3.流星ノ若人(前編) 

ああ、瞼の裏が明るい。もう朝になってしまったのだろうか。目を覚ますと青空を仰いでいた。

「澪、おはよう。」

私が横を向くと先ず、砂の上でなく地面の上で寝ていたことに気がついた。次に澪が隣にいないことも知った。

「澪。」と急いで体を起こした。

手にあるはずの砂浜の感触もなく、コンクリートの地面になっていた。辺りを見渡してみると、そこは駅舎の外の広場らしく、人が多く行き交っていた。時折、誰かが私を見てどこかへ行く。

「え、私。」

何が起こったのか分からず、ただ呆然としている。

「何、ここ。」

すると、見知った顔が近づいてきた。澪であった。

「紬。起きたんだ。」

紬が私の体を起こしてくれた。

「夢、じゃないの。」

私は澪の肩を「ねえ、ねえ。」を目を見開いて揺らした。

「大丈夫。大丈夫だから。」と澪は私の興奮をなだめた。

ようやく、私が落ち着いた。

「私もここがどこか分からないの。」

どうやら夢ではないらしい。

すると、駅舎の方で男の声が後ノ江、後の江と云う声がした。

暫くして、乗客と思われる人が狭いところから吹き出した水のように沢山降りてきた。その様子を見てある共通点に気がついた。乗客だけでなく街の人まで同じ服を着ていた。女性はモンペのような服で男性は黄土の色の服を着ていた。

「澪、私達どこかに迷ってしまったのかな。」

「わからない。でもここは後の江という所らしい。」

聞いたことのない名前の街である。しかし、明らかに眠りにつく前の場所ではない。

「紬、街の人に聞いてみよう。」

澪は駅の出入口に小走りして出てきた一人の男性に話しかけている様子が見えた。もし、私が一人ここに居れば人に話しかけられなかった。やはり、明るくて物怖じしない彼女はすごいなと素直に思った。私は立ちすくむことしかできないので遠くで見ているしか出来なかった。話している人も例外なく黄土の服を着ていた。 澪は男性と少し話してお辞儀するとこちらへ駆けて戻ってきた。

「紬。大変だ。」

「ど、どうしたの。何かあった。」

澪は息を切らして両手を膝に置きながら顔を青ざめさせていた。

「ここ、私達の暮らしていいる街じゃない。」

この言葉を理解するのに幾秒かかった。どういうことだろうか。

「それってどういう。」

二人が顔を見合わせていると、深緑色の軍服を着た二人の男が近づいてきた。男等は腰に剣の様な長い刀を差していた。

「おい、そこの女。」

私達のことを言っているのだろうか。澪が「助かった。きっとあの人は警官だよ。」

しかし、警官にしては尋常でない剣幕でこちらに走ってくる。私には虫の知らせのような得にも言われぬ予感がした。直感的に澪の服の裾を引っ張る。

「澪、ここから逃げよう。今すぐに。」

左足を後退りさせる。

「ん。どうして。」

しかし、時は思ったより早く流れ、男等は私達の前で腕を組んだ。

「貴様らは、誰か。見たことの無い服を着てるようだが。」

一方が声を高ぶらせた。

「私達、ここに迷い込んだんです。助けてください。」

「何をおっしゃる。どうせ貴方らも反政府の人だろ。とぼけないでいただきたい。」

もう一方は私の腕を掴む。

「こっちへ来い。拷問でもして聞き出してやる。」

「やめてください。誰か、誰か助けて。」

像のような大きな力で引っ張られる。気づけばその様子を野次馬が取り囲んでいた。

「いいぞ、憲兵さんやっちまえ。」

「ほんと、近頃は非国民の多いこと。」

群れから沢山の称賛の声と、罵倒の声が聞こえた。

「私達は何もしていない。本当です」

澪が男に腕を背中に固められて中腰の姿勢で弁解する。

「近頃の諜報員は言い訳がましいのう。」

私も澪も男の拘束から逃れるた必死に抵抗した。 

「大人しくしろ。」

あまりにも、抵抗し過ぎたためか私を抑える男が右手を握って大きく振りかざした。

だめだ、殴られてしまう。すると、どこかで乾いた発砲音が聞こえた。途端に私を抑えた男が「痛い。」と言って私を掴む手が解けた。逃げるなら、今しかない。私は渾身の思いで澪を拘束した男の頭を目一杯拳に振りかざした。

澪を固めていた男が刹那に手を離す。私はその隙をついて澪の右手を引っ張り、一目散に疾走した。途中に「おい、待ちなさい。重罪だぞ。」という野太い声が聞こえ、笛を鳴らしながら走ってきたが、更に銃声が聞こえた。それ以降、男等は追っては来なかった。ようやく路地に出た。二人の息は不規則に切れていた。

「紬、ありがとう。」

「ううん。それより、あの警官んみたいな人と銃の音は一体、何なんだろう。」

辺りの人は皆、彼らを“憲兵さん“と呼んでいた。ここでは警官を“憲兵“とでも言うのだろうか。まだ、今の状況が把握できないでいると、今度は一人の女性がこちらに歩いてきた。年は四十くらいの老けた真っ直ぐな髪を肩くらいまで伸ばした人だった。彼女の例外なくモンペ服を着ていた。

「さっきの人だかりの人かいね。あんたらを探しとったんよ。こっちに来んさい。」

少々、訛りの強い人だった。どうやら先程の“憲兵“の仲間ではないらしい。

「私達のことを知ってるの。」

すると、彼女は目を大きく見開いて、少し考えた様子で「さっきの銃声聞こえとったろ。」と耳を打った。

「あなたが助けてくれたんですね。」

私が声を上げると彼女は人差し指を口に当てて「静かに。まだ近くで憲兵が探しとるさかい。」と続けて「まず、服が目立つのう。」と言ってこちらを見つめた。

「ん。」と彼女が少し考え、「しゃない、“アレ“を使うか。ウチの家にきい。」と言った。「“アレ“とは一体なんだろう。」と考えた。

「孤児なんてこの国になんぼでもおるけえねえ。」

どうやらこの人は私達を孤児だと思っているらしかった。

彼女は「どうや。」と笑顔を見せた。

「紬、どうする。」

澪が私に問いかける。私は、深く悩んだ末に、「この人について行こう。他に行ける所もないし。」と言った。こうして私達は彼女の家まで歩いた。途中、憲兵が歩いて私達を探していたが見つかりはしなかった。暫くして彼女が歩みを止めて「アレがウチの家や。」と指さした先には丘の上にある木製の家が聳えていた。広い庭には畑らしき畝に葉が生えており、玄関には草が干されてあった。隣には一階建ての倉があった。

「ここか、私の家や。結構広いやろう。」

彼女が家の片引き扉を開ける。しかし、建付けが悪いのか不快な音を立てていた。

ようやく、戸が開くと、玄関になっていた。奥には竈門などが備え付けられており、煤や炭による使用感があった。

奥から子どもの声が聞こえた。「かあやん帰ってきたわ。」と声を出して誰かがこちらを見つめる。

「あれえ。かあやんのお友達も来とる。おねいさんは誰やの。」

6歳くらいのおかっぱの娘であった。

「この人はかあやんのお客さんやけえ。」

「おきゃく。」

子どもは光を垂らした宝石の反射のように煌めいて、でんでん太鼓のように手を振り回す。

「おきゃく。おきゃく。」

私と澪は顔を見合わせて静かに笑った。

「しず。こんにちわ言わんと。」

子どもはこちらに近づき、「しず。」と恥ずかしそうに言った。

「こんにちは、紬っていいます。よろしくね。」

しずと云う子は恥ずかしそうに惑うと今度は澪が、「澪です。しずちゃん、こんにちは。」と云うものですからさらに尻込みした。

「しず。兄やんと遊んどって。かあやん、この人にもんぺ着させやな。」

「わかった。兄やんは外におるけえ、遊んでくる。」

しずちゃんは走ってこちらに向かい玄関を飛び出し、丘の更に上の方で行った。

「この娘もねえ、君らと同じ孤児なんよ。駅舎で見つけてねえ。」

彼女は走るしずちゃんを目する。

「小さい頃はもっと細かったんよ。自己紹介が送れたねえ。ウチは家内のみつ云います。」

みつさんはこちらにお辞儀してくるのでこちらも藪から棒のように頭を下げた。

「しいかし、あんたらは孤児にしては体つきがええのう。」

「私達、さっきまで砂浜で寝ていたんです。起きたらここにいて。」

みつさんは凍ったように考え、どっと笑った。

「あんたら、幻覚でも見えとるんかい。これは栄養が足らんのう。」

「本当なんです。信じて下さい。」  

「まあまあ、大変じゃったろうに。憲兵さん怖かったろう。」

私はその“憲兵さん“がわからないと言うと、また仰天した様子で目を見開いた。

「憲兵さんも分からんのかえ。これは違う御国に人かもしれんなあ。憲兵さん言うんは軍隊の警察のことや。憲兵さんに逆ろうたら一生牢獄で過ごさないかんけえ。」

「どうして私達は憲兵に捕まったのですか。」

澪が問うとみつさんが、「そりゃあね。」と笑った。

「そりゃあんた、国民服着んで出歩いたら敵の諜報員さんか思われるわ。今、国民服着やん人はおらんやろうに。まあ、こんな所で話すのもなんじゃから家に入りや。ウチが昔着てたモンペがあるさかい。」

そうして、靴を脱ぐと遠くでサイレンの音が聞こえてきた。音は動物の鳴き声のようにけたましく町中に鳴り響いた。

「いかん、空襲警戒じゃ。」

みつさんは急いで部屋に入る。

「はよおいで。」

急かしてきたので二人は声のする方へ移動した。

みつさんはタンスの上にあったラジオの電源を入れた。

砂嵐のような音がしていたがみつさんが周波数を変えると暫くして男性の緊迫した声が家に響いた。

「第五管制区ヨリ警戒警報。〇八三〇、爆撃機一〇機、後ノ江ニムカウ」

「こっちに来とるな。壕に入り。」

みつさんは急いで襖を開けて箱を取り出す。埃がかぶっていたがそれを手で払い胸に抱えて玄関の方へ駆けた。私と澪は何が起こったのか分からなかったが、事の重大さは知れたためみつさんに続いた。

サイレンは未だ流れる。靴を履き、玄関を急いで出るとまばらに人が慌てて走っている様子を散見した。すると、みつさんは蔵の隣りにある地面に木で枠造っている壕を指さした。

「あんたら、先に入りな。ウチは子供等呼んでくる。」

みつさんは庭を出てしまった。

二人はしばらく顔を見つめ合った。いきなり知らない国に訪れ、仰天するようなことが次々と訪れたからである。遂には頼みの綱であるみつさんも居なくなってしまった。

「どうする。」

「今はみつさんの言う通りにしたほうがいいよね。」

「壕に入ったほうがいいよ。」

二人は四角い地面の深い穴を覗くと、はしごが立てかけられていた。穴の深さはざっと人2人分くらいであろう。先に澪が降りた。次に私が降りる。少々、はしごが不安な音を立てていたが無事に降りることが出来た。中は思ったよりも広く4畳くらいであろうが、天井は低かった。空襲で地面に爆弾が貫通しないように出来ているのであろうか。

四隅に木製の簡素な柱が立っており、筋交いが施されていた。

地面には座ることのできるように畳が二枚あった。










































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明星の放浪 @aomiya_mizuki

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