第四章 退魔師は終わりを選ぶ (N)Ever_Say_Good_bye. 1

 二人の魔術師は、月明かりを背に壊れたドアから土足で踏み込んできた。

 ステイルとかんざきが目の前に現れても、もうインデックスは上条の前に立ちふさがらない。帰れと叫ぶ事もしない。まるで熱病にうなされるように全身を汗でびっしょりにして、吹けば消えてしまいそうな浅い呼吸をずっと繰り返している。

 頭痛。

 雪の降り積もるわずかな音でもがいこつが割れてしまいそうな、壮絶な頭痛。

「……、」

 上条と魔術師の間に言葉はなかった。

 土足のまま踏み込んできたステイルは、ぼうぜんと立ち尽くす上条を片手で突き飛ばした。それはさしたる威力もなかったのに、上条は踏みとどまる事もできない。まるで全身の力が抜けたように、そのまま古いたたみの上へしりもちをついてしまう。

 ステイルはかみじようの事など視線すら向けていない。

 ぐったりと手足を投げ出したまま動かないインデックスのそばにしゃがみ込んで、何かを口の中でつぶやいているようだった。

 その肩は震えていた。

 自分の最も大切な者を、目の前で傷つけられた『人間』の怒りそのままに。

クロウリーの書ムーンチヤイルドを参照。天使の捕縛法を応用し、妖精の召喚・捕獲・使役の連鎖を作る」

 意を決したように、ステイルは立ち上がる。

 こちらを振り返ったその表情には人間らしさなどじんもなく。

 そこには、たった一人の少女を助けるために人間を辞めた魔術師の顔があるだけだった。

「───かんざき、手伝え。

 ザグン、と。

 その言葉は、上条の胸の一番もろい部分に突き刺さったような気がした。

「あ……、」

 分かってる。インデックスの記憶を奪う事が、一人の少女を救う方法である事ぐらい。

 そして、かつて上条は神裂にこう言った。本当にインデックスのためだけをおもって行動するなら、記憶を殺す事をためらうな、と。何度記憶を失おうが、そのたびにもっと幸せな、もっと面白い思い出を与えてあげれば、彼女だって記憶をなくし『次の一年』を迎える事を楽しみにする事だってできるはずだ、と。

 

 

「…………、」

 上条は、知らず知らずの内につめが砕けるほどこぶしを強く握り締めていた。

 良いのか? このままあきらめるのか? 学園都市には人の記憶・精神に関連する研究施設なんていくらでもあるのに、そこにはもっと幸せな方法でインデックスを助ける方法があるかもしれないのに、ここで諦めるのか? 魔術なんて古臭い方法に、人の一番大切にしている思い出を殺すなんて世界で一番安易で、世界で一番残酷な方法に頼り続けて大丈夫なのか?

 いや、いい。

 そんなクソつまらない理屈はもうどうでも良い。

 お前は、上条とうは。

 まるでゲームのセーブデータを消すように、インデックスと共に過ごした一週間を白紙に戻される事に耐える事なんかできるのか?

「…………ま、てよ」

 そうして、上条当麻は顔を上げた。

 真正面に真正直に、インデックスを助けようとする魔術師とたいするためだけに。

「待てよ、待ってくれ! もう少しなんだ、あと少しで分かるんだ! この学園都市には二三〇万もの能力者がいる、それらを統べる研究機関だって一〇〇〇以上ある。読心能力サイコメトリー洗脳能力マリオネツテ念話能力テレキネシス思念使いマテリアライズ! 『心を操る能力者』も『心の開発をする研究所』もゴロゴロ転がってんだ、そういう所を頼っていけば、もう最悪の魔術こんなほうほうなんかに頼らなくっても済むかもしれねーんだよ!」

「……、」

 ステイル=マグヌスは一言も告げない。

 それでも、かみじようは炎の魔術師の目の前で叫び続ける。

「お前達だってこんな方法取りたかねーんだろ 心の底の底じゃほかの方法はありませんかってお祈りしてんだろ! だったらもう少し待ってくれ、おれが必ずだれもが笑って誰もが幸福な結末を探し出してみせるから! だから……っ!!」

「……、」

 ステイル=マグヌスは一言も告げない。

 どうして自分がそこまでしているのか、上条には分からない。インデックスに出会ったのはたった一週間前の出来事だ。それまでの十六年間、彼女の事を知らずに生きてきた上条なら、これから彼女がいなくなったって普通に生きていけるはずなのに。

 はずなのに、ダメだった。

 理由なんて知らない。理由なんて必要かどうかさえ分からない。

 ただ、痛かった。

 あの言葉が、あの笑顔が、あの仕草が、もう二度と自分に向けられる事がないと、

 この一週間の思い出が、他人の手によってリセットボタンを押すように軽々と真っ白に消されてしまうと、

 そんな可能性を考えるだけで、一番大切で一番優しい部分が、痛みを発した。

「……、」

 沈黙が、支配する。

 まるでエレベーターの中のような沈黙。音を発するものが何もないのではなく、その場に人がいるのに全員が押し黙っているような、かすかな息遣いだけが響く異様なまでの『沈黙サイレンス』。

 上条は、顔を上げる。

 、魔術師の顔を見る。


「言いたい事はそれだけか、出来損ないの独善者が」


 そして。

 そうして、ルーンの魔術師、ステイル=マグヌスが放った言葉はそれだった。

 彼はかみじようの言葉を聞いていなかった訳ではない。

 上条の言葉を一言一言耳に入れ、み砕き、その意味と裏側にあるおもいのすべてをみ取って。

 それでもなお、ステイル=マグヌスはまゆ一つ動かさなかった。

 上条の言葉など、たった一ミリも響いていなかった。

「邪魔だ」

 ステイルの一言。上条は、自分がどんな風に顔の筋肉を動かしているかも分からなくなる。

 そんな上条に、ステイルはたった一度のため息もつかず、

「見ろ」

 言って、ステイルは何かを指差した。

 上条がそちらへ視線を移す前に、ステイルは勢い良く上条の髪の毛をつかんだ。

「見ろ!!」

 あ、と上条の声が凍りつく。

 眼前に、今にも呼吸が止まってしまいそうなインデックスの顔があった。

「君はこの子の前で同じ台詞せりふが言えるのか?」ステイルは、震える声で、「こんな死人の一秒前みたいな人間に! 激痛でもう目を開ける事もできない病人に! ちょっと試したい事があるからそのまま待ってろなんて言えるのか!!」

「……、」

 インデックスの指が、もぞもぞと動いていた。かろうじて意識があるのか、それとも無意識の内の行動なのか、もうなまりのように動かない手を必死に動かして、上条の顔へ触れようとしている。

 まるで魔術師に髪を摑まれた上条の事を、必死に守ろうとしているように。

 自分自身の激痛なんて、どうでも良いかのごとく。

「だったら君はもう人間じゃない! 今のこの子を前に、試した事もない薬を打って顔も名前も分からない医者どもにこの子の体を好き勝手いじらせ、薬漬けにする事を良しとするだなんて、そんなものは人間の考えじゃない!」ステイルの叫びが、鼓膜を貫通して脳に突き刺さる。「───答えろ、能力者。君はまだ人間か、それとも人間を捨てたバケモノなのか!?」

「……、」

 上条は、答えられない。

 死者の心臓にさらに剣を突き刺すように、ステイルは追い討ちをかける。

 ステイルはポケットの中から、ほんの小さな十字架のついたネックレスを取り出した。

「……これはあの子の記憶を殺すのに必要な道具だ」ステイルは上条の目の前で十字架を振って、「ご推察の通り、『魔術』の一品だよ。君の右手が触れれば、僕の魔女狩りの王イノケンテイウスと同様、それだけで力を失うはずだ」

 まるで五円玉を使ったチャチな催眠術みたいに、かみじようの前で十字架が揺れる。

?」

 上条は、ギクリと凍りついたようにステイルの顔を見た。

「この子の前で、これだけ苦しんでいる女の子の前で、! そんなに自分の力を信じているなら消してみろ、能力者ヒーロー気取りの異常者ミユータントが!」

 上条は、見る。

 目の前で揺れる十字架を。人の記憶を奪う忌まわしき十字架を。

 ステイルの言う通り、これさえ奪ってしまえばインデックスの記憶の消去を止められる。

 難しい事は何もない。ただちょっと手を伸ばして、指先で軽くでてやれば良いだけだ。

 それだけだ。そのはずだ。

 上条は、震える右手を岩のように硬く握り締めて、


 けれど、できなかった。


 魔術は、『とりあえず』安全かつ確実にインデックスを救う事ができる唯一の方法だ。

 これだけ苦しんで、これだけ我慢を続けてきた女の子の前で、それを取り上げるだなんて。

 できるはずが、なかった。

「準備を合わせて、最短で……午前零時十五分、か。の力を借りて記憶を殺す」

 ステイルは、そんな上条を見てつまらなそうに言った。

 午前零時十五分────おそらく、もう一〇分間も時間はない。

「……ッ!!」

 やめろと叫びたかった。待ってくれと怒鳴りたかった。だけど、その結果苦しむのは上条ではないのだ。上条のワガママの支払いは、すべてインデックスに向かってしまうのだ。

 もう、認めろ。

『私の名前はね、インデックスって言うんだよ?』

 もう、いい加減に認めろ。

『それでね、このインデックスにおなかいっぱいご飯を食べさせてくれると私はうれしいな』

 もう、上条とうには禁書目録インデツクスを救う力も資格もないんだって、認めろ!

 上条は、叫ぶ事も、える事もできなかった。

 ただ、てんじようを見上げたまま奥歯をみ締めて……耐え切れなかった涙がまぶたから落ちた。

「……なぁ、魔術師」

 上条は本棚に背中を預けたまま、天井に視線を向けたまま、ぼうぜんつぶやいた。

おれは最後に、この子になんて言ってお別れすれば良いんだと思う?」

「そんなくだらない事にく時間などどこにもない」

 そっか、とかみじようぼうぜんと答えた。

 そのまま凍り付いてしまうのでは、という上条の有り様に、ステイルはさらに追い討ちをかける。

「ここから消えてくれないか、能力者バケモノ魔術師ステイルは上条を見て、「……君の右手は僕の炎を打ち消した。それがどういう原理かいまだに理解できないけど……それがこれから行う術式に影響を及ぼされては困るんだ」

 そっか、と上条は呆然と答えた。

 そのまま死体になってしまったように、上条は小さく笑った。

「───アイツの背中がられた時もそうだけどさ。何でおれには何もできねーのかな」

 知った事か、という目でステイルは何も答えない。

「これだけの右手を持っていて、神様の奇跡システムでも殺せるくせに」上条は、崩れ落ちるように、「……どうして、たった一人───苦しんでる女の子を助ける事もできねーのかな」

 笑っていた。

 運命をのろう事もなく、不幸のせいにする事もなく、ただ、己の無力さのみをみ締めて。

 かんざきは、つらそうに目を背けようとした後、

「儀式を行う午前零時十五分まで、まだ一〇分ほど時間が余っていますね」

 信じられないものでも見るかのように、ステイルは神裂をにらみつける。

 だが、神裂はステイルの顔を見て、小さく笑った。

「……私達が初めてあの子の記憶を消すと誓った夜は、一晩中あの子のそばで泣きじゃくっていました。そうでしょう、ステイル?」

「……ッ」ステイルは一瞬だけ息が詰まったように黙り込み、「だ、だが。今のコイツは何をするか分からないんだ。僕達が目を離したすきに心中でも図ったらどうする?」

「それなら、さっさと十字架に触れていると思いませんか? 彼がまだ『人間』だと確信していたからこそ、あなたも偽物フエイクではなく本物の十字架を使って試してみたのでしょう?」

「しかし……、」

「どの道、時が満ちるまで儀式は行えません。ここで彼の未練を残しておけば、儀式の途中で妨害が入るという危険が残りますよ。ステイル」

 ステイルは奥歯を嚙み締めた。

 ギリギリと。ステイルは今にも獣のように上条ののどを食い破ろうとする己を抑えつけて、

「一〇分間だ。良いな!?」

 バッと、きびすを返してアパートのドアへ向かった。

 神裂は何も言わずにステイルに続いて部屋を出たが、その目はとてもつらそうに笑っていた。

 バタン、とドアが閉まる。

 後には、上条とインデックスだけが残された。命をけて───上条ではなく、インデックスの命を削って手に入れた一〇分間。けれど、上条は何をして良いかも分からない。


「ぁ─────、か。ふ」


 ぐったりしたインデックスの口から声がれて、かみじようはビクンと肩を震わせた。

 インデックスが、薄目を開けていた。何で自分がとんの上なんかで寝転がっているのか、ここで眠っていたはずの上条はどこへ行ったのか、ただそれだけが心配だと言わんばかりに。

 自分の事など、すっかり忘れて。

「……、」

 上条は、奥歯をみ締めた。今の彼女の前に立つ事が、魔術師と戦う事よりこわかった。

 だけど、逃げ出す訳には、いかなかった。

「とう、ま?」

 上条が布団に近づくと、インデックスは汗びっしょりの顔であんしたように、心底安堵したようにホッと息をついた。

「……、ゴメン」

 上条は、布団のすぐ側で、うつむくようにインデックスと目を合わせながら、言った。

「……、? とうま、部屋になんか陣が張ってある」

 今まで気を失っていたインデックスには、それが二人の魔術師によって描かれたものだと分からない。布団の近くの壁に描かれた模様を見ながら、少女みたいに首をかしげている。

「……、」

 上条は一瞬、奥歯を嚙み締めた。

 ほんの一瞬。だれにも何も気づかれる間もなく、表情は戻る。

「……、回復魔法、だってさ。お前の頭痛がそんなひどくなんのがいけねーんだぞ?」

「? 魔法って……、誰が」

 そこまで言った時、ようやくインデックスは『ある可能性』に気がついた。

「!?」

 もう動かせない体を無理矢理に動かして、インデックスは跳ね起きようとする。ズキン、とその顔が苦痛にゆがんだのを見た瞬間、上条は思わずインデックスの両肩をつかんで無理矢理にでも布団に押し戻した。

「とうま! また魔術師がきたんでしょ! とうま、逃げなきゃダメだよ!!」

 インデックスは信じられないという顔で上条を見る。魔術師という存在が一体どれだけ危険なのか知っている彼女は、心の底から上条の事を心配している。

「……、もう、良いんだ。インデックス」

「とうま!」

「終わったんだよ。……もう、終わっちまったんだ」

 とうま、とインデックスは小さくつぶやいて、それから全身の力を抜いた。

 かみじようは、今の自分がどんな顔をしているか、分からなかった。

「……、ゴメン」上条は、言う。「おれ、強くなるから。もう二度と、負けねえから。お前をこんな風に扱う連中、全部残らず一人残らずぶっ飛ばせるぐらい、強くなるから…、」

 泣く事さえ、きよう

 同情を誘う事など、もってのほか。

「……待ってろよ。今度は絶対、かんぺきに助け出してみせるから」

 インデックスの目には、それがどんな風に映ったのか。

 インデックスの耳には、それがどんな風に聞こえたのか。

「分かった。待ってる」

 事情を知らなければ、敵に負けた上条が保身のためにインデックスを売ったとしか見えない。

 なのに、彼女は笑っていた。

 ボロボロの笑顔で、完璧な笑顔で、今にも崩れそうに、笑ってくれた。

 上条は、分からない。

 どうして彼女がこんなに人を信用してくれるのか、そんな事はもう分からない。

 だけど、それで覚悟は決まった。


 頭痛が治ったらこんなヤツらをやっつけて自由になろう、と言った。

 そしたら一緒に海でも行きたいけど、夏休みの補習が終わってからだな、と言った。

 いっその事、夏休みが終わったら学校ウチに転入してくるのはどうだ? と聞いた。

 いっぱい思い出を作りたいね、とインデックスは言った。

 作りたいじゃない、作るんだよ、と上条は約束した。


 ウソを、貫き通す。

 何が正しくて何が間違ってるかなんて、もうどうでも良い。冷たいだけで優しくない、正しいだけで女の子の一人も安心させられない正義なんてもういらない。

 上条とうを表す名に、正義も邪悪も必要ない。

 そんな名前は、偽善使いフオツクスワードで十二分。

 だから、上条当麻は涙の一滴さえ、こぼさなかった。

 ほんの、一滴さえ。

「……、」

 ぱたり、と音を立てて。インデックスの手から力が抜けて、とんの上に落ちた。

 再び意識を失ったインデックスは、まるで死人のようだった。

「けどさ、」

 熱病にうなされるようなインデックスの顔を見て、かみじようはそっと唇をみ締めた。

「……こんな最悪な終わり方って、ないよなぁ」

 嚙み締めた唇から、血の味がした。

 間違っていると分かっていても何もできない自分がひどく悔しかった。そう、上条には何もできない。インデックスの脳の八五%を占める一〇万三〇〇〇冊の知識をどうにかする事も、残る十五%の『思い出』を守り抜く事だって

「……、あれ?」

 と、そこまで絶望的な考えを巡らせていた上条は、ふと自分の言葉の違和感を感じ取った。


 八五%?


 ギチギチ、と。

 上条は、見る。上条は、熱病に浮かされたようなインデックスの顔を見る。

 八五%。そう、確かにかんざきは言った。インデックスの脳の八五%は一〇万三〇〇〇冊の魔道書を覚えるために使われている。そのためにインデックスは脳を圧迫されて、残る十五%ではたった一年分の思い出をめておく事しかできない、それ以上無理に『記憶』し続ければ彼女の脳はパンクしてしまう、と。

 けど、ちょっと待て。

 使

 完全記憶能力、というのがどれだけ珍しい体質かは分からない。けど、少なくても世界中を探してインデックス一人だけ、というほど珍しいものではないと思う。

 そして、ほかの完全記憶能力者は『魔術』なんて鹿げた方法で記憶を消したりはしない。

 それでも、脳を十五%も使ってたった一年分の記憶しかめられないというなら……。

「…………」

 そんな不治の病じみた体質なら、普通はもっと有名にならないか?

 いいや、それ以前に。

 神裂は一体、どうやって八五%だの十五%だのって数字を導き出した?

 それは一体、どこのだれに聞いたものなんだ?

 そして一体、


 そもそも、その八五%って情報は、本当に正しいのか?


「……やられた」

 もし、仮に。神裂が脳医学について何も知らなかったら? ただ自分の上司──教会から告げられた情報をそのままみにしているとしたら?

 何か、何かとてつもなく嫌な予感がする。

 かみじようは迷わず部屋のすみにある黒電話に飛びついた。もえ先生はどこかへ出かけている。携帯電話の番号はついさっき部屋中をひっくり返して見つけていたので問題ない。

 機械的な、ひどく人をイライラさせるコール音が続く。

 かんざきの言っている『完全記憶能力』の説明はどこか間違っていると思う。そして、その『間違い』が教会の意図的なモノだとしたら? そこに何か秘密が隠されているかもしれない。

 と、ブツッというノイズじみた音と共に電話がつながった。

「先生!!」

 上条がほとんど反射的に叫ぶように言うと、

『あ~い~。その声は上条ちゃんですね~、先生の電話を勝手に使っちゃダメですよ~う』

「……なんか、メチャクチャいい声出してんですけど」

『あい~、先生は今せんとうにいてですねー、コーヒー牛乳片手に新型マッサージの試験運用に立ち会ってるのです~、あい~』

「……、」

 上条はこのまま受話器を握りつぶそうかと思ったが今はインデックスの事の方が大事だった。

「先生。黙ってそのまま聞いてください。実はですね────」

 上条は完全記憶能力について聞いてみた。

 それはどんなものなのか? 本当に一年間の記憶をするだけで脳を十五%も使う──つまり六歳か七歳で寿命を迎えてしまうほど絶望的な体質なのかどうかを。

『そんな訳ないんですよ~』

 小萌先生は一言で切り捨てた。

『確かに完全記憶能力はどんなゴミ記憶──去年のスーパーの特売チラシとか──も忘れる事はできませんけど~、~。彼らは一〇〇年の記憶を墓まで抱えて持ってくだけです、~』

 ドグン、と上条の心臓が脈打つ。

「け、けど。仮にものすごい勢いでモノを覚えていたら? 例えば記憶力にモノを言わせて図書館にある本を全部記憶しちまったとか、そうなったら脳はパンクしちまうんですか?」

『はぁ……、上条ちゃん記録術かいはつは落第ですね~』小萌先生は幸せそうな声で、『よいですか上条ちゃん、そもそも人の「記憶」とは一つだけではありません。言葉や知識をつかさどる「意味記憶」、運動の慣れなんかを司る「手続記憶」、そして思い出を司る「エピソード記憶」ってな具合にですね~、色々あるのですよ~、いろいろ~』

「えっと、先生……。ちょっと言ってる意味が分からないんですけど」

『つまりですね~』小萌先生は説明好きっぽい喜び方をして、『それぞれの記憶は、れ物が違うんです~。燃えるゴミと燃えないゴミ、みたいな? 例えば頭をがつーんと打って記憶喪失になったって、ばぶばぶ言ってそこら辺をハイハイする訳じゃないでしょう~?』

「……て、事は」

『はい~。どれだけ図書館の本を覚えて「意味記憶」を増やした所で~、思い出を司る「エピソード記憶」が圧迫されるなんて事は、~』

 それこそ、がつーん、と頭を打たれたようだった。

 受話器が手から滑り落ちる。落ちた受話器が電話のフックに激突して通話が途切れてしまったが、もう今のかみじようにはそんな事を気にする余裕はない。

 

 

「けど、何で……?」

 上条はぼうぜんつぶやく。そう、何でだろう? 教会は元々何もしなくても安全なインデックスの事を、一年置きに処置しなければ死んでしまう体などとうそをついた?

 そして、現に上条の目の前で苦しんでいるインデックスは、とてもダミーには見えない。完全記憶能力が原因でないなら、インデックスは一体どうして苦しんでいるんだ?

「───────は、」

 そこまで考えて、不意に上条は笑い出したくなった。

 そうだ、

 一年置きに教会の技術と術式メンテナンスを受けなければ生きていけないという、首輪を。一〇万三〇〇〇冊もの魔道書を握るインデックスが絶対に裏切れないようにするための、首輪を。

 もし仮に、元々インデックスは技術と術式を受けなくても大丈夫な体だったら?

 技術と術式なんて受けなくても、キチンと一人で生き続ける事ができる体だったら?

 教会は、そんなインデックスを放っておくはずがない。一〇万三〇〇〇冊の魔道書を握ったままどこへ消えるかも分からないインデックスに、首輪をつけないはずがない。

 繰り返す、教会はインデックスに首輪をつけたがっていた。

 ならば話は簡単だ、


 


「───────、はは」

 そう、例えば元々一〇リットルの水が入るバケツの底にコンクリを詰めて、一リットルしか水をめないようにするように。

 インデックスの頭をいじって、『たった一年分の記憶だけで頭がパンクする』ように。

 インデックスが、教会の技術と術式を頼らなければならないように。

 インデックスの魔術師なかま達が、涙を飲んで教会の意思に従わなければならないように。

 ───人の優しさや思いやりすら計算に組み込んだ、悪魔の仕組みプログラムを組み上げた。

「……けど、そんな事はどうでも良い」

 そう、今はそんな事はどうでも良い。

 問題なのは、今ここで問題にすべきなのは、ただ一つ。インデックスを苦しめてきた教会の拘束具セキユリテイは一体何なのか、という事。かみじよう達、能力者を統べる学園都市が『科学』の最先端であると同じく、魔術師を統べるは一体『何の』最先端であるか、という事。

 そう、相手が『魔術』なんていう『異能の力』であるならば、


 ───上条とうの右手は、たとえそれが神様の奇跡システムであっても触れただけで打ち消す事ができるのだから。


 上条は時計のない部屋で、今が何時か考える。

 儀式を始める時間まで、おそらくもう何分もない。続いて上条はアパートのドアを見た。その向こうにいる魔術師にこの『真実』を告げた所で、彼らは信じるか? 答えはノーだ。上条はただの高校生だ、脳医学の医師免許を持っている訳ではないし、何より魔術師との関係は『敵』と呼んで何の問題もない。上条の言葉を彼らが信じるとは思わない。

 上条は、視線を落とす。

 ぐったりと手足を投げ出してとんの上に転がるインデックスを見る。どこもかしこも気味の悪い汗でぐっしょりとれ、銀の髪はバケツで水をかぶったようだった。まるで熱病に浮かされたように、その顔は紅潮し苦しそうに時折まゆが動いていた。

『この子の前で、これだけ苦しんでいる女の子の前で、! そんなに自分の力を信じているなら消してみろよ、能力者ヒーロー気取りの異常者ミユータントが!』

 ついさっき、自分自身を散々に打ちのめしたステイルの言葉に、上条は小さく笑った。

 

主人公ヒーロー気取り、じゃねえ────」

 上条は笑いながら、右手をおおい尽くすように巻いた真っ白な包帯をほどいていく。

 まるで、右手の封印を解くように。

「────主人公に、なるんだ」

 言って、笑って、上条はボロボロの右手をインデックスのおでこの辺りに押し付けた。

 神様の奇跡システムでも打ち消せると言っておきながら、不良の一人も倒せない、テストの点も上がらなければ女の子にモテたりもしない、何の役にも立たないと思っていた、右手。

 けれど、たった一つ。

 目の前で苦しんでいる女の子を助ける事ができるなら、それはとても素晴らしい力だと思いながら。

 ……。

 ……、

 ……?

「──────────、って、あれ?」

 起きない。何も起きない。

 光も音もなかったが、これで教会がインデックスにかけた『魔術』は消えたのか? いや、それにしてはインデックスは相変わらず苦しそうにまゆを寄せているような気がする。何も変わっていないような気がする。

 かみじようは不思議そうに首をかしげてほっぺたやつむじの辺りをぺたぺた触ってみるが、何も起きない。何も変わらない。何も変わらないが─────一つだけ思い出した。

 上条は、もう何度かインデックスの体に触れている。

 例えば学生寮でステイルをぶん殴った後、傷ついたインデックスを運んだ時にもあちこち触れてるし、インデックスがとんの中で自分のじようを明かした時に上条はインデックスのおでこを軽くたたいたはずだが────当然、何かが起きた形跡はなかった。

 上条は首をひねる。自分の考えが間違っていた……とは思えない。そして、上条の右手に打ち消せない『異能の力』は存在しない、はずだ。ならば、

 ならば……まだインデックスに触れてない部分がある?

「…………………………………………………………………………………………………あー、」

 何かものすごくエロい方向にすっ飛びかけた頭を上条は無理矢理に戻す。

 けれど、考え自体はそれしか残っていない。インデックスにかかっているのが『魔術』で、上条の右手に消せない『魔術』は存在しないと言うならば、上条の右手が『魔術』に触れていないと、そういう理屈になる。

 けど、それはどこだろう?

 上条は熱病に浮かされたようなインデックスの顔を見る。記憶に関する魔術……なんだから頭、もしくは頭に近い場所に魔術はかかっている、んだろうか? がいこつの内側に魔法陣でも刻んである、とか言われたら流石さすがに上条もお手上げだ。体の中にあるモノなんて普通、雑菌だらけの生身の指で触れられるはずが────────。

「………………あ」

 と、上条はもう一度インデックスの顔を見る。

 苦しそうに動く眉毛、硬く閉じられたひとみどろみたいな汗の伝う鼻────それらを無視して、上条は浅い呼吸を繰り返す可愛かわいらしい唇に視線を落とす。

 上条は右手の親指と人差し指を、その唇の間に滑り込ませて、強引に彼女の口を開いた。

 のどの奥。

 がいこつの保護がない分、直線距離ならつむじより『脳』に近い場所。そして滅多に人に見られず、それ以上に人に触れさせない部分。その赤黒いのどの奥に、まるでテレビの星占いで見かけるような不気味な紋章マークがただ一文字、真っ黒に刻まれていた。

「……、」

 かみじようは一度だけ目を細めると、意を決してさらに少女の口の中に手を突っ込んだ。

 ぬるり、と。それ自体が別の生き物のようにうごめく口の中に指が滑り込む。異様なほど熱を帯びたえきが指に絡みつく。上条は不気味とも言える舌の感触に一瞬ためらってから、インデックスの喉を突くように、一気に指を押し込んだ。

 ぐっ、と強烈な吐き気にインデックスの体が大きく震えた───ような気がした。

 パチン、と静電気が散るような感触を上条は右手の人差し指に感じると同時、


 バギン! と。上条の右手が勢い良く後ろへ吹き飛ばされた。


「がっ…………!?」

 ぱたぱた、ととんたたみの上に血のたまがいくつも落ちる。

 まるでけんじゆうで手首を撃たれたような衝撃に、上条は思わず自分の右手を見た。元々かんざきに引き裂かれた傷が開いて、ボタボタと音を立てて鮮血が畳の上へ落ちていく。

 そして、顔の前へ持ってきた右手の、そのさらに向こう。

 ぐったりと倒れていたはずのインデックスの両目が静かに開き、そのは赤く光っていた。

 それは眼球の色ではない。

 

(まずい……ッ!!)

 上条が本能的な背筋の震えに、壊れた右手を突きつける前に、

 インデックスの両目が恐ろしいぐらい真っ赤に輝き、そして何かが爆発した。

 ゴッ!! というすさまじい衝撃と共に上条の体はそのまま向かいの本棚へ激突する。本棚を作っている木の板がまとめてぜ割れ、バラバラと大量の本が落ちる音が響く。上条の全身の関節もバラバラと砕けてしまいそうな激痛に襲われる。

 ガチガチと震え、ともすれば崩れ落ちてしまいそうな両足で上条はかろうじて起き上がる。口の中にまったつばの中に、鉄臭い血の味が混じっていた。

「───警告、第三章第二節。Index-Librorum-Prohibitorum───禁書目録インデツクスの『首輪』、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗。『首輪』の自己再生は不可能、現状、一〇万三〇〇〇冊の『書庫』の保護のため、侵入者の迎撃を優先します」

 上条は、目の前を見る。

 のろのろと。インデックスは、まるで骨も関節もない、袋の中にゼリーが詰まっているかのような不気味な動きでゆっくりと立ち上がる。その両目に宿る真紅の魔法陣がかみじようを射抜く。

 それは眼であって、目ではない。

 そこに人間らしい光はなく、そこに少女らしいぬくもりは存在しない。

 かつて、上条はこのひとみを見た事がある。かんざきに背中をられ、学生寮の床に倒れている彼女が機械のようにルーン魔術について語った、あの時だ。

(魔力がないから、私には使えないの)

「……、そういやぁ、一つだけ聞いてなかったっけか」

 上条はボロボロの右手を握り締めながら、口の中で小さく言った。

 その理由が、おそらくこれだ。教会は二重三重の防御網セキユリテイを用意していた。もし仮に、だれかが『完全記憶能力』の秘密について知り、『首輪』を外そうとした場合。インデックスは自動的に一〇万三〇〇〇冊の魔道書を操り、その『最強』とも言える魔術を使って、文字通り真実を知った者の口を封じる。その自動迎撃システムを組み上げるために、インデックスの魔力はすべてそこに注ぎ込まれてしまったのだ。

「───『書庫』内の一〇万三〇〇〇冊により、防壁に傷をつけた魔術の術式を逆算……失敗。該当する魔術は発見できず。術式の構成を暴き、対侵入者用の特定魔術ローカルウエポンを組み上げます」

 インデックスは、糸で操られる死体のように小さく首を曲げて、


「───侵入者個人に対して最も有効な魔術の組み込みに成功しました。これより特定魔術『セントジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」


 バギン! とすさまじい音を立てて、インデックスの両目にあった二つの魔法陣が一気に拡大した。インデックスの顔の前には、直径二メートル強の魔法陣が二つ、重なるように配置してある。それは左右一つずつの眼球を中心に固定されているようで、インデックスが軽く首を動かすと空中に浮かぶ魔法陣も同じように後を追った。

「   。     、」

 インデックスが何か────もはや人の頭では理解できない『何か』を歌う。

 瞬間、インデックスの両目を中心としていた二つの魔法陣がいきなり輝いて、爆発した。ニュアンスとしては空中の一点──インデックスのけんの辺りで高圧電流の爆発が起き、四方八方へかみなりが飛び散るような感覚。

 ただし、それは青白い火花ではなく、真っ黒な雷のようなものだった。

 全く非科学的な事を言って申し訳ないが、それは空間を直接引き裂いたれつのようなものに見えた。バギン! と。二つの魔法陣の接点を中心に、ガラスに弾丸をぶち込んだように、空気に真っ黒な亀裂が四方八方へ、部屋のすみずみまで走り抜けていく。まるでそれ自体がなんぴとたりともインデックスに近づけまいとする、一つの防壁であるかのように。

 めき……、と。何かが脈動するように、れつが内側からふくらんでいく。

 わずかに開いた漆黒の亀裂のすきから流れ出るのは、獣のようなにおい。

「あ、」

 かみじようは、唐突に知った。

 それは理論や論理ではない、くつや理性ですらない。もっと根源的な、本能に近い部分が叫んでいる。あの亀裂の中にあるものが『何か』は知らない。だが、それを見たら、それを真正面から真正直に直視したら、たったそれだけで上条とうという一存在は崩壊してしまう、と。

「。は」

 上条は、震えている。

 どんどんどんどん亀裂が広がっていき、その内側から『何か』が近づいてきている事を知っても。上条は動けない。震えている、震えている、本当に震えている。だって、なら。


 ようは、『それ』さえ倒してしまえば。

 ほかだれでもない、自分自身の手でインデックスを助け出す事ができるのだから。


「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 こわい? そんなはずはない。だって、ずっと待っていたんだから。神様の奇跡システムすら打ち消せると言っておきながら、不良からは逃げるしかなく、テストの点が上がる訳でもなく、女の子にモテたりする事もない、こんな役立たずな右手を持って。

 それでも、自分のせいで一人の女の子の背中がられた時。回復魔法の邪魔だと言われてアパートを飛び出した時、鋼糸ワイヤー使いのサムライ女にボコボコにやられた時! 自分の無力感をのろいながら、それでもたった一人の女の子を助けたいと、ずっとずっと願っていたんだから!

 別にこんな物語の主人公になりたかった訳じゃない。

 ただ、こんな残酷すぎる物語さえ打ち消し、引き裂くほどの力が右手に宿っているんだから!

 たった四メートル。

 もう一度、あの少女に触れるだけですべてを終わらせる事ができるのだから!

 だから、かみじようは『れつ』へ───その先にいるインデックスの元へと走った。

 その右手を握り締めて。

 こんな残酷な物語の、無限に続くつまらないつまらない結末を打ち消すために。

 同時、ベギリ────と、亀裂が一気に広がり、『開いた』。

 ニュアンスとしては、処女を無理矢理引き裂いたような痛々しさ。そして部屋の端から端まで達するほど巨大な亀裂の奥から、『何か』がのぞき込んで、


 ゴッ!! と。亀裂の奥から光の柱が襲いかかってきた。


 もうたとえるなら直径一メートルほどのレーザー兵器に近い。太陽を溶かしたような純白の光が襲いかかってきた瞬間、上条は迷わずボロボロの右手を顔の前に突き出した。

 じゅう、と熱した鉄板に肉を押し付けるような激突音。

 だが、痛みはない。熱もない。まるで消火ホースでぶちかれる水の柱を透明な壁ではじいているかのように、光の柱は上条の右手に激突した瞬間、四方八方へと飛び散っていく。

 それでも、『光の柱』そのものを完全に消し去る事はできない。

 まるでステイルの魔女狩りの王イノケンテイウスのように、消しても消してもキリがない感じ。たたみにつけた両足がじりじりと後ろへ下がり、ともすれば重圧に右手が弾き飛ばされそうになる。

(違う……これは、そんなもんじゃ…………ッ!?)

 上条は思わず空いた左手で吹き飛ばされそうな右手の手首をつかむ。右手のてのひらの皮膚がビリビリと痛みを発した。……右手の処理能力が追いつかず、ジリジリとミリ単位で光の柱が上条の方へと近づいてきているのだ。

(単純な『物量』だけじゃねえ……ッ! 光の一粒一粒の『質』がバラバラじゃねえか!!)

 ひょっとすると、インデックスは一〇万三〇〇〇冊の魔道書を使って、一〇万三〇〇〇種類もの魔術を同時に使っているのかもしれない。一冊一冊が『必殺』の意味を持つ、そのすべてを使って。

 と、アパートのドアの向こうが騒がしくなった。

 いまごろ『異変』に気づいたのか、とかみじようが思った瞬間、勢い良くドアが開いて二人の魔術師が飛び込んできた。

「くそ、何をやっている!! この期に及んでまだ悪あがきを─────!!」

 何かを叫びかけたステイルは、けれど途中で背中を殴られたように息を詰まらせた。目の前にある光の柱──そしてそれを放つインデックスを眺めて心臓が止まったような顔をしている。

 かんざきが……あれだけ孤高で最強に見えた神裂が、目の前の光景に絶句していた。

「……ど、『竜王の殺息ドラゴン・ブレス』って、そんな。そもそも何であの子が魔術なんて使えるんですか!」

 上条は振り返らない。

 振り返るだけの余裕がないのも事実だったし、もう現実インデツクスから目をらすのは嫌だった。

「おい、光の柱コイツが何だか知ってんのか!」だから、振り返らないまま叫ぶ。「コイツの名前は? 正体は!? 弱点は!? おれはどうすれば良い、一つ残らず全部まとめて片っ端から説明しやがれ!!」

「……けど、だって……何が」

「じれってえ野郎だな、んなの見りゃ分かんだろ! インデックスはこうして魔術を使ってる、それなら『インデックスは魔術を使えない』なんて言ってた教会がうそぶっこいてたってだけだろうが!」上条は光の柱を吹き飛ばしながら叫んだ。「ああそうだよ、『インデックスは一年置きに記憶を消さなきゃ助からない』ってのも大噓だ! コイツの頭は教会の魔術に圧迫されてただけなんだ、つまりソイツを打ち消しちまえばもうインデックスの記憶を消す必要なんかどこにもなくなっちまうんだよ!!」

 じりじり、と。上条の足が後ろへ下がる。

 たたみに食い込んだ指を引きがすように、さらに光の柱の威力が悪夢のように倍加していく。

「冷静になれよ、冷静に考えてみろ! 禁書目録インデツクスなんて残酷なシステム作りやがった連中が、テメェら下っ端に心優しく真実を全部話すとか思ってんのか! 目の前にある現実リアルを見ろ、何ならインデックス本人に聞いてみりゃ良いだろうが!!」

 二人の魔術師は、ぼうぜんれつの向こう───インデックスの方を見たようだった。

「───『セントジョージの聖域』は侵入者に対して効果が見られません。他の術式へ切り替え、引き続き『首輪』保護のため侵入者の破壊を継続します」

 それは間違いなく二人の魔術師の知らないインデックスだっただろう。

 それは間違いなく教会に教えられなかったインデックスだっただろう。

「……、」

 ステイルはほんの一瞬、本当に一瞬だけ、奥歯が砕けるほど歯を食いしばって、

「───Fortis931」

 その漆黒の服の内側から、何万枚というカードが飛び出した。

 炎のルーンを刻んだカードは台風のように渦を巻き、あっという間に壁やてんじようや床をすきなく埋めていく。それこそ、まるで耳なしほういちのように。

 だが、それはかみじようを救うためではない。

 インデックスという一人の少女を助けるために、ステイルは上条の背中に手を突きつけた。

あいまいな可能性なんて、いらない。あの子の記憶を消せば、命を助ける事ができる。僕はそのためならだれでも殺す。いくらでも壊す! そう決めたんだ、ずっと前に」

 ギチリ、と。ずっと押し負けていた上条の足が、不意に止まった。

 信じられないほどの力に、足の指が食い込んでいるたたみがギチギチと悲鳴をあげた。

、だぁ?」上条は、振り返らない。「ふざけやがって、そんなつまんねえ事はどうでも良い! 理屈も理論もいらねえ、たった一つだけ答えろ魔術師!!」

 上条は、息を吸って、


「────テメェは、インデックスを助けたくないのかよ?」


 魔術師の吐息が停止した。

「テメェら、ずっと待ってたんだろ? インデックスの記憶を奪わなくても済む、インデックスの敵に回らなくても済む、そんな誰もが笑って誰もが望む最っ高に最っ高な幸福な結末ハツピーエンドってヤツを!」

 無理矢理に光の柱を押さえ続ける右手の手首が、グキリと嫌な音を発した。

 それでも、上条はあきらめられない。

「ずっと待ち焦がれてたんだろ、こんな展開を! 英雄がやってくるまでの場つなぎじゃねえ! 主人公が登場するまでの時間稼ぎじゃねえ! ほかの何者でもなく他の何物でもなく! テメェのその手で、たった一人の女の子を助けてみせるって誓ったんじゃねえのかよ!?」

 バキン、と右手の人差し指のつめれつが走り、真っ赤な鮮血があふれてきた。

 それでも、上条は諦めたくない。

「ずっとずっと主人公になりたかったんだろ! 絵本みてえに映画みてえに、命をけてたった一人の女の子を守る、! だったらそれは全然終わってねえ!! 始まってすらいねえ!! ちっとぐらい長いプロローグで絶望してんじゃねえよ!!」

 魔術師の声が、消えた。

 上条は、絶対に諦めない。その姿に、魔術師達は一体何を見たのか。


「───ぜ、!」


 グキリ、とかみじようの右手の小指が妙な音を立てた。

 不自然な方向に曲がって───折れた───と気づいた瞬間、恐ろしい勢いで襲いかかる光の柱は、ついに上条の右手をはじき飛ばした。

 上条の右手が、大きく後ろへ弾かれる。

 完全に無防備になった上条の顔面に、すさまじい速度で光の柱が襲いかかり、


「───Salvare000!!」


 光の柱がぶつかる直前、上条はかんざきの叫び声を聞いた。

 それは日本語ではない、聞き慣れない言葉。けれど、似たような言葉を──いや、名前を上条は一度だけ聞いた事がある。学生寮で、ステイルとたいした時。彼が『魔法』を使う時に必ず名乗るものだと言った─────『魔法名』。

 神裂の持つ、二メートル近い長さの日本刀が大気を引き裂いた。七本の鋼糸ワイヤーを用いる『ななせん』が音を引き裂くような速度でインデックスの元へと襲いかかる。

 だが、それはインデックスの体をねらうものではない。

 インデックスの足元───もろたたみを七本の鋼糸ワイヤーが一気に切り裂いた。突然に足場を失った彼女はそのまま後ろへ倒れ込む。インデックスの『眼球』と連動していた魔法陣が動き、上条をねらっていたはずの光の柱が大きく狙いを外す。

 まるで巨大な剣を振り回すように、アパートの壁からてんじようまでが一気に引き裂かれた。夜空に漂う漆黒の雲までもが引き裂かれる。……いや、ひょっとすると大気圏の外にある人工衛星まで引き裂かれたかもしれない。

 引き裂かれた壁や天井は、木片すら残さない。

 代わりに、破壊された部分が光の柱と同じく純白の光の羽となった。はらはら、と。どんな効果があるかも分からない光の羽が何十枚と、夏の夜に冬の雪のように舞い散る。

「それは『竜王の吐息ドラゴン・ブレス』───伝説にあるセントジョージのドラゴンの一撃と同義です! いかな力があるとはいえ、人の身でまともに取り合おうと考えないでください!」

 神裂の言葉を聞きながら『光の柱』の束縛から逃れた上条は、床に倒れ込んだインデックスの元へ一気に走ろうとする。

 だが、それより先にインデックスが首を巡らせた。

 巨大な剣を振り回すように、夜空を引き裂いていた『光の柱』が再び振り下ろされる。

 

「─────魔女狩りの王イノケンテイウス!」

 と、身構えるかみじようの前で炎が渦を巻いた。

 人のカタチを取る巨大な火炎は、両手を広げて真正面から『光の柱』の盾となる。

 まるで、罪から人を守る十字架の意味そのままに。

「行け、能力者!」ステイルの叫び声が聞こえた。「元々あの子の制限時間リミツトは過ぎているんだ! 何かを成し遂げたいなら、一秒でも時間を稼ごうとするな!!」

 上条は一言も答えない。背後を振り返る事もしない。

 そんな事をする前に、ぶつかり合う炎と光をかいするようにインデックスの元へと走り寄った。ステイルは、それを願ったから。彼の言葉を聞き、そこに含まれる意味を知り、その裏にある気持ちのすべてをみ取ったから。

 上条は走る。

 走る!!

「───警告、第六章第十三節。新たな敵兵を確認。戦闘思考を変更、戦場の検索を開始……完了。現状、最も難度の高い敵兵『上条とう』の破壊を最優先します」

 ブン!! と『光の柱』ごとインデックスは首を振り回す。

 だが、同時に魔女狩りの王も上条の盾になるように動いた。光と炎は互いが互いをつぶし合いながら、破壊と再生を繰り返して延々とぶつかり合う。

 上条は無防備となったインデックスの元へと、一直線に走り寄る。

 あと四メートル。

 あと三メートル、

 あと二メートル!

 あと一メートル!!

「ダメです──────上!!」

 すべてを引き裂くようなかんざきの叫び声。もう手を伸ばせばインデックスの顔の前にある魔法陣に触れられる、と思った矢先だった。上条は足を止めず、そのまま上を、てんじようを見る。

 光の羽。

 インデックスの『光の柱』が壁や天井を破壊した後に生まれた、何十枚もの光り輝く羽。まるで粉雪のようにゆっくりと舞い降りてきたそれが、今まさに上条の頭上へ降りかかろうとしていた。

 魔術を知らない上条でも何となく分かる。それが、たった一枚でも触れてしまえば大変な事になる事ぐらい。

 そして、何十枚もの羽は、やはり上条の右手を使えば簡単に打ち消す事ができる事も。

 だが、

「───警告、第二二章第一節。炎の魔術の術式を逆算に成功しました。曲解した十字教の教義モチーフをルーンにより記述したものと判明。対十字教用の術式を組み込み中……第一式、第二式、第三式。命名、『神よ、何故私を見捨てたのですかエリ・エリ・レマ・サバクタニ』完全発動まで十二秒」

『光の柱』の色が純白から血のように赤い真紅へと変化していく。

 魔女狩りの王イノケンテイウスの再生スピードがみるみる弱まっていき、『光の柱』へと押されていく。

 何十枚もの光の羽を一枚一枚右手で撃ち落としていたら、おそらく時間がかかりすぎる。インデックスに体勢を立て直される恐れもあるし、何より魔女狩りの王がそれまでたないと思う。

 頭上には何十枚と舞う光の羽、

 足元にはたった一つのおもいすら利用され、糸で操られる一人の少女。

 どちらかを救えば、どちらかが倒れるという、たったそれだけのお話。

 もちろん、答えなんて決まっていた。

 この戦いの中、かみじようとうは自分の身を守るために右手を振るっていた訳ではない。

 ただ、たった一人の女の子を助けるために、魔術師と戦っていたんだから。

(この物語せかいが、神様アンタの作った奇跡システムの通りに動いてるってんなら─────)

 上条は握ったこぶしの五本の指を思い切り開く。

 まるでしようていでも浴びせるように、

(─────まずは、その幻想をぶち殺す!!)

 そして、かみじようは右手を振り下ろした。

 そこにある黒いれつ、さらにその先にある亀裂を生み出す魔法陣。

 上条の右手が、それらをあっさりと引き裂いた。

 本当、今まで何でこんなものに苦しめられていたのか笑いたくなるほどに。

 あっさりと、水にれた金魚すくいの紙でも突き破るように。

「────警、こく。最終……章。第、ぜろ──……。『 首輪、』致命的な、破壊……再生、不可……消」

 ブツン、とインデックスの口からすべての声が消えた。

 光の柱も消え、魔法陣もなくなり、部屋中に走った亀裂が消しゴムで消すように消えていき、


 その時、上条とうの頭の上に、一枚の光の羽が舞い降りた。


 上条はその瞬間、だれかの叫び声を聞いたような気がした。

 それがステイルか、かんざきか、あるいは自分自身の声なのか、目を覚ました(かもしれない)インデックスの声だったのか、それすらも上条には分からなかった。

 かなづちで頭を殴られたように、全身の、指先一本に至るまで、たった一撃で全ての力を失った。

 上条はいまだ床の上に倒れているインデックスにおおかぶさるように倒れ込んだ。

 まるで降り注ぐ光の羽から彼女の体をかばうように。


 粉雪が降り積もるように、何十枚という光の羽が上条の全身へと舞い降りた。

 上条当麻は、それでも笑っていた。

 笑いながら、その指先は二度と動かなかった。

 この夜。

 上条当麻は『死んだ』。

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