第四章 退魔師は終わりを選ぶ (N)Ever_Say_Good_bye. 1
二人の魔術師は、月明かりを背に壊れたドアから土足で踏み込んできた。
ステイルと
頭痛。
雪の降り積もるわずかな音でも
「……、」
上条と魔術師の間に言葉はなかった。
土足のまま踏み込んできたステイルは、
ステイルは
ぐったりと手足を投げ出したまま動かないインデックスの
その肩は震えていた。
自分の最も大切な者を、目の前で傷つけられた『人間』の怒りそのままに。
「
意を決したように、ステイルは立ち上がる。
こちらを振り返ったその表情には人間らしさなど
そこには、たった一人の少女を助けるために人間を辞めた魔術師の顔があるだけだった。
「───
ザグン、と。
その言葉は、上条の胸の一番
「あ……、」
分かってる。インデックスの記憶を奪う事が、一人の少女を救う方法である事ぐらい。
そして、かつて上条は神裂にこう言った。本当にインデックスのためだけを
だけど、それは。
もう他に方法がないと諦めきった後の、妥協案のはずじゃなかったのか?
「…………、」
上条は、知らず知らずの内に
良いのか? このまま
いや、いい。
そんなクソつまらない理屈はもうどうでも良い。
お前は、上条
まるでゲームのセーブデータを消すように、インデックスと共に過ごした一週間を白紙に戻される事に耐える事なんかできるのか?
「…………ま、てよ」
そうして、上条当麻は顔を上げた。
真正面に真正直に、インデックスを助けようとする魔術師と
「待てよ、待ってくれ! もう少しなんだ、あと少しで分かるんだ! この学園都市には二三〇万もの能力者がいる、それらを統べる研究機関だって一〇〇〇以上ある。
「……、」
ステイル=マグヌスは一言も告げない。
それでも、
「お前達だってこんな方法取りたかねーんだろ 心の底の底じゃ
「……、」
ステイル=マグヌスは一言も告げない。
どうして自分がそこまでしているのか、上条には分からない。インデックスに出会ったのはたった一週間前の出来事だ。それまでの十六年間、彼女の事を知らずに生きてきた上条なら、これから彼女がいなくなったって普通に生きていけるはずなのに。
はずなのに、ダメだった。
理由なんて知らない。理由なんて必要かどうかさえ分からない。
ただ、痛かった。
あの言葉が、あの笑顔が、あの仕草が、もう二度と自分に向けられる事がないと、
この一週間の思い出が、他人の手によってリセットボタンを押すように軽々と真っ白に消されてしまうと、
そんな可能性を考えるだけで、一番大切で一番優しい部分が、痛みを発した。
「……、」
沈黙が、支配する。
まるでエレベーターの中のような沈黙。音を発するものが何もないのではなく、その場に人がいるのに全員が押し黙っているような、かすかな息遣いだけが響く異様なまでの『
上条は、顔を上げる。
恐る恐る、魔術師の顔を見る。
「言いたい事はそれだけか、出来損ないの独善者が」
そして。
そうして、ルーンの魔術師、ステイル=マグヌスが放った言葉はそれだった。
彼は
上条の言葉を一言一言耳に入れ、
それでもなお、ステイル=マグヌスは
上条の言葉など、たった一ミリも響いていなかった。
「邪魔だ」
ステイルの一言。上条は、自分がどんな風に顔の筋肉を動かしているかも分からなくなる。
そんな上条に、ステイルはたった一度のため息もつかず、
「見ろ」
言って、ステイルは何かを指差した。
上条がそちらへ視線を移す前に、ステイルは勢い良く上条の髪の毛を
「見ろ!!」
あ、と上条の声が凍りつく。
眼前に、今にも呼吸が止まってしまいそうなインデックスの顔があった。
「君はこの子の前で同じ
「……、」
インデックスの指が、もぞもぞと動いていた。かろうじて意識があるのか、それとも無意識の内の行動なのか、もう
まるで魔術師に髪を摑まれた上条の事を、必死に守ろうとしているように。
自分自身の激痛なんて、どうでも良いかのごとく。
「だったら君はもう人間じゃない! 今のこの子を前に、試した事もない薬を打って顔も名前も分からない医者どもにこの子の体を好き勝手いじらせ、薬漬けにする事を良しとするだなんて、そんなものは人間の考えじゃない!」ステイルの叫びが、鼓膜を貫通して脳に突き刺さる。「───答えろ、能力者。君はまだ人間か、それとも人間を捨てたバケモノなのか!?」
「……、」
上条は、答えられない。
死者の心臓にさらに剣を突き刺すように、ステイルは追い討ちをかける。
ステイルはポケットの中から、ほんの小さな十字架のついたネックレスを取り出した。
「……これはあの子の記憶を殺すのに必要な道具だ」ステイルは上条の目の前で十字架を振って、「ご推察の通り、『魔術』の一品だよ。君の右手が触れれば、僕の
まるで五円玉を使ったチャチな催眠術みたいに、
「だが、消せるのか、能力者?」
上条は、ギクリと凍りついたようにステイルの顔を見た。
「この子の前で、これだけ苦しんでいる女の子の前で、取り上げる事ができるか! そんなに自分の力を信じているなら消してみろ、
上条は、見る。
目の前で揺れる十字架を。人の記憶を奪う忌まわしき十字架を。
ステイルの言う通り、これさえ奪ってしまえばインデックスの記憶の消去を止められる。
難しい事は何もない。ただちょっと手を伸ばして、指先で軽く
それだけだ。そのはずだ。
上条は、震える右手を岩のように硬く握り締めて、
けれど、できなかった。
魔術は、『とりあえず』安全かつ確実にインデックスを救う事ができる唯一の方法だ。
これだけ苦しんで、これだけ我慢を続けてきた女の子の前で、それを取り上げるだなんて。
できるはずが、なかった。
「準備を合わせて、最短で……午前零時十五分、か。
ステイルは、そんな上条を見てつまらなそうに言った。
午前零時十五分────おそらく、もう一〇分間も時間はない。
「……ッ!!」
やめろと叫びたかった。待ってくれと怒鳴りたかった。だけど、その結果苦しむのは上条ではないのだ。上条のワガママの支払いは、
もう、認めろ。
『私の名前はね、インデックスって言うんだよ?』
もう、いい加減に認めろ。
『それでね、このインデックスにおなかいっぱいご飯を食べさせてくれると私は
もう、上条
上条は、叫ぶ事も、
ただ、
「……なぁ、魔術師」
上条は本棚に背中を預けたまま、天井に視線を向けたまま、
「
「そんなくだらない事に
そっか、と
そのまま凍り付いてしまうのでは、という上条の有り様に、ステイルはさらに追い討ちをかける。
「ここから消えてくれないか、
そっか、と上条は呆然と答えた。
そのまま死体になってしまったように、上条は小さく笑った。
「───アイツの背中が
知った事か、という目でステイルは何も答えない。
「これだけの右手を持っていて、神様の
笑っていた。
運命を
「儀式を行う午前零時十五分まで、まだ一〇分ほど時間が余っていますね」
信じられないものでも見るかのように、ステイルは神裂を
だが、神裂はステイルの顔を見て、小さく笑った。
「……私達が初めてあの子の記憶を消すと誓った夜は、一晩中あの子の
「……ッ」ステイルは一瞬だけ息が詰まったように黙り込み、「だ、だが。今のコイツは何をするか分からないんだ。僕達が目を離した
「それなら、さっさと十字架に触れていると思いませんか? 彼がまだ『人間』だと確信していたからこそ、あなたも
「しかし……、」
「どの道、時が満ちるまで儀式は行えません。ここで彼の未練を残しておけば、儀式の途中で妨害が入るという危険が残りますよ。ステイル」
ステイルは奥歯を嚙み締めた。
ギリギリと。ステイルは今にも獣のように上条の
「一〇分間だ。良いな!?」
バッと、きびすを返してアパートのドアへ向かった。
神裂は何も言わずにステイルに続いて部屋を出たが、その目はとても
バタン、とドアが閉まる。
後には、上条とインデックスだけが残された。命を
「ぁ─────、か。ふ」
ぐったりしたインデックスの口から声が
インデックスが、薄目を開けていた。何で自分が
自分の事など、すっかり忘れて。
「……、」
上条は、奥歯を
だけど、逃げ出す訳には、いかなかった。
「とう、ま?」
上条が布団に近づくと、インデックスは汗びっしょりの顔で
「……、ゴメン」
上条は、布団のすぐ側で、
「……、? とうま、部屋になんか陣が張ってある」
今まで気を失っていたインデックスには、それが二人の魔術師によって描かれたものだと分からない。布団の近くの壁に描かれた模様を見ながら、少女みたいに首を
「……、」
上条は一瞬、奥歯を嚙み締めた。
ほんの一瞬。
「……、回復魔法、だってさ。お前の頭痛がそんなひどくなんのがいけねーんだぞ?」
「? 魔法って……、誰が」
そこまで言った時、ようやくインデックスは『ある可能性』に気がついた。
「!?」
もう動かせない体を無理矢理に動かして、インデックスは跳ね起きようとする。ズキン、とその顔が苦痛に
「とうま! また魔術師がきたんでしょ! とうま、逃げなきゃダメだよ!!」
インデックスは信じられないという顔で上条を見る。魔術師という存在が一体どれだけ危険なのか知っている彼女は、心の底から上条の事を心配している。
「……、もう、良いんだ。インデックス」
「とうま!」
「終わったんだよ。……もう、終わっちまったんだ」
とうま、とインデックスは小さく
「……、ゴメン」上条は、言う。「
泣く事さえ、
同情を誘う事など、もってのほか。
「……待ってろよ。今度は絶対、
インデックスの目には、それがどんな風に映ったのか。
インデックスの耳には、それがどんな風に聞こえたのか。
「分かった。待ってる」
事情を知らなければ、敵に負けた上条が保身のためにインデックスを売ったとしか見えない。
なのに、彼女は笑っていた。
ボロボロの笑顔で、完璧な笑顔で、今にも崩れそうに、笑ってくれた。
上条は、分からない。
どうして彼女がこんなに人を信用してくれるのか、そんな事はもう分からない。
だけど、それで覚悟は決まった。
頭痛が治ったらこんなヤツらをやっつけて自由になろう、と言った。
そしたら一緒に海でも行きたいけど、夏休みの補習が終わってからだな、と言った。
いっその事、夏休みが終わったら
いっぱい思い出を作りたいね、とインデックスは言った。
作りたいじゃない、作るんだよ、と上条は約束した。
ウソを、貫き通す。
何が正しくて何が間違ってるかなんて、もうどうでも良い。冷たいだけで優しくない、正しいだけで女の子の一人も安心させられない正義なんてもういらない。
上条
そんな名前は、
だから、上条当麻は涙の一滴さえ、こぼさなかった。
ほんの、一滴さえ。
「……、」
ぱたり、と音を立てて。インデックスの手から力が抜けて、
再び意識を失ったインデックスは、まるで死人のようだった。
「けどさ、」
熱病にうなされるようなインデックスの顔を見て、
「……こんな最悪な終わり方って、ないよなぁ」
嚙み締めた唇から、血の味がした。
間違っていると分かっていても何もできない自分がひどく悔しかった。そう、上条には何もできない。インデックスの脳の八五%を占める一〇万三〇〇〇冊の知識をどうにかする事も、残る十五%の『思い出』を守り抜く事だって
「……、あれ?」
と、そこまで絶望的な考えを巡らせていた上条は、ふと自分の言葉の違和感を感じ取った。
八五%?
ギチギチ、と。
上条は、見る。上条は、熱病に浮かされたようなインデックスの顔を見る。
八五%。そう、確かに
けど、ちょっと待て。
十五%も使って、たった一年分しか記憶できないって言うのは、どういう事だ?
完全記憶能力、というのがどれだけ珍しい体質かは分からない。けど、少なくても世界中を探してインデックス一人だけ、というほど珍しいものではないと思う。
そして、
それでも、脳を十五%も使ってたった一年分の記憶しか
「……それじゃ、六歳か七歳で死んじまうって計算じゃねーか……」
そんな不治の病じみた体質なら、普通はもっと有名にならないか?
いいや、それ以前に。
神裂は一体、どうやって八五%だの十五%だのって数字を導き出した?
それは一体、どこの
そして一体、
そもそも、その八五%って情報は、本当に正しいのか?
「……やられた」
もし、仮に。神裂が脳医学について何も知らなかったら? ただ自分の上司──教会から告げられた情報をそのまま
何か、何かとてつもなく嫌な予感がする。
機械的な、ひどく人をイライラさせるコール音が続く。
と、ブツッというノイズじみた音と共に電話が
「先生!!」
上条がほとんど反射的に叫ぶように言うと、
『あ~い~。その声は上条ちゃんですね~、先生の電話を勝手に使っちゃダメですよ~う』
「……なんか、メチャクチャいい声出してんですけど」
『あい~、先生は今
「……、」
上条はこのまま受話器を握り
「先生。黙ってそのまま聞いてください。実はですね────」
上条は完全記憶能力について聞いてみた。
それはどんなものなのか? 本当に一年間の記憶をするだけで脳を十五%も使う──つまり六歳か七歳で寿命を迎えてしまうほど絶望的な体質なのかどうかを。
『そんな訳ないんですよ~』
小萌先生は一言で切り捨てた。
『確かに完全記憶能力はどんなゴミ記憶──去年のスーパーの特売チラシとか──も忘れる事はできませんけど~、別にそれで脳がパンクする事は絶対にありません~。彼らは一〇〇年の記憶を墓まで抱えて持ってくだけです、人間の脳は元々一四〇年分の記憶が可能ですから~』
ドグン、と上条の心臓が脈打つ。
「け、けど。仮にものすごい勢いでモノを覚えていたら? 例えば記憶力にモノを言わせて図書館にある本を全部記憶しちまったとか、そうなったら脳はパンクしちまうんですか?」
『はぁ……、上条ちゃん
「えっと、先生……。ちょっと言ってる意味が分からないんですけど」
『つまりですね~』小萌先生は説明好きっぽい喜び方をして、『それぞれの記憶は、
「……て、事は」
『はい~。どれだけ図書館の本を覚えて「意味記憶」を増やした所で~、思い出を司る「エピソード記憶」が圧迫されるなんて事は、脳医学上絶対にありえません~』
それこそ、がつーん、と頭を打たれたようだった。
受話器が手から滑り落ちる。落ちた受話器が電話のフックに激突して通話が途切れてしまったが、もう今の
教会は、神裂に噓をついていた。
インデックスの完全記憶能力は、人の命を脅かすようなものではなかったのだ。
「けど、何で……?」
上条は
そして、現に上条の目の前で苦しんでいるインデックスは、とても
「───────は、」
そこまで考えて、不意に上条は笑い出したくなった。
そうだ、教会はインデックスに首輪をつけたがっていた。
一年置きに教会の
もし仮に、元々インデックスは技術と術式を受けなくても大丈夫な体だったら?
技術と術式なんて受けなくても、キチンと一人で生き続ける事ができる体だったら?
教会は、そんなインデックスを放っておくはずがない。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を握ったままどこへ消えるかも分からないインデックスに、首輪をつけないはずがない。
繰り返す、教会はインデックスに首輪をつけたがっていた。
ならば話は簡単だ、
教会が、元々何も問題なかったインデックスの頭に何か細工をしたんだ。
「───────、はは」
そう、例えば元々一〇リットルの水が入るバケツの底にコンクリを詰めて、一リットルしか水を
インデックスの頭をいじって、『たった一年分の記憶だけで頭がパンクする』ように。
インデックスが、教会の技術と術式を頼らなければならないように。
インデックスの
───人の優しさや思いやりすら計算に組み込んだ、悪魔の
「……けど、そんな事はどうでも良い」
そう、今はそんな事はどうでも良い。
問題なのは、今ここで問題にすべきなのは、ただ一つ。インデックスを苦しめてきた教会の
そう、相手が『魔術』なんていう『異能の力』であるならば、
───上条
上条は時計のない部屋で、今が何時か考える。
儀式を始める時間まで、おそらくもう何分もない。続いて上条はアパートのドアを見た。その向こうにいる魔術師にこの『真実』を告げた所で、彼らは信じるか? 答えはノーだ。上条はただの高校生だ、脳医学の医師免許を持っている訳ではないし、何より魔術師との関係は『敵』と呼んで何の問題もない。上条の言葉を彼らが信じるとは思わない。
上条は、視線を落とす。
ぐったりと手足を投げ出して
『この子の前で、これだけ苦しんでいる女の子の前で、取り上げる事ができるか! そんなに自分の力を信じているなら消してみろよ、
ついさっき、自分自身を散々に打ちのめしたステイルの言葉に、上条は小さく笑った。
小さく笑う事ができるほど、世界は変わっていた。
「
上条は笑いながら、右手を
まるで、右手の封印を解くように。
「────主人公に、なるんだ」
言って、笑って、上条はボロボロの右手をインデックスのおでこの辺りに押し付けた。
神様の
けれど、たった一つ。
目の前で苦しんでいる女の子を助ける事ができるなら、それはとても素晴らしい力だと思いながら。
……。
……、
……?
「──────────、って、あれ?」
起きない。何も起きない。
光も音もなかったが、これで教会がインデックスにかけた『魔術』は消えたのか? いや、それにしてはインデックスは相変わらず苦しそうに
上条は、もう何度かインデックスの体に触れている。
例えば学生寮でステイルをぶん殴った後、傷ついたインデックスを運んだ時にもあちこち触れてるし、インデックスが
上条は首をひねる。自分の考えが間違っていた……とは思えない。そして、上条の右手に打ち消せない『異能の力』は存在しない、はずだ。ならば、
ならば……まだインデックスに触れてない部分がある?
「…………………………………………………………………………………………………あー、」
何かものすごくエロい方向にすっ飛びかけた頭を上条は無理矢理に戻す。
けれど、考え自体はそれしか残っていない。インデックスにかかっているのが『魔術』で、上条の右手に消せない『魔術』は存在しないと言うならば、上条の右手が『魔術』に触れていないと、そういう理屈になる。
けど、それはどこだろう?
上条は熱病に浮かされたようなインデックスの顔を見る。記憶に関する魔術……なんだから頭、もしくは頭に近い場所に魔術はかかっている、んだろうか?
「………………あ」
と、上条はもう一度インデックスの顔を見る。
苦しそうに動く眉毛、硬く閉じられた
上条は右手の親指と人差し指を、その唇の間に滑り込ませて、強引に彼女の口を開いた。
「……、」
ぬるり、と。それ自体が別の生き物のように
ぐっ、と強烈な吐き気にインデックスの体が大きく震えた───ような気がした。
パチン、と静電気が散るような感触を上条は右手の人差し指に感じると同時、
バギン! と。上条の右手が勢い良く後ろへ吹き飛ばされた。
「がっ…………!?」
ぱたぱた、と
まるで
そして、顔の前へ持ってきた右手の、そのさらに向こう。
ぐったりと倒れていたはずのインデックスの両目が静かに開き、その
それは眼球の色ではない。
眼球の中に浮かぶ、血のように真っ赤な魔法陣の輝きだ。
(まずい……ッ!!)
上条が本能的な背筋の震えに、壊れた右手を突きつける前に、
インデックスの両目が恐ろしいぐらい真っ赤に輝き、そして何かが爆発した。
ゴッ!! という
ガチガチと震え、ともすれば崩れ落ちてしまいそうな両足で上条はかろうじて起き上がる。口の中に
「───警告、第三章第二節。Index-Librorum-Prohibitorum───
上条は、目の前を見る。
のろのろと。インデックスは、まるで骨も関節もない、袋の中にゼリーが詰まっているかのような不気味な動きでゆっくりと立ち上がる。その両目に宿る真紅の魔法陣が
それは眼であって、目ではない。
そこに人間らしい光はなく、そこに少女らしいぬくもりは存在しない。
かつて、上条はこの
(魔力がないから、私には使えないの)
「……、そういやぁ、一つだけ聞いてなかったっけか」
上条はボロボロの右手を握り締めながら、口の中で小さく言った。
「超能力者でもないテメェが、一体どうして魔力がないのかって理由」
その理由が、おそらくこれだ。教会は二重三重の
「───『書庫』内の一〇万三〇〇〇冊により、防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を暴き、対侵入者用の
インデックスは、糸で操られる死体のように小さく首を曲げて、
「───侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。これより特定魔術『
バギン! と
「 。 、」
インデックスが何か────もはや人の頭では理解できない『何か』を歌う。
瞬間、インデックスの両目を中心としていた二つの魔法陣がいきなり輝いて、爆発した。ニュアンスとしては空中の一点──インデックスの
ただし、それは青白い火花ではなく、真っ黒な雷のようなものだった。
全く非科学的な事を言って申し訳ないが、それは空間を直接引き裂いた
めき……、と。何かが脈動するように、
わずかに開いた漆黒の亀裂の
「あ、」
それは理論や論理ではない、
「。は」
上条は、震えている。
どんどんどんどん亀裂が広がっていき、その内側から『何か』が近づいてきている事を知っても。上条は動けない。震えている、震えている、本当に震えている。だって、
ようは、『それ』さえ倒してしまえば。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」
だから、上条は歓喜に震えていた。
それでも、自分のせいで一人の女の子の背中が
別にこんな物語の主人公になりたかった訳じゃない。
ただ、こんな残酷すぎる物語さえ打ち消し、引き裂くほどの力が右手に宿っているんだから!
たった四メートル。
もう一度、あの少女に触れるだけで
だから、
その右手を握り締めて。
こんな残酷な物語の、無限に続くつまらないつまらない結末を打ち消すために。
同時、ベギリ────と、亀裂が一気に広がり、『開いた』。
ニュアンスとしては、処女を無理矢理引き裂いたような痛々しさ。そして部屋の端から端まで達するほど巨大な亀裂の奥から、『何か』が
ゴッ!! と。亀裂の奥から光の柱が襲いかかってきた。
もうたとえるなら直径一メートルほどのレーザー兵器に近い。太陽を溶かしたような純白の光が襲いかかってきた瞬間、上条は迷わずボロボロの右手を顔の前に突き出した。
じゅう、と熱した鉄板に肉を押し付けるような激突音。
だが、痛みはない。熱もない。まるで消火ホースでぶち
それでも、『光の柱』そのものを完全に消し去る事はできない。
まるでステイルの
(違う……これは、そんなもんじゃ…………ッ!?)
上条は思わず空いた左手で吹き飛ばされそうな右手の手首を
(単純な『物量』だけじゃねえ……ッ! 光の一粒一粒の『質』がバラバラじゃねえか!!)
ひょっとすると、インデックスは一〇万三〇〇〇冊の魔道書を使って、一〇万三〇〇〇種類もの魔術を同時に使っているのかもしれない。一冊一冊が『必殺』の意味を持つ、その
と、アパートのドアの向こうが騒がしくなった。
「くそ、何をやっている!! この期に及んでまだ悪あがきを─────!!」
何かを叫びかけたステイルは、けれど途中で背中を殴られたように息を詰まらせた。目の前にある光の柱──そしてそれを放つインデックスを眺めて心臓が止まったような顔をしている。
「……ど、『
上条は振り返らない。
振り返るだけの余裕がないのも事実だったし、もう
「おい、
「……けど、だって……何が」
「じれってえ野郎だな、んなの見りゃ分かんだろ! インデックスはこうして魔術を使ってる、それなら『インデックスは魔術を使えない』なんて言ってた教会が
じりじり、と。上条の足が後ろへ下がる。
「冷静になれよ、冷静に考えてみろ!
二人の魔術師は、
「───『
それは間違いなく二人の魔術師の知らないインデックスだっただろう。
それは間違いなく教会に教えられなかったインデックスだっただろう。
「……、」
ステイルはほんの一瞬、本当に一瞬だけ、奥歯が砕けるほど歯を食いしばって、
「───Fortis931」
その漆黒の服の内側から、何万枚というカードが飛び出した。
炎のルーンを刻んだカードは台風のように渦を巻き、あっという間に壁や
だが、それは
インデックスという一人の少女を助けるために、ステイルは上条の背中に手を突きつけた。
「
ギチリ、と。ずっと押し負けていた上条の足が、不意に止まった。
信じられないほどの力に、足の指が食い込んでいる
「とりあえず、だぁ?」上条は、振り返らない。「ふざけやがって、そんなつまんねえ事はどうでも良い! 理屈も理論もいらねえ、たった一つだけ答えろ魔術師!!」
上条は、息を吸って、
「────テメェは、インデックスを助けたくないのかよ?」
魔術師の吐息が停止した。
「テメェら、ずっと待ってたんだろ? インデックスの記憶を奪わなくても済む、インデックスの敵に回らなくても済む、そんな誰もが笑って誰もが望む最っ高に最っ高な
無理矢理に光の柱を押さえ続ける右手の手首が、グキリと嫌な音を発した。
それでも、上条は
「ずっと待ち焦がれてたんだろ、こんな展開を! 英雄がやってくるまでの場つなぎじゃねえ! 主人公が登場するまでの時間稼ぎじゃねえ!
バキン、と右手の人差し指の
それでも、上条は諦めたくない。
「ずっとずっと主人公になりたかったんだろ! 絵本みてえに映画みてえに、命を
魔術師の声が、消えた。
上条は、絶対に諦めない。その姿に、魔術師達は一体何を見たのか。
「───手を伸ばせば届くんだ。いい加減に始めようぜ、魔術師!」
グキリ、と
不自然な方向に曲がって───折れた───と気づいた瞬間、恐ろしい勢いで襲いかかる光の柱は、ついに上条の右手を
上条の右手が、大きく後ろへ弾かれる。
完全に無防備になった上条の顔面に、
「───Salvare000!!」
光の柱がぶつかる直前、上条は
それは日本語ではない、聞き慣れない言葉。けれど、似たような言葉を──いや、名前を上条は一度だけ聞いた事がある。学生寮で、ステイルと
神裂の持つ、二メートル近い長さの日本刀が大気を引き裂いた。七本の
だが、それはインデックスの体を
インデックスの足元───
まるで巨大な剣を振り回すように、アパートの壁から
引き裂かれた壁や天井は、木片すら残さない。
代わりに、破壊された部分が光の柱と同じく純白の光の羽となった。はらはら、と。どんな効果があるかも分からない光の羽が何十枚と、夏の夜に冬の雪のように舞い散る。
「それは『
神裂の言葉を聞きながら『光の柱』の束縛から逃れた上条は、床に倒れ込んだインデックスの元へ一気に走ろうとする。
だが、それより先にインデックスが首を巡らせた。
巨大な剣を振り回すように、夜空を引き裂いていた『光の柱』が再び振り下ろされる。
また、捕まる!
「─────
と、身構える
人のカタチを取る巨大な火炎は、両手を広げて真正面から『光の柱』の盾となる。
まるで、罪から人を守る十字架の意味そのままに。
「行け、能力者!」ステイルの叫び声が聞こえた。「元々あの子の
上条は一言も答えない。背後を振り返る事もしない。
そんな事をする前に、ぶつかり合う炎と光を
上条は走る。
走る!!
「───警告、第六章第十三節。新たな敵兵を確認。戦闘思考を変更、戦場の検索を開始……完了。現状、最も難度の高い敵兵『上条
ブン!! と『光の柱』ごとインデックスは首を振り回す。
だが、同時に魔女狩りの王も上条の盾になるように動いた。光と炎は互いが互いを
上条は無防備となったインデックスの元へと、一直線に走り寄る。
あと四メートル。
あと三メートル、
あと二メートル!
あと一メートル!!
「ダメです──────上!!」
光の羽。
インデックスの『光の柱』が壁や天井を破壊した後に生まれた、何十枚もの光り輝く羽。まるで粉雪のようにゆっくりと舞い降りてきたそれが、今まさに上条の頭上へ降りかかろうとしていた。
魔術を知らない上条でも何となく分かる。それが、たった一枚でも触れてしまえば大変な事になる事ぐらい。
そして、何十枚もの羽は、やはり上条の右手を使えば簡単に打ち消す事ができる事も。
だが、
「───警告、第二二章第一節。炎の魔術の術式を逆算に成功しました。曲解した十字教の
『光の柱』の色が純白から血のように赤い真紅へと変化していく。
何十枚もの光の羽を一枚一枚右手で撃ち落としていたら、おそらく時間がかかりすぎる。インデックスに体勢を立て直される恐れもあるし、何より魔女狩りの王がそれまで
頭上には何十枚と舞う光の羽、
足元にはたった一つの
どちらかを救えば、どちらかが倒れるという、たったそれだけのお話。
もちろん、答えなんて決まっていた。
この戦いの中、
ただ、たった一人の女の子を助けるために、魔術師と戦っていたんだから。
(この
上条は握った
まるで
(─────まずは、その幻想をぶち殺す!!)
そして、
そこにある黒い
上条の右手が、それらをあっさりと引き裂いた。
本当、今まで何でこんなものに苦しめられていたのか笑いたくなるほどに。
あっさりと、水に
「────警、こく。最終……章。第、
ブツン、とインデックスの口から
光の柱も消え、魔法陣もなくなり、部屋中に走った亀裂が消しゴムで消すように消えていき、
その時、上条
上条はその瞬間、
それがステイルか、
上条は
まるで降り注ぐ光の羽から彼女の体を
粉雪が降り積もるように、何十枚という光の羽が上条の全身へと舞い降りた。
上条当麻は、それでも笑っていた。
笑いながら、その指先は二度と動かなかった。
この夜。
上条当麻は『死んだ』。
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