その質問こそが、インデックスには一番辛い。
それはつまり、透明な少年は自分の事など何も分かっていないという証拠なのだから。
何も。本当に、何も。
うん……、と。インデックスは、ポツンと病室の真ん中に立ったまま、答えた。まるでマンガに出てくる小学生が宿題を忘れて廊下に立たされるような、そんな仕草だった。
「とうま、覚えてない? 私達、学生寮のベランダで出会ったんだよ?」
「──
「……とうま、覚えてない? とうまの右手で私の『歩く教会』が壊れちゃったんだよ?」
「──あるくきょうかいって、なに? 『歩く協会』……散歩クラブ?」
「…………とうま、覚えてない? とうまは私のために魔術師と戦ってくれたんだよ?」
「──とうまって、
インデックスの口は、あと少しで止まってしまいそうだった。
「とうま、覚えてない?」
それでも、これだけは聞いておきたかった。
「インデックスは、とうまの事が大好きだったんだよ?」
ごめん、と透明な少年は言った。
「インデックスって、何? 人の名前じゃないだろうから、俺、犬か猫でも飼ってるの?」
ぅぇ……、と。インデックスは『泣き』の衝動が胸の辺りまでせり上がってくる。
けれど、インデックスは
飲み込んだまま、笑う。
「なんつってな、引ーっかかったぁ! あっはっはーのはーっ!!」
はえ……? とインデックスの動きが止まった。
透明な少年の不安そうな顔が消えている。まるでぐるんと入れ替わったように犬歯
「犬猫言われてナニ感極まってんだマゾ。お前はあれですか、首輪趣味ですか。ヲイヲイ
透明な少年には、いつの間にか色がついていた。
インデックスには訳が分からない。幻覚かと思って両目をごしごし
「あれ? え? とうま? あれ? 脳細胞が吹っ飛んで全部忘れたって言ってたのに……」
「……なんか忘れてた方が良かったみてーな言い方だなオイ」
「はず、だった?」
「おうよ。だってさ、その『ダメージ』ってのも魔術の力なんだろ?」
あ、とインデックスは思わず声に出してしまった。
「そういう事さ。そういう事です、そういう事なの三段活用。だったら話は簡単だ、
ああ、とインデックスはへなへなと床の上に座り込んでしまった。
「ようは、体の中に走るダメージが脳に届く前に、その『魔術的なダメージ』を打ち消しちまえば良いってだけだろ? ま、ステイルの炎みてーな『物理現象』っぽかったらアウトだろうけど、『光の羽』なんて『良く分からない異能の力のまま』なら問題あるまい」
例えば火の
上条は
ムチャクチャすぎる。
ムチャクチャすぎるけど、そう言えばこの
「ぷっぷくぷー。それにしたってお前の顔ったらねーよなー。普段さんざん
……、インデックスは何も答えない。
「────って、あれ? ……あのー」
インデックスの顔がゆっくりと
女の子座りで肩が小刻みにぷるぷる震えている。何だか知らないけど歯を食いしばってる。
果てしなく嫌なトーンに、上条は思わず探りを入れてみた。
「えっと、一つお尋ねしたいんですが、よろしいでございますか姫?」
なに? とインデックスは答える。
「あの、もしかして……本気で怒って、ます?」
ナースコールがぷーぷー鳴る。
頭のてっぺんを思いっきり丸かじりされた少年の絶叫が病棟中に響き渡る。
ぷんぷん、という
おっと? という声が入口の辺りで聞こえる。どうやら入れ替わりに入ってこようとしたカエル顔の医者が飛び出してきたインデックスとぶつかりそうになったらしい。
「ナースコールがあったからやってきたけど……あー、これはひどいね?」
少年はベッドから上半身だけずり落ちて、頭のてっぺんを両手で押さえて泣いていた。死ぬ、これはホントに死ぬ、という独り言がなんかリアルで
医者はもう一度だけ開いたドアから廊下を見たが、首を戻して病室にいる上条を見た。
「けど、あれで良かったのかい?」
何がですか、と少年は答える。
「君、本当は何も覚えていないんだろう?」
透明な少年は黙り込む。
一人の少女に話して聞かせたほど、神様の作った
魔術の結果、アパートの中で倒れた少年とインデックスを病院に運んだのは魔術師を名乗る二人の男女だった。彼らは医者にこれまでの
そんなものは、他人の日記を読んでいるのと何も変わらない。
他人の日記の中で、顔と名前の一致しない女の子がどう活躍しようが知った事ではない。
今の話は、他人の日記を元に思い描いた単なる作り話にすぎなかった。
この包帯だらけの右手に神様の
信じられるはずがなかった。
「けど、あれで良かったんじゃないんですか」
透明な少年はそう言った。
他人の日記のくせに、それはとても楽しくて、とても
失われた思い出はもう帰ってこないのに、
「
透明な少年は、本当に何の色もなく笑っていた。
「先生こそ、どうしてあんな話を信じたんです? 魔術師とか魔法とか、お医者さんには一番遠い存在じゃないですか?」
「そうでもないんだね?」医者はカエル顔に得意そうな色を浮かべ、「病院とオカルトは割と密接な関係なのさ? ……別に病院に幽霊が出るとか、そんな話じゃないよ? 宗教によっては輸血もダメ、手術もダメ、命を助けても裁判
医者は笑っていた。
自分が何で笑っているのか分からない。笑みを浮かべる少年を見ると、まるで鏡のように自分も笑ってしまうのだった。
いや、一体どちらが『鏡』なのか。
それぐらい、少年の笑みには何もない。
少年は、どこまでも透明だった。
「案外、俺はまだ覚えてるのかもしれないですね」
カエル顔の医者は、少しびっくりしたように透明な少年を見た。
「君の『思い出』は、脳細胞ごと『死んで』いるはずだけどね?」
我ながらつまらない事を言ってるな、と医者は思う。
けれど、医者は言った。
「パソコンで言うならハードディスクを丸ごと焼き切ったって状態なのに。脳に情報が残ってないなら、一体人間のどこに思い出が残ってるって言うんだい?」
なんとなく、この少年の答えは。
そんなつまらない理屈など、一発で吹き飛ばしてくれるかも、と思ったから。
「どこって、そりゃあ決まってますよ」
透明な少年は答える。
「────心に、じゃないですか?」
とある魔術の禁書目録 @KAZUMAKAMACHI
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