森の中のお屋敷にて

 白い毛並みをした二頭の一角獣が牽引する「馬車」に乗せられ、私は耳なし令嬢のお屋敷へと向かいます。この招待は半ば誘拐のような形で実行され、こちらに拒否権はありませんでした。ぽかんとしている私はあれよあれよという間に馬車へと誘われていたのです。


 ロザリンド様の侍女であるフランカさんは、ホールとは別の場所、音楽堂の敷地内で待機していたそうで、私たちの演奏は聞いていないようです。エドワードさんには後で使いの者から事情を知らせておくと約束してくれました。今、フランカさんは馬車の御者を務めています。そして、四人乗りを想定しているであろうキャビンの中で腰掛けているのは私とご令嬢の二人なのでした。


 乗る前に「念のために」と簡易的な身体検査をされたとはいえ、ただの田舎娘である私と、王家のご令嬢とが狭い空間に二人きりというのは異様です。はっきり言って、落ち着きません。

 私が身につけている緑色を基調としたステージドレスは、町の仕立て人さんに数ヶ月がかりで見繕っていただいたもので大変気に入っているのですが、ロザリンド様の纏う美しい黒と比べるのは烏滸がましく感じられました。


 馬車が走り出して一分ほどの、長くて深い沈黙を破ったのはご令嬢でした。


「どうして竪琴なの?」


 何の前置きもなしに、そう尋ねてこられたのです。どういった理由でお屋敷に招待したのかを聞こうと適切な言葉を必死に探していた私に。


 お声は想像していたよりも普通、つまり私たちソトビトの若い女性のそれと変わりないものでした。近づけたことで初めて、ベールの下からのぞく彼女の髪、その色がシルバーアッシュだと知りましたが、そちらは普通ではなく特別に美しい色味をしています。


「えっと……ど、どうしてと言うのは?」

「数ある楽器の中で竪琴を選んだ理由よ。貴女の身内に竪琴奏者がいるのかしら」

「奏者と言うほどではありませんが、亡くなった母が趣味として竪琴を弾いていました。これは形見の品なのです」


 私は隣の席に置いたケース、竪琴の入ったそれに触れて説明します。


「そう。大切なものなのね。ずっとお母様から竪琴を教わっていたの?」

「いえ、亡くなったのは物心つく前で、私に弾き方を教えてくれたのはエドワードさん……モリビトの男性です」

「その方が演奏家ないし音楽講師ということ?」


 私は首を横に振りました。

 エドワードさんもまた竪琴を趣味として嗜んでいる人です。何か訳あって王都を出て、私の暮らす町に来てからは職を数年ごとに転々として生活しています。人当たりがよく、手先が器用な彼はすぐに町の人たちに溶け込み、いろいろな仕事を任せられる人物なのですが、飽き性でもあるのです。

 こうしたことを私は手短かにご令嬢に伝えました。すると彼女は「ふうん」と興味なさげに返事をし、口を閉ざしました。


「私からも質問してもよろしいでしょうか」

「いいわよ。でも、忠告しておくわ。内容によっては、馬車から突き落とされ、傷だらけで見知らぬ通りに置き去りにされてしまうこともあり得ると」


 どこか愉しげに言うものですから、初めはご令嬢なりのご冗談かと思いましたが、その表情が読めない以上、本気かもしれないと息を呑みました。

 これぐらい近づけば、うかがえるはずだと考えていたその素顔を見ることができずにいるのです。けれど、ご令嬢からの視線は感じました。彼女は私を見ているのです。客席に並んで座っていた審査員たちの方々よりも、ずっと確かな眼差しで。


「なぜ、セインヴァルト様は私をお屋敷にご招待されたのですか」


 舌がもつれそうになりながらも、私はやっと聞きたいことを尋ねました。


「その呼び方はおやめなさい」

「えっ」

「わざわざセインヴァルトの名で呼ぶなんて、皮肉に聞こえるわ。私が王家の一員なのに、こんなふうに耳や顔を隠して日々を過ごしているのを嘲る気?」

「ち、違います。そんなつもりは……」

「教えて。知っているのでしょう。私が皆から何と呼ばれているのか。ほら、言ってみなさいよ、メリア・リズトゥール」

「それは――」


 耳なし令嬢。

 本人に直接、言えるわけがありません。そもそも私は数日前に初めてその名を知っただけ。まさかこうしてお会いでき、二人きりで話せるとは思いもしていませんでした。私が望んだことではありません。あの時、この人に私の演奏が届けばいいと、そう願ったに過ぎないのです。


「あの曲の続きを聞いてあげるわ」


 突然の詰問に口ごもってしまった私に、ご令嬢は小窓へと顔を逸らして、ぽつりと言いました。

 それが先の問いかけへの答えであるという考えに至るまで数秒、いえ、三十秒は要しました。ですが、さらなる疑問が生じます。途中で「やめ」の合図を出され、二次審査に通過しなかった演奏、その続きをご令嬢が求めるだなんて。同じ不合格者でも私よりも優れた奏者はいただろうに。

 ひょっとして、ご令嬢は気づいたのでしょうか? 私が彼女のことを強く意識して演奏したのをわかってくれたのでしょうか。


「ありがとうございます」


 私が絞り出した感謝をご令嬢は黙殺し、馬車の中での会話はそれっきりになりました。


 音楽堂からせいぜい十五分といったところで、馬車が止まります。フランカさんがキャビンのドアを開き、まずご令嬢を安全に降車させ、それから私にも手を差し伸べてくれました。


 森の中のお屋敷は、外装からするとさっきまでいた音楽堂とそう変わりない歴史を感じさせます。おとぎ話に出てくるぴかぴかのお城というよりも、魔女の住む館といった雰囲気でした。無論、そんな印象は口が裂けても言えません。ご令嬢、フランカさん、そして私の順番でお屋敷の玄関まで歩いて行きます。


「悪いけれど、音楽会を開くのに適した部屋はここにはないわ。正確に言うと、あるにはあるけれど、今すぐには使い物にならない」


 広々とした玄関ホールで、振り返ったご令嬢が言います。


「定期的に掃除されている空き部屋はいくつもあるから、その中から好きに選んでくれて構わないわ。椅子でも何でもフランカに用意させるから。それとも……先にお茶の一杯と菓子の一つでも欲しいかしら。どう?」


 ご令嬢に選択を委ねられ、私は慎重に返答します。


「ロザリンド様がお望みのままに。もし、お出かけで少しでも疲れておいでなら、一休みなさった後で構いません。私はどこかの部屋をお借りして練習していますから」

「へぇ。驚いたわ。そんな口の聞き方もできるのね」


 うっすらと見えるご令嬢の口元に笑みが浮かびます。


「そうね、久しぶりにああいう場で音楽を聴く側になって、肩が凝ったのは事実よ。こんな昼下がりに一眠りするのも贅沢だけれど、そうさせてもらおうかしら。ただ……」


 そこまで言うと、ご令嬢は私にすっと近づいてきて、自然な動作で私の髪に触れました。母譲りの金髪。ご令嬢たち貴族の髪と比べれば、手入れが行き届いているとは言えない癖毛。舞台上で束ねていたそれは、舞台を離れてすぐに下ろしていました。ご令嬢はそれを一房つまんで、細い指先で弄るのです。


「起きたら気が変わっているかもしれないわ。貴女をすぐに追い出してしまうかも。ねぇ、それでもいい?」


 ご令嬢は返事に困ることを言うのがお得意なようです。私がどう応じるか悩んでいると「お嬢様」とフランカさんが呼びかけました。ご令嬢は私の髪から手を離し、フランカさんへと向き直ります。


「なに」

「この屋敷の主人として、客人に相応しい態度でいるべきですよ。何の断りもなく髪に触れるのは正しい振る舞いではないでしょう。『私はそこらのぼんくら貴族たちとは違う』という台詞をよく口になさっているのはどなたですか」

「ええ、まったくそのとおりね。次の機会があれば、本人の許可をとることにするわ」


 さらりと侍女の忠言をいなして、ご令嬢は私から離れて背を向けました。


「きっかり二十分後。貴女の演奏を聴くことにするわ。フランカ、手頃な部屋を探して、練習させてあげて。それと他の子たちが近づかないようになさい」


 ご令嬢の指示にフランカさんが「かしこまりました」と背を向けている主に向けて小さくお辞儀をします。ご令嬢はそのまま私室にでも去っていくかと思いきや、半身で振り返りました。


「勘違いしないで、メリア。他のって言うのは使用人のことよ。ここへと招いたソトビトは貴女が初めてだもの」


 また反応に窮することを言い残し、今度こそご令嬢は去って行きます。

 その背中が見えなくなる前にフランカさんが私に声をかけてきました。空き部屋に案内してくれるそうです。私は彼女の大きな背中についていくことにします。


「あの、フランカさん」


 意を決して私は彼女の背に声を当てます。ですが彼女は「何でしょう」と返してくるだけで歩みを止める気配はありません。


「聞きたいことが……」

「お嬢様があなたをここへ招いた理由はお伝えできません」


 こちらの心を見透かしたようにフランカが言いました。


「というより、私もまだきちんと説明していただけていないのです」

「そう、なんですね」


 フランカさんの声色からは彼女が内心、私のことをどう思っているかがわかりません。

 異分子、招かれざる客、それとも……?


「この部屋でよろしいでしょうか」


 そう言って、フランカさんが中を見せてくれた部屋は広々とした空間でした。物らしい物が一切ないことがその広さを強調しています。床や壁、窓の造りには充分に貴族の屋敷らしさがあります。しかるべき調度品を室内に並べたのなら、たちまち私のようなソトビトが立ち入ることが憚られる部屋になりそうです。


「ありがたくお借りします」

「椅子をお持ち致しましょう。中で待っていてください」


 首肯すると、フランカさんは微かに思案する面持ちとなり、こちらを見つめてきました。


「どうか逃げないでください。ああ見えて……繊細な方なのです」


 当惑する私をよそに、フランカさんはきびきびとした足取りで去って行きました。

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2024年12月12日 20:03

ひたむきな竪琴弾きはひねくれ異種族令嬢を響かせたい よなが @yonaga221001

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