第27話 戦闘


 一つにまとめた長い髪をたなびかせ、真っ赤な瞳で無感情のままにミカエルはバアルを見下ろした。

 

 「貴様もか。天使バアル」

 「おぅおぅ、お早いお着きだね~大天使ミカエル。もうちょっとゆっくり来てくれてもこっちとしては良かったんだけどな~」

 

 ガキンッ!と容赦ない一太刀がバアルに振り下ろされる。

 瞬間的に現れたミカエルに動じることなく、バアルは片手に聖力マナを集めてそれを受け止めた。

 

 「……あの男はどこだ」

 「んー?あの男ってお前のにーちゃんか?なら、もう先に行ってるよ」

 「あんなモノと兄弟になった覚えはない……!」

 

 振り払うように剣を薙ぎ払ってバアルとミカエルは距離を取る。

 煽るようにバアルは笑った。

 

 「あらら、まだ反抗期拗らせてんの?相変わらず長いね~」

 「黙れ」

 「いくらお前がルシフェルに対抗意識を持ったとしてもアイツは気にしないから意味ないと思うけどな~」

 「黙れと言っている!」

 

 打ちつけてくる激しい攻撃にバアルは最低限の動きだけで避けていたが、数秒後には体中に衝撃波で細い裂傷が残った。

 しかし血が滲んだのは一瞬のことで、あっという間にそれは消え去る。

 

 (おぉさすがはシュエル様の加護。だけど、能力値を上げてもらってもこれが限界か……さすが大天使ミカエル。こいつとのタイマンは長くはもたないな)

 

 聖力マナを集めて一気に壁を作り上げ、周囲一帯に防御壁を張る。

 

 「無駄だっ!」

 

 紅蓮の炎がそれを焼き尽くし、バアルはやれやれとため息をついた。

 今この場でこの男ミカエルの足止めが出来るのは天使の自分しかいない。

 

 (頼むから急げよールシフェル。俺は元々戦闘向きじゃないんだからな……っ!)

 

 バアルは聖力マナを練りこみ、茨にも似た槍を周囲一帯、串刺しにするように大地から宙に解き放った。

 巻き込まれた天使軍の一部が崩壊し、ミカエルも僅かに後退する。

 

 そこから先の戦いは、バアルの上位天使としての意地でしかなかった。


 


 

 

 (始まったか)

 

 後方の聖力マナの様子からルシフェルは戦闘の開始を悟る。

 

 バアルはああ言ったが、彼は元々豊穣の天使だ。戦闘向きの天使ではないことは重々に承知している。

 シュエルの加護ゆえにいつもよりも体が数倍は身軽で耐久力が上がっているとはいえ、天界一と言われる戦闘力を誇る大天使ミカエルの足止めは長くはもたないだろう。

 

 「見えました!ルシフェル様!国境警備隊、すでに戦闘態勢に入っています!」

 

 先行する天使から報告が入る。

 

 「――シュエル」

 

 横を飛ぶ最愛に声をかけた。本当ならこんな事させたくはないが、これが一番陣形を崩せるのは間違いない。

 ルシフェルの声に大丈夫とばかりにシュエルは頷いて、飛ぶ勢いを上げて先行する天使達の前まで躍り出た。

 

 「なっ!最愛いとしご様……!?」

 

 戦闘態勢だった警備兵に乱れが生じる。その瞬間をルシフェルは決して見逃さず、漆黒の炎が国境警備隊に襲いかかった。

 天使達が本能的に神の最愛いとしごのシュエルを攻撃できないのを逆手にとっての行動だったのだ。

 

 「シュエル、先に行け!」

 

 ルシフェルの声でシュエルと彼女の護衛を任せた天使らが狭間ぎりぎりまで先行する。

 シュエルの同行を許したルシフェルの最大限の譲歩は、彼女がすぐに地獄に渡れる場所にいる事だ。

 

 この砦にいる天使は精々2、300人程度だろう。

 シュエルさえ無事ならルシフェルと一個部隊で片が付くはずだ。

 

 「報告が真実とは……実に嘆かわしいですね、天使長」

 

 砦を半壊させ、兵も半分ほど減らした所で声がかかる。

 見上げた先にいる天使にルシフェルは見覚えがあった。

 

 最近異動になったとは聞いていたが、実に厄介な相手がいたものだ。

 監視と粛清を行う調和を司る天使。階級こそ低いが、四大に続く実力者の一人。その短く切りそろえられた髪が彼女のトレードマークだ。

 

 「……そうか。お前がここを任されていたのか、大天使ラグエル」

 

 何も答えずにラグエルは剣を取り出した。

 一瞬の間を置いて、ルシフェルとラグエルの剣が激しく交差し、周囲に衝撃波が飛ぶ。

 

 「ルシ……!」

 

 シュエルの目からはそのスピードは追い付けなかった。衝撃波で散った土埃が晴れるといつの間にかルシフェルの手には刀身の黒い長剣が握られている。

 打ち合ったままの至近距離で、互いの刀身が鳴くのも気に留めずルシフェルとラグエルは見合った。

 

 「……本当に残念ですよ、ルシフェル様。天使まで昇りつめ、天使長にまでおなりになった貴方様がこんな愚かな方だったとは」

 「そうか、期待に沿えなくて残念だ」

 

 押し切るようにルシフェルが一歩足を踏み込めば、ラグエルは躱すように後ろに飛び去り、そのまま崩れかけた砦の上まで駆け上がってから剣を天に掲げた。

 

 「ならばせめて、これ以上の愚を犯さぬようこの場で処断する!そして最愛いとしご様を早急に神の御許にお返しいただく!」

 

 剣先に込めた聖力マナが数多の弓矢に変わり、光の速さでルシフェル目がけ天空から撃ち落とされる。

 ルシフェルも障壁を張ってそれを避けると、一気にラグエルまで距離を詰めて彼女の背後を取った。


 「な!?」

 「……背後に気を付けろと教えたはずだ」

 

 ルシフェルは容赦なく、彼女の利き手を切り落とし両足の腱を絶つ。

 この場に癒しの天使ラファエルでもいなければ即座に治すことは出来ないはずだ。

 

 空から崩れ落ち、地面に激突したラグエルは顔を歪めながらも無理矢理体を起こし、ルシフェルの冷たい相貌を見上げた。

 

 「なぜ……なぜですか!ルシフェル様っ!なぜ貴方のような御方がこのような愚行を犯すのです!?私達を育てて下さった貴方が……!」

 

 ラグエルの記憶にはまだ自分が天使として幼かったころに修練を付けてくれたルシフェルの存在がある。

 彼のような立派な天使になるのだと幼心に刻んだ誓いを彼女は昨日の事のようにまだ覚えているのだ。

 だからこそ、それを裏切るルシフェルが何よりも許せなかった。

 

 「貴方は……っ!誰よりも天使であり、私達の良き隣人であったはずだ!神からの信も厚かった貴方が!答えろ天使長ルシフェル!貴方は一体……っ!」

 

 何故と叫ぶラグエルの首筋にルシフェルの剣先が触れる。

 冷たい感触にもラグエルの表情は変わらず、ルシフェルは少しの間を開けて自嘲気味に呟いた。

 

 「そうだな。……彼女と出会わなければ、お前たちの望む私でいられただろうが」

 

 ルシフェルはもう、出会ってしまった。

 ……選んでしまった。

 

 たったひとりの己の最愛を。

 

 悲哀にも似た表情でルシフェルは言う。


 

 「すまない、ラグエル。私は堕ちる」

 「……っく!」

 

 満身創痍の体に鞭打つようにラグエルは空に飛んだ。

 激しい戦闘音と共に数多の聖力マナが迫り、バアル達の前線が崩壊したのをルシフェルは理解する。

 ここから先は本格的に逃走戦だ。


 「いくら、貴方でも……あのミカエル様にはかなうまい。ついの弟君に討たれるよりは私が、と思いましたが……やはり私では荷が重かったようです」

 

 赤黒い空の上から、痛みに歪んだ顔のままにラグエルはそう言った。

 その決別にも似た言葉をルシフェルは静かに受け入れる。

 

 次の瞬間には襲い来る天使達の乱戦の波に飲み込まれるようにして、ラグエルの姿は跡形もなく消え去っていた。





 

 そこから先は可能な限り逃がせる天使を狭間の先――地獄に送り込み、ルシフェルは瀬戸際で天使軍を食い止める。

 

 バアルとミカエルの聖力マナはまだ前方に感じるからあの生臭天使バアルも粘っていると知り、ルシフェルは少しだけ口元を緩めた。

 

 「シュエル、加護を」

 

 迫りくる追っ手を切り捨てながらルシフェルが言葉少なに後方のシュエルに言う。

 最初こそ戦場の空気に気圧されていたシュエルだったが、小さく頷くと祈りを捧げてその四対八枚翼よんついはちよくを広げた。

 

 淡い粒子が辺り一面に舞い散り、傷が癒えると同時に失った体力が戻るのを感じてルシフェルは僅かな合間に息をつく。

 

 (まだ、避難終了の合図はない)

 

 周囲を巻き込むように漆黒の炎で焼き尽くしながら、前方を見据える。

 バアルとミカエルの聖力マナを目視した途端に、勢いよくバアルがルシフェルの隣まで吹っ飛んできた。

 

 「いっってぇぇぇ、くっそ。まじ容赦ないんだけど」

 

 地面で受け身を取ったバアルはその美しい顔を乱雑に拭った。

 血や土埃に汚れたその姿は普段の彼からはとても想像ができない。

 

 「なんだ、随分と男前になったんじゃないか」

 「噓でしょ、ほんとやめて欲しい。終わったらまず絶対先に風呂入るからね!」

 

 引き上げるようにバアルに手を貸し、軽口を叩くだけで何となく余分な力が抜ける。やはりバアルは不思議な男だった。

 疲れたように体をほぐしながらもバアルは周囲に聖力マナを展開していくつかの攻撃を弾き返す。

 

 「まったく。本当に融通が利かない弟くんだこと。お兄ちゃんまじでどんな教育したの?」

 「悪いな。教育しなかったからああなった」

 「はは、そりゃ兄の怠慢だわ。まじで死ぬかと思ったー」

 「生きてて良かったな、後で風呂に入るんだろう?」

 「入る―……温泉があるってサニーちゃん言ってたから絶対入る、っと!」

 

 舞っていたシュエルの追加の加護を受けるとバアルは気力体力共に回復したのかニッと笑った。

 ゆらりゆらり、と圧倒的に立ち昇る聖力マナを前方から感じる。

 

 「さてさて、まだ避難は終わってないんだろ?天使二人で大天使ミカエル様のお相手をどこまでやれるかね~」

 

 ルシフェルが長剣を握り直すと、お互い視線は前を見据えたまま一歩足を進めた。


 「フォローは任せる」

 「おう、任せろ」


 そう言葉を残すが遅いか早いか、雷光にも似た激しさで剣と剣がぶつかり合い火花が散った。

 

 聖力マナ同士が激しくぶつかりあい、辺り一帯が焦土と化してしゅうしゅうと空気が鳴る。

 バアルが周囲に張り巡らせた十層にも及ぶ聖力マナの障壁も、最後の一層を残して一瞬で砕け飛んだ。


 砂と熱気が渦巻く荒れた大地に一陣の風が吹き抜けると、天使長ルシフェルと大天使ミカエルという天界最強のつい兄弟てんしが、ついにその顔を合わせることとなる。

 

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