ひたむきな竪琴弾きはひねくれ異種族令嬢を響かせたい

よなが

ワケあり令嬢との邂逅

 耳なし令嬢がお見えになりました。

 それは私の一つ前の演奏者の方が、審査員の方から「やめ」の合図を出された直後のことです。

 ご令嬢の来訪は、審査員たちを含め、その場にいた誰にとっても予想外の事態のようでした。彼女へと向けられてはすぐに逸らされる好奇の眼差し、にわかにあちらこちらで交わされる囁き声がそれを教えてくれます。


 実のところ、耳なし令嬢ことロザリンド・セインヴァルト嬢の名前を私が知ったのは、ほんの数日前、王都にやってきてからでした。

 彼女はセインヴァルト国の王家に名を連ねる、先月に20歳を迎えたばかりのモリビトです。亡くなられた先代女王の七人の子供のうち、私がもとより知っていたのは現女王の名だけで、末妹にあたるロザリンド様のことは存じていませんでした。そして耳なし令嬢だなんて異称を影でつけられていることも。


 ロザリンド様は従者を連れておらず、音楽堂のホール内を一人で歩かれています。最終的に腰を下ろした客席は、審査員たちの方々が座る列から数列後ろの中央でした。

 つまり、舞台上の演奏者からすれば、はっきりと視界に入る位置。私が今いる舞台の隅からでもそのお姿が見えました。


 噂どおり、ロザリンド様は頭からベールを被っていて、その両耳と顔の前面を隠しています。身に纏っている優美で黒いドレスと比べても違和感のない、色合いと意匠の代物です。

 触れられる距離に近づけたなら、そのベールの下に隠されたお顔を目にすることができそうですが、遠目からではかないません。


 彼女が耳なし令嬢などと呼ばれている所以は当然、その耳にあります。

 耳がないわけではありません。音が聞こえないわけでもないそうです。

 ただ、彼女の耳はモリビトにしては貧相であり、私たちソトビトの耳と大差ないなりをしていて、片手で包み込めてしまうのだとか。幼いモリビトならともかく、成人の耳としては極めて稀なのです。


「――37番、メリア・リズトゥール」


 ロザリンド様に対する客席の方々の反応が完全に止むと、それを見計らったように、係員が番号と名前を読み上げます。他でもなく私に与えられた番号、そして名前です。

 短く返事をして、椅子から立ち上がると、竪琴を手に舞台の隅から舞台の中央へと移りました。お辞儀をしてから、椅子に座って竪琴を構えます。そうして、審査員の方の「はじめ」の合図を待ちました。

 けれど私の視線はより高く、より奥へと向かいます。自然とロザリンド様へ引きつけられたのです。


 この国に生きる人なら誰もが知っているとおり、モリビトにとっては音楽こそが文化・芸術の最高峰です。

 他のあらゆる文化・芸術活動と一線を画するものなのです。音楽を聴くためには耳が必要です。優れた聴き手であるためには優れた耳がいるのです。

 また演奏者側としても、最上の音楽を作り出すには最上の耳が求められます。モリビトの中でも特に、貴族階級の人々はその身分に釣り合う、音楽の素養と実力とを要求されるそうです。彼らにとって、優れた耳はその前提条件とも言えるのです。


 ましてや王族であれば、どうでしょうか。不相応な「出来損ない」の耳がついていたなら……?


 ロザリンド様が王都の外れも外れ、森の中のお屋敷にて、少ない使用人と共にひっそりと暮らしているらしいそのわけは「特別」な耳のせいだと、田舎娘の私でも推察できたのです。


 審査員から合図がなされる直前、その瞬間まで私はロザリンド様を見つめ続けていました。


 なぜ、と思ったのです。

 ここにいる多くの方が考えたに違いありません。今ここ、つまり、四年に一度の大音楽のためのソトビト楽団員選出審査会に、耳なし令嬢である彼女が足を運んだその理由は何なのだろうと。


 噂どおりであれば、人前で何か楽器を演奏したことは一度もなく、どこかの音楽堂で聴衆の一人になったこともない、そんなロザリンド様がここへと来た目的は?

 まさか単なる気まぐれではないはずです。


 私は膝に抱えた竪琴に意識を集中させ、その琴線に指をかけました。

 この二次審査を通過して最終審査へと残れるかどうかで不安に満ちていた胸中は、ロザリンド様の到来によって変わっていたのです。緊張や不安に勝る好奇心。それがご令嬢に対して不躾であると自覚していてなお、ふつふつと湧き上がり、瞬く間に心に広がっていました。


 ――もしも。

 

 彼女が音楽を、心を震わすことができるだけの旋律との出逢いを求めて、ここへと来てくださったなら、それに応えたい。


 一番得意な曲を「やめ」の合図が出されるまで弾く。それが二次審査の内容です。通過する演奏者であっても、一曲丸ごと演奏を許されるケースは珍しいそうです。

 私が弾くのはモリビトたちにとって古典とされる曲の一つで、今や国中で広く愛されている曲です。それはモリビトとソトビトとが平和のもとで手を取る以前にできた曲です。

 彼らがまだソトビトを隷属させていた時代にできた曲なのだそうです。

 

 でも、そんな歴史は私個人に関係ありません。王都から馬車を使っても片道8日かかる故郷の田舎町にて、幼い私に竪琴の弾き方を教えてくれたのはモリビトのエドワードさんでした。

 この十年間で私は庶民学校へと入学して無事に卒業し、叔母夫婦の営むカフェで給仕として働く傍ら、彼にずっと竪琴を教わってきました。

 十年間という年月は、エドワードさんにとって60歳半ばから70歳半ばの期間でしたが、モリビトである彼の顔に皺一つ増やすことはありませんでした。

 一方で私にとっては、充分に心身が変わる時間でした。

 

 その歳月のうちで、私が好きになった曲を今日弾くのです。全身全霊で。願わくば、高貴なるロザリンド・セインヴァルト嬢、不名誉な異名を背負う彼女の心にどうか届いて欲しいと。


 審査員の「やめ」の合図は思ったよりも早く出されました。

 ずっと早く。私が一番好きなパートへとたどり着く前に。エドワードさんが「竪琴弾きの腕が最もよく現れる箇所」と言っていた部分へと至ることなく。


 予期していなかったタイミングのせいで、中断された音楽が会場内にもたらした余韻は、心地よいとは言い難いものでした。

 私の視線は彷徨い、合図を出した審査員の方から、隣の審査員、そうして再びロザリンド様へと移りました。けれど、手の届かない距離、ベールに覆われているご令嬢の表情は決して読み取ることができません。

 やがて係員に退場を促された私は、不恰好な足取りで舞台袖へと向かったのでした。


 果たして私は二次審査を通過できませんでした。それを知ったのは、全員の審査が終わって三十分後のことです。

 ぼんやりしているうちに過ぎていた時間。傷心の最中、耳なし令嬢がいつ出て行ったか、あるいは残っているのかもわからずに、ただ一人で正式な結果が出るのを待っていたのです。そうして音楽堂のロビー内に張り出された紙に、私の番号はありませんでした。


 この音楽堂に集められたのは、楽団員候補のうちで竪琴奏者のみですが、50人足らずいました。ちなみに一次審査に臨んだ竪琴奏者の母数は500人余り。皆、十代の少年少女たちです。大音楽祭のソトビト楽団員は少年少女で構成されるのが習わしなのです。

 このことが意味するのは、今現在18歳の私が四年後の大音楽祭には、楽団員として参加できないということでした。


 通過できなかった、私を含む三十余名のソトビトたちは、モリビトの係員から音楽堂をすみやかに出ていくようにと言われます。

 冷淡な物言いではありませんが、励ましや労いの言葉はそこにありません。多くのモリビトにとって、年端もいかないソトビトの奏でる音楽はそこまで価値あるものだと思われていないのでしょう。二次審査に通らなかった者たちならいっそう、そうみなされてもしかたないことです。


 音楽堂を出て、ふと王都の空を仰ぎ見ます。清々しい青空。季節は夏季の初めを迎えてすぐで、肌を撫でる風は優しいものでした。本当にとってもいい天気……人の気も知らないで、なんてやさぐれて、思わず溜息がこぼれます。涙は我慢できました。


 半年後の大音楽祭の開催時期になればまた別の顔を見せてくれるこの輝かしい都に、私がきっといないのです。

 王都は他の地域と違い、ソトビトの出入りが未だ自由ではありません。住民登録に複数の要件を満たさないといけないのはもちろん、一時的な滞在であっても公的な証明書類の提出や審査が必須となっています。

 実際、王都郊外の町にて一次審査に通過した私が次にしなければならなかったのは、書類の準備でした。幸い、エドワードさんがかつて王都で働いていた役人だったのでスムーズにいきましたが、彼の助力があっても大音楽祭期間の王都に私が留まるのは難しいのです。


 そして今、選出審査会という王都に居続けられる理由がなくなった私は、エドワードさんと合流して、王都での最後の一日、いえ、半日をどう過ごすか考えなくてはいけませんでした。


 待ち合わせ場所である最寄りのカフェへと歩き始めましたが、不意に背後から「リズトゥール様」と声をかけられます。

 振り返って声の主を確かめると、そこに立っていたのは、すらりとした長身の見知らぬモリビト女性でした。黒髪を後ろで一つに束ねている彼女は、モリビト貴族の家で働く女性使用人がする格好、いわゆるメイド服を着ています。

 年齢は三十前後に見えますが、それはソトビト基準であって、もしかすると百歳近い方なのかもしれません。恭しくなされたカーテシーに、私も軽く頭を下げてから応じます。


「ええっと、たしかに私はメリア・リズトゥールで間違いありません。あなたは……」


 戸惑う私に、彼女は敵意がないことを示すように笑顔を作って、口を開きます。


「ロザリンド・セインヴァルトお嬢様に仕える、侍女のフランカです。リズトゥール様、お嬢様があなたを屋敷にお呼びです。いっしょに来ていただけますか」


 耳なし令嬢からのご招待。

 それはまさに青天の霹靂でした。

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